地下通路に懐中電灯の光が走る。
地下通路に懐中電灯の光が走る。
「いたぞ!」
男たちの声が反響した。
美咲は息を切らしながら暗闇を駆ける。
右手には、高橋から渡された真鍮の鍵を強く握りしめていた。
後ろから複数の足音が迫る。
タッ、タッ、タッ――。
健太の声が前方から聞こえた。
「美咲! こっちだ!」
光の中へ飛び込む。
健太、奈々、結衣、そして真理子がいた。
修一の姿だけが見えない。
「修一さんは?」
「坂本さんを追って別の通路へ行った。」
健太は短く答えた。
その直後、通路の奥で怒鳴り声が響く。
「探せ! まだ近くにいる!」
真理子の顔色が変わる。
「急いで。こっちへ。」
彼女は壁際の細い通路を指差した。
「この先に避難用の部屋があります。」
五人は狭い通路へ滑り込む。
数十メートル進むと、小さな鉄扉が現れた。
真理子がポケットから鍵束を取り出す。
カチャ。
扉が開く。
中は六畳ほどの古い倉庫だった。
木箱と工具が積まれ、長年使われていないように見える。
真理子が扉を閉め、全員がようやく息を吐いた。
⸻
高橋のメッセージ
健太が美咲を見る。
「何を渡された?」
美咲は真鍮の鍵と紙片を取り出した。
『犯人は”八人目”ではない。』
健太は何度も読み返す。
「つまり……。」
「『八人目』は犯人じゃないってこと?」
奈々が言う。
「あるいは、八人目という存在自体が別の意味を持っている。」
健太は真鍮の鍵を手に取った。
表面には小さな数字が刻まれている。
『3-B』
「部屋番号?」
「地下の区画番号かもしれない。」
真理子がその鍵を見た瞬間、わずかに表情を変えた。
美咲は見逃さなかった。
「真理子さん、この鍵を知ってるんですか?」
真理子は少し黙ってから、ゆっくりうなずいた。
「……昔、父が持っていました。」
「お父さんって、診療所で働いていた人?」
「ええ。」
「じゃあ、この地下のことを全部知ってるんですか?」
真理子は苦しそうに視線を伏せた。
「全部ではありません。でも……。」
彼女は小さく息を吸う。
「この鍵が開ける部屋だけは、父から絶対に近づくなと言われていました。」
倉庫の空気が一気に重くなる。
「なぜ?」
「そこには、“記録”が残っているからです。」
⸻
二十年前の夜
健太が問いかける。
「真理子さん。彩花さんに何があったんですか。」
真理子はしばらく答えなかった。
地下の静寂の中、遠くで水滴の落ちる音だけが響く。
やがて彼女は、ぽつりと話し始めた。
「二十年前、このペンションでは夏祭りの宿泊イベントが開かれていました。」
「参加者は八人。」
その数字に全員が顔を上げる。
「彩花は、その中で一番年下の子でした。」
「そして祭りの最終日の夜、突然いなくなった。」
「警察は事故として処理しました。」
「でも父は、事故ではないと言っていました。」
美咲の胸がざわつく。
「父は、あの夜”誰かが地下へ入るのを見た”と言っていたんです。」
「誰を?」
真理子は首を振る。
「顔は見えなかったそうです。」
「ただ、八人いたはずの参加者が、翌朝には七人になっていた。」
「それ以来、父は『八人目は帰れない』という言葉を口にするようになりました。」
結衣が震える声で言う。
「じゃあ、その言葉って呪いじゃなくて……。」
「事件を隠すための合言葉だったのかもしれない。」
健太が静かに続けた。
⸻
アリバイの穴
その時、美咲の頭に一つの疑問が浮かんだ。
「藤崎さん。」
「え?」
「あの人、どうして地下のことを知ってるみたいな反応をしたんだろう。」
健太もうなずく。
「しかも、裏山の赤い泥が付いていた。」
「地下道の出口を知っている可能性が高い。」
「でも。」
奈々が首をかしげる。
「藤崎さんって、昨日の夜はずっとロビーにいたんじゃ……。」
健太はそこで目を細めた。
「それだ。」
「ロビーにいたのを、誰が確認した?」
全員が黙る。
確かに、誰も”ずっと”見ていたわけではない。
食事の後、各自が部屋へ戻ったり、館内を歩いたりしていた。
藤崎の行動には空白の時間がある。
「つまり、アリバイが成立していない。」
健太は低く言った。
「しかも、坂本さんは二十年前のことを知っている。」
「だから今、狙われている可能性がある。」
その瞬間――。
ガンッ!
鉄扉が外から叩かれた。
全員が凍りつく。
ガンッ! ガンッ!
誰かが扉を試している。
真理子が小声でささやく。
「灯りを消して。」
健太が懐中電灯を消す。
倉庫は完全な闇に包まれた。
外から、低い男の声が聞こえる。
「……ここにいる。」
もう一人が答える。
「鍵を持っているはずだ。」
美咲は真鍮の鍵を強く握りしめた。
相手は、この鍵を探している。
つまり、この鍵が開ける「3-B」の部屋に、事件の核心が隠されているのだ。
そして扉の向こうで、金属をこじ開ける嫌な音が鳴り始めた。
ギリ……ギリ……。
倉庫の中で、誰も呼吸の音すら立てられなかった。
ギリ……。
ギリ……。
鉄扉の向こうで金属をこじ開ける音が響く。
誰も身動きできない。
美咲は握り締めた真鍮の鍵が、汗で滑りそうになるのを感じた。
「もう持たない……。」
結衣が小さくつぶやく。
健太は部屋の中を見回した。
木箱。
古い工具棚。
崩れた棚。
その奥に、壁へ立て掛けられた一枚のベニヤ板が目に入る。
「真理子さん。」
「え?」
「この部屋、避難室なんですよね。」
「……ええ。」
「なら非常口があるはずです。」
真理子は一瞬だけ目を見開いた。
そして小さくうなずく。
「あります。」
彼女はベニヤ板を外した。
その裏には、人ひとりがようやく通れるほどの細い通路が隠されていた。
「父から教えられました。」
「急ぎましょう。」
その瞬間、
バンッ!!
鉄扉が大きく揺れる。
蝶番が悲鳴を上げた。
「急げ!」
健太が叫ぶ。
五人は狭い非常通路へ滑り込んだ。
最後に真理子が内側から板を戻す。
直後、
ガシャーン!!
