托恋 〜鳥ノ神は女中娘を翼に匿す〜


 打ち粉を棚にしまっていると、自室の前で足音が止まった。

 振り返ってみれば、障子になにやらモジモジと動く小さな人影が映っている。
 それだけで相手が誰だかもうわかった。影の主が気兼ねしないよう、ここは私から声をかけないと。

「人形様、どうぞお入りください」
「いいの?」
「ええ、是非。来てくださって嬉しいです」
「やた」

 障子が引かれ、金襴の小袖を着た童女——『人形ノ神』が部屋に入ってきた。
 手には自身とそっくりの小袖と、尼削ぎの黒髪をした人形が抱えられている。

(人形様がこの子を連れてきたということは……)

「遊ぼ」
「はい!ではこの間のように、私が赤ん坊で人形様が母を?」
「えっとね、それもやるけどね……」

 人形様が、袖下から小箱を取り出した。受け取って開くと中には櫛や笄、紙紐に椿油の瓶などの道具が入っている。

「なるほど、髪結いですね。どんな感じにしましょうか?」
「まがれいと」
「かしこまりました。ではこちらに」
「わっ」

 姿見の前に座布団を敷くと、人形様は勢いよく走って飛び乗った。普段からあまり感情を表に出さない方ではあるが、左右に頭を揺らす後ろ姿はとても嬉しそうに見える。
 初めて髪結いを命じられた時は髪型の種類を全く知らず、私がいつもやっている団子にするくらいしかできなかったが……こうも喜んでもらえるのなら、流行りものに詳しい衣ノ様から教わった甲斐があるというもの。
 今後はもっと、西洋の髪型について学んでおくのもいいかもしれない。

「ね、あのね」
「はい。あっ、ひょっとして梳り、痛かったですか?」
「違う。あのね……鳥にね、変なことされてない?」

 まさか、人形様にまでバードさんについて聞かれるだなんて。
 髪を梳る手は止めずに、一度天井を仰いだ。

 湯ノ様もそうだったが実は水無月の失せ物騒動以来、色んな神々から「鳥と何かあったか」「何をされたか」「何をしているか」と、バードさんとの関係について質問されることが増えていた。
 とはいえ相変わらず朝は元気な挨拶を、仕事で困っていたら手伝いを、廊下の角でぶつかりそうになると翼を広げて受け止めてくださったりとか、それぐらいの出来事しかない。

(簪をくださったのは大事かもしれないけど、どちらかと言うとあれは親切からきてるものだと思うし……)

「どした」
「すみません、少しボケてました。あとさっきの質問に対してですが、変なことなんて全然されてないですよ」
「本当に?いぢわるされてない?」
「ないですないです。皆さんが心配されるようなことは決して」
「そ」

 何故かあまり納得されていないようだ。
 そういえば「変なことされてない?」という質問は、まるでバードさんに危害を加えられていないかと聞いているようにもとれる。

 厨様が以前「あまり奴には近付かないほうが良い」と言っていたし、ひょっとするとバードさんは——

「人形様。私からも伺いたいのですが、ひょっとしてバードさんのことお嫌いですか?」
「うん嫌い」
「そっそんな、何故」
「鳥怖い。人形の髪毟って巣にする」
「バードさんにそんなことされたんですか!?」
「んーん、まだされてない。でもあいつ鳥ノ神だからいつかやってくる。わたしにはわかる」
「それは……きっと大丈夫ですよ。だって、もしそうなら今頃とっくに、私の髪なんて全部毟られちゃってるでしょうし」
「でも」
「バードさんは優しい神様ですよ。少なくとも、私はそう思います」

 ◇

 高く鮮やかな青空に、日差し負けず真っ直ぐに咲いたひまわり。
 その足元に広がる白檀の香りと、血の海と青白い肉の山。

 ひまわり畑は幽鬼の死骸で埋め尽くされていた。   
 切り刻まれバラバラにされたもの、蹴りを喰らって即死したものと幾つか分かれているが、どれも目を見開いて絶命していることに違いはない。
 幽鬼は真っ当な生物でないし、日の本を脅かす存在である。だがその惨たらしい死に様には、敵ながら同情せざるを得ないでいた。

「帰ってこんと思えば、なーにを笑っておるのだこの戦狂い」
「あら嫌だ、猿公じゃないですか。見ていたンなら早く声をかけなさいな」

 惨状の主は未だ死骸の山を踏みつけ、金の爪で引き裂いていた。相変わらず笑っているのか笑っていないのか、長い付き合いでも読みきれない不気味な顔をしている。

「今しがた追いついたばかりだ。全く、なにをそんなに苛立っておる?近頃は落ち着いておっただろうが」
「そりゃ怒りますよ。だってあの女、アタクシのことを全く覚えていやがらないンだから」
「は?」

