同じ夏でも八月になると、どの神々も必ずある話題で盛り上がる。
「ね、また今夜もお祭りですってよ」
「私は花火があるところに行きたいわ〜」
「新しい浴衣、おろそうかしら。流行りの薔薇にしたのだけど」
「あら良いじゃない。ならこの前お揃いで作ってもらった髪飾り、着けていきましょうよ」
「やっぱ踊りがあるところは違うねぇ。思わず参加したくなっちまった」
「わかるわかる!こういう時ばかりは人間が羨ましくなるんだよなぁ」
「賑やかなのも良いが、わしゃ今夜は屋形船でゆっくりしたいぞ」
「それならば、良い場所を知っていますよ。任務終わりに向かうとしましょう」
昼餉の器を回収しているだけで、嫌でも話が耳に飛び込んでくる。
もう祭りが始まったのかというほど、広間は賑わっている。やっとのことで潜り抜ければ、厨に到着するなり思わず溜め息が飛び出た。
「皆様さっそく、お祭りの話で盛り上がっていますね」
「食ったんならさっさと仕事に戻ってほしいがな。次行ってまだ居るなら、広間から蹴り出すか」
「厨様……その時は是非、お願いします」
「こらこら!あんたが止めないと、厨ちゃん本気にしちゃうでしょーがっ」
「別にいいと思う。けっても」
厨の暖簾をくぐり、湯ノ様と人形様が入って来た。
お二柱の手には、私がさっき広間で回収しきれなかった食器があった。どうやら代わりに回収してくださったらしい。
「食器!お二柱共、ありがとうございます。手を煩わせてしまい、大変申し訳ございません」
「別にそんな畏まらなくたっていーのよ、これくらい」
「手伝い、する」
「ならついでに机も拭いてきてくれ。台拭きならそこにある」
「いや、厨ちゃんは逆にこき使う気満々すぎだっての!」
湯ノ様が嫌々そうに布巾をつまむ。
すると食器を洗う手を止めないまま、厨様が長い足で湯ノ様の尻を蹴り上げた。
珍しい動作に、思わず人形様と目を合わせて小さく笑ってしまう。
「うふふ……ん、そういえばお祭り。あなたも一緒にいこ」
「なはは……え゛っ」
「今夜は花火もある。厨も湯ノも来る。いこ」
人形様の小さな手が、私の手首をグッと掴む。
それはとても、嬉しいお誘いだった。
人形様に厨様に湯ノ様と、皆様と祭りに行けたらきっと楽しいだろう。
行けたら——
「すみません人形様。お誘いいただけてとても嬉しいのですが、私は外出が許されていないんです」
「は?なにそれ、どゆこと?なんでなんで?」
「まぁまぁ。人形ちゃんは今年に来たばっかだから、まだ知らないんだね。この子の安全の為にって、旦那様が屋敷の外に出れないように結界を張ってるんだよ」
「ああああああ?」
詰め寄ってくる人形様を、湯ノ様が苦笑しつつ宥める。
この決まりや結界は、最初からあったものだ。屋敷で働く以上、もし迂闊に外に出て幽鬼に捕まったり殺されでもすれば、屋敷の迷惑になる。だから仕方のないことだった。
が、その説明で人形様の眉が恐ろしい角度で吊り上がった。
「人形様、落ち着いてください。私も納得していますから」
「ばかみたい。いくら屋敷が広くても、ずっとは辛いのに。ばかみたい」
「ああもうほらっ暴れない!厨ちゃんが怒っちゃうでしょ」
「わたし、旦那様に言ってくる」
「良いな。私もまた頼みに行くか」
「厨様まで!?」
食器洗いを済ませた厨様が、湯ノ様を引きづりながら、旦那様の元へまて向かう人形様に続く。
慌ててその背を止めようと、私もしがみ付いた。
◇
ずっと前、屋敷に務めて一年目の夏のこと。
いつ終わるとも知れない戦いの中で、一歩も外に出られないのは惨過ぎると、厨様と湯ノ様が私に内緒で旦那様に掛け合ってくれたことがあった。
『誰か一柱でも神が同行するなら構わないのでは』
『あたし達が外に出る時だけでもさぁ、頼むよ』
しかし旦那様は、頑として首を縦に降らなかった。
『そんな無駄なことにお前達を使う訳にはいかない』
『女中のことよりも業務に集中しろ』
と。
たまたま居合わせたとはいえ、私が聞いているとも知らず、旦那様は本当に、本当に凄いことを言っていた。
断られるのはわかっていたとはいえ、この時はもうただただ厨様と湯ノ様に申し訳なかった。
(もしもこの掛け合いが理由で、お二柱の顕現が解かれたらどうしよう)
一人になるたび考え込んで、恐怖から暫くの間は全く眠れない日々が続いたのをよく覚えている。私が屋敷から追い出されるならまだしも、厨様と湯ノ様に迷惑をかけることの方が辛かった。
外に出れないだけ、別に死ぬ訳じゃない。
旦那様に出てはいけないと言われた時も『なるほど、そういうものか』と納得はしていた。
……でも、今はどうなのだろう。
少し目を閉じ、思い浮かんできたのはお三柱と私と、並んで縁日を歩く姿。
「行きたかった、なぁ」
「オンヤァどちらへ?」
「おお!おっおっ」
反射的に手に力が籠り、持っていた西瓜がつるりと飛び出す。
落下する西瓜、あわや大惨事、となる前に背後から伸びた青い翼の上に収まった。
西瓜の無事な姿に、つい力が抜けてその場にへたり込んでしまう。
「ああ危なかった……もうっバードさん!作業中に後ろから声を——って、バード、さん?」
「いやぁ申し訳御座いませン!お嬢さんの美しい後ろ姿を見るたび、つい声をかけてしまいたくなるのがアタクシの悪いところ。ですがどうか、信じてください。決して、お嬢さんに迷惑をかけたくてしたンじゃないンですよ。寧ろ何やら悩んでおいでの様子だったので、何かアタクシに力になれることはないかと、そう思って先程は声をかけた次第で」
「ま、まぁ次から気をつけてくださるなら大丈夫です。それよりも、その」
「はい、どうされました?」
「その……雰囲気というか、色々と変わりました、か?」
今日のバードさんは、明らかに私が知っている姿と違っていた。
髪は柿色に、翼は青色に、尾羽は緑色に。脚や爪、所々にある金色はそのままに、唇に引かれた紅は翼と同じ鮮やかな青色になっている。
それといつもより、全体的にほっそりとしているような。
「気付かれましたか!実は本日より夏羽に変えることにしたンです。他の皆様で言う『衣替え』というやつですね。本当なら六月の時点でもう変えても良かったのですが、アタクシどちらかというとあの赤い冬羽が好きでしてね。ンまぁせっかく着替えたンですから、少なくとも九月の間まではこの姿でいようと考えております。ところで、お嬢さん的にはどうです?夏羽のアタクシ、気に入っていただけましたか?」
「とても素敵だと思います。その、冬羽も豪華で好きでしたけど、夏羽は鮮やかで見ているだけで涼しくなれて良いですね」
