白霧ペンションの七日間

地下迷宮

「早く!」

健太の声が、狭い通路の奥から響いた。

美咲は振り返らず、身体を横向きにして石壁の隙間へ滑り込む。

その瞬間――

ドンッ!

祭壇の部屋の扉が完全に破壊された。

「いたぞ!」

男の怒鳴り声が地下室に響き渡る。

複数の懐中電灯の光が暗闇を切り裂いた。

しかし、美咲が最後に狭い通路へ入り込むと、健太が内側から古い鉄格子を引き寄せる。

ギィィ……

錆びついた音とともに鉄格子が落ちる。

その直後。

「何だ、この壁は!」

追ってきた男たちが立ち止まった。

「通路があるぞ!」

「狭すぎる!」

「向こうへ回れ!」

怒鳴り声が遠ざかっていく。

四人は暗闇の中で顔を見合わせた。

「助かった……。」

結衣はその場へ座り込む。

肩が大きく上下している。

奈々も壁にもたれたまま動けなかった。

美咲だけは、まだ鼓動が収まらない。

(あの人たちは誰……?)

木島ではない声。

修一でもない。

しかも二人以上いた。

土砂崩れで外部と遮断されたはずのペンションに、なぜ正体不明の男たちがいるのか。

謎は増えるばかりだった。



狭い通路は、大人一人がようやく歩ける幅しかない。

天井も低く、ところどころ崩れかけている。

壁は天然の岩肌で、湿った水滴が絶えず流れていた。

ポタ……

ポタ……

水滴が落ちる音だけが、地下の静寂に響く。

健太がスマートフォンを取り出す。

「……直った。」

さっきまで電源が落ちていたスマートフォンが、何事もなかったように起動した。

バッテリーは九十二パーセント。

「え?」

美咲も自分のスマートフォンを見る。

こちらも正常に動いている。

「どういうこと?」

結衣が不思議そうにつぶやく。

「さっきは全然つかなかったのに。」

健太は少し考えてから言った。

「地下のどこかで電波か磁気みたいなものの影響を受けたのかもしれない。」

「そんなことある?」

「分からない。でも、幽霊の仕業って決めつけるよりは現実的だ。」

その言葉に、美咲は少しだけ安心した。

今は冷静さを失ってはいけない。

目の前で起きていることには、必ず理由があるはずだ。



十分ほど歩くと、通路は二手に分かれていた。

右へ続く道。

左へ続く道。

どちらも暗闇の奥へ消えている。

「どっち?」

奈々が尋ねる。

健太は床へライトを向けた。

そこには泥が付着している。

「足跡だ。」

四人はしゃがみ込む。

靴跡が残っていた。

しかも新しい。

「追ってきた人?」

美咲が聞く。

健太は首を振った。

「違う。」

「え?」

「この靴跡、小さい。」

ライトで照らして比べる。

確かに大人の靴ではない。

二十二センチほど。

「子ども?」

結衣がつぶやく。

その時だった。

通路の左奥で、小さな光が揺れた。

まるで誰かがランタンを持って歩いているように。

「見えた?」

美咲が言う。

健太もうなずく。

「今、光があった。」

しかし次の瞬間には消えていた。

誰もいない。

風もない。

「行ってみよう。」

四人は慎重に左の通路へ足を踏み入れる。

歩き始めて数分。

突然、壁に古びた木製の案内板が現れた。

そこには、かすれた文字でこう書かれていた。

『旧・白霧診療所』

「診療所……?」

美咲は思わず読み返した。

「ここ、ペンションじゃなかったの?」

健太が案内板を調べる。

裏には昭和四十七年の日付。

つまり、この建物はペンションになる以前、診療所として使われていたことになる。

「オーナーは一言も言ってなかった。」

「どうして隠してるんだろう。」

奈々が不安そうに周囲を見回す。

その時。

診療所の奥から、

カラン……。

金属が床へ落ちる音が響いた。

四人は息を止める。

健太がライトを向ける。

誰もいない。

しかし床には、一本の古びた手術用メスが落ちていた。

まるで今、誰かがそこにいたかのように――。

カラン――。

乾いた金属音は、地下通路の奥へ何度も反響した。

四人はその場に立ち尽くしたまま動けない。

健太がゆっくりとライトを向ける。

床には一本の古いメスが落ちていた。

銀色だったはずの刃は黒ずみ、ところどころに赤茶けた錆が浮いている。