 そこへどこからか、ぬらりと一体の幽鬼が現れた。仲間の仇討ちか、ただ命令されただけか。幽鬼は手に持った大鉈を振り翳し、奇声を発して鳥公に飛び交る。

 こちらが注意するよりも早く、鳥公の姿が消えた。瞬きの間に幽鬼は脳天から蹴りを喰らい、ぐにゃりと力なく地面に倒れた。
 新しい玩具を、鳥公は再び踏みつけて引き裂く。こうやって、ここらの死骸は増えていったのだろう。

「あンなに懇ろな日々を過ごしたっていうのにねぇ、憎らしいったらありゃしない。いっそのこと、こうしてバラバラにしてやろうかともう何度考えたことか」
「おい」
「でもアタクシに会う度に嬉しそうな顔をするンですよ。『バードさん!今日のおやつは私が任せてもらえるんですけど、何か食べたい物はありますか?』って!カァーーーーッ、本当に罪作りなお嬢さんですよ!!」

 なんだ、ただの恋語りか。心配して損した。
 とはいえ気分屋な此奴のことだ。あの娘に危害を与えないよう、注意しておくに越したことはない。また犬公にも声をかけておかねば。

(それにしても……まさか此奴がここまで執着する人間が現れるとは。罪作りと言うても、ただ普通の娘さんにしか見えんが)

 神々の中にも人間を嫁や夫にしている者はそれなりにいるが、どの人間も神と並んでも引けを取らない美貌を持っていた。
 ところがあの娘は思い出すのが難しいほど、そこまで目が惹かれる容姿はしていない。
 まぁ、あの歳で神々相手に文句も言わず、真面目に働いていることは充分立派であるが。

「ええい本当に、どうしてやろうあの女……簪も危うく返されるところでしたし、贈り物一つ渡すだけでも言い訳を考えないと。煩いのが多い屋敷で二人きりになるには……」
「わかったから、仕事は真面目にしろ。偵察も碌にせんと、旦那様に顕現を解かれても仕方がないぞ」
「平気ですよ。あの人間、アタクシに首っ丈ですから……ほうら、噂をすれば」

 刀ノ神を先頭に、複数の神に守られながら旦那様がやってきた。
 周囲に散らばる、夥しい数の幽鬼の死骸を見るなり顔がサッと青ざめる。
 口元を袖で覆い、小さくえずく姿はあまりにもか弱く頼りない。
 ま、だからこそ世話好きな連中に気に入られやすいのだろう。
 その様子を鳥公が鼻で笑うと、刀ノ神が柄に手をかけつつ奴を睨んだ。

「貴様……何故、偵察の命を破った。旦那様は見つけ次第報告しろと言ったはずだ!」
「ああ〜あ刀ノ神よ!まっこっとに申し訳ございませン。いえね、上から覗けば地にいるモノは皆、玩具にしか見えないのがアタクシの悪い癖でして」
「それがどうした」
「ですからもう駄目なンですよ。特に鬼の目玉とか、視界に入っただけで抉って潰したくなってしまう」
「なっ!?」

 刀ノ神は信じられないものを見る目で、鳥公を見つめた。というか、俺を除いた全員が同じ反応だ。
 
 しょうがない、ここは俺が仲を持たねば。

「旦那様。こやつにはわしから言って聞かせますので、今回の命令違反はどうか見逃してもらえませんでしょうか。次の出撃までには必ず態度を改めさせますので」
「いや……うん、大丈夫だ。ははは、流石はご先祖様も呼べなかった鳥ノ神!寧ろこれほど強力でなくては!!」

 なぁと刀ノ神に笑いかけるも、握った拳が若干震えているのがまたなんとも情け無い。
 刀ノ神もそれに気付いたのか、少しだけ不満そうに眉根を寄せた。

「そうだ鳥ノ神よ、今宵の宴は俺の離に来ないか?一度お前と二人きりで飲んでみたくてだな」
「いや結構です。アタクシ大勢で飲むのが好きなので」
「そ、そうなのか」
「はい。旦那様はどうぞ、お気に入りの方達とゆっくりなさってください」

 こうもバッサリと旦那様からの誘いを断れるのは、此奴と厨ノ神ぐらいだろう。
 肩を落とす旦那様と違って、鳥公は突然ニヤリと不気味な笑みを浮かべた。

 今の会話で何か思い付いたのなら、おそらく──

 ◇

「私と、一緒に」
「そうですそうです!いやね、アタクシ酒は静かに楽しむのが好きなンですけどもね、今夜はお嬢さんと共に過ごしたな〜と思いまして。どうです?いや別に無理にとは言いませン。断られたら断られたでその時は一羽で寂しく夜空を肴に飲むだけですからドーゾ遠慮なく『はい』とおっしゃってください『はい』と」
「は、はい」
「ああ!良かった、ありがとうございます!!お嬢さんにはお酒ではなく、別の良い物を用意していますからね。ドーゾ手ぶらでお越しください」