「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーヤッタ!嬉しい!!」
両翼をバッサァと広げ、そこら辺をグルグル走り出した。また大袈裟なほど喜んでいる。
何はともあれ、とりあえず西瓜が無事で良かった。話の最中に返してもらった西瓜を、ゆっくりと小川に浸す。
屋敷の庭には流れの穏やかな小川まであった。泳ぐには狭いけれど、神々に捧げる大量の西瓜を冷やすにはもってこいの場所だ。
「この西瓜、今日のおやつなんですよ」
「ほぉ楽しみですね。お嬢さんは、西瓜はお好きで?」
「好きです。食べるのはもちろん、あとお行儀が悪いですけど西瓜の種を飛ばすのだけは私、得意なんです」
「ホッホ!それは面白いことを聞きました。アタクシは下手なので、よろしければ食後にでもコツを教えてくださいな」
「お任せをば」
教わってどうするのかは気になるところだけど、聞くのは野暮だろう。
話の流れで、バードさんがリヤカーから西瓜を小川に移すのを手伝ってくれた。
量が量なので、とてもありがたい。
作業がてら『泳ぎは得意か』だとか『海を見たことがあるか』等の話題で盛り上がった。
バードさんはいつも沢山お喋りしてくださるから、嬉しい。
本当は私との会話に飽き飽きしてるんじゃないかだとか、私の相槌がそうじゃなくても適当に聞こえていないかという不安はまだあるけれど、それでも彼との会話は日々の癒しになりつつあった。
「そういえば先程は、いったいどちらへ『行きたかった』ンですか?」
「——あれは、別になんでもないんです。どうか気になさらないでください」
「オヤ、そうですかそうですか。わかりました。なら話を変えますがお嬢さん、今夜は空いておりますか?」
「今夜なら空いてますけど、ひょっとしてお酒ですか?」
あれ以来も何度か、晩酌のお供をさせていただいてる。今夜持って行くならどんな料理にしようと、少しワクワクしてきた。
しかし私の問いに、バードさんはどこか意味ありげに笑って首を振った。
「残念ながら、今夜はお酒じゃ御座いませン。ただ、楽しい夏の夜になることは約束しますよ」
「さいですか」
晩酌じゃないなら何をするのか全く予想がつかないけれど、バードさんがそう言うのならきっと楽しくなるだろう。
プカプカと小川の網に引っかかった西瓜を、翼の先で軽く突くバードさんを見ながら、確かにそう思った。
◇
『時間になりましたらアタクシがお部屋まで迎えに参りますので、どうぞお布団で寝ながら待っていてください。絶対に!お布団で!寝ながらですよー!!』
「……て言ってたけど、何時くらいなんだろう」
今夜は殆どの神様がお祭りに出かけたのもあって、仕事は早くに終わっていた。
以前の晩酌の時と違い、此度は何か準備をした方が良いのか全くわからない。とりあえずバードさんに言われた通りにしようと入浴を済ませ、いつもより早く床に就いてはいた。
ゆっくりと、天井を照らす夕日が暗くなるのを眺める。
こんなに早い時間に布団に入るのは初めてだ。少しソワソワしてきて、寝るように言われているのに中々瞼が重くならない。
何か眠たくなるようなことを考えねば。
(え〜……鰆の煮付けは、皮にバッテンの切れ目を入れて、生姜は薄切り……いや、千切り?煮汁は砂糖みりん酒醤油砂糖みりん酒醤油砂糖砂とうさとう、あっさとうどこだ。なんでさとうがない——)
◇
「ハァイひとまず、到着いたしましたよ。ささっ目を開けてご覧なさい」
「フガッ」
目覚めるとそこは、薄暗い山の中だった。
足元には緩やかな石段が敷かれており、空を見上げれば天の川が見える。
そして目の前には、まるで悪戯が成功したかのような笑顔を浮かべているバードさんがいた。
「バードさん!こっ、ここはいったいどこなんですか?」
「マママママァ、落ち着いて。着いたと言っても目的地までもう少し距離がありますから、とりあえず先に進みましょう。後ろもつかえていることですし」
「後ろ?エアッ」
突如、私達の真横に、赤く馬鹿でかい爪が突き刺さった。
流石に仰天してバードさんに飛びつく。見上げれば遥か頭上に、おそらく爪の主であろう蟹の姿があった。
そのままお化け蟹は私達を見向きもせず、あっという間に行ってしまう。
驚きで、空いた口が塞がらない。そんな私をバードさんはクックッと笑って「暗いですからね、迷わないようにしましょう」と手に羽根を巻き付けて歩き出した。
その羽根を強く握り返しつつ、歩きながら周囲を伺う。
沢山の目玉が付いた肉塊や異様に手足の長い猫、六本足の生えた琵琶に虹色に光る髪の生えた美女と、己の目を信じられなくなりそうな者や物が木々の隙間からチラチラ見えた。
どれも皆さっきの蟹と同じく、バードさんと同じ方向に歩いている。
(不思議なものは見慣れているつもりだったけど、屋敷の神様と全然姿も雰囲気も違う……どうしよう、バードさんに「この先、黄泉の国となっております」とか言われたら)
もしこのまま死ねば、いったい身の回りのどこら辺に迷惑がかかるのだろうと不安がよぎる。
だが完全に心が暗くなるよりも早く、明るい調子の音色が少しずつ耳に響いてきた。
祭囃子だ。
間違いなくこの先で、お祭りをやっている。
森が開けると、まず月にぶつかりそうなほど長い、長い鳥居が目についた。
鳥居の足元にある赤い橋の向こうに側には、これまた大きな祭りの会場が広がっている。
色とりどりの、金平糖のような明かりが灯る会場からは夜風に乗って、醤油や砂糖の焼ける良い匂いが漂ってきた。
寝る前にしっかりと夕餉を食べたはずなのに、もう口の中で唾が湧いてくる。
「うおおなんだか美味しそうな匂いと、楽しそうな雰囲気が」
「というわけで今夜はなんと、お嬢さんにはアタクシ達『神』の祭りを満喫していただこうと現世から遥々、神の住む幽世へご招待いたしました!」
「神の祭り……でもバードさん、私は屋敷の外に出ては」
「ダァい丈夫です!!何故ならばっ!!」
バードさんが今までで一番高く大きく、翼を広げた。
よく見たら片足立ちにまでなっている。
「実は、今のお嬢さんはただ眠って夢を見て状態なンです。お屋敷から一歩も外に出ていない貴女が、一体誰に迷惑をかけるというのでしょう。いや、かけますまい。はい問題解決万事収束今夜はパーリナイ」
「そうなんですか?私てっきり、外に出てしまったものだと」
「はーい全然そンなことないですからね。お屋敷も旦那様のことも今は丸っと忘れて、安心して楽しみましょーね〜〜浴衣も用意しましたし」
「え?……あ、ああっ!?」
うす暗い山を抜けていたことで、私がどんな格好なのか今気付いた。
寝巻きから、白地に橙色と浅葱色をした波千鳥の可愛らしい浴衣に変わっている!