鉄扉が破られる音が地下に響いた。
「逃げたぞ!」
男たちの怒声が遠くから聞こえる。
しかし非常通路は複雑に曲がりくねり、声はすぐに反対方向へ遠ざかっていった。
⸻
十分ほど歩くと、通路は突き当たりになった。
壁には古い鉄製のプレートが取り付けられている。
地下保管区画
3-B
「ここだ。」
健太が小さく言った。
全員が息をのむ。
美咲は真鍮の鍵を鍵穴へ差し込んだ。
カチッ。
軽い音がした。
「開く。」
ゆっくり扉を押す。
重い音を立てながら扉が内側へ開いた。
⸻
部屋は思ったより広かった。
古い書庫だった。
壁一面に木製の棚が並び、ファイルや帳簿がぎっしり収められている。
しかし妙だった。
埃が少ない。
最近まで誰かが出入りしていたように見える。
健太は棚を照らした。
「診療記録。」
「患者名簿。」
「薬品管理台帳。」
すべて二十年以上前の資料だった。
真理子は奥の棚を見つめたまま立ち尽くしている。
「……まだ残っていたのね。」
その声には驚きよりも、諦めが混じっていた。
⸻
美咲は机の引き出しを開けた。
中には鍵付きの黒いファイルが一冊だけ入っている。
表紙には何も書かれていない。
だが、留め具の鍵穴は真鍮の鍵と同じ形だった。
「これだ。」
鍵を差し込む。
カチリ。
静かな音とともに留め具が外れた。
ファイルを開く。
最初のページには、たった一枚の紙。
そこには太い文字でこう書かれていた。
「昭和診療所地下施設 立入記録」
ページをめくる。
日付。
名前。
入室時刻。
退室時刻。
何十人もの名前が並んでいる。
健太はあるページで手を止めた。
「八月二十七日。」
全員が集まる。
二十年前。
彩花が姿を消した夜だった。
入室記録は八人。
退室記録は七人。
最後の一行だけが空白になっていた。
「退室時刻が書かれていない。」
健太が静かにつぶやく。
美咲の胸が締めつけられる。
彩花は、本当に地下へ入っていたのだ。
⸻
「待って。」
奈々が別のページを開く。
「これ……。」
そこには鉛筆で後から書き足された文字があった。
“立入記録 一名削除”
削除された名前は黒く塗りつぶされている。
「誰かが記録を書き換えてる。」
健太は慎重にページを傾けた。
ライトを斜めから当てる。
筆圧だけが残っている。
「読めるかも。」
紙の凹凸を目で追う。
少しずつ文字が浮かび上がる。
「さ……。」
「さ?」
「さえ……。」
真理子が息をのんだ。
「佐伯。」
全員が彼女を見る。
「佐伯……?」
健太はもう一度確認した。
「間違いない。」
「最初の文字は『佐伯』だ。」
部屋が静まり返る。
佐伯。
それはオーナー・修一と真理子の姓だった。
つまり二十年前の地下施設には、佐伯家の誰かがいたことになる。
しかし修一は、地下のことなど知らないように振る舞っていた。
⸻
その時だった。
パラリ。
ファイルの中から、一枚の古い写真が落ちた。
拾い上げる。
夏祭りの集合写真。
今まで見てきたものとは違う。
今回は八人全員が鮮明に写っていた。
そして写真の端には、若い頃の修一が立っている。
「えっ……。」
美咲が声を漏らした。
修一は二十年前、「このペンションを継ぐ前で何も知らなかった」と話していた。
だが写真には、彩花たちと一緒に笑って写っている。
「嘘をついてた……?」
結衣が震える。
健太は首を横に振った。
「いや。」
「年齢がおかしい。」
全員が写真を見直す。
確かに写っている男性は修一によく似ている。
しかし二十年前の修一なら二十代後半のはずだ。
写真の男は四十代近くに見える。
「別人だ。」
真理子がかすれた声で言った。
「それは……修一さんのお兄さんです。」
「兄?」
「修一さんには兄がいました。」
「でも。」
「もう二十年前に亡くなったことになっています。」
美咲たちは言葉を失う。
亡くなったはずの兄。
地下施設の記録。
消された名前。
そして彩花の失踪。
すべてが、一つの線で結ばれ始めていた。
その瞬間――
部屋の照明が突然消えた。
真っ暗になる。
同時に、書庫の奥からゆっくりと拍手が聞こえた。
パン……。
パン……。
パン……。
「そこまで分かったなら十分だ。」
聞き覚えのない男の声が、暗闇の中で静かに響いた。
「これ以上、真実を知る必要はない。」
懐中電灯を向ける。
しかし、そこには誰の姿もなかった。
ただ、書庫の一番奥の扉だけが、ゆっくりと閉まっていくのが見えた。
ギィ……。
健太はすぐに駆け出す。
「待て!」
扉を開け放つ。
その先には長い通路。
そして床には、赤い泥の足跡だけが残されていた。
健太は赤い泥の足跡を追って通路を駆け出した。
「健太!」
美咲も後を追う。
奈々、結衣、真理子も続いた。
足跡は一本道の通路をまっすぐ進み、やがて古い木製の扉の前で止まっていた。
健太はゆっくりノブを回す。
ギィ……。
部屋の中は古びた応接室だった。
埃をかぶったソファ。
割れたガラス棚。
壁には色あせた時計が掛かっている。
しかし――
誰もいない。
「そんな……。」
美咲が部屋を見回す。
赤い泥の足跡は部屋の中央まで続いている。
だが、そこから先が消えていた。
「足跡が……なくなってる。」
奈々がしゃがみ込む。
健太は床を指先でなぞった。
「違う。」
「え?」
「ここだけ床が新しい。」
確かに、部屋の中央だけ木目の色がわずかに違っていた。
健太は床板を軽く叩く。
コン……コン……
そして中央だけ、
ゴンッ。
鈍い音が返ってきた。
「空洞だ。」
部屋中に緊張が走る。
工具箱からバールを取り出し、床板へ差し込む。
ギギギ……。
ゆっくりと板が持ち上がる。
その下には、人ひとりが通れる縦穴が隠されていた。
「逃げ道か。」
冷たい風が下から吹き上げてくる。
「追いますか?」
結衣が不安そうに尋ねる。
健太は首を振った。
「今は危険だ。」
「でも犯人が……。」
「それより証拠だ。」
健太は応接室を見渡した。
「ここは誰かが使っていた。」
⸻
部屋を調べ始める。
美咲は本棚の奥に、一冊だけ新しいノートを見つけた。
表紙には何も書かれていない。
開く。
最初のページには日付だけ。
七月二十八日
その下には短い文章。
「今年も来た。
あの日と同じ人数だ。」
美咲の背筋が寒くなる。
ページをめくる。
「予定どおり始める。」
さらに次。
「高橋は気づいた。」
次のページ。
「高校生四人は予想外。」
最後のページには、走り書きで一文だけ。
「坂本が裏切った。」