「では二十一時に東屋で〜」と片翼を上げ去ってゆくバードさんの後ろ姿を、半分呆けて見送ることしかできなかった。
 えらいこっちゃ。とんでもないことになった。
 神様に酒に誘われるだなんて、初めてのことだ。
 まぁ宴会の最中は仕事で忙しいし、一番近くにいる厨様もあまりお酒を飲む方じゃないしで当然といえば当然、なのだけれども。

「どうしよう……」

 手ぶらで、と言われたが一応何か持って行くのが礼儀だろう。しかし宴会の余り物や、厨様のお手を煩わせるはちょっと違う気がする。
 ここは自分で何か、作らねば。

(一応、鶏肉と卵はやめておこう)

 あと仕事終わりになるだろうから、汗臭くないよう風呂に入っておいて……着ていくのはいつもの寝巻きじゃなくて、柄のある浴衣じゃないと。ああでも、あまり夏に会うような綺麗な物は持っていなかったような。

 少し浮き立っている自分に気付いて、慌てて咳払いする。

 バードさんはただ誘ってくれただけ。別に深い意味なんて無いのだから、失礼のないようにせねば。

 ◇

 右手には冷やしておいた梅酒を、左手のお盆にはお猪口と、唐黍とおじゃこと青海苔を小麦粉で練って焼いたものを盛った皿を。

 以外と風の涼しい夜。待ち合わせの時間より少し早く、東屋に向かっていた。

 着ている浴衣はごく普通の麻の葉模様だ。無難すぎるがこれ以外に柄のある浴衣を持っていないので、ここら辺は勘弁してほしい。
 持って行く肴は本当はかき揚げにしたかったのだけれど油の処理が大変だし、いくら後片付けするとはいえ自分の都合で厨を汚したくないしで結局この『おやきもどき』になったのだが……はたして、バードさんは喜んでくれるだろうか。

 虫がいない屋敷内では、蚊や虻に噛まれる心配がないのが良い。
 その上、月が出ていれば夜の庭でも足元に困ったことはなかった。

 暫く歩けば月光に照らされ、ぼんやりとした光を返す東屋に到着した。
 長椅子にの手前にある机には、可愛らしい若鮎や宝石のような錦玉羹が用意されている。
 が、肝心のバードさんの姿が見当たらない。

「おお……すっぽかし?」
「ンなわけないでしょう、アタクシから誘っておいて」
「キェッ」

 背後から伸びてきた翼に肩を抱かれ、耳元で囁かれる。
 全く気配を感じなかった。驚いてつい大きな声が出てしまう。

「バードさん!?すみません、煩くしてしまって」
「いーえいえいえ、とっても可愛らしい声でしたよ。また聞きたくなった時は腕によりをかけて、おどかしますね」
「も、もうっ」

 嘘である。絶対に変な声だった。
 恥ずかしさから顔を背けると、ギュンッとえげつない速さで覗き込まれた。流石は神様、とても隠せそうにない。
 慌てて「どこら辺に隠れてたんですか」と話しを変えた。

「隠れてなどおりませンよ。ただ待っているよりも、屋敷の方へお迎えに行った方が長く一緒に過ごせるかと思いましてね」
「そうでしたか。じゃあ行き違いになっちゃいましたね」
「ンまぁ、これはこれで良い思い出になりましたよ。ささっ立ち話もなンですから、ドーゾお座りください」

 翼に促されるまま、長椅子に腰掛ける。手に持っている梅酒と皿に気付いたバードさんが、目を輝かせた。

「ワァッこれはまた良い物を!もしかしなくとも、お嬢さんの手作りでは?」
「はい。せっかくお招きいただいたのに、手ぶらで来るのもどうかと思って。あまり凝った物じゃないですが……」
「とンでもない!!アタクシ唐黍大好きなンですよ。梅酒も、楽しませていただきますね」
「はい!」

 良かった、喜んでもらえた。悪くない反応に、胸を撫で下ろす。
 瓶からお猪口に梅酒を注いでいると、バードさんは机の下から何やら、二号瓶よりも小さな瓶を取り出した。
 青く透き通った涼しい色味に、変わった形の蓋(?)がされている。初めて見るそれに首を傾げれば、バードさんは上機嫌に笑って「ここを押してごらンなさい」と蓋の口に凸型の部品を刺した。

 言われた通り部品の上に手を当て、垂直に押してみる。

 以外に力を込めずとも素直に沈んだ部品に対し、瓶からは中の液体が泡となって煮えぎるように溢れ出した。

「えっえっ、あれっ」
「ほうらお早く!飲まないと!!」
「は、はいっ!」

 慌てて部品を抜いて、口をつける。
 ピリッとも、シュワっとも言い表せる不思議な舌触りに、甘く広がる柑橘系の風味。喉を通る度に広がる爽やかさに、いつの間にか夢中になって飲み干してしまっていた。「ぷはっ」と息をついて、ようやく口を離す。