孔雀緑の帯には、金のちょこんとした千鳥の帯留めが。いつの間にか手に持っていた浅葱色の巾着には、橙色の千鳥があしらわれていた。
髪にそっと触れてみれば、いつもの団子に三つ編みが組み込まれている。髪飾りにも小さな千鳥の飾りがついていて、全体的に千鳥づくしだ。
なんなら黒下駄の鼻緒にも、浴衣と同じ波千鳥が飛んでいる。
「いかがです?そちらのお召し物は?せっかくお祭りに行くのだから、やっぱりオシャレをしたいですよね。前々回の晩酌の際に、柄付きの浴衣を一着しか持っていないとおっしゃられていたので、選ばせていただきました。アタクシの夏羽とお揃っち、いゃあ想像以上によくお似合いだ」
「可愛いです!非常に!!でもこちら、お値段は」
「アッハハアハハッ嫌ですねぇ!アタクシが勝手に用意しておいて金を摂るような雄に見えます?見えませんよねぇ。気に入っていただけたようで大変結構。では説明が終わりましたので、早速会場に参りましょう!」
再びバードさんに手を引かれ、歩き出す。
まぁ夢の中ならこの浴衣も、起きればきっと全て消えてしまうのだろう。簪に続く贈り物に驚いたが、あまり深刻に考えなくてもいいのかもしれない。
よく見るとあのお化け蟹や異形達も、続々と鳥居を潜り会場に入っていく。バードさんの言う通りここが幽世なら、彼らもきっと何かしらの神なんだろう。
会場自体は広い湖の、真ん中にある島に作られていた。
橋の下を見ると、蓮の花と立派な屋形船がいくつも浮かんでいる。障子に浮かぶ影の様子から、そちらの方もかなり賑わっているのがわかった。
「賑やかですね、そういえば何を祝うお祭りなんですか?」
「それがね、何のお祭りでもないンですよ。強いて言うならただの『見栄』とでも申しましょうか」
「見栄?」
「はい、見栄。元々は『祭ノ神』が他の神に『現世の人間達の祭りは凄いが、お前は神を名乗っておきながら幽世で祭りをしないのか』と焚き付けられたのが始まりでしてね。それ以降、祭ノ神を中心として人間達に勝る祭りにしようと毎年開催されているンですよ」
「なるほど、確かに神様なら五穀豊穣も無病息災も別に必要ないですもんね」
「その通り。叶える側ですから」
会場内は屋台の他にも、飲み屋に宿屋と様々な建物が建ち並んでいる。どれもお屋敷に負けないほど立派で清潔な建物だ。宿場町として申し分ない。
歩きながら周囲を見回す。
一串の電気飴を両脇から仲良く食べる、子犬ほど大きな二匹のカナブン。『紅金剛』と書かれた屋台の前で、店主からキラキラと輝く赤い玉の刺さった串を、背伸びして受け取る浴衣を着た金魚。焼きおにぎりを両手に持ち、ホクホクと笑う真白い浴衣に褐色肌と短い黒髪の女性。
そんな中でふと、一点に目が止まった。
煌めく石が、紐でいくつも吊るされた屋台の前。
品物を物色しているあの後ろ姿は……厨様と湯ノ様と人形様だ!
「バードさん!私ちょっと、向こうの厨様達に挨拶してきますね!」
思わずパッと手を離し、厨様達の方に向かう。
「厨様!く——」
「ハァイお待ちなさい」
「ムガッ」
背後からもの凄い勢いで伸びてきた両翼が、口を塞ぎ腰に巻き付く。背中に感じる羽圧に、振り向くとバードさんに見下ろされていた。
なんとか身を捩り、口を塞いでいる翼から抜け出す。
「んぶっ、ど、どうしたんですか?」
「いーやぁ〜〜危ないことをなさるお嬢さんだ。これでは折角の」
「折角の?」
「……折角の、あのお三柱の息抜きが台無しになるところだったと、言おうとしたンです」
「台無し!?」
いつになく神妙な様子(とはいえ笑顔)でバードさんは私の拘束を解き、私と向こうの三柱との間に回り込んだ。
「ご覧なさい。連中、とても楽しそうでしょう?だって今は屋敷での仕事を忘れて楽しむ時間なんですもの、そりゃそうだ。はいここで質問、そこにお嬢さんが行けばどうなると思います?」
「仕事のことを、思い出してしまう」
「正解でございます。ま、あの三柱なら嫌な顔はしないと思いますがね。それでも声をかけますか?ン?」
「かけないです……」
「大変結構。では今夜はあの三柱を見かけても、決して声をかけてはなりませンよ。アタクシとの約束です」
言い終わるよりも早く、三度バードさんに手を引かれ、その場から離れる。
厨様達の後ろ姿は、どんどん遠ざかっていった。
◇
祭りなのだから当たり前のことではあるが、どこに行っても屋台の列が途切れることがない。
その中でも白い兎が店番をしている屋台の前で、バードさんは立ち止まった。
「こちらの屋台、幽世の中でも特にお菓子が評判の老舗から出ているンですよ。ほら、前に東屋でアタクシが持ってきたお菓子」
「覚えてます!若鮎に錦玉羹、どれもとっても美味しかったです」
「ンフフフそうですか。ならここでまた、何か買いましょうか」
台上には見たことのないお菓子と、それの名前らしい札が並べられている。『練り柘榴』『カチ菊鳥』『山梨蟹』『氷餅』『ルミキッカリ』……迷った末、見た目が一番素朴な氷餅に決めた。
しかし巾着から財布を出そうと開いてみても、中には櫛と千鳥柄の手縫いしかない。
「財布が……」
「ご心配なく、今夜は全てアタクシの奢りですよ」
「そんな、浴衣まで出していただいてるのに」
「オホホホホそうおっしゃらず、助けると思ってください。こういう場でもない限り、なかなか散財の機会がなくて困っているンですよ」
言い終わるよりも早く、バードさんは支払いを済ませた。
渡された氷餅は、食べやすいように菱形の紙袋に挟まっている。
台上にあった白く平べったい形から二つ折りにされ、間ににキラキラした粉が混ぜられた青紫の餡のようなものがかかっている。頭上の天の川とそっくりで、綺麗だ。
バードさんにお礼を言い、一口齧ってみる。
氷餅という名前のとおり、とてもひんやりモチモチしている。不思議だ。餅なのにこんなに冷たくても固まらないだなんて。
トロリとした餡は、甘酸っぱい葡萄の味がする。頬がキュッとする感覚に、笑ってしまった。
「ふ、ふふ、美味しっ」
「それはなにより。食べ物の店はまだ他にも沢山ありますからね。気になった物からどンどン買ってゆくとしましょう」
少しお行儀が悪いが、食べながら跡をついてゆく。
隣の屋台にあった醤油で炒められた麺も、そのまた隣にある拳ほどの肉が三つ刺さった串も、チラッとでも私が見るだけでバードさんはなんでもすぐに買ってしまう。
確かに気になった品ではあるけど、このままではここら一帯の食べ物を全て買わせてしまいそうだ。慌て、桃色の炎が灯る電気飴を受け取るバードさんから反対に目を逸らす。
向かい側の屋台には、食べ物ではなく遊戯屋台が建ち並んでいた。
半弓ではしゃぐたんぽぽの親子も、腕を伸ばして輪投げを直接入れる蛸顔の童子も、皆んな楽しげだ。
「ン、あちらが気になりますか?」
「少し。でもどの屋台も混んでますね」
「どれも祭りの時ぐらいしかしない遊びですからねぇ、今のうちにやっときたいンですよ……オ、ヤ、ちょうど良い時に。お嬢さんほらあそこ!空いていますよ!」