「健太。」
ノートを差し出す。
健太は黙って読み進める。
「これは犯人の日記じゃない。」
「え?」
「報告書だ。」
「誰かに提出するための。」
その一言で全員の顔色が変わる。
つまり、犯人は単独ではない。
誰かに逐一報告している。
⸻
その頃。
修一は一人で地下通路を歩いていた。
坂本を探していたはずだった。
しかし足は自然と別の方向へ向かっている。
「……。」
やがて小さな祭壇の前で立ち止まった。
古い石碑。
供えられた花。
そして、小さな写真立て。
修一は写真を手に取る。
そこには十歳ほどの少女が笑っていた。
「彩花……。」
その声は震えていた。
「もう終わりにしよう。」
修一がつぶやいた、その瞬間。
「遅い。」
背後から低い声が響く。
修一が振り返る。
暗闇から一人の男が現れた。
黒いレインコート。
フードを深くかぶっている。
「約束を忘れたのか。」
「私は……。」
「二十年間、黙っていたじゃないか。」
修一は苦しそうに目を閉じる。
「もう罪を隠し続けることはできない。」
男は静かに笑った。
「なら。」
ゆっくりポケットへ手を入れる。
修一の表情が凍る。
「あなたにも消えてもらう。」
⸻
一方、美咲たちは応接室の机を調べていた。
引き出しの奥から封筒が見つかる。
中には録音用の小型ICレコーダーが入っていた。
「電池が入ってる。」
奈々が再生ボタンを押す。
ザーッという雑音。
しばらくして男の声が流れ始めた。
『全部、事故だったことにする。』
別の男の声。
『あの子は地下へ入っていない。』
最初の男。
『記録を書き換えろ。』
美咲たちは息をのむ。
そして三人目の声が入る。
『そんなことをしたら、一生隠し続けることになる。』
その声を聞いた瞬間。
真理子が青ざめた。
「この声……。」
「知ってるんですか?」
「父です。」
部屋に衝撃が走る。
真理子の父も、二十年前の事件に関わっていた。
しかも録音は、事件を隠蔽する相談の最中だったのだ。
そのとき突然、レコーダーの最後に別の音声が流れ始めた。
少女の声だった。
『お父さん……。』
真理子が涙ぐむ。
『助けて……。』
そして録音は突然途切れた。
部屋の空気が凍りつく。
誰も言葉を発せない。
健太だけが静かにレコーダーを止めた。
「……これが二十年前の最後の記録か。」
美咲はゆっくりとうなずく。
だが、その瞬間。
地下通路の奥から一発の銃声にも似た乾いた破裂音が響いた。
パンッ!!
全員が顔を上げる。
「修一さん!」
真理子が叫び、通路へ飛び出した。
美咲たちも慌てて後を追う。
暗い地下通路の先には、新たな惨劇が待ち受けていた――。
パンッ!!
地下通路に乾いた破裂音が響いた。
「修一さん!」
真理子が真っ先に駆け出す。
美咲たちも後を追った。
曲がり角を抜けると、通路の先は白い煙に包まれていた。
「何……?」
鼻を突く刺激臭。
健太が咳き込みながら口元を押さえる。
「消火器だ!」
床には古い粉末消火器が倒れ、噴射口から白い粉が舞い続けている。
さっきの破裂音は、老朽化した消火器の破裂だった。
視界は一メートル先も見えない。
「修一さん!」
真理子が必死に呼びかける。
返事はない。
煙の中を慎重に進むと、人影が床に倒れているのが見えた。
「いた!」
修一だった。
額から血を流して気を失っている。
美咲が駆け寄る。
「息は?」
健太が首筋に手を当てる。
「大丈夫、生きてる。」
全員が安堵の息を漏らした。
しかし修一のすぐ横には、天井から落ちてきた木材が転がっていた。
「崩れたのか。」
健太が天井を見上げる。
古い梁が一本折れ、通路を半分ふさいでいる。
「犯人が落とした?」
奈々が尋ねる。
健太は梁を調べた。
切断された跡はない。
支柱が腐食し、強い衝撃で外れたようだ。
「偶然じゃない。」
「え?」
「消火器を倒して視界を奪い、その混乱で梁を落とした。」
「つまり……。」
「犯人はここを知り尽くしている。」
⸻
修一は数分後、小さくうめき声を上げた。
「……真理子。」
「あなた!」
真理子が涙ぐみながら手を握る。
修一はゆっくり目を開けた。
「逃げろ……。」
「何があったの?」
「見たんだ。」
息を整えながら修一は言った。
「レインコートの男の顔を。」
美咲たちの表情が変わる。
「誰だったんですか!」
修一は答えようとした。
「……あれは……。」
しかし、その瞬間。
通路の奥から石が転がる音が響いた。
カラン……。
全員が振り返る。
誰かいる。
健太が懐中電灯を向ける。
光の先には黒いレインコート姿。
その人物は立ち止まることなく、奥の通路へ走り去った。
「待て!」
健太が追う。
美咲も続こうとする。
「美咲!」
奈々が腕をつかむ。
「危ない!」
一瞬迷う。
しかし健太はすでに暗闇へ消えていた。
⸻
健太は全力で走った。
レインコートの男との距離は二十メートルほど。
「止まれ!」
返事はない。
男は迷うことなく通路を進む。
(地下を熟知している。)
やがて通路は三方向に分かれた。
男は左へ曲がる。
健太も続く。
その先は行き止まりだった。
「追い詰めた!」
ライトを向ける。
しかし誰もいない。
壁だけがある。
「そんな馬鹿な……。」
床を見る。
赤い泥の足跡は壁の前で終わっている。
健太は壁を叩いた。
コン……コン……
一か所だけ音が違う。
ゴン。
「隠し扉か。」
押してみる。
しかし動かない。
鍵穴が付いていた。
「鍵……。」
健太はポケットを探る。
そこには美咲が持っているはずの真鍮の鍵はない。
「しまった。」
その頃、美咲は修一を支えながら歩いていた。
すると修一が震える手で、美咲のポケットを指差す。
「その鍵を……。」
「これですか?」
真鍮の鍵を見せる。
修一は苦しそうにうなずいた。
「それは……。」
「兄の部屋の鍵だ。」
「兄?」
「佐伯隆一。」
その名前を聞いた真理子の表情が強張る。
「隆一さん……。」
修一はゆっくり続けた。
「兄は死んでいない。」
その一言で全員の動きが止まる。
「えっ?」
「二十年前……兄は姿を消した。」
「警察には死亡したと届けた。」
「でも。」
修一は唇を震わせた。
「遺体は見つかっていない。」
美咲の鼓動が速くなる。
二十年前に失踪した兄。
地下を知り尽くした犯人。
そして、誰にも顔を見せないレインコートの男。
すべての点が、少しずつ一つに結びつき始めていた。
その直後、地下全体に非常ベルが鳴り響いた。
ビーッ! ビーッ! ビーッ!