柄の部分には細かな傷が無数についており、長い年月使われてきたことがうかがえた。

「……こんな場所に。」

奈々が小さくつぶやく。

「誰かいたのかな。」

健太はしゃがみ込み、メスを拾い上げようとした。

「待って。」

美咲が思わず声を上げる。

「素手で触らないほうがいい。」

「え?」

「もし事件に関係あるなら、指紋が残ってるかもしれない。」

健太は一瞬驚いたような表情を見せ、それから苦笑した。

「そうか。」

ハンカチを取り出し、慎重にメスを包む。

「ありがとう。」

「テレビで見ただけだけど……。」

美咲は少し照れくさそうに笑う。

こんな状況でも、ほんの少しだけ緊張がほぐれた。

しかし、その空気はすぐに消えた。

通路の奥から、また音が聞こえたからだ。

コツ……。

コツ……。

誰かが硬い靴で歩いている。

「隠れる!」

健太が小声で叫ぶ。

四人は診療所の入口脇へ身を寄せた。

足音は一定の速さで近づいてくる。

コツ……。

コツ……。

やがて通路の角から、ひと筋の光が現れた。

懐中電灯だった。

光は四人のいる方へ向けられることなく、そのまま診療所の入口を通り過ぎていく。

「……木島さん?」

結衣が息を殺してささやく。

しかし違った。

照らし出された横顔は見覚えのない中年の男だった。

黒いレインコート。

帽子を深くかぶり、顎には無精ひげ。

男は地下に慣れているように迷いなく歩き、そのまま右の通路へ消えていった。

誰も動かない。

男の足音が完全に聞こえなくなってから、健太が小さく息を吐いた。

「宿泊客じゃない。」

「オーナーでもない。」

奈々が青ざめた顔で言う。

「じゃあ、誰なの……。」

土砂崩れで孤立したはずのペンション。

それなのに、地下には見知らぬ男がいる。

しかも一人ではない。

祭壇の部屋で聞こえた声は二人以上だった。

「この地下には、私たちが知らない出入り口があるのかもしれない。」

健太が静かに言った。

その一言に、美咲は胸がざわついた。

もし地下道が山の外へ続いているなら――。

土砂崩れで閉じ込められたという状況そのものが、誰かによって利用されている可能性がある。



四人は慎重に診療所へ入った。

入口には錆びたプレートが残っている。

診察室

処置室

薬品庫

古い病院そのものだった。

「ペンションになる前は、本当に診療所だったんだ。」

結衣が壁を見回す。

診察室には木製の机があり、その上には割れた聴診器と古いカルテが散乱している。

湿気のせいで紙は波打ち、文字のほとんどは読めなくなっていた。

薬品庫の棚には空になった瓶が並び、ラベルだけがかろうじて残っている。

「クロロホルム……。」

美咲が瓶を手に取る。

「エーテル……。」

健太も別の瓶を見つめた。

「昔、手術で使われた麻酔薬だ。」

「麻酔……。」

その言葉に四人は同時に顔を見合わせた。

高橋誠の失踪。

抵抗した形跡がなかった密室。

荷物だけが残されていた部屋。

もし眠らされて運ばれたのだとしたら――。

「あり得る。」

健太は小さくうなずく。

「完全に不可能じゃない。」

美咲の中で、ばらばらだった点が少しずつ線になり始めていた。



その時だった。

診察室の一番奥。

倒れた本棚の陰に、小さな木製の扉があることに美咲が気づく。

「健太。」

ライトを向ける。

扉には新しい南京錠が掛けられていた。

周囲が何十年も放置されているのに、その錠前だけはほとんど錆びていない。

「最近使われてる。」

健太が低く言う。

「誰かが。」

南京錠には小さな傷が無数についている。

何度も開け閉めした跡だった。

その瞬間――

ガチャ。

錠前の向こう側で音がした。

誰かがいる。

四人は息を止めた。

ガチャ……。

今度はゆっくりとドアノブが回る音。

しかし南京錠が掛かっているため、開かない。

すると中から、男の苦しそうな声が聞こえた。

「……誰か……。」

四人は凍りつく。

その声は間違いなく――

高橋誠だった。

美咲は反射的に扉へ駆け寄る。

「高橋さん!」

すると扉の向こうから、かすれた声が返ってきた。

「逃げて……。」

一瞬の沈黙。

そして高橋は、震える声で続けた。

「犯人は……まだ、この宿にいる。」

その直後。

ドンッ!!

