後宮のすみっこには天才薬師がいるらしい ~いないもの扱いだった人質の私、趣味の調薬で国を救って正体がバレました~

 その音に黄金が揺れ、綺麗な軌跡を描いて振り向いたのは1人の少女だった。

 足元までを覆う黒いローブに、美しい金の髪が波打ち広がっていた。
 驚きに見開かれた大きな瞳は、春の野辺にひっそりと咲くスミレの花の色。
 髪よりも少し濃い金色の睫毛がその紫を縁取っている。
 少し小振りの唇は、警戒した様にきゅっと噛み締められ、その紅色を増していた。

 森の妖精だと言われれば、思わず信じてしまいそうになる程、可憐で美しい少女だった。
 思わず、息をするのも忘れて見とれるマリオンの視界の中で、少女はジリッと後ずさり、次の瞬間にはパッと踵を返して走り出してしまった。

 そのあまりの素早さに、マリオンは追いかけるのも忘れて呆然と見送ってしまう。
 走りながら少女がローブのフードを被ってしまったせいで、黄金は黒い布の中に隠されてしまった。

 自分よりも随分と小柄な黒い影が木立に隠れて見えなくなってしまった頃、ようやく我に返ったマリオンはパチパチと瞬きをした。

 時間にしたらほんの僅かな時だった。
 あまりにもあっけなく消えてしまった姿に、少女は疲れたマリオンに森が見せた幻だったのでは無いかとすら思える。

 だが、小川を飛び越え少女のいた場所に行ってみれば、湿った土の上、確かにあの少女が存在したのだという様に小さな足跡が残っていた。

 そして……。

「これは、薬草?」
 残されていた籐のカゴの中に入っていたのは数種類の草の束だった。
 
 専門外のマリオンには殆ど分からなかったが、その中に1つだけ見覚えがあるのに気付く。
 痛み止めの作用がある薬草で、野営訓練の時、役に立つから覚える様にと先輩から昔教わっていたものと同じだった。

 黒いローブにカゴいっぱいの薬草………。

「もしかして、彼女が噂の魔女、なのか?」
 そう、つぶやいてマリオンは首を傾げる。
「魔女」というどこか暗い印象を受ける言葉とは正反対の様な可憐な少女だった。

 マリオンはそっとカゴを持ち上げるとしげしげと眺めた。
 手作りらしい少し形が歪んだそのカゴの中身は、少女の集めたものに間違い無いだろう。

 驚かした為に逃げてしまったけれど、ここに置いておけば、そのうち取りに来るはずだ。
 そう、わかっているのに何故か手放すことができず、マリオンはカゴを手に歩き出した。

「王宮の森の中にいた不審人物の証拠だ。これを持って帰って検分するのは、俺の仕事上、当然だよな……」

 誰も聞いていない言い訳を口にしながら、マリオンは黙々と歩いた。
 小川を辿っていけば、次第に広くなっていく川幅とともに、見知った風景の場所に出る。
 それは、森のそばの水路の中へと流れ込んでいった。



 思わず持ち帰ってきたものの、そのカゴをどうしていいのか分からず、マリオンはそのまま自室へと帰ることにした。

 その間にも、脳裏に少女の顔がチラチラとよぎっていく。
 その度に何故か激しい運動でもしたかの様に胸がドキドキと騒ぐのだが、朴念仁のマリオンにはその意味がわかるはずもなかった。




 マリオン、18歳。
 幼い頃より騎士を目指し、剣術一筋に生きて来た彼が、その胸の騒めきを遅い初恋だと気づくのは、もう少し後の事。

 完全な一目惚れ、だった。