バードさんが示した先に、一軒だけ誰も並んでいない屋台があった。
何故そこだけ……と疑問に思いつつ、近寄ってみる。
紺色の看板には文字ではなく、白く薄らとした三角が描かれていた。
折りたたみ椅子に深く座っている店主は、夏なのに分厚い外套に襟巻き。色眼鏡に鳥打帽を目深に被っていて、不気味に見える。
大きな水槽があることから金魚すくいかと思ったが、よく見ると看板と同じ三角をした半透明の石が、金魚のかわりに浮かんでいた。
「ほぉ……随分と珍しいものがありますね。どうですお嬢さん、一度やってみなさい」
「えっでも私、普通の金魚すくいすらやったことがなくて」
「ダァい丈夫!アタクシが指南して差し上げましょう。なーに、昼間西瓜の種を飛ばすコツを教えてくださった礼ですよ」
バードさんが翼の平で、店主に小銭を見せる。外套の隠しに両手を突っ込んでいた店主が、ゆっくりとした動きで小銭を取り、代わりに白く細い紐を私に差し出した。
受け取ったけれども、本当に何も付いていないただの紐だ。いったいこれでどうやって、この三角を取るのだろう。
「まず、水槽の好きなところに紐を垂らしてください」
「こう、ですか?」
「そうですそうです!そのままジッとして、時たま軽ぅく紐を引いて、重みがないか確認してください」
「軽く……あっ!なんかちょっと、重いです」
「ではここからが肝心!紐には今、石がくっついている状態です。紐についた石が、浮かんでいる石にぶつかって紐から離れないよう、慎重に、引き上げて」
「はい……慎重……慎重……」
言われた通り、紐をゆっくりと引く。
すると紐に三角が、二個くっついた状態で上がってきた。
「二個ある!?」
「これはこれは!おめでとう御座います!!流石はアタクシのお嬢さん、鮮やかな腕前に涙が止まりません。本当に今回が初めてですか?初見でこれは中々のものですよ」
「や、やぁそんな。バードさんの指導のおかげですよ」
こうも褒められると、照れくさくてつい歯茎が剥き出しになってしまう。
そうこうしているうちに、店主が紐から三角を外してくれた。
まず一個、手渡されたそばから無色透明だった三角の色が目まぐるしく変わりはじめた。
「えっ色がっ、どうしよっ」
「落ち着いて、それで合っていますよ。触れたものの心に残っている色に、変わるンです」
「本当ですか!?はぁあ良かった〜」
グルグルと暫く渦巻いていた色の波が、最終的に赤・黒・金の三色を残して止まった。
触れたものの心に残る色……なんの三色かすぐに見当がついて、気まずさから反射的にバードさんから目を逸らした。
が、ものすごい速さで、これ以上ないほどニヤけた顔で覗き込まれる。
「オヤオヤオヤ、オーヤオヤ、これは見覚えのある色ですね〜〜ン〜〜?」
「……凄く、綺麗だなと、初めて見た時から思ってたんです」
「まぁそう恥ずかしがらず!アタクシも気に入っていますからね、冬羽!!」
「いや、夏羽も素敵なんですって……あ、そうだ。良かったら、もう一個の三角はバードさんが受け取ってください」
「アタクシに?」
「はい。お金を出していただいてますし」
あと、バードさんが持ったらどんな色になるのか気になる、というのもあった。「ではでは」と翼の平に三角が置かれ、色が変わりはじめる。
(バードさん派手好きだから、きっと見たことないような極彩色の三角になるんだろうなぁ)
ところが渦が鎮まり、残されたのは暗い藍色と肌色と、朱殷。
鮮やかさのかけらもない色に染まった三角を、バードさんは愛おしげに見つめた。
「ああ、これが出ましたか」
「なんの色なんですか?」
「ン?フフフ……内緒です。ただ、アタクシにとって一番大切な思い出の色。とでも言っておきましょうか」
三角をまるで宝物のように、胸羽にしまう姿はどこか寂しげに見える。
何も言えずに見つめていると、パッと笑って「ではまた屋台巡りに戻るとしましょうか!」といつもの調子で翼を広げた。
店主に一礼して、バードさんに続く。
いつの間にか私達の後ろには、店へと並ぶ行列が出来ていた。
◇
食べ歩きつつ、空いている遊戯屋台で遊ぶこと暫く。
急に周囲の神々の数が減りはじめた。
灯があるとはいえ、かなり夜の遅い時間だ。もう帰ってもおかしくない。そう思って私達も帰るべきかとバードさんに声をかけると、彼は高笑いして自身の背を差し示した。
「まだ帰るには早いですよ、さぁアタクシの背に乗ってください」
「そ、そんな。不敬なこと」
「い・い・ん・で・す!!寧ろ乗らないと間に合わなくなってしまいますよ」
さぁさぁと促され、何度も謝りながらバードさんの背に乗る。
どこを掴んでいいのかわからなく困っていれば「好きなところを掴んでください。羽根はそう簡単に抜けませンから、大丈夫ですよ」と言われた。
まぁご本神がそう言うのなら。しっかりと羽を掴めば、バードさんがその場で羽ばたきはじめた。
強い風も吹いていないのに、ただそうするだけで浮き上がる。徐々に離れてゆく地上を見下ろせば、口から感嘆の声が漏れ出た。
「おおお……高い!高い!!」
「どうです?怖くはありませンか?」
「大丈夫です!寧ろ気持ちが良いくらい」
「それは良かった!!」
会場はどんどん灯が消えて、暗くなっていた。代わりに夜空が美しさを増しているとはいえ、その様子に寂しさを感じる。
と、バードさんが山のてっぺんの大きな、大きな楓の枝に止まった。
屋敷の廊下ほど太く広い枝は、私やバードさんが乗っても揺れ一つおこさない。よく見れば下の方の枝や他の木に、会場から去った神々が座っていた。
「フーウ、なンとか間に合いました」
「今から何か、始まるんですか?」
「よくぞ!聞いてくださいました。ここからは祭りのクライマックス、つまりは大トリ、最初で最後の仕上げ——」
バードさんが言い終わるよりも早く、どこからかヒュゥルルルと不思議な音がした。
音につられて会場の方を向けば、宙に金の火花が散った。
一輪の、巨大な菊。
「う、わ」
その一瞬だけで、全ての感覚が火花に奪われる。遅れてやってきたバンッという音が胸の奥まで鳴り響いた。
次に牡丹、次に柳。小さな沢山の菊のような花が、一番可愛いく見える。
この大きな音は、昔聞いたことがあった。
近所の子供達がお祭りに行く中。花火はうるさくて嫌いだと、母に早々と床につかされた夜。遠くの方でなるこの大きな音に、あの頃は怖がって汗をかきながら布団に潜っていたけれど、なるほどあれは花火の音だったのか。
なるほど、これが花火か。
初めて見た。
花火は勢いを増し、どんどん打ち上がる速度が早まってゆく。もうすぐ終わりが近いのだろう。
空一面が大輪の花を咲かせ、目に焼き付くほど輝いて、花火は終わった。
周囲の神々が上げる歓声が、どこか遠くに感じる。
早くバードさんに「凄かった」「ありがとうございます」とお礼を言いたいのに、徐々に瞼が重くなってきた。
触れ慣れた羽根の感触を背に感じながら、意識が遠のいてゆく——
◇
障子越しでも感じる朝日に、自然と目が覚めた。
ムクリと起き上がれば、いつもの自室にいつもの寝巻き。
