『黒薔薇館の十三夜』

 館内放送が途切れたあとも、誰一人として口を開かなかった。

 温室には重苦しい沈黙だけが流れている。

 風がガラスを揺らし、黒薔薇の花びらが一枚、床へ落ちた。

「……今の放送。」

 最初に口を開いたのは健人だった。

「誰が流したんだ?」

「館の主人じゃないのか?」

 蓮が言う。

 しかし霧島は静かに首を横へ振った。

「いいえ。」

「じゃあ誰なんです?」

「……分かりません。」

 その返事に、美咲は違和感を覚える。

 本当に分からない人間がする表情ではなかった。

 何かを知っている。

 けれど話せない。

 そんな苦しさが、霧島の目には浮かんでいた。

「とにかくここを出よう。」

 悠斗が扉を押す。

 すると今度は、あっさりと扉が開いた。

「……え?」

 さっきまでびくともしなかった扉が、何事もなかったように開いている。

「鍵なんて掛かってなかったのか……。」

 蓮が低く呟いた。

「誰かが外から押さえてた?」

 誰も答えられない。

 だが全員が同じことを考えていた。

 この館には、自分たち以外の誰かがいる。

 ◇

 夕方。

 空は鉛色の雲に覆われ、再び雨が降り始めた。

 食堂には昨夜と同じように豪華な料理が並んでいる。

 しかし昨日のような笑い声はなかった。

 六人は無言で席に着く。

 紗奈の椅子だけが空いたままだった。

 その空席を見つめ、美咲は胸が締めつけられる。

「……本当にどこへ行ったんだろう。」

「必ず見つかる。」

 悠斗はそう言ったが、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。

 霧島は一人ひとりの前へ料理を運ぶ。

 その手は、わずかに震えていた。

「皆様。」

 霧島は静かに頭を下げる。

「どうか、お召し上がりください。」

 誰もフォークを手に取らない。

 すると大翔が苦笑した。

「食べないと頭も回らないよ。」

 そう言ってスープを口へ運ぶ。

「……うまい。」

 少しだけ空気が和らいだ。

 美咲もパンをちぎり、ゆっくり食べ始める。

 その時だった。

 ガシャン!

 突然、大きな音が響いた。

 全員が立ち上がる。

 音のした方を見ると、蓮が床へ倒れていた。

「蓮!」

 美咲たちは駆け寄る。

 蓮は胸を押さえ、苦しそうに呼吸をしている。

「ぐっ……!」

「どうした!?」

 悠斗が肩を支える。

 蓮は何かを伝えようと口を動かした。

 しかし言葉にならない。

 そのまま意識を失った。

「霧島さん!」

 健人が叫ぶ。

「救急箱を!」

 霧島はすぐに駆け出した。

 美咲は蓮の脈を確かめる。

「脈はある!」

「呼吸もしてる!」

 結衣が安堵の息を漏らした。

 数分後。

 霧島が医療箱を持って戻ってくる。

 蓮はしばらくして意識を取り戻した。

「……俺。」

 顔色は悪いが、命に別状はなさそうだった。

「大丈夫か?」

「ああ……。」

 蓮は額の汗をぬぐう。

「急に息が苦しくなって……。」

 霧島はテーブルの料理を見回した。

「念のため、食事は中止にいたします。」

「毒……?」

 大翔が青ざめる。

「まだ分かりません。」

 霧島はスープをスプーンですくい、小さな瓶へ移した。

「後で調べます。」

 美咲は蓮の皿を見る。

 他の皿と何も変わらない。

 だが一つだけ。

 スープの中に、小さな白い粒が沈んでいた。

「これ……。」

 結衣も気づいた。

「塩じゃない。」

 霧島は慎重に粒を取り上げる。

 その表情が曇る。

「これは……薬です。」

「薬?」

「錠剤を砕いたようなものです。」

 食堂の空気が凍りついた。

 誰かが蓮の料理に薬を混ぜた。

 偶然ではない。

 明らかな犯行だった。

 「でも、誰が?」

 健人が立ち上がる。

「食堂にいたのは俺たちだけだぞ!」

「料理を運んだのは霧島さんです。」

 結衣の一言で、視線が一斉に霧島へ向いた。

 霧島は目を閉じる。

「疑われても仕方ありません。」

「違うんですか?」

 霧島は静かに答えた。

「……違います。」

 その言葉を信じたい。

 しかし、状況だけを見れば、最も疑わしいのは霧島だった。

 その時だった。

 二階から、重いものを引きずるような音が響いた。

 ズ……ッ。

 ズ……ッ。

 全員が息を止める。

 音は、あの「立入禁止」の部屋の方から聞こえてくる。

 しかも今度は、はっきりと人の足音も混じっていた。

 コツ……コツ……。

 美咲は悠斗と目を合わせる。

 悠斗は小さく頷く。

 誰かがいる。

 それも、今この瞬間に。

 蓮はまだ立ち上がれない。

 健人が懐中電灯を握る。

「……確かめよう。」

 霧島は制止しようとした。

 だが、その声よりも早く。

 六人は食堂を飛び出し、二階への階段を駆け上がっていった。

 そして、誰もまだ知らなかった。

 この選択が、黒薔薇館で初めて本当に「命が奪われる事件」へとつながることを――。