次の日の朝、起きたとき、最初に考えたのは屋上のことだった。
あれは夢だったのだろうか。
でも、スケッチブックを開くと、昨日の夜に描き加えた絵がそこにあった。ステージの上に立っている、小さなわたし。夢なら、これは描けない。
だから夢じゃなかった。
ということは、きゅるるも、光るステージも、本物だったことになる。
朝ごはんを食べながら、そのことを何度も頭の中で確かめた。リスとフェネックを合わせたみたいな、星型の耳を持つ小動物。生意気なのに、どこかやさしい声。そして、わたしが描いた衣装が本物になった、あの瞬間。
学校へ行く足が、昨日より少しだけ軽かった。
☆
教室に入ると、いつもと変わらない朝だった。
花咲こころちゃんが、黒板の前で友だちとにぎやかに話している。ひなのちゃんはもう席に座って本を読んでいた。ルナちゃんは友だちに囲まれて笑いながら、なにか動画を見せている。
わたしは自分の席に座って、鞄からスケッチブックをそっと取り出した。
ひなのちゃんが顔を上げた。
「おはよう、みらいちゃん」
「おはよう」
それだけ言って、ひなのちゃんはまた本に戻った。それがひなのちゃんのいつもの朝の挨拶で、わたしはそれでじゅうぶんだった。
スケッチブックを膝に置いて、昨日のドレスの絵を見つめた。
また、行ってもいいのかな。
そう思っていると、窓から風が吹いてきた。べつに何でもない、ただの朝の風。でも、なんとなく背中を押された気がした。
☆
放課後、わたしは屋上への階段を一人で上った。
今日は、紙は飛ばない。誰かに呼ばれているわけでもない。でも、足は自然と向かっていた。
ドアは昨日と同じように、少しだけ開いていた。押すと、きいと音がして、屋上の空気が流れこんできた。
きゅるるはいた。
ステージの端の手すりに座って、大きなしっぽを振り子みたいに左右に揺らしながら、空を見上げていた。わたしが来たことに気づくと、ゆっくり顔を向けた。
「来たきゅる」
「……来た」
「はやかったきゅる」
「学校が終わったらすぐ来たから」
「ふうん」
きゅるるはそれだけ言って、また空を見た。特に驚くでも喜ぶでもなく、当たり前みたいな顔をしている。でもしっぽが少しだけ速く揺れていたから、嬉しかったのかもしれない。
わたしはきゅるるの隣に立って、同じ方向を見た。夕方の空は、薄いオレンジと水色が混ざっていた。雲が少しだけあって、端がうっすらと金色に光っている。
「きゅるる、今日もステージが開くの?」
「開くきゅる。みらいが来たから」
「わたしが来たから?」
「みらいのきらめきがないと、ステージの光は灯らないきゅる」
それはどういう意味なのか、うまく分からなかった。でも、なんだか不思議とうれしかった。わたしがいないと、という言葉に。
「今日は、もう少しちゃんとステージに立ってみるきゅる」
「えっ」
「昨日は衣装を着ただけきゅる。今日は、立つきゅる」
昨日は、絵から本物のドレスが出てきて、そのドレスが勝手にわたしを着た。
わたしの中では、もう最終回くらいの出来事だった。
でも、きゅるるにとっては、まだ第一歩らしい。
「……歌えないよ、わたし」
「歌わなくていいきゅる」
「ダンスも、できない」
「しなくていいきゅる」
「じゃあ、何をするの?」
きゅるるはわたしを見て、真剣な顔で言った。
「立つだけでいいきゅる。最初は」
☆
きゅるるが手を叩くと、昨日と同じように光が灯った。
でも今日は、昨日より少しだけ明るかった。ステージの照明がやわらかく温まって、木の床が光を反射している。袖の方に小さな星形の飾りがいくつか浮かんで、ふわりふわりと揺れていた。
昨日のドレスが、また現れた。
夜空色のワンピース。小さな星の飾り。胸のリボン。袖のレース。
わたしはそれを受け取って、きゅるるに背を向けてドレスを着た。なんとなく不思議なのは、それがとても自然に体に合うことで、きつくもゆるくもなかった。まるで最初からわたしのサイズで作られていたみたいに。
当たり前か、と思った。わたしが描いたんだから。
「行くきゅる」
きゅるるに促されて、ステージへの短い階段を上った。三段だけの低い段差。でも、その三段がすごく遠く感じた。
一段目。
二段目。
三段目を上ったとき、ライトがまっすぐわたしを照らした。
足が止まった。
眩しいとか、怖いとか、そういう感情が全部いっぺんに来て、どれが一番かも分からなかった。とにかく動けなかった。