本当に、昨夜の祭りは夢の中の出来事だったのか。
今でも感じる、屋台の香りや会場の熱気。祭囃子と花火の音に、少し寂しくなる。
早く支度をせねばと立ちあがろうとすれば、ふと枕元にあの三角が置いてあるのに気付いた。
手の平にとって、眺める。
「良い、お祭りでした」
そう独り言ちてから、改めて仕事着に着替えようと立ち上がった。
が
さっきまでは気付かなかったけれども、枕側の壁にかけられているのは波千鳥の浴衣で、下駄が仕舞われているであろう箱も置いてもあって、巾着も卓上にある。
よく見たらある。
「……ば、ばっ!バードさああああああああん!!夢だって言ってたじゃないですかーーー!!」
もう寝巻きのまま、部屋から飛び出す。
多分今頃、笑っているであろうあの神様の部屋へと走った。
「ね、また今夜もお祭りですってよ」
「私は花火があるところに行きたいわ〜」
「新しい浴衣、おろそうかしら。流行りの薔薇にしたのだけど」
「あら良いじゃない。ならこの前お揃いで作ってもらった髪飾り、着けていきましょうよ」
「やっぱ踊りがあるところは違うねぇ。思わず参加したくなっちまった」
「わかるわかる!こういう時ばかりは人間が羨ましくなるんだよなぁ」
「賑やかなのも良いが、わしゃ今夜は屋形船でゆっくりしたいぞ」
「それならば、良い場所を知っていますよ。任務終わりに向かうとしましょう」
昼餉の器を回収しているだけで、嫌でも話が耳に飛び込んでくる。
もう祭りが始まったのかというほど、広間は賑わっている。やっとのことで潜り抜ければ、厨に到着するなり思わず溜め息が飛び出た。
「皆様さっそく、お祭りの話で盛り上がっていますね」
「食ったんならさっさと仕事に戻ってほしいがな。次行ってまだ居るなら、広間から蹴り出すか」
「厨様……その時は是非、お願いします」
「こらこら!あんたが止めないと、厨ちゃん本気にしちゃうでしょーがっ」
「別にいいと思う。けっても」
厨の暖簾をくぐり、湯ノ様と人形様が入って来た。
お二柱の手には、私がさっき広間で回収しきれなかった食器があった。どうやら代わりに回収してくださったらしい。
「食器!お二柱共、ありがとうございます。手を煩わせてしまい、大変申し訳ございません」
「別にそんな畏まらなくたっていーのよ、これくらい」
「手伝い、する」
「ならついでに机も拭いてきてくれ。台拭きならそこにある」
「いや、厨ちゃんは逆にこき使う気満々すぎだっての!」
湯ノ様が嫌々そうに布巾をつまむ。
すると食器を洗う手を止めないまま、厨様が長い足で湯ノ様の尻を蹴り上げた。
珍しい動作に、思わず人形様と目を合わせて小さく笑ってしまう。
「うふふ……ん、そういえばお祭り。あなたも一緒にいこ」
「なはは……え゛っ」
「今夜は花火もある。厨も湯ノも来る。いこ」
人形様の小さな手が、私の手首をグッと掴む。
それはとても、嬉しいお誘いだった。
人形様に厨様に湯ノ様と、皆様と祭りに行けたらきっと楽しいだろう。
行けたら——
「すみません人形様。お誘いいただけてとても嬉しいのですが、私は外出が許されていないんです」
「は?なにそれ、どゆこと?なんでなんで?」
「まぁまぁ。人形ちゃんは今年に来たばっかだから、まだ知らないんだね。この子の安全の為にって、旦那様が屋敷の外に出れないように結界を張ってるんだよ」
「ああああああ?」
詰め寄ってくる人形様を、湯ノ様が苦笑しつつ宥める。
この決まりや結界は、最初からあったものだ。屋敷で働く以上、もし迂闊に外に出て幽鬼に捕まったり殺されでもすれば、屋敷の迷惑になる。だから仕方のないことだった。
が、その説明で人形様の眉が恐ろしい角度で吊り上がった。
「人形様、落ち着いてください。私も納得していますから」
「ばかみたい。いくら屋敷が広くても、ずっとは辛いのに。ばかみたい」
「ああもうほらっ暴れない!厨ちゃんが怒っちゃうでしょ」
「わたし、旦那様に言ってくる」
「良いな。私もまた頼みに行くか」
「厨様まで!?」
食器洗いを済ませた厨様が、湯ノ様を引きづりながら、旦那様の元へまて向かう人形様に続く。
慌ててその背を止めようと、私もしがみ付いた。
◇
ずっと前、屋敷に務めて一年目の夏のこと。
いつ終わるとも知れない戦いの中で、一歩も外に出られないのは惨過ぎると、厨様と湯ノ様が私に内緒で旦那様に掛け合ってくれたことがあった。
『誰か一柱でも神が同行するなら構わないのでは』
『あたし達が外に出る時だけでもさぁ、頼むよ』
しかし旦那様は、頑として首を縦に降らなかった。
『そんな無駄なことにお前達を使う訳にはいかない』
『女中のことよりも業務に集中しろ』
と。
たまたま居合わせたとはいえ、私が聞いているとも知らず、旦那様は本当に、本当に凄いことを言っていた。
断られるのはわかっていたとはいえ、この時はもうただただ厨様と湯ノ様に申し訳なかった。
(もしもこの掛け合いが理由で、お二柱の顕現が解かれたらどうしよう)
一人になるたび考え込んで、恐怖から暫くの間は全く眠れない日々が続いたのをよく覚えている。私が屋敷から追い出されるならまだしも、厨様と湯ノ様に迷惑をかけることの方が辛かった。
外に出れないだけ、別に死ぬ訳じゃない。
旦那様に出てはいけないと言われた時も『なるほど、そういうものか』と納得はしていた。
……でも、今はどうなのだろう。
少し目を閉じ、思い浮かんできたのはお三柱と私と、並んで縁日を歩く姿。
「行きたかった、なぁ」
「オンヤァどちらへ?」
「おお!おっおっ」
反射的に手に力が籠り、持っていた西瓜がつるりと飛び出す。
落下する西瓜、あわや大惨事、となる前に背後から伸びた青い翼の上に収まった。
西瓜の無事な姿に、つい力が抜けてその場にへたり込んでしまう。
「ああ危なかった……もうっバードさん!作業中に後ろから声を——って、バード、さん?」
「いやぁ申し訳御座いませン!お嬢さんの美しい後ろ姿を見るたび、つい声をかけてしまいたくなるのがアタクシの悪いところ。ですがどうか、信じてください。決して、お嬢さんに迷惑をかけたくてしたンじゃないンですよ。寧ろ何やら悩んでおいでの様子だったので、何かアタクシに力になれることはないかと、そう思って先程は声をかけた次第で」
「ま、まぁ次から気をつけてくださるなら大丈夫です。それよりも、その」
「はい、どうされました?」
「その……雰囲気というか、色々と変わりました、か?」
今日のバードさんは、明らかに私が知っている姿と違っていた。
髪は柿色に、翼は青色に、尾羽は緑色に。脚や爪、所々にある金色はそのままに、唇に引かれた紅は翼と同じ鮮やかな青色になっている。
それといつもより、全体的にほっそりとしているような。
「気付かれましたか!実は本日より夏羽に変えることにしたンです。他の皆様で言う『衣替え』というやつですね。本当なら六月の時点でもう変えても良かったのですが、アタクシどちらかというとあの赤い冬羽が好きでしてね。ンまぁせっかく着替えたンですから、少なくとも九月の間まではこの姿でいようと考えております。ところで、お嬢さん的にはどうです?夏羽のアタクシ、気に入っていただけましたか?」
