名もなき空に、青い風が吹く

 「こういうのいいね。廊下が二つあるみた
いで、すごく便利」

 ベランダの手すりに肘を乗せ文化祭の賑わ
いを眺めながら言うと、茶色い紙袋がすっと
差し出された。ふわっと甘い香りが鼻先に漂
ってくる。この匂いはホットケーキと同じだ。
食欲をそそる匂いにみちびかれて紙袋に指先
を入れると、わたしはまだほんのり温かなそ
れを口に放り込んだ。

 「ん、美味しい」

 素朴な甘さが口の中に広がって思わず声が
漏れる。よく知った味なのに青空の下で食べ
ると、美味しさが二割増しになる。

 「うまく焼けてるよな。たこ焼き器使って
一年生が作ってるらしいんだけど、ちゃんと
ベビーカステラになってる」

 「たこ焼き器で作ってるんだ。今度、家で
やってみようかな」

 話しながら交互に紙袋の中のカステラを口
に放り込む。焼きたてを食べられるように、
と言っていた鷲塚さんの顔が喉を通り過ぎる
甘さと一緒に思い浮かぶ。

 やさしいな。わたしだったらそこまで考え
られないよ。急いで戻るどころか自分で食べ
ちゃうかも。きっとモテるだろうな。あんな
笑顔を向けられたら、誰だって……。

 もぐもぐと小麦の食感を楽しみつつ、そう
思ったわたしは、ふと、あることを思い出し
て咀嚼を止めた。そういえば……鷲塚さんは、
『大翔』と呼んでいた。その時はなんとも思
わなかったけど、名前呼びってそうとう心の
距離が近くないと出来ないような、気がする。
いや、共学なら普通なのか?わたし、小学校
の頃、男子のこと名前で呼んでたっけ?

 記憶を辿るうちになんとなくモヤッとして
きて一点を見つめていると、「ん」と紙袋が
差し出された。まだ口の中にカステラが残っ
ていたわたしは、のろのろと指先でまあるい
それを掴む。

 「どしたの?」

 いまここにいません、みたいな顔をしてい
るわたしに、大翔が少しだけ眉を寄せた。

 「あのさ」

 ごっくん、とカステラを飲み込んで喉から
声を絞り出す。窓の向こうに鷲塚さんがいる
ことを意識して、声のボリュームを下げる。