「みらい」
きゅるるがステージの下から見上げている。
「足、震えてるきゅる」
「……分かってる」
「震えたまま立てばいいきゅる」
「それで大丈夫なの?」
「大丈夫きゅる。震えながら立ってる子を、ステージは笑わないきゅる」
それはきゅるるの言う「ステージ」が何かを知っているということで、わたしはそれが少し気になったけれど、今は考えられなかった。
ライトが温かかった。
夕方の光じゃなくて、ちゃんとした舞台の光。それがわたしのドレスに当たって、星の飾りがきらきらと反射した。
思っていたより、きれいだった。
ドレスが、こんなにきれいだったんだ。
スケッチブックの中だと分からなかった。絵の中では白黒か、せいぜい薄い色鉛筆で描いただけで、こんな風に光るものだとは思っていなかった。
いつもは髪に隠れがちな自分の顔が、ライトの中では少しだけ違って見えた。足の震えが、少しだけ小さくなった。
☆
どのくらい立っていたのか分からないとき、屋上へのドアの方から声がした。
「あれ、誰かいる」
心臓が止まるかと思った。
振り向くと、野月ルナちゃんが立っていた。
ルナちゃんも制服姿で、動きやすいようにスニーカーを履いていた。いつもは肩の上で揺れている髪を、今日は後ろでまとめている。手にはスマートフォンを持っていた。
わたしのことを見て、ルナちゃんは少しだけ目を丸くした。
「……星岡さん?」
名前を呼ばれた。ルナちゃんに、ちゃんと。わたしのことをルナちゃんが知っていた、ということにまずびっくりした。
「あ、えっと……」
「なんでそんなかわいいドレス着てるの? ここで何してるの?」
ルナちゃんは不思議そうにしながらも、怖そうじゃなかった。責めている感じもない。ただ純粋に、どういうこと? という顔をしていた。
わたしは答えられなくて、助けを求めてきゅるるを見た。
きゅるるはステージの影の方にいて、わたしにだけ見えるように、こそっとウインクした。
「きゅるるのことは、見えるときと見えないときがあるきゅる。ルナには、今はぼくは見えてないきゅる」
小声でそう言った。わたしにだけ届く声らしかった。
「じゃあ、わたしはなんでここにいることになるの?」
「正直に言えばいいきゅる。全部じゃなくていいから」
その答えは少し不親切だと思ったけれど、ルナちゃんはもう屋上に入ってきていた。
「この屋上、入っちゃいけないって聞いてたんだけど……わたしもここ、ちょっと気になってたんだよね。古いステージがあるって」
ルナちゃんはきょろきょろとあたりを見て、ステージを見つけると、ぱっと顔が明るくなった。
「ほんとだ、ステージがある。なんかライト、ついてる」
「……うん」
「なんで?」
「わからない、です」
嘘ではなかった。正確なことはよく分からないのだから。
ルナちゃんはしばらく考えるような顔をして、それからステージを見上げた。
「ねえ、わたしもちょっと上がっていい?」
☆
ルナちゃんがステージに上がると、雰囲気がまるで変わった。
それは本当に、そう感じた。さっきまでわたしが震えながら立っていた場所に、ルナちゃんが立った途端、ライトがなんだか自然に馴染んだ気がした。
ルナちゃんは慣れているんだ。こういう場所に立つことに。
「ちょっとだけ、いい?」
ルナちゃんはそう言って、スマホで音楽をかけた。明るいポップな曲で、わたしが聴いたことのある曲だった。きらめき☆あまみのテーマ曲だと思う。
それに合わせて、ルナちゃんが動き始めた。
すごかった。
ただの言葉でしか表せないけれど、本当にすごかった。体が音楽に溶けているみたいで、足が、腕が、首の傾け方まで全部、音のリズムの一部になっていた。笑顔も自然で、ステージの照明を浴びながら踊るルナちゃんは、学校で見るときよりもずっとずっと輝いていた。
わたしは端の方に立って、ただ見ていた。
こんな子と、同じステージに立っていた。
さっきまで足が震えていたのに、ここにいていいのかなと思っていたのに、それはそれとして、やっぱりルナちゃんはまぶしかった。
曲が終わって、ルナちゃんは息を整えながらわたしを見た。
「どうだった?」
「……かっこよかった」
正直な感想だった。ルナちゃんは少し照れたように笑った。
「ありがと。でも、まだ全然だよ。新しい振り、まだ体に入ってないとこあって」
「全然に見えなかった」
「そう?」