「バードさんこれ、とっても美味しいです!いったい何て言う飲み物なんですか!?」
「ンーフッフッフッフッフ、こちらはですね『ラムネ』という飲み物で御座います。いや気に入っていただけたようで何より。お嬢さんは飲ンだことが無いだろうというアタクシの勘は、今回も冴えていましたねっ」

 確かに、こんな飲み物は生まれて初めてだった。どうやったらこんな味になるのか、私には見当もつかない。厨様なら作り方を知っているだろうか?
 もう飲み干してしまったことを後悔しながら瓶を眺めていると、バードさんに濡らした布巾を差し出される。お礼を言って、ラムネで濡れた手や机を拭った。

「まぁそうがっかりなさらず、ラムネならまだありますよ」
「うおおやった」
「ンーフフフフでは改めて、乾杯!」
「乾杯、です!」

 新たに開けたラムネ瓶と、梅酒が注がれたお猪口をカチンと優しくぶつける。

 東屋で小さな宴会が始まった。

 バードさんの用意してくれた若鮎は中の求肥がもっちりとしていて、とても美味しい。煌めく錦玉羹も、つるりとした喉越しが気持ち良かった。
 私が甘味を味わっている横で、バードさんは羽根で器用にお箸を操っておやきもどきを食べていた。

「ンおおおお美味しいです。この間のおやつもそうでしたが、お嬢さんが作られる物はなンでも塩の加減が絶妙でございますね〜」
「良ければまた、何か作りますよ。近いうちに毎食の小鉢を一品任せると、厨様が言ってくださったので」
「ほお!それは嬉しい知らせだ!でしたら、アタクシ実は豆料理に目がなくて……」

 ◇

「……ですから、私の予想だと次に顕現するのは『龍ノ神』様だと思うんですけど、バードさんはどう思います?」
「ハッハァッ!龍なンて貴女、駄目駄目駄目!!アタクシ食べちゃいますもの。この爪でかっぴらいて」
「バードさん龍も食べられるんですか!?しかもそんな、鰻みたいな食べ方を……」

 ◇

 会話が弾めば弾むほど、飲み物も料理も進んでゆく。皿も瓶も空になり、一息ついていると、バードさんが立ち上がって東屋の隣を翼で差した。

「昼間に来るだけなら分かりづらいですが、実はここら辺に置いてある鉢は全て月下美人が咲いているンですよ。もうそろそろ満開になりますから、見に行きましょう」

 促されるまま東屋を出ると、目の前には大輪の月下美人が今にもこぼれ落ちそうなくらいに咲いていた。
 見事だ。一つ咲かせるだけでも大変だと昔聞いたこともあって、改めて屋敷を覆う四季ノ神々の凄さを実感する。

「綺麗ですね。こんなに沢山の月下美人、私初めて見ました」
「ただ暑いだけだと思っていましたが、夏ノ神も良い仕事をする。今夜はお嬢さんと一緒に、ここに来られて良かったです」
「はい、私も——あっ」

 純白の月下美人と、バードさんの血のような赤。

 笑い声
 雪景色
 広がる血

 針と糸
 胸元の温もり

 雨戸
 蛇
 白銅色の目

 並んだ姿に昔見た景色が蘇る。あまり良い思い出ではないそれに、額を押さえた。

「オヤ、どうされました?」
「いえ少し、眠気が」
「もう遅い時間ですからね、ここらでお開きにしましょうか」
「はい……」

 東屋に戻って、皿や瓶を片付けようとすればバードさんにやんわりと遮られた。

「アタクシが主催したンですから、片付けますよ。お嬢さんはもうお休みなさい」
「そんな、女中の分際で神様のお手を煩わせる訳には」
「あら、これしきのことがアタクシにはできないとでも?舐めて貰っちゃあ困りますよ」
「いやいや、そんなことは」
「ならお任せくださいな。ささっ、屋敷に戻りましょう」

 巧みに皿や瓶を片翼に積み上げて運ぶバードさんに、思わず感嘆の声を上げる。
 そして、空いている方の翼を差し出された。

「月が出ているとはいえ暗いですから、ドーゾ繋いでください」
「あ、じゃあ、失礼します」

 あまりベタベタ触れるのもと思いつつ、摘んでしまうと羽根が抜けそうなのでそっと手を乗せる。すると傷を治してくれた時みたいに、手を包み込むように温かい羽根が巻き付いてきた。

 部屋に着くまでどの機会で「良ければまた誘ってください」と言うべきか、それとも言わざるべきか、思案しながらバードさんに続いた。