古びた警報音が地下通路に反響する。
健太は顔を上げた。
「まずい……。」
真理子が青ざめる。
「この警報は……地下の出入口が閉鎖される合図よ。」
低い地響きとともに、遠くで鉄製の防火扉が次々と閉まり始める音が響いた。
ゴォン……!
ゴォン……!
美咲たちは、再び地下に閉じ込められようとしていた。
ゴォン……!
重い鉄扉が地下通路を塞ぐ音が響く。
「急げ!」
健太の叫びが通路に反響した。
美咲たちは修一を支えながら走る。
一本目の防火扉が閉まる。
二本目。
三本目。
まるで地下全体が生き物のように、逃げ道を失わせていく。
「あと少し!」
健太が最後の扉をくぐった瞬間、
ガシャン!!
分厚い鉄扉が完全に閉まった。
全員がその場にへたり込む。
「危なかった……。」
結衣が大きく息を吐く。
しかし健太だけは首を振った。
「いや。」
「まだ終わってない。」
⸻
地下見取り図
扉のすぐ横に、古びた避難経路図が掛けられていた。
健太は懐中電灯で照らす。
「地下は全部で四区画。」
A区画。
B区画。
C区画。
D区画。
「俺たちがいるのはB区画。」
真理子がうなずく。
「そして3-Bも、この区画。」
健太は地図を見つめた。
「でも、おかしい。」
「何が?」
「この地図。」
指差した先には、一本の通路が描かれていた。
しかし実際には存在しない。
「ここ。」
「壁になってた。」
真理子も近寄る。
「そんなはず……。」
彼女の表情が変わる。
「違う。」
「昔はあったの。」
「後から埋められてる。」
美咲の胸が高鳴る。
(隠された部屋……。)
⸻
修一の告白
修一は壁にもたれながら静かに話し始めた。
「もう隠せない。」
真理子は黙って夫を見つめる。
「二十年前。」
「兄・隆一は、この地下で働いていた。」
「診療所の管理人として。」
健太が尋ねる。
「彩花さんとも知り合いだった?」
「……ああ。」
修一は苦しそうにうなずく。
「彩花は兄によく懐いていた。」
「兄も妹のように可愛がっていた。」
結衣が小さくつぶやく。
「じゃあ、どうして事件が……。」
修一は目を閉じた。
「事件の日。」
「兄は彩花を捜して地下へ入った。」
「そのあと、兄も戻らなかった。」
「警察は。」
「兄が彩花を連れ去った可能性があると言った。」
美咲たちは息をのむ。
「証拠は?」
「何もなかった。」
「それでも世間は兄を犯人だと決めつけた。」
修一は拳を握り締める。
「だから私は……。」
「兄は死んだことにした。」
「世間から兄を消したかった。」
静かな沈黙が流れる。
⸻
もう一つの鍵
その時だった。
奈々が壁際で何かを見つけた。
「これ。」
小さな鍵穴。
番号が刻まれている。
3-C
「3-Bじゃない。」
健太がしゃがみ込む。
「隣の部屋だ。」
美咲は真鍮の鍵を差し込んでみた。
回らない。
「違う鍵だ。」
健太は壁を調べる。
すると鍵穴の横に、小さな金属プレートが貼られていた。
そこには薄く刻まれている。
『3-B保管庫 管理室3-C』
「管理室……。」
真理子が思い出したように言う。
「父が言ってた。」
「記録室には必ず管理室があるって。」
つまり、3-Bに残された資料だけではなく、3-Cにはそれを管理していた人物の記録があるということだった。
⸻
足音
その瞬間。
コツ……。
全員が動きを止めた。
コツ……。
誰かが歩いてくる。
一定の速度。
ゆっくり。
確実に。
「灯りを。」
健太が小声で言う。
全員が懐中電灯を消した。
暗闇。
足音だけが近づく。
コツ。
コツ。
コツ。
やがて人影が現れた。
レインコート姿ではない。
白い作業服。
帽子を深くかぶった老人だった。
「……坂本さん!」
美咲が思わず声を上げる。
坂本義雄だった。
しかし、その表情はこれまでとまるで違う。
背筋はまっすぐ伸び、杖もついていない。
「歩ける……。」
奈々が驚く。
坂本は静かに帽子を脱いだ。
「すまなかった。」
低い声だった。
「私は……。」
「二十年間、嘘をついてきた。」
その言葉に、修一が目を見開く。
「坂本さん……。」
「もう限界だ。」
坂本はゆっくり美咲たちを見回した。
「君たちには真実を話そう。」
「彩花は事故ではない。」
「誰かに殺されたわけでもない。」
「では、どうなったんですか?」
美咲の問いに、坂本は静かに答えた。
「彩花は、自分の意思で地下へ隠れた。」
「……え?」
全員が息をのむ。
「だが、その直後に地下の一部が崩落した。」
「出口を失った彩花を、私たちは見つけられなかった。」
地下に重い沈黙が流れる。
「助けを呼ぼうとした。」
「しかし、地下施設そのものが違法建築だった。」
「事故が公になれば、診療所もペンションも終わる。」
坂本は苦しそうに続けた。
「私たちは……。」
「救助よりも、隠蔽を選んでしまった。」
誰も言葉を発せなかった。
二十年前の事件の真相。
それは殺人ではなく、人命より保身を優先した大人たちの罪だったのだ。
その瞬間――
地下通路の奥から、静かな拍手が響いた。
パン……。
パン……。
パン……。
「ようやく話してくれましたね。」
全員が振り向く。
暗闇の中から、黒いレインコートの人物がゆっくりと姿を現した。
そしてフードに手を掛ける。
「では。」
「今度は私の番です。」
ゆっくりとフードが外されようとしていた――。
地下通路に懐中電灯の光が走る。
「いたぞ!」
男たちの声が反響した。
美咲は息を切らしながら暗闇を駆ける。
右手には、高橋から渡された真鍮の鍵を強く握りしめていた。
後ろから複数の足音が迫る。
タッ、タッ、タッ――。