ルナちゃんは少し首を傾けた。それが謙遜なのか本心なのか、わたしには読めなかった。
「ねえ、星岡さんのそのドレス、すごくかわいいんだけど」
急に話が変わって、わたしは少し固まった。
「自分で選んだの? どこのやつ?」
「……自分で、デザインした」
「えっ」
ルナちゃんの目が丸くなった。
「自分で? 作ったの?」
「作ったわけじゃなくて、描いたら……なんか、できてた」
「なんか、できてた……」
ルナちゃんは少し考えるような顔をして、それからドレスに近づいてきた。袖のレースをそっと触って、星の飾りを指先でなぞった。
「すごくきれい。この星の飾り、細かくて……こんなの、よく思いつくね」
その声がやわらかかったから、わたしは思わず少しだけ正直になった。
「ずっと、こういう衣装が好きで。スケッチブックに描いてて」
「うそ、見せて」
「えっ、恥ずかしい」
「なんで? こんなにかわいいのに」
ルナちゃんには悪意がなかった。本当にただ、かわいいと思って言っている顔をしていた。
わたしは鞄を取って、ゆっくりスケッチブックを出した。
本当は誰にも見せたことがない。でも今日は、なぜかそれが少しだけできそうな気がした。
ルナちゃんはスケッチブックを受け取って、一ページずつゆっくりめくった。
何も言わなかった。
その沈黙が怖くて、早く返してほしいと思い始めたとき、ルナちゃんがぽつりと言った。
「すごいじゃん、これ」
「……え?」
「センスがある。なんていうか、見てると、ここに立ちたくなるような衣装ばかりで」
そう言って、ルナちゃんは顔を上げてわたしを見た。
「ねえ、星岡さん」
「……なに?」
ルナちゃんは、笑った。
教室で見るときと同じ、明るい笑顔。でも、今は少しだけ違う光を持っているような気がした。ステージの上で、照明を背にした笑顔だから、かもしれない。
「みらい、って呼んでいいよね。ねえ、みらい。わたしと一緒に、ステージ出てみない?」
その言葉が、夕方の屋上にやわらかく広がった。
きゅるるが影の方で、しっぽをぱたりと揺らしたのが見えた。
わたしはすぐに答えられなかった。
でも、ドレスの星の飾りが、ルナちゃんの言葉に反応するみたいに、きらりと一度だけ光った。
あれは夢だったのだろうか。
でも、スケッチブックを開くと、昨日の夜に描き加えた絵がそこにあった。ステージの上に立っている、小さなわたし。夢なら、これは描けない。
だから夢じゃなかった。
ということは、きゅるるも、光るステージも、本物だったことになる。
朝ごはんを食べながら、そのことを何度も頭の中で確かめた。リスとフェネックを合わせたみたいな、星型の耳を持つ小動物。生意気なのに、どこかやさしい声。そして、わたしが描いた衣装が本物になった、あの瞬間。
学校へ行く足が、昨日より少しだけ軽かった。
☆
教室に入ると、いつもと変わらない朝だった。
花咲こころちゃんが、黒板の前で友だちとにぎやかに話している。ひなのちゃんはもう席に座って本を読んでいた。ルナちゃんは友だちに囲まれて笑いながら、なにか動画を見せている。
わたしは自分の席に座って、鞄からスケッチブックをそっと取り出した。
ひなのちゃんが顔を上げた。
「おはよう、みらいちゃん」
「おはよう」
それだけ言って、ひなのちゃんはまた本に戻った。それがひなのちゃんのいつもの朝の挨拶で、わたしはそれでじゅうぶんだった。
スケッチブックを膝に置いて、昨日のドレスの絵を見つめた。
また、行ってもいいのかな。
そう思っていると、窓から風が吹いてきた。べつに何でもない、ただの朝の風。でも、なんとなく背中を押された気がした。
☆
放課後、わたしは屋上への階段を一人で上った。
今日は、紙は飛ばない。誰かに呼ばれているわけでもない。でも、足は自然と向かっていた。
ドアは昨日と同じように、少しだけ開いていた。押すと、きいと音がして、屋上の空気が流れこんできた。
きゅるるはいた。
ステージの端の手すりに座って、大きなしっぽを振り子みたいに左右に揺らしながら、空を見上げていた。わたしが来たことに気づくと、ゆっくり顔を向けた。
「来たきゅる」
「……来た」
「はやかったきゅる」
「学校が終わったらすぐ来たから」
「ふうん」
きゅるるはそれだけ言って、また空を見た。特に驚くでも喜ぶでもなく、当たり前みたいな顔をしている。でもしっぽが少しだけ速く揺れていたから、嬉しかったのかもしれない。
