『黒薔薇館の十三夜』

 「……開けてはいけません。」

 霧島の低い声が、静まり返った廊下に響く。

 誰も動かなかった。

 壁紙の裏から現れた小さな木の扉。

 鍵穴はなく、長い年月を経た木目には無数の傷が刻まれている。

「どうしてですか?」

 美咲が尋ねる。

 霧島は扉から目を離さない。

「その先は、長い間使われていない場所です。」

「それだけ?」

 蓮が一歩前へ出る。

「それだけなら、隠す必要はないですよね。」

 霧島は何も答えない。

 沈黙だけが、答えの代わりだった。

「開けよう。」

 悠斗が木の取っ手へ手を掛ける。

「待ってください!」

 珍しく霧島が声を荒らげた。

 しかし、その瞬間だった。

 ギィ……

 重い音を立て、扉がゆっくりと開いてしまった。

 中には人ひとりがやっと通れるほどの細い通路が続いている。

 冷たい空気が流れ出し、かすかに湿った土の匂いが漂った。

「隠し通路……。」

 健人が思わず息を呑む。

 美咲は懐中電灯代わりにスマートフォンのライトを点ける。

 光は奥まで届かない。

 闇がどこまでも続いている。

「少しだけ見てみよう。」

 蓮が先頭に立つ。

「危険です!」

 霧島は止めようとした。

 だが七人は顔を見合わせると、小さく頷き合い、そのまま通路へ足を踏み入れた。

 ◇

 通路は思った以上に長かった。

 壁は石造り。

 天井は低く、ところどころ蜘蛛の巣が張っている。

 何十年も誰も通っていないような雰囲気だった。

 足音だけが、不気味なほど大きく反響する。

 コツ……。

 コツ……。

「こんな場所、本当にあったんだ。」

 紗奈が小さく呟く。

「昔の洋館には秘密の通路があるって聞いたことあるけど……。」

 悠斗が周囲を照らす。

 すると壁に何かが掛かっているのが見えた。

「写真?」

 近づくと、それは額縁だった。

 一枚。

 二枚。

 三枚。

 通路の壁一面に、館の歴代当主と思われる人物の肖像画が並んでいる。

 どの人物も立派な服装をしているが、不思議なことに全員、表情が暗い。

 まるで笑うことを忘れてしまったようだった。

 美咲が最後の一枚へライトを向ける。

 そこに描かれていたのは、十五、六歳ほどの少女だった。

 黒いドレス。

 長い黒髪。

 どこか寂しそうな瞳。

「この子……。」

 結衣が息を呑む。

「昨日見た女の子……。」

 美咲も思わず頷いた。

 間違いない。

 食堂で結衣が見たという少女。

 昨夜、美咲が廊下で見た黒い影。

 その顔と、絵の少女は瓜二つだった。

 額縁の下には、小さな金属プレートが付いている。

 『黒薔薇家 長女 黒薔薇 澪 享年十五歳』

「……享年?」

 紗奈の声が震える。

「亡くなってるってこと……?」

 その時。

 ギィィ……

 誰も触れていない肖像画が、ゆっくりと傾いた。

「え?」

 全員が固まる。

 次の瞬間。

 ガシャン!

 額縁が床へ落ち、ガラスが砕け散った。

「きゃあっ!」

 紗奈が悲鳴を上げる。

 慌てて悠斗が少女の肖像画を拾い上げると、裏側から一枚の古い紙が落ちた。

 美咲はそれを開く。

 そこには、インクが滲んだ文字でこう書かれていた。

 『私を信じないで。』

 その一文だけだった。

「どういう意味……?」

 誰も理解できない。

 その時だった。

 館中に、けたたましい鐘の音が鳴り響く。

 ゴーン!

 ゴーン!

 まるで非常ベルのように、何度も何度も。

 「皆様!」

 通路の入口から霧島が叫ぶ。

 今まで見たことのないほど焦った表情だった。

「すぐに戻ってください!」

「何があったんですか!」

 健人が叫び返す。

 霧島は息を切らせながら答える。

 「一人……いなくなりました。」

 その言葉に、全員の顔色が変わる。

「え?」

 美咲は周囲を見回す。

 一人。

 二人。

 三人。

 四人。

 五人。

 六人――。

 「……あれ?」

 そこにいるはずの白石紗奈の姿が、消えていた。

 ほんの数秒前まで、すぐ後ろを歩いていたはずなのに。

 狭い通路に隠れる場所などない。

 それでも、紗奈は跡形もなく姿を消していた。

 そして通路の奥から、小さく、か細い少女の笑い声が聞こえる。

 「……うふふ。」

 七人だったはずの仲間は、六人になっていた。

 誰も、その理由を知らない。