健太の声が前方から聞こえた。
「美咲! こっちだ!」
光の中へ飛び込む。
健太、奈々、結衣、そして真理子がいた。
修一の姿だけが見えない。
「修一さんは?」
「坂本さんを追って別の通路へ行った。」
健太は短く答えた。
その直後、通路の奥で怒鳴り声が響く。
「探せ! まだ近くにいる!」
真理子の顔色が変わる。
「急いで。こっちへ。」
彼女は壁際の細い通路を指差した。
「この先に避難用の部屋があります。」
五人は狭い通路へ滑り込む。
数十メートル進むと、小さな鉄扉が現れた。
真理子がポケットから鍵束を取り出す。
カチャ。
扉が開く。
中は六畳ほどの古い倉庫だった。
木箱と工具が積まれ、長年使われていないように見える。
真理子が扉を閉め、全員がようやく息を吐いた。
⸻
高橋のメッセージ
健太が美咲を見る。
「何を渡された?」
美咲は真鍮の鍵と紙片を取り出した。
『犯人は”八人目”ではない。』
健太は何度も読み返す。
「つまり……。」
「『八人目』は犯人じゃないってこと?」
奈々が言う。
「あるいは、八人目という存在自体が別の意味を持っている。」
健太は真鍮の鍵を手に取った。
表面には小さな数字が刻まれている。
『3-B』
「部屋番号?」
「地下の区画番号かもしれない。」
真理子がその鍵を見た瞬間、わずかに表情を変えた。
美咲は見逃さなかった。
「真理子さん、この鍵を知ってるんですか?」
真理子は少し黙ってから、ゆっくりうなずいた。
「……昔、父が持っていました。」
「お父さんって、診療所で働いていた人?」
「ええ。」
「じゃあ、この地下のことを全部知ってるんですか?」
真理子は苦しそうに視線を伏せた。
「全部ではありません。でも……。」
彼女は小さく息を吸う。
「この鍵が開ける部屋だけは、父から絶対に近づくなと言われていました。」
倉庫の空気が一気に重くなる。
「なぜ?」
「そこには、“記録”が残っているからです。」
⸻
二十年前の夜
健太が問いかける。
「真理子さん。彩花さんに何があったんですか。」
真理子はしばらく答えなかった。
地下の静寂の中、遠くで水滴の落ちる音だけが響く。
やがて彼女は、ぽつりと話し始めた。
「二十年前、このペンションでは夏祭りの宿泊イベントが開かれていました。」
「参加者は八人。」
その数字に全員が顔を上げる。
「彩花は、その中で一番年下の子でした。」
「そして祭りの最終日の夜、突然いなくなった。」
「警察は事故として処理しました。」
「でも父は、事故ではないと言っていました。」
美咲の胸がざわつく。
「父は、あの夜”誰かが地下へ入るのを見た”と言っていたんです。」
「誰を?」
真理子は首を振る。
「顔は見えなかったそうです。」
「ただ、八人いたはずの参加者が、翌朝には七人になっていた。」
「それ以来、父は『八人目は帰れない』という言葉を口にするようになりました。」
結衣が震える声で言う。
「じゃあ、その言葉って呪いじゃなくて……。」
「事件を隠すための合言葉だったのかもしれない。」
健太が静かに続けた。
⸻
アリバイの穴
その時、美咲の頭に一つの疑問が浮かんだ。
「藤崎さん。」
「え?」
「あの人、どうして地下のことを知ってるみたいな反応をしたんだろう。」
健太もうなずく。
「しかも、裏山の赤い泥が付いていた。」
「地下道の出口を知っている可能性が高い。」
「でも。」
奈々が首をかしげる。
「藤崎さんって、昨日の夜はずっとロビーにいたんじゃ……。」
健太はそこで目を細めた。
「それだ。」
「ロビーにいたのを、誰が確認した?」
全員が黙る。
確かに、誰も”ずっと”見ていたわけではない。
食事の後、各自が部屋へ戻ったり、館内を歩いたりしていた。
藤崎の行動には空白の時間がある。
「つまり、アリバイが成立していない。」
健太は低く言った。
「しかも、坂本さんは二十年前のことを知っている。」
「だから今、狙われている可能性がある。」
その瞬間――。
ガンッ!
鉄扉が外から叩かれた。
全員が凍りつく。
ガンッ! ガンッ!
誰かが扉を試している。
真理子が小声でささやく。
「灯りを消して。」
健太が懐中電灯を消す。
倉庫は完全な闇に包まれた。
外から、低い男の声が聞こえる。
「……ここにいる。」
もう一人が答える。
「鍵を持っているはずだ。」
美咲は真鍮の鍵を強く握りしめた。
相手は、この鍵を探している。
つまり、この鍵が開ける「3-B」の部屋に、事件の核心が隠されているのだ。
そして扉の向こうで、金属をこじ開ける嫌な音が鳴り始めた。
ギリ……ギリ……。
倉庫の中で、誰も呼吸の音すら立てられなかった。
ギリ……。
ギリ……。
鉄扉の向こうで金属をこじ開ける音が響く。
誰も身動きできない。
美咲は握り締めた真鍮の鍵が、汗で滑りそうになるのを感じた。
「もう持たない……。」
結衣が小さくつぶやく。
健太は部屋の中を見回した。
木箱。
古い工具棚。
崩れた棚。
その奥に、壁へ立て掛けられた一枚のベニヤ板が目に入る。
「真理子さん。」
「え?」
「この部屋、避難室なんですよね。」
「……ええ。」
「なら非常口があるはずです。」
真理子は一瞬だけ目を見開いた。
そして小さくうなずく。
「あります。」
彼女はベニヤ板を外した。
その裏には、人ひとりがようやく通れるほどの細い通路が隠されていた。
「父から教えられました。」
「急ぎましょう。」
その瞬間、
バンッ!!
鉄扉が大きく揺れる。
蝶番が悲鳴を上げた。
「急げ!」
健太が叫ぶ。
五人は狭い非常通路へ滑り込んだ。
最後に真理子が内側から板を戻す。
直後、
ガシャーン!!