わたしはきゅるるの隣に立って、同じ方向を見た。夕方の空は、薄いオレンジと水色が混ざっていた。雲が少しだけあって、端がうっすらと金色に光っている。
「きゅるる、今日もステージが開くの?」
「開くきゅる。みらいが来たから」
「わたしが来たから?」
「みらいのきらめきがないと、ステージの光は灯らないきゅる」
それはどういう意味なのか、うまく分からなかった。でも、なんだか不思議とうれしかった。わたしがいないと、という言葉に。
「今日は、もう少しちゃんとステージに立ってみるきゅる」
「えっ」
「昨日は衣装を着ただけきゅる。今日は、立つきゅる」
昨日は、絵から本物のドレスが出てきて、そのドレスが勝手にわたしを着た。
わたしの中では、もう最終回くらいの出来事だった。
でも、きゅるるにとっては、まだ第一歩らしい。
「……歌えないよ、わたし」
「歌わなくていいきゅる」
「ダンスも、できない」
「しなくていいきゅる」
「じゃあ、何をするの?」
きゅるるはわたしを見て、真剣な顔で言った。
「立つだけでいいきゅる。最初は」
☆
きゅるるが手を叩くと、昨日と同じように光が灯った。
でも今日は、昨日より少しだけ明るかった。ステージの照明がやわらかく温まって、木の床が光を反射している。袖の方に小さな星形の飾りがいくつか浮かんで、ふわりふわりと揺れていた。
昨日のドレスが、また現れた。
夜空色のワンピース。小さな星の飾り。胸のリボン。袖のレース。
わたしはそれを受け取って、きゅるるに背を向けてドレスを着た。なんとなく不思議なのは、それがとても自然に体に合うことで、きつくもゆるくもなかった。まるで最初からわたしのサイズで作られていたみたいに。
当たり前か、と思った。わたしが描いたんだから。
「行くきゅる」
きゅるるに促されて、ステージへの短い階段を上った。三段だけの低い段差。でも、その三段がすごく遠く感じた。
一段目。
二段目。
三段目を上ったとき、ライトがまっすぐわたしを照らした。
足が止まった。
眩しいとか、怖いとか、そういう感情が全部いっぺんに来て、どれが一番かも分からなかった。とにかく動けなかった。
「みらい」
きゅるるがステージの下から見上げている。
「足、震えてるきゅる」
「……分かってる」
「震えたまま立てばいいきゅる」
「それで大丈夫なの?」
「大丈夫きゅる。震えながら立ってる子を、ステージは笑わないきゅる」
それはきゅるるの言う「ステージ」が何かを知っているということで、わたしはそれが少し気になったけれど、今は考えられなかった。
ライトが温かかった。
夕方の光じゃなくて、ちゃんとした舞台の光。それがわたしのドレスに当たって、星の飾りがきらきらと反射した。
思っていたより、きれいだった。
ドレスが、こんなにきれいだったんだ。
スケッチブックの中だと分からなかった。絵の中では白黒か、せいぜい薄い色鉛筆で描いただけで、こんな風に光るものだとは思っていなかった。
いつもは髪に隠れがちな自分の顔が、ライトの中では少しだけ違って見えた。足の震えが、少しだけ小さくなった。
☆
どのくらい立っていたのか分からないとき、屋上へのドアの方から声がした。
「あれ、誰かいる」
心臓が止まるかと思った。
振り向くと、野月ルナちゃんが立っていた。
ルナちゃんも制服姿で、動きやすいようにスニーカーを履いていた。いつもは肩の上で揺れている髪を、今日は後ろでまとめている。手にはスマートフォンを持っていた。
わたしのことを見て、ルナちゃんは少しだけ目を丸くした。
「……星岡さん?」
名前を呼ばれた。ルナちゃんに、ちゃんと。わたしのことをルナちゃんが知っていた、ということにまずびっくりした。
「あ、えっと……」
「なんでそんなかわいいドレス着てるの? ここで何してるの?」
ルナちゃんは不思議そうにしながらも、怖そうじゃなかった。責めている感じもない。ただ純粋に、どういうこと? という顔をしていた。
わたしは答えられなくて、助けを求めてきゅるるを見た。
きゅるるはステージの影の方にいて、わたしにだけ見えるように、こそっとウインクした。
「きゅるるのことは、見えるときと見えないときがあるきゅる。ルナには、今はぼくは見えてないきゅる」
小声でそう言った。わたしにだけ届く声らしかった。
「じゃあ、わたしはなんでここにいることになるの?」