扉の向こうで激しい物音が響き、高橋の声は途切れた。

「高橋さん!」

返事はない。

静まり返った地下診療所に、四人の荒い息遣いだけが響いていた。

「高橋さん!」

美咲は木製の扉を強く叩いた。

ドン、ドン、と乾いた音が地下診療所に響く。

「返事をしてください!」

しかし、返ってくるのは静寂だけだった。

「さっきまで確かに声がしたよな?」

健太も耳を扉へ押し当てる。

何も聞こえない。

息遣いすら感じられなかった。

「まさか、連れて行かれた……?」

奈々の顔から血の気が引いていく。

「そんなはずはない。」

健太は首を横に振る。

「俺たちが来てから一分も経っていない。この部屋から別の場所へ移したなら、物音が聞こえるはずだ。」

美咲も冷静になって考えた。

確かにそうだ。

扉の向こうには誰かがいた。

その人物がいなくなるには、もう一つ出口がなければ説明できない。

「裏口……。」

美咲が小さくつぶやく。

「この部屋には別の出口がある。」

健太もうなずいた。

「地下通路は一つじゃない。」

ここは迷路のような地下施設。

犯人はその構造を知っている。

だから追われても逃げられる。

「つまり……。」

結衣が息をのむ。

「私たちは犯人の縄張りに入り込んでるってこと?」

誰も否定できなかった。



健太は南京錠を調べ始めた。

金属部分には真新しい擦り傷がある。

「これ、最近交換されてる。」

「そんなこと分かるの?」

美咲が尋ねる。

「見て。」

ライトを当てる。

扉そのものは古く、木が黒く変色している。

だが南京錠だけは銀色の光沢が残っていた。

「新しい。」

「つまり誰かが、この部屋を今も使っている。」

奈々が小さくつぶやく。

「監禁部屋……。」

その言葉に全員が沈黙した。

健太は周囲を見回す。

「壊せそうな物を探そう。」

診療所の中には古い家具が散乱している。

錆びた鉄パイプ。

壊れた椅子。

木箱。

「これだ。」

健太は鉄パイプを持ち上げる。

かなり重い。

「下がって。」

美咲たちは数歩後ろへ下がる。

健太は大きく振りかぶった。

ガン!

地下に鈍い音が響く。

南京錠は少し曲がっただけだった。

「もう一回!」

ガン!!

三回。

四回。

五回。

汗が額を流れる。

そして六回目。

バキッ!