鉄扉が破られる音が地下に響いた。
「逃げたぞ!」
男たちの怒声が遠くから聞こえる。
しかし非常通路は複雑に曲がりくねり、声はすぐに反対方向へ遠ざかっていった。
⸻
十分ほど歩くと、通路は突き当たりになった。
壁には古い鉄製のプレートが取り付けられている。
地下保管区画
3-B
「ここだ。」
健太が小さく言った。
全員が息をのむ。
美咲は真鍮の鍵を鍵穴へ差し込んだ。
カチッ。
軽い音がした。
「開く。」
ゆっくり扉を押す。
重い音を立てながら扉が内側へ開いた。
⸻
部屋は思ったより広かった。
古い書庫だった。
壁一面に木製の棚が並び、ファイルや帳簿がぎっしり収められている。
しかし妙だった。
埃が少ない。
最近まで誰かが出入りしていたように見える。
健太は棚を照らした。
「診療記録。」
「患者名簿。」
「薬品管理台帳。」
すべて二十年以上前の資料だった。
真理子は奥の棚を見つめたまま立ち尽くしている。
「……まだ残っていたのね。」
その声には驚きよりも、諦めが混じっていた。
⸻
美咲は机の引き出しを開けた。
中には鍵付きの黒いファイルが一冊だけ入っている。
表紙には何も書かれていない。
だが、留め具の鍵穴は真鍮の鍵と同じ形だった。
「これだ。」
鍵を差し込む。
カチリ。
静かな音とともに留め具が外れた。
ファイルを開く。
最初のページには、たった一枚の紙。
そこには太い文字でこう書かれていた。
「昭和診療所地下施設 立入記録」
ページをめくる。
日付。
名前。
入室時刻。
退室時刻。
何十人もの名前が並んでいる。
健太はあるページで手を止めた。
「八月二十七日。」
全員が集まる。
二十年前。
彩花が姿を消した夜だった。
入室記録は八人。
退室記録は七人。
最後の一行だけが空白になっていた。
「退室時刻が書かれていない。」
健太が静かにつぶやく。
美咲の胸が締めつけられる。
彩花は、本当に地下へ入っていたのだ。
⸻
「待って。」
奈々が別のページを開く。
「これ……。」
そこには鉛筆で後から書き足された文字があった。
“立入記録 一名削除”
削除された名前は黒く塗りつぶされている。
「誰かが記録を書き換えてる。」
健太は慎重にページを傾けた。
ライトを斜めから当てる。
筆圧だけが残っている。
「読めるかも。」
紙の凹凸を目で追う。
少しずつ文字が浮かび上がる。
「さ……。」
「さ?」
「さえ……。」
真理子が息をのんだ。
「佐伯。」
全員が彼女を見る。
「佐伯……?」
健太はもう一度確認した。
「間違いない。」
「最初の文字は『佐伯』だ。」
部屋が静まり返る。
佐伯。
それはオーナー・修一と真理子の姓だった。
つまり二十年前の地下施設には、佐伯家の誰かがいたことになる。
しかし修一は、地下のことなど知らないように振る舞っていた。
⸻
その時だった。
パラリ。
ファイルの中から、一枚の古い写真が落ちた。
拾い上げる。
夏祭りの集合写真。
今まで見てきたものとは違う。
今回は八人全員が鮮明に写っていた。
そして写真の端には、若い頃の修一が立っている。
「えっ……。」
美咲が声を漏らした。
修一は二十年前、「このペンションを継ぐ前で何も知らなかった」と話していた。
だが写真には、彩花たちと一緒に笑って写っている。
「嘘をついてた……?」
結衣が震える。
健太は首を横に振った。
「いや。」
「年齢がおかしい。」
全員が写真を見直す。
確かに写っている男性は修一によく似ている。
しかし二十年前の修一なら二十代後半のはずだ。
写真の男は四十代近くに見える。
「別人だ。」
真理子がかすれた声で言った。
「それは……修一さんのお兄さんです。」
「兄?」
「修一さんには兄がいました。」
「でも。」
「もう二十年前に亡くなったことになっています。」
美咲たちは言葉を失う。
亡くなったはずの兄。
地下施設の記録。
消された名前。
そして彩花の失踪。
すべてが、一つの線で結ばれ始めていた。
その瞬間――
部屋の照明が突然消えた。
真っ暗になる。
同時に、書庫の奥からゆっくりと拍手が聞こえた。
パン……。
パン……。
パン……。
「そこまで分かったなら十分だ。」
聞き覚えのない男の声が、暗闇の中で静かに響いた。
「これ以上、真実を知る必要はない。」
懐中電灯を向ける。
しかし、そこには誰の姿もなかった。
ただ、書庫の一番奥の扉だけが、ゆっくりと閉まっていくのが見えた。
ギィ……。
健太はすぐに駆け出す。
「待て!」
扉を開け放つ。
その先には長い通路。
そして床には、赤い泥の足跡だけが残されていた。
健太は赤い泥の足跡を追って通路を駆け出した。
「健太!」
美咲も後を追う。
奈々、結衣、真理子も続いた。
足跡は一本道の通路をまっすぐ進み、やがて古い木製の扉の前で止まっていた。
健太はゆっくりノブを回す。
ギィ……。
部屋の中は古びた応接室だった。
埃をかぶったソファ。
割れたガラス棚。
壁には色あせた時計が掛かっている。
しかし――
誰もいない。
「そんな……。」
美咲が部屋を見回す。
赤い泥の足跡は部屋の中央まで続いている。
だが、そこから先が消えていた。
「足跡が……なくなってる。」
奈々がしゃがみ込む。
健太は床を指先でなぞった。
「違う。」
「え?」
「ここだけ床が新しい。」
確かに、部屋の中央だけ木目の色がわずかに違っていた。
健太は床板を軽く叩く。
コン……コン……
そして中央だけ、
ゴンッ。
鈍い音が返ってきた。
「空洞だ。」
部屋中に緊張が走る。
工具箱からバールを取り出し、床板へ差し込む。
ギギギ……。
ゆっくりと板が持ち上がる。
その下には、人ひとりが通れる縦穴が隠されていた。
「逃げ道か。」
冷たい風が下から吹き上げてくる。
「追いますか?」
結衣が不安そうに尋ねる。
健太は首を振った。
「今は危険だ。」
「でも犯人が……。」
「それより証拠だ。」
健太は応接室を見渡した。
「ここは誰かが使っていた。」
⸻
部屋を調べ始める。
美咲は本棚の奥に、一冊だけ新しいノートを見つけた。
表紙には何も書かれていない。
開く。
最初のページには日付だけ。
七月二十八日
その下には短い文章。
「今年も来た。
あの日と同じ人数だ。」
美咲の背筋が寒くなる。
ページをめくる。
「予定どおり始める。」
さらに次。
「高橋は気づいた。」
次のページ。
「高校生四人は予想外。」
最後のページには、走り書きで一文だけ。
「坂本が裏切った。」
「健太。」
ノートを差し出す。
健太は黙って読み進める。
「これは犯人の日記じゃない。」
「え?」
「報告書だ。」
「誰かに提出するための。」
その一言で全員の顔色が変わる。
つまり、犯人は単独ではない。
誰かに逐一報告している。
⸻
その頃。
修一は一人で地下通路を歩いていた。
坂本を探していたはずだった。
しかし足は自然と別の方向へ向かっている。
「……。」
やがて小さな祭壇の前で立ち止まった。
古い石碑。
供えられた花。
そして、小さな写真立て。
修一は写真を手に取る。
そこには十歳ほどの少女が笑っていた。
「彩花……。」
その声は震えていた。
「もう終わりにしよう。」
修一がつぶやいた、その瞬間。
「遅い。」
背後から低い声が響く。
修一が振り返る。
暗闇から一人の男が現れた。
黒いレインコート。
フードを深くかぶっている。
「約束を忘れたのか。」
「私は……。」
「二十年間、黙っていたじゃないか。」
修一は苦しそうに目を閉じる。
「もう罪を隠し続けることはできない。」
男は静かに笑った。
「なら。」
ゆっくりポケットへ手を入れる。
修一の表情が凍る。
「あなたにも消えてもらう。」
⸻
一方、美咲たちは応接室の机を調べていた。
引き出しの奥から封筒が見つかる。
中には録音用の小型ICレコーダーが入っていた。
「電池が入ってる。」
奈々が再生ボタンを押す。
ザーッという雑音。
しばらくして男の声が流れ始めた。
『全部、事故だったことにする。』
別の男の声。
『あの子は地下へ入っていない。』
最初の男。
『記録を書き換えろ。』
美咲たちは息をのむ。
そして三人目の声が入る。
『そんなことをしたら、一生隠し続けることになる。』
その声を聞いた瞬間。
真理子が青ざめた。
「この声……。」
「知ってるんですか?」
「父です。」
部屋に衝撃が走る。
真理子の父も、二十年前の事件に関わっていた。
しかも録音は、事件を隠蔽する相談の最中だったのだ。
そのとき突然、レコーダーの最後に別の音声が流れ始めた。
少女の声だった。
『お父さん……。』
真理子が涙ぐむ。
『助けて……。』
そして録音は突然途切れた。
部屋の空気が凍りつく。
誰も言葉を発せない。
健太だけが静かにレコーダーを止めた。
「……これが二十年前の最後の記録か。」
美咲はゆっくりとうなずく。
だが、その瞬間。
地下通路の奥から一発の銃声にも似た乾いた破裂音が響いた。
パンッ!!
全員が顔を上げる。
「修一さん!」
真理子が叫び、通路へ飛び出した。
美咲たちも慌てて後を追う。
暗い地下通路の先には、新たな惨劇が待ち受けていた――。
パンッ!!
地下通路に乾いた破裂音が響いた。
「修一さん!」
真理子が真っ先に駆け出す。
美咲たちも後を追った。
曲がり角を抜けると、通路の先は白い煙に包まれていた。
「何……?」
鼻を突く刺激臭。
健太が咳き込みながら口元を押さえる。
「消火器だ!」
床には古い粉末消火器が倒れ、噴射口から白い粉が舞い続けている。
さっきの破裂音は、老朽化した消火器の破裂だった。
視界は一メートル先も見えない。
「修一さん!」
真理子が必死に呼びかける。
返事はない。
煙の中を慎重に進むと、人影が床に倒れているのが見えた。
「いた!」
修一だった。
額から血を流して気を失っている。
美咲が駆け寄る。
「息は?」
健太が首筋に手を当てる。
「大丈夫、生きてる。」
全員が安堵の息を漏らした。
しかし修一のすぐ横には、天井から落ちてきた木材が転がっていた。
「崩れたのか。」
健太が天井を見上げる。
古い梁が一本折れ、通路を半分ふさいでいる。
「犯人が落とした?」
奈々が尋ねる。
健太は梁を調べた。
切断された跡はない。
支柱が腐食し、強い衝撃で外れたようだ。
「偶然じゃない。」
「え?」
「消火器を倒して視界を奪い、その混乱で梁を落とした。」
「つまり……。」
「犯人はここを知り尽くしている。」
⸻
修一は数分後、小さくうめき声を上げた。
「……真理子。」
「あなた!」
真理子が涙ぐみながら手を握る。
修一はゆっくり目を開けた。
「逃げろ……。」
「何があったの?」
「見たんだ。」
息を整えながら修一は言った。
「レインコートの男の顔を。」
美咲たちの表情が変わる。
「誰だったんですか!」
修一は答えようとした。
「……あれは……。」
しかし、その瞬間。
通路の奥から石が転がる音が響いた。
カラン……。
全員が振り返る。
誰かいる。
健太が懐中電灯を向ける。
光の先には黒いレインコート姿。
その人物は立ち止まることなく、奥の通路へ走り去った。
「待て!」
健太が追う。
美咲も続こうとする。
「美咲!」
奈々が腕をつかむ。
「危ない!」
一瞬迷う。
しかし健太はすでに暗闇へ消えていた。
⸻
健太は全力で走った。
レインコートの男との距離は二十メートルほど。
「止まれ!」
返事はない。
男は迷うことなく通路を進む。
(地下を熟知している。)
やがて通路は三方向に分かれた。
男は左へ曲がる。
健太も続く。
その先は行き止まりだった。
「追い詰めた!」
ライトを向ける。
しかし誰もいない。
壁だけがある。
「そんな馬鹿な……。」
床を見る。
赤い泥の足跡は壁の前で終わっている。
健太は壁を叩いた。
コン……コン……
一か所だけ音が違う。
ゴン。
「隠し扉か。」
押してみる。
しかし動かない。
鍵穴が付いていた。
「鍵……。」
健太はポケットを探る。
そこには美咲が持っているはずの真鍮の鍵はない。
「しまった。」
その頃、美咲は修一を支えながら歩いていた。
すると修一が震える手で、美咲のポケットを指差す。
「その鍵を……。」
「これですか?」
真鍮の鍵を見せる。
修一は苦しそうにうなずいた。
「それは……。」
「兄の部屋の鍵だ。」
「兄?」
「佐伯隆一。」
その名前を聞いた真理子の表情が強張る。
「隆一さん……。」
修一はゆっくり続けた。
「兄は死んでいない。」
その一言で全員の動きが止まる。
「えっ?」
「二十年前……兄は姿を消した。」
「警察には死亡したと届けた。」
「でも。」
修一は唇を震わせた。
「遺体は見つかっていない。」
美咲の鼓動が速くなる。
二十年前に失踪した兄。
地下を知り尽くした犯人。
そして、誰にも顔を見せないレインコートの男。
すべての点が、少しずつ一つに結びつき始めていた。
その直後、地下全体に非常ベルが鳴り響いた。
ビーッ! ビーッ! ビーッ!