「とても素敵だと思います。その、冬羽も豪華で好きでしたけど、夏羽は鮮やかで見ているだけで涼しくなれて良いですね」
「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーヤッタ!嬉しい!!」
両翼をバッサァと広げ、そこら辺をグルグル走り出した。また大袈裟なほど喜んでいる。
何はともあれ、とりあえず西瓜が無事で良かった。話の最中に返してもらった西瓜を、ゆっくりと小川に浸す。
屋敷の庭には流れの穏やかな小川まであった。泳ぐには狭いけれど、神々に捧げる大量の西瓜を冷やすにはもってこいの場所だ。
「この西瓜、今日のおやつなんですよ」
「ほぉ楽しみですね。お嬢さんは、西瓜はお好きで?」
「好きです。食べるのはもちろん、あとお行儀が悪いですけど西瓜の種を飛ばすのだけは私、得意なんです」
「ホッホ!それは面白いことを聞きました。アタクシは下手なので、よろしければ食後にでもコツを教えてくださいな」
「お任せをば」
教わってどうするのかは気になるところだけど、聞くのは野暮だろう。
話の流れで、バードさんがリヤカーから西瓜を小川に移すのを手伝ってくれた。
量が量なので、とてもありがたい。
作業がてら『泳ぎは得意か』だとか『海を見たことがあるか』等の話題で盛り上がった。
バードさんはいつも沢山お喋りしてくださるから、嬉しい。
本当は私との会話に飽き飽きしてるんじゃないかだとか、私の相槌がそうじゃなくても適当に聞こえていないかという不安はまだあるけれど、それでも彼との会話は日々の癒しになりつつあった。
「そういえば先程は、いったいどちらへ『行きたかった』ンですか?」
「——あれは、別になんでもないんです。どうか気になさらないでください」
「オヤ、そうですかそうですか。わかりました。なら話を変えますがお嬢さん、今夜は空いておりますか?」
「今夜なら空いてますけど、ひょっとしてお酒ですか?」
あれ以来も何度か、晩酌のお供をさせていただいてる。今夜持って行くならどんな料理にしようと、少しワクワクしてきた。
しかし私の問いに、バードさんはどこか意味ありげに笑って首を振った。
「残念ながら、今夜はお酒じゃ御座いませン。ただ、楽しい夏の夜になることは約束しますよ」
「さいですか」
晩酌じゃないなら何をするのか全く予想がつかないけれど、バードさんがそう言うのならきっと楽しくなるだろう。
プカプカと小川の網に引っかかった西瓜を、翼の先で軽く突くバードさんを見ながら、確かにそう思った。
◇
『時間になりましたらアタクシがお部屋まで迎えに参りますので、どうぞお布団で寝ながら待っていてください。絶対に!お布団で!寝ながらですよー!!』
「……て言ってたけど、何時くらいなんだろう」
今夜は殆どの神様がお祭りに出かけたのもあって、仕事は早くに終わっていた。
以前の晩酌の時と違い、此度は何か準備をした方が良いのか全くわからない。とりあえずバードさんに言われた通りにしようと入浴を済ませ、いつもより早く床に就いてはいた。
ゆっくりと、天井を照らす夕日が暗くなるのを眺める。
こんなに早い時間に布団に入るのは初めてだ。少しソワソワしてきて、寝るように言われているのに中々瞼が重くならない。
何か眠たくなるようなことを考えねば。
(え〜……鰆の煮付けは、皮にバッテンの切れ目を入れて、生姜は薄切り……いや、千切り?煮汁は砂糖みりん酒醤油砂糖みりん酒醤油砂糖砂とうさとう、あっさとうどこだ。なんでさとうがない——)
◇
「ハァイひとまず、到着いたしましたよ。ささっ目を開けてご覧なさい」
「フガッ」
目覚めるとそこは、薄暗い山の中だった。
足元には緩やかな石段が敷かれており、空を見上げれば天の川が見える。
そして目の前には、まるで悪戯が成功したかのような笑顔を浮かべているバードさんがいた。
「バードさん!こっ、ここはいったいどこなんですか?」
「マママママァ、落ち着いて。着いたと言っても目的地までもう少し距離がありますから、とりあえず先に進みましょう。後ろもつかえていることですし」
「後ろ?エアッ」
突如、私達の真横に、赤く馬鹿でかい爪が突き刺さった。
流石に仰天してバードさんに飛びつく。見上げれば遥か頭上に、おそらく爪の主であろう蟹の姿があった。
そのままお化け蟹は私達を見向きもせず、あっという間に行ってしまう。
驚きで、空いた口が塞がらない。そんな私をバードさんはクックッと笑って「暗いですからね、迷わないようにしましょう」と手に羽根を巻き付けて歩き出した。
その羽根を強く握り返しつつ、歩きながら周囲を伺う。
沢山の目玉が付いた肉塊や異様に手足の長い猫、六本足の生えた琵琶に虹色に光る髪の生えた美女と、己の目を信じられなくなりそうな者や物が木々の隙間からチラチラ見えた。
どれも皆さっきの蟹と同じく、バードさんと同じ方向に歩いている。
(不思議なものは見慣れているつもりだったけど、屋敷の神様と全然姿も雰囲気も違う……どうしよう、バードさんに「この先、黄泉の国となっております」とか言われたら)
もしこのまま死ねば、いったい身の回りのどこら辺に迷惑がかかるのだろうと不安がよぎる。
だが完全に心が暗くなるよりも早く、明るい調子の音色が少しずつ耳に響いてきた。
祭囃子だ。
間違いなくこの先で、お祭りをやっている。
森が開けると、まず月にぶつかりそうなほど長い、長い鳥居が目についた。
鳥居の足元にある赤い橋の向こうに側には、これまた大きな祭りの会場が広がっている。
色とりどりの、金平糖のような明かりが灯る会場からは夜風に乗って、醤油や砂糖の焼ける良い匂いが漂ってきた。
寝る前にしっかりと夕餉を食べたはずなのに、もう口の中で唾が湧いてくる。
「うおおなんだか美味しそうな匂いと、楽しそうな雰囲気が」
「というわけで今夜はなんと、お嬢さんにはアタクシ達『神』の祭りを満喫していただこうと現世から遥々、神の住む幽世へご招待いたしました!」
「神の祭り……でもバードさん、私は屋敷の外に出ては」
「ダァい丈夫です!!何故ならばっ!!」
バードさんが今までで一番高く大きく、翼を広げた。
よく見たら片足立ちにまでなっている。
「実は、今のお嬢さんはただ眠って夢を見て状態なンです。お屋敷から一歩も外に出ていない貴女が、一体誰に迷惑をかけるというのでしょう。いや、かけますまい。はい問題解決万事収束今夜はパーリナイ」
「そうなんですか?私てっきり、外に出てしまったものだと」
「はーい全然そンなことないですからね。お屋敷も旦那様のことも今は丸っと忘れて、安心して楽しみましょーね〜〜浴衣も用意しましたし」
「え?……あ、ああっ!?」
うす暗い山を抜けていたことで、私がどんな格好なのか今気付いた。
寝巻きから、白地に橙色と浅葱色をした波千鳥の可愛らしい浴衣に変わっている!