金属が割れる音がした。

南京錠が床へ転がる。

「開いた!」

健太が勢いよく扉を押し開けた。

ギィィ……

重たい音を立てて扉が開く。

四人は息を止めた。



部屋は想像よりずっと狭かった。

広さは四畳ほど。

窓はない。

中央に古い簡易ベッド。

机が一つ。

壁には鎖が固定されている。

「……!」

結衣が思わず口を押さえた。

鎖の先には、切れた手錠がぶら下がっていた。

誰かがここにつながれていたのは明らかだった。

机の上には、飲みかけの水。

食べかけのパン。

まだ乾ききっていない。

「さっきまで誰かいた。」

健太が低く言う。

「高橋さんだ。」

美咲はベッドへ近づく。

シーツには人が寝ていた跡が残っていた。

その横に、小さな紙切れが落ちている。

「これ……。」

拾い上げる。

震える字で書かれていた。

東館には近づくな

信用するな

“八人目”を探している

「八人目……。」

奈々が読み返す。

「誰が?」

「犯人じゃない?」

結衣が答える。

その時だった。

健太が部屋の壁を叩き始めた。

コン。

コン。

コン。

そして一か所だけ。

コン……。

明らかに音が違った。

「空洞だ。」

「え?」

「この向こうに空間がある。」

四人で家具をどかす。

古い棚を動かすと、壁の一部に不自然な継ぎ目が現れた。

「隠し扉だ。」

健太が押してみる。

しかし動かない。

「鍵かな。」

美咲は周囲を探す。

その時、ベッドの脚に何かが挟まっているのを見つけた。

小さな真鍮の鍵だった。

「これじゃない?」

鍵穴へ差し込む。

カチリ。

乾いた音が響く。

ゆっくり壁を押す。

ゴゴゴ……

石壁が横へ動き始めた。

その向こうには、さらに長い通路。

そして床には新しい泥の足跡が続いている。

「逃げ道だ。」

健太がライトを向ける。

足跡は一人分ではない。

三人。

いや、四人以上が行き来した跡だった。

「犯人たちもここを使ってる。」

美咲は拳を握る。

「高橋さんは、この先にいる。」



その瞬間だった。

通路の奥から、小さな電子音が聞こえた。

ピッ。

「え?」

美咲がスマートフォンを見る。

圏外だった画面に、一瞬だけ電波が立った。

一本だけ。

すぐに消えた。

「今……。」

健太も見ていた。

「電波が入った。」

「ということは。」

美咲は通路の奥を見つめる。

「この先は地上に近い。」

つまり、この隠し通路は外へつながっている可能性がある。

土砂崩れで孤立したはずのペンション。

しかし犯人だけは、この地下道を使って自由に出入りしているのかもしれない。

四人は互いにうなずき合う。

恐怖は消えない。

それでも、ここまで来た以上、真実から目を背けるわけにはいかなかった。

健太が先頭に立ち、ゆっくりと隠し通路へ足を踏み入れる。

その背後で、誰もいないはずの監禁部屋のドアが――

ギィ……。

ひとりでに、静かに閉まった。

四人は振り返った。

風はない。

誰もいない。

それでもドアは、確かに閉まった。

美咲は思わず息をのむ。

(本当に風だったの……?)

その疑問だけを胸に抱えながら、四人は暗い通路の奥へと歩き始めた。

隠し通路へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

地下室特有の湿った空気に混じって、冷たい外気が流れ込んでくる。

「風……。」

美咲は立ち止まった。

「この先、外につながってるかもしれない。」

健太も頷く。

「完全に閉じた空間じゃない。」

それは希望でもあり、不安でもあった。

もし外へ通じる道なら、犯人も自由に出入りできるということになる。



通路は緩やかな上り坂になっていた。

足元には最近付いたらしい泥の足跡がいくつも残っている。

大人用の登山靴。

長靴。

そして――。

「これ……。」

奈々がしゃがみ込む。

小さなスニーカーの足跡だった。

「子どもの靴?」

健太は首を横に振る。

「サイズは小さいけど、大人の女性でも履けるくらいだ。」

美咲は昼間に見た写真を思い出す。

白いワンピースの少女・彩花。

(偶然……だよね。)

