あなたの色が見えなくなるまで

夕方、薄暗い路地に、雨の残り香が漂っていた。



紫。

その男を初めて視たとき、澪が感じた色はそれだった。



雨上がりの路地裏。壁にもたれかかる男の周囲には濁った紫色が静かに揺れていた。



退屈、嫌悪…。そして諦め。

まるで人生そのものに対して何も考えていないような。

そんな色を澪は見る。



「あなたが、真人さんですか?」



澪はその男に声をかけた。

柔らかい口調で、かつ凛とした声。



その男は煙草を咥えたまま、雑居ビルの壁に寄りかかっている体を少し壁から離す。



「そうだけど、まさかアンタが依頼主?」



その男——真人は声をかけてきた女性、いや少女を値踏みするように見た。

この裏路地には似つかわしくないほど綺麗なワンピース。

初老の男性を後ろに従えている少女。



「はい、はじめまして。久世澪と申します。」



優雅にお辞儀をするさまに自分と世界の違いを感じさせる。

顔を上げた澪と真人は目が合った。



怯えもない、好奇心もない。

値踏みさせるような、内側を覗くような目に思わず真人は目をそらす。



「この度はよろしくお願いしますわ。」



洗練された動作に、教育された礼儀作法。



「ははっ…、まさか令嬢本人がくるとはな。」



乾いた笑いが出る。

それを失礼ともとらず、澪は静かにほほ笑む。



「んで、今日の依頼は?」



令嬢が何だろうが、真人には関係なかった。

ただ仕事をくれるのなら何でもいい。



「では、私からご説明します。」



黒い革靴が濡れたアスファルトを踏み、澪の後ろから初老の男性が一礼をして話始めた。

白髪交じりの髪を後ろに流し、眼光鋭く真人を見る姿には隙が無い。



「初めまして、柴田真人様。久世家に仕えております、榊と申します。」



榊は懐から薄い封筒を取り出した。



「今回は、お嬢様と共にとあるパーティーへの参加をお願いします。そして封筒に入っている藤堂という男を観察してきてほしいのです。」



ふーん…と封筒を受け取り、中に入っている写真を見る。

優しそうな若い男の写真。その男がシャンパンを片手に楽しそうに笑う写真が入っていた。



「本日のパーティーは慈善事業への出資に関するものです。」



淡々と説明を続けながら榊はみおの肩へ自然に視線を流す。確認するように、守るように。



「もしも、対象が敵対行動をとった場合は、すぐさま交渉より撤退を優先してください。」

つまり、「必要なら全部壊してでも構わない」ということだ。



真人を写真から顔を上げる。

眉一つ動かさず、話を聞いている澪を