「正直に言えばいいきゅる。全部じゃなくていいから」
その答えは少し不親切だと思ったけれど、ルナちゃんはもう屋上に入ってきていた。
「この屋上、入っちゃいけないって聞いてたんだけど……わたしもここ、ちょっと気になってたんだよね。古いステージがあるって」
ルナちゃんはきょろきょろとあたりを見て、ステージを見つけると、ぱっと顔が明るくなった。
「ほんとだ、ステージがある。なんかライト、ついてる」
「……うん」
「なんで?」
「わからない、です」
嘘ではなかった。正確なことはよく分からないのだから。
ルナちゃんはしばらく考えるような顔をして、それからステージを見上げた。
「ねえ、わたしもちょっと上がっていい?」
☆
ルナちゃんがステージに上がると、雰囲気がまるで変わった。
それは本当に、そう感じた。さっきまでわたしが震えながら立っていた場所に、ルナちゃんが立った途端、ライトがなんだか自然に馴染んだ気がした。
ルナちゃんは慣れているんだ。こういう場所に立つことに。
「ちょっとだけ、いい?」
ルナちゃんはそう言って、スマホで音楽をかけた。明るいポップな曲で、わたしが聴いたことのある曲だった。きらめき☆あまみのテーマ曲だと思う。
それに合わせて、ルナちゃんが動き始めた。
すごかった。
ただの言葉でしか表せないけれど、本当にすごかった。体が音楽に溶けているみたいで、足が、腕が、首の傾け方まで全部、音のリズムの一部になっていた。笑顔も自然で、ステージの照明を浴びながら踊るルナちゃんは、学校で見るときよりもずっとずっと輝いていた。
わたしは端の方に立って、ただ見ていた。
こんな子と、同じステージに立っていた。
さっきまで足が震えていたのに、ここにいていいのかなと思っていたのに、それはそれとして、やっぱりルナちゃんはまぶしかった。
曲が終わって、ルナちゃんは息を整えながらわたしを見た。
「どうだった?」
「……かっこよかった」
正直な感想だった。ルナちゃんは少し照れたように笑った。
「ありがと。でも、まだ全然だよ。新しい振り、まだ体に入ってないとこあって」
「全然に見えなかった」
「そう?」
ルナちゃんは少し首を傾けた。それが謙遜なのか本心なのか、わたしには読めなかった。
「ねえ、星岡さんのそのドレス、すごくかわいいんだけど」
急に話が変わって、わたしは少し固まった。
「自分で選んだの? どこのやつ?」
「……自分で、デザインした」
「えっ」
ルナちゃんの目が丸くなった。
「自分で? 作ったの?」
「作ったわけじゃなくて、描いたら……なんか、できてた」
「なんか、できてた……」
ルナちゃんは少し考えるような顔をして、それからドレスに近づいてきた。袖のレースをそっと触って、星の飾りを指先でなぞった。
「すごくきれい。この星の飾り、細かくて……こんなの、よく思いつくね」
その声がやわらかかったから、わたしは思わず少しだけ正直になった。
「ずっと、こういう衣装が好きで。スケッチブックに描いてて」
「うそ、見せて」
「えっ、恥ずかしい」
「なんで? こんなにかわいいのに」
ルナちゃんには悪意がなかった。本当にただ、かわいいと思って言っている顔をしていた。
わたしは鞄を取って、ゆっくりスケッチブックを出した。
本当は誰にも見せたことがない。でも今日は、なぜかそれが少しだけできそうな気がした。
ルナちゃんはスケッチブックを受け取って、一ページずつゆっくりめくった。
何も言わなかった。
その沈黙が怖くて、早く返してほしいと思い始めたとき、ルナちゃんがぽつりと言った。
「すごいじゃん、これ」
「……え?」
「センスがある。なんていうか、見てると、ここに立ちたくなるような衣装ばかりで」
そう言って、ルナちゃんは顔を上げてわたしを見た。
「ねえ、星岡さん」
「……なに?」
ルナちゃんは、笑った。
教室で見るときと同じ、明るい笑顔。でも、今は少しだけ違う光を持っているような気がした。ステージの上で、照明を背にした笑顔だから、かもしれない。
「みらい、って呼んでいいよね。ねえ、みらい。わたしと一緒に、ステージ出てみない?」
その言葉が、夕方の屋上にやわらかく広がった。
きゅるるが影の方で、しっぽをぱたりと揺らしたのが見えた。
わたしはすぐに答えられなかった。
でも、ドレスの星の飾りが、ルナちゃんの言葉に反応するみたいに、きらりと一度だけ光った。