そう自分に言い聞かせる。



十分ほど歩いたところで、通路は突然広くなった。

天井も高くなり、岩肌ではなくコンクリートの壁へ変わる。

まるで人工的に造られた施設のようだった。

「診療所より新しい。」

健太が壁を照らす。

コンクリートには施工会社のプレートが埋め込まれている。

平成十一年 増設工事

「平成十一年?」

美咲が驚く。

「彩花ちゃんが亡くなった翌年……。」

誰も何も言わなかった。

偶然とは思えない。

なぜ診療所跡の地下を、その翌年に改修したのか。



さらに進むと、小さな部屋へたどり着いた。

部屋というより、管理室のようだった。

壁には古いモニターが四台。

配線は埃をかぶっている。

「監視室?」

健太が近づく。

机の上にはノートが置かれていた。

ページをめくる。

そこには日付と時刻だけが並んでいる。



八月二十六日 22:00 異常なし

八月二十七日 22:00 八名確認

八月二十八日 22:00 一名消失



「……。」

四人は言葉を失う。

美咲が震える指で次のページをめくる。



令和八年 八月二十五日 22:00 八名確認



その下だけ、まだ何も書かれていない。

今年の日付だった。

「今年……。」

結衣が青ざめる。

「誰かが最近まで使ってる。」

机には埃が積もっていない。

椅子も新しい。

数日前まで人が座っていたようだった。



その時だった。

突然、部屋の隅で電子音が鳴る。

ピッ……。

四人は飛び上がった。

古いモニターが、一台だけ点灯したのだ。

ザーッという砂嵐の後、白黒の映像が映し出される。

映っていたのは――

ペンションのロビー。

「これ……監視カメラ?」

結衣が息をのむ。

映像には現在のロビーが映っている。

オーナーの修一。

真理子。

そして残っている宿泊客二人が、不安そうに話し合っている姿。

「リアルタイム?」

健太が画面へ近づく。

その時。

画面の端を、誰かが横切った。

白いワンピース姿。

長い黒髪。

一瞬だけ映り込み、そのまま廊下へ消える。

「今の!」

奈々が叫ぶ。

健太は映像を止めようとするが、古い機械にはそんな機能はない。

「誰だ?」

美咲は画面を凝視する。

ロビーにいた修一たちは、その人物にまったく気付いていない。

まるでカメラだけが捉えた存在のようだった。

しかし次の瞬間、美咲はあることに気付く。

「待って。」

「どうした?」

「時計。」

ロビーの柱時計を見る。

映像では午後九時四十分を指している。

だが今の時刻は、スマートフォンで確認すると午前零時十分だった。

「この映像……今じゃない。」

「録画映像?」

健太がつぶやく。

「でも、どうして勝手に再生された?」



その時、部屋の外から足音が聞こえた。

コツ。

コツ。

コツ。

四人は息を止める。

ライトを消す。

足音は管理室の前で止まった。

ドアノブがゆっくり回る。

しかし鍵が掛かっているのか、開かない。

静かな男の声が聞こえた。

「……誰か入ったな。」

聞き覚えのない声だった。

もう一人が答える。

「監視室を調べろ。」

健太は美咲たちへ手で合図する。

(声を出すな。)

全員が頷く。

だが、その瞬間。

結衣のポケットの中で、スマートフォンが小さく震えた。

ブルッ。

全員の顔色が変わる。

電波がないはずのスマートフォンに、通知が届いたのだ。

画面には、送り主不明のメッセージが一件だけ表示されていた。

「八人目は、あなたたちの中にいる。」

結衣は震える手で画面を見つめた。

その直後――

ガンッ!!

管理室のドアが外から激しく叩かれた。

「開けろ!」

男の怒鳴り声が地下に響き渡る。

美咲たちは逃げ場を探して部屋を見回した。

そして健太は、部屋の奥にある古びた換気口へ視線を向ける。

「まだ道がある……!」

四人は最後の望みをかけて、換気口へ向かって走り出した。

「健太!」

美咲が叫ぶ。

健太は部屋の奥にある古い換気口へ駆け寄り、格子を力いっぱい押した。

ギシッ……。

びくともしない。

外では男たちがドアを激しく叩いている。

ドン!

ドン!

「開けろ!」

「中にいるのは分かっている!」

結衣は震えながら壁際へ下がった。

「もう駄目……。」

奈々も青ざめた顔で立ち尽くしている。

美咲は換気口を見つめた。

格子は錆びている。

だが、固定しているネジだけは新しい。

「健太!」

「分かってる!」

健太は鉄パイプを振り上げた。

ガン!

一本目のネジが飛ぶ。

ガン!

二本目。

バキッ!

格子が外れた。

「開いた!」

換気口は思ったより広い。

一人ずつなら何とか通れそうだ。

「美咲、先に!」

「でも……。」

「早く!」

ドアが軋み始める。

もう時間はない。

美咲は腹ばいになり、狭い換気口へ身体を滑り込ませた。

続いて奈々。

結衣。

最後に健太。

その直後――

バァン!!