孔雀緑の帯には、金のちょこんとした千鳥の帯留めが。いつの間にか手に持っていた浅葱色の巾着には、橙色の千鳥があしらわれていた。
髪にそっと触れてみれば、いつもの団子に三つ編みが組み込まれている。髪飾りにも小さな千鳥の飾りがついていて、全体的に千鳥づくしだ。
なんなら黒下駄の鼻緒にも、浴衣と同じ波千鳥が飛んでいる。
「いかがです?そちらのお召し物は?せっかくお祭りに行くのだから、やっぱりオシャレをしたいですよね。前々回の晩酌の際に、柄付きの浴衣を一着しか持っていないとおっしゃられていたので、選ばせていただきました。アタクシの夏羽とお揃っち、いゃあ想像以上によくお似合いだ」
「可愛いです!非常に!!でもこちら、お値段は」
「アッハハアハハッ嫌ですねぇ!アタクシが勝手に用意しておいて金を摂るような雄に見えます?見えませんよねぇ。気に入っていただけたようで大変結構。では説明が終わりましたので、早速会場に参りましょう!」
再びバードさんに手を引かれ、歩き出す。
まぁ夢の中ならこの浴衣も、起きればきっと全て消えてしまうのだろう。簪に続く贈り物に驚いたが、あまり深刻に考えなくてもいいのかもしれない。
よく見るとあのお化け蟹や異形達も、続々と鳥居を潜り会場に入っていく。バードさんの言う通りここが幽世なら、彼らもきっと何かしらの神なんだろう。
会場自体は広い湖の、真ん中にある島に作られていた。
橋の下を見ると、蓮の花と立派な屋形船がいくつも浮かんでいる。障子に浮かぶ影の様子から、そちらの方もかなり賑わっているのがわかった。
「賑やかですね、そういえば何を祝うお祭りなんですか?」
「それがね、何のお祭りでもないンですよ。強いて言うならただの『見栄』とでも申しましょうか」
「見栄?」
「はい、見栄。元々は『祭ノ神』が他の神に『現世の人間達の祭りは凄いが、お前は神を名乗っておきながら幽世で祭りをしないのか』と焚き付けられたのが始まりでしてね。それ以降、祭ノ神を中心として人間達に勝る祭りにしようと毎年開催されているンですよ」
「なるほど、確かに神様なら五穀豊穣も無病息災も別に必要ないですもんね」
「その通り。叶える側ですから」
会場内は屋台の他にも、飲み屋に宿屋と様々な建物が建ち並んでいる。どれもお屋敷に負けないほど立派で清潔な建物だ。宿場町として申し分ない。
歩きながら周囲を見回す。
一串の電気飴を両脇から仲良く食べる、子犬ほど大きな二匹のカナブン。『紅金剛』と書かれた屋台の前で、店主からキラキラと輝く赤い玉の刺さった串を、背伸びして受け取る浴衣を着た金魚。焼きおにぎりを両手に持ち、ホクホクと笑う真白い浴衣に褐色肌と短い黒髪の女性。
そんな中でふと、一点に目が止まった。
煌めく石が、紐でいくつも吊るされた屋台の前。
品物を物色しているあの後ろ姿は……厨様と湯ノ様と人形様だ!
「バードさん!私ちょっと、向こうの厨様達に挨拶してきますね!」
思わずパッと手を離し、厨様達の方に向かう。
「厨様!く——」
「ハァイお待ちなさい」
「ムガッ」
背後からもの凄い勢いで伸びてきた両翼が、口を塞ぎ腰に巻き付く。背中に感じる羽圧に、振り向くとバードさんに見下ろされていた。
なんとか身を捩り、口を塞いでいる翼から抜け出す。
「んぶっ、ど、どうしたんですか?」
「いーやぁ〜〜危ないことをなさるお嬢さんだ。これでは折角の」
「折角の?」
「……折角の、あのお三柱の息抜きが台無しになるところだったと、言おうとしたンです」
「台無し!?」
いつになく神妙な様子(とはいえ笑顔)でバードさんは私の拘束を解き、私と向こうの三柱との間に回り込んだ。
「ご覧なさい。連中、とても楽しそうでしょう?だって今は屋敷での仕事を忘れて楽しむ時間なんですもの、そりゃそうだ。はいここで質問、そこにお嬢さんが行けばどうなると思います?」
「仕事のことを、思い出してしまう」
「正解でございます。ま、あの三柱なら嫌な顔はしないと思いますがね。それでも声をかけますか?ン?」
「かけないです……」
「大変結構。では今夜はあの三柱を見かけても、決して声をかけてはなりませンよ。アタクシとの約束です」
言い終わるよりも早く、三度バードさんに手を引かれ、その場から離れる。
厨様達の後ろ姿は、どんどん遠ざかっていった。
◇
祭りなのだから当たり前のことではあるが、どこに行っても屋台の列が途切れることがない。
その中でも白い兎が店番をしている屋台の前で、バードさんは立ち止まった。
「こちらの屋台、幽世の中でも特にお菓子が評判の老舗から出ているンですよ。ほら、前に東屋でアタクシが持ってきたお菓子」
「覚えてます!若鮎に錦玉羹、どれもとっても美味しかったです」
「ンフフフそうですか。ならここでまた、何か買いましょうか」
台上には見たことのないお菓子と、それの名前らしい札が並べられている。『練り柘榴』『カチ菊鳥』『山梨蟹』『氷餅』『ルミキッカリ』……迷った末、見た目が一番素朴な氷餅に決めた。
しかし巾着から財布を出そうと開いてみても、中には櫛と千鳥柄の手縫いしかない。
「財布が……」
「ご心配なく、今夜は全てアタクシの奢りですよ」
「そんな、浴衣まで出していただいてるのに」
「オホホホホそうおっしゃらず、助けると思ってください。こういう場でもない限り、なかなか散財の機会がなくて困っているンですよ」
言い終わるよりも早く、バードさんは支払いを済ませた。
渡された氷餅は、食べやすいように菱形の紙袋に挟まっている。
台上にあった白く平べったい形から二つ折りにされ、間ににキラキラした粉が混ぜられた青紫の餡のようなものがかかっている。頭上の天の川とそっくりで、綺麗だ。
バードさんにお礼を言い、一口齧ってみる。
氷餅という名前のとおり、とてもひんやりモチモチしている。不思議だ。餅なのにこんなに冷たくても固まらないだなんて。
トロリとした餡は、甘酸っぱい葡萄の味がする。頬がキュッとする感覚に、笑ってしまった。
「ふ、ふふ、美味しっ」
「それはなにより。食べ物の店はまだ他にも沢山ありますからね。気になった物からどンどン買ってゆくとしましょう」
少しお行儀が悪いが、食べながら跡をついてゆく。
隣の屋台にあった醤油で炒められた麺も、そのまた隣にある拳ほどの肉が三つ刺さった串も、チラッとでも私が見るだけでバードさんはなんでもすぐに買ってしまう。
確かに気になった品ではあるけど、このままではここら一帯の食べ物を全て買わせてしまいそうだ。慌て、桃色の炎が灯る電気飴を受け取るバードさんから反対に目を逸らす。
向かい側の屋台には、食べ物ではなく遊戯屋台が建ち並んでいた。
半弓ではしゃぐたんぽぽの親子も、腕を伸ばして輪投げを直接入れる蛸顔の童子も、皆んな楽しげだ。
「ン、あちらが気になりますか?」
「少し。でもどの屋台も混んでますね」
「どれも祭りの時ぐらいしかしない遊びですからねぇ、今のうちにやっときたいンですよ……オ、ヤ、ちょうど良い時に。お嬢さんほらあそこ!空いていますよ!」
バードさんが示した先に、一軒だけ誰も並んでいない屋台があった。
何故そこだけ……と疑問に思いつつ、近寄ってみる。
紺色の看板には文字ではなく、白く薄らとした三角が描かれていた。
折りたたみ椅子に深く座っている店主は、夏なのに分厚い外套に襟巻き。色眼鏡に鳥打帽を目深に被っていて、不気味に見える。
大きな水槽があることから金魚すくいかと思ったが、よく見ると看板と同じ三角をした半透明の石が、金魚のかわりに浮かんでいた。