古びた警報音が地下通路に反響する。
健太は顔を上げた。
「まずい……。」
真理子が青ざめる。
「この警報は……地下の出入口が閉鎖される合図よ。」
低い地響きとともに、遠くで鉄製の防火扉が次々と閉まり始める音が響いた。
ゴォン……!
ゴォン……!
美咲たちは、再び地下に閉じ込められようとしていた。
ゴォン……!
重い鉄扉が地下通路を塞ぐ音が響く。
「急げ!」
健太の叫びが通路に反響した。
美咲たちは修一を支えながら走る。
一本目の防火扉が閉まる。
二本目。
三本目。
まるで地下全体が生き物のように、逃げ道を失わせていく。
「あと少し!」
健太が最後の扉をくぐった瞬間、
ガシャン!!
分厚い鉄扉が完全に閉まった。
全員がその場にへたり込む。
「危なかった……。」
結衣が大きく息を吐く。
しかし健太だけは首を振った。
「いや。」
「まだ終わってない。」
⸻
地下見取り図
扉のすぐ横に、古びた避難経路図が掛けられていた。
健太は懐中電灯で照らす。
「地下は全部で四区画。」
A区画。
B区画。
C区画。
D区画。
「俺たちがいるのはB区画。」
真理子がうなずく。
「そして3-Bも、この区画。」
健太は地図を見つめた。
「でも、おかしい。」
「何が?」
「この地図。」
指差した先には、一本の通路が描かれていた。
しかし実際には存在しない。
「ここ。」
「壁になってた。」
真理子も近寄る。
「そんなはず……。」
彼女の表情が変わる。
「違う。」
「昔はあったの。」
「後から埋められてる。」
美咲の胸が高鳴る。
(隠された部屋……。)
⸻
修一の告白
修一は壁にもたれながら静かに話し始めた。
「もう隠せない。」
真理子は黙って夫を見つめる。
「二十年前。」
「兄・隆一は、この地下で働いていた。」
「診療所の管理人として。」
健太が尋ねる。
「彩花さんとも知り合いだった?」
「……ああ。」
修一は苦しそうにうなずく。
「彩花は兄によく懐いていた。」
「兄も妹のように可愛がっていた。」
結衣が小さくつぶやく。
「じゃあ、どうして事件が……。」
修一は目を閉じた。
「事件の日。」
「兄は彩花を捜して地下へ入った。」
「そのあと、兄も戻らなかった。」
「警察は。」
「兄が彩花を連れ去った可能性があると言った。」
美咲たちは息をのむ。
「証拠は?」
「何もなかった。」
「それでも世間は兄を犯人だと決めつけた。」
修一は拳を握り締める。
「だから私は……。」
「兄は死んだことにした。」
「世間から兄を消したかった。」
静かな沈黙が流れる。
⸻
もう一つの鍵
その時だった。
奈々が壁際で何かを見つけた。
「これ。」
小さな鍵穴。
番号が刻まれている。
3-C
「3-Bじゃない。」
健太がしゃがみ込む。
「隣の部屋だ。」
美咲は真鍮の鍵を差し込んでみた。
回らない。
「違う鍵だ。」
健太は壁を調べる。
すると鍵穴の横に、小さな金属プレートが貼られていた。
そこには薄く刻まれている。
『3-B保管庫 管理室3-C』
「管理室……。」
真理子が思い出したように言う。
「父が言ってた。」
「記録室には必ず管理室があるって。」
つまり、3-Bに残された資料だけではなく、3-Cにはそれを管理していた人物の記録があるということだった。
⸻
足音
その瞬間。
コツ……。
全員が動きを止めた。
コツ……。
誰かが歩いてくる。
一定の速度。
ゆっくり。
確実に。
「灯りを。」
健太が小声で言う。
全員が懐中電灯を消した。
暗闇。
足音だけが近づく。
コツ。
コツ。
コツ。
やがて人影が現れた。
レインコート姿ではない。
白い作業服。
帽子を深くかぶった老人だった。
「……坂本さん!」
美咲が思わず声を上げる。
坂本義雄だった。
しかし、その表情はこれまでとまるで違う。
背筋はまっすぐ伸び、杖もついていない。
「歩ける……。」
奈々が驚く。
坂本は静かに帽子を脱いだ。
「すまなかった。」
低い声だった。
「私は……。」
「二十年間、嘘をついてきた。」
その言葉に、修一が目を見開く。
「坂本さん……。」
「もう限界だ。」
坂本はゆっくり美咲たちを見回した。
「君たちには真実を話そう。」
「彩花は事故ではない。」
「誰かに殺されたわけでもない。」
「では、どうなったんですか?」
美咲の問いに、坂本は静かに答えた。
「彩花は、自分の意思で地下へ隠れた。」
「……え?」
全員が息をのむ。
「だが、その直後に地下の一部が崩落した。」
「出口を失った彩花を、私たちは見つけられなかった。」
地下に重い沈黙が流れる。
「助けを呼ぼうとした。」
「しかし、地下施設そのものが違法建築だった。」
「事故が公になれば、診療所もペンションも終わる。」
坂本は苦しそうに続けた。
「私たちは……。」
「救助よりも、隠蔽を選んでしまった。」
誰も言葉を発せなかった。
二十年前の事件の真相。
それは殺人ではなく、人命より保身を優先した大人たちの罪だったのだ。
その瞬間――
地下通路の奥から、静かな拍手が響いた。
パン……。
パン……。
パン……。
「ようやく話してくれましたね。」
全員が振り向く。
暗闇の中から、黒いレインコートの人物がゆっくりと姿を現した。
そしてフードに手を掛ける。
「では。」
「今度は私の番です。」
ゆっくりとフードが外されようとしていた――。