管理室のドアが破壊された。

「逃げたぞ!」

男の怒声が響く。

懐中電灯の光が換気口の入口を照らす。

「こっちだ!」

健太は必死に這い進む。

後ろでは誰かが格子を引き剥がす音が聞こえていた。



換気口は人がやっと通れるほどの細い通路だった。

埃が舞い、息苦しい。

「あと少し……。」

先頭の美咲は、微かな風を感じた。

湿った地下の空気ではない。

草と土の匂いが混じっている。

「外だ!」

力を込める。

その瞬間、目の前の板が外れ、美咲は草むらへ転がり出た。

夜空だった。

雲の切れ間から月明かりが差し込んでいる。

「出られた!」

続いて奈々、結衣、健太も地上へ這い出る。

四人は息を切らしながら周囲を見回した。

そこはペンションの裏山だった。

建物から百メートルほど離れた斜面。

木々に隠れ、入口は外からでは絶対に分からない。

「地下道はここにつながってたんだ。」

健太が振り返る。

岩陰に巧妙に隠された鉄製の扉。

苔が生え、遠目には岩壁にしか見えない。

「これじゃ誰も気付かない……。」

美咲は寒気を覚えた。

つまり犯人は、この道を使って自由に出入りできる。

「土砂崩れで閉じ込められた」という状況そのものが、完全な密室ではなかったのだ。



その時だった。

遠くで懐中電灯の光が揺れた。

「探してる!」

男たちだ。

四人は急いで林の中へ身を隠した。

木々の隙間から、二人の男が地下道の出口へやって来るのが見えた。

一人は黒いレインコート。

もう一人は帽子を深くかぶり、顔が見えない。

「逃げられたか。」

低い声。

「まだ遠くへは行けない。」

「問題は高橋だ。」

もう一人が答える。

「生かしておく理由はない。」

美咲は思わず息をのんだ。

高橋は生きている。

しかし命を狙われている。

「急ごう。」

男たちは再び地下へ戻っていった。



「警察に知らせよう!」

結衣がスマートフォンを取り出す。

画面には、電波が一本だけ立っていた。

「今なら!」

110番を押す。

発信。

全員が固唾をのんで見守る。

しかし――

圏外

電波はすぐに消えた。

「そんな……。」

結衣は肩を落とす。

「場所によって入るみたいだ。」

健太が周囲を見渡す。

「もっと高い場所へ行けば通じるかもしれない。」

美咲はふとペンションを見上げた。

二階の東側の窓。

そこに、人影が立っていた。

白い服。

長い髪。

じっとこちらを見つめている。

「……。」

目をこらす。

次の瞬間、雲が月を隠した。

闇が辺りを包む。

再び月明かりが差した時には、その人影は消えていた。

「どうした?」

健太が尋ねる。

美咲は少し迷ってから首を振った。

「……何でもない。」

今見たものを口にすれば、みんなを余計に混乱させるだけだと思った。

だが胸の中では、一つの疑問が膨らみ続けていた。

あれは本当に人だったのか。

それとも、見間違いだったのか。



四人は林を抜け、誰にも見つからないよう裏口からペンションへ戻った。

ロビーには修一と真理子、それに残る宿泊客二人が集まっていた。

修一は四人の泥だらけの姿を見ると、驚いたように立ち上がる。

「君たち、一体どこへ行っていたんだ!」

健太は一瞬だけ美咲と視線を交わした。

地下道の存在を今ここで話すべきか。

それとも、まだ伏せておくべきか。

その答えを出す前に、美咲の視線がロビーの掲示板に向いた。

宿泊者名簿。

そこには宿泊客全員の名前が書かれている。

美咲は人数を数え始めた。

一人。

二人。

三人。

四人。

五人。

六人。

七人。

そして――

八人目。

そこには、誰も知らない名前が一つだけ、新しく書き加えられていた。

「佐伯 彩花」

美咲の背筋に冷たいものが走る。

誰が書いたのか。

いつ書かれたのか。

誰も気付かなかったその名前が、まるで最初からそこにあったかのように、静かに記されていた。

美咲はゆっくりと振り返る。

しかし、その瞬間にはもう、掲示板の前に立っていたはずの白い服の人物は姿を消していた。