「ほぉ……随分と珍しいものがありますね。どうですお嬢さん、一度やってみなさい」
「えっでも私、普通の金魚すくいすらやったことがなくて」
「ダァい丈夫!アタクシが指南して差し上げましょう。なーに、昼間西瓜の種を飛ばすコツを教えてくださった礼ですよ」
バードさんが翼の平で、店主に小銭を見せる。外套の隠しに両手を突っ込んでいた店主が、ゆっくりとした動きで小銭を取り、代わりに白く細い紐を私に差し出した。
受け取ったけれども、本当に何も付いていないただの紐だ。いったいこれでどうやって、この三角を取るのだろう。
「まず、水槽の好きなところに紐を垂らしてください」
「こう、ですか?」
「そうですそうです!そのままジッとして、時たま軽ぅく紐を引いて、重みがないか確認してください」
「軽く……あっ!なんかちょっと、重いです」
「ではここからが肝心!紐には今、石がくっついている状態です。紐についた石が、浮かんでいる石にぶつかって紐から離れないよう、慎重に、引き上げて」
「はい……慎重……慎重……」
言われた通り、紐をゆっくりと引く。
すると紐に三角が、二個くっついた状態で上がってきた。
「二個ある!?」
「これはこれは!おめでとう御座います!!流石はアタクシのお嬢さん、鮮やかな腕前に涙が止まりません。本当に今回が初めてですか?初見でこれは中々のものですよ」
「や、やぁそんな。バードさんの指導のおかげですよ」
こうも褒められると、照れくさくてつい歯茎が剥き出しになってしまう。
そうこうしているうちに、店主が紐から三角を外してくれた。
まず一個、手渡されたそばから無色透明だった三角の色が目まぐるしく変わりはじめた。
「えっ色がっ、どうしよっ」
「落ち着いて、それで合っていますよ。触れたものの心に残っている色に、変わるンです」
「本当ですか!?はぁあ良かった〜」
グルグルと暫く渦巻いていた色の波が、最終的に赤・黒・金の三色を残して止まった。
触れたものの心に残る色……なんの三色かすぐに見当がついて、気まずさから反射的にバードさんから目を逸らした。
が、ものすごい速さで、これ以上ないほどニヤけた顔で覗き込まれる。
「オヤオヤオヤ、オーヤオヤ、これは見覚えのある色ですね〜〜ン〜〜?」
「……凄く、綺麗だなと、初めて見た時から思ってたんです」
「まぁそう恥ずかしがらず!アタクシも気に入っていますからね、冬羽!!」
「いや、夏羽も素敵なんですって……あ、そうだ。良かったら、もう一個の三角はバードさんが受け取ってください」
「アタクシに?」
「はい。お金を出していただいてますし」
あと、バードさんが持ったらどんな色になるのか気になる、というのもあった。「ではでは」と翼の平に三角が置かれ、色が変わりはじめる。
(バードさん派手好きだから、きっと見たことないような極彩色の三角になるんだろうなぁ)
ところが渦が鎮まり、残されたのは暗い藍色と肌色と、朱殷。
鮮やかさのかけらもない色に染まった三角を、バードさんは愛おしげに見つめた。
「ああ、これが出ましたか」
「なんの色なんですか?」
「ン?フフフ……内緒です。ただ、アタクシにとって一番大切な思い出の色。とでも言っておきましょうか」
三角をまるで宝物のように、胸羽にしまう姿はどこか寂しげに見える。
何も言えずに見つめていると、パッと笑って「ではまた屋台巡りに戻るとしましょうか!」といつもの調子で翼を広げた。
店主に一礼して、バードさんに続く。
いつの間にか私達の後ろには、店へと並ぶ行列が出来ていた。
◇
食べ歩きつつ、空いている遊戯屋台で遊ぶこと暫く。
急に周囲の神々の数が減りはじめた。
灯があるとはいえ、かなり夜の遅い時間だ。もう帰ってもおかしくない。そう思って私達も帰るべきかとバードさんに声をかけると、彼は高笑いして自身の背を差し示した。
「まだ帰るには早いですよ、さぁアタクシの背に乗ってください」
「そ、そんな。不敬なこと」
「い・い・ん・で・す!!寧ろ乗らないと間に合わなくなってしまいますよ」
さぁさぁと促され、何度も謝りながらバードさんの背に乗る。
どこを掴んでいいのかわからなく困っていれば「好きなところを掴んでください。羽根はそう簡単に抜けませンから、大丈夫ですよ」と言われた。
まぁご本神がそう言うのなら。しっかりと羽を掴めば、バードさんがその場で羽ばたきはじめた。
強い風も吹いていないのに、ただそうするだけで浮き上がる。徐々に離れてゆく地上を見下ろせば、口から感嘆の声が漏れ出た。
「おおお……高い!高い!!」
「どうです?怖くはありませンか?」
「大丈夫です!寧ろ気持ちが良いくらい」
「それは良かった!!」
会場はどんどん灯が消えて、暗くなっていた。代わりに夜空が美しさを増しているとはいえ、その様子に寂しさを感じる。
と、バードさんが山のてっぺんの大きな、大きな楓の枝に止まった。
屋敷の廊下ほど太く広い枝は、私やバードさんが乗っても揺れ一つおこさない。よく見れば下の方の枝や他の木に、会場から去った神々が座っていた。
「フーウ、なンとか間に合いました」
「今から何か、始まるんですか?」
「よくぞ!聞いてくださいました。ここからは祭りのクライマックス、つまりは大トリ、最初で最後の仕上げ——」
バードさんが言い終わるよりも早く、どこからかヒュゥルルルと不思議な音がした。
音につられて会場の方を向けば、宙に金の火花が散った。
一輪の、巨大な菊。
「う、わ」
その一瞬だけで、全ての感覚が火花に奪われる。遅れてやってきたバンッという音が胸の奥まで鳴り響いた。
次に牡丹、次に柳。小さな沢山の菊のような花が、一番可愛いく見える。
この大きな音は、昔聞いたことがあった。
近所の子供達がお祭りに行く中。花火はうるさくて嫌いだと、母に早々と床につかされた夜。遠くの方でなるこの大きな音に、あの頃は怖がって汗をかきながら布団に潜っていたけれど、なるほどあれは花火の音だったのか。
なるほど、これが花火か。
初めて見た。
花火は勢いを増し、どんどん打ち上がる速度が早まってゆく。もうすぐ終わりが近いのだろう。
空一面が大輪の花を咲かせ、目に焼き付くほど輝いて、花火は終わった。
周囲の神々が上げる歓声が、どこか遠くに感じる。
早くバードさんに「凄かった」「ありがとうございます」とお礼を言いたいのに、徐々に瞼が重くなってきた。
触れ慣れた羽根の感触を背に感じながら、意識が遠のいてゆく——
◇
障子越しでも感じる朝日に、自然と目が覚めた。
ムクリと起き上がれば、いつもの自室にいつもの寝巻き。
本当に、昨夜の祭りは夢の中の出来事だったのか。
今でも感じる、屋台の香りや会場の熱気。祭囃子と花火の音に、少し寂しくなる。
早く支度をせねばと立ちあがろうとすれば、ふと枕元にあの三角が置いてあるのに気付いた。
手の平にとって、眺める。
「良い、お祭りでした」
そう独り言ちてから、改めて仕事着に着替えようと立ち上がった。
が
さっきまでは気付かなかったけれども、枕側の壁にかけられているのは波千鳥の浴衣で、下駄が仕舞われているであろう箱も置いてもあって、巾着も卓上にある。
よく見たらある。
「……ば、ばっ!バードさああああああああん!!夢だって言ってたじゃないですかーーー!!」
もう寝巻きのまま、部屋から飛び出す。
多分今頃、笑っているであろうあの神様の部屋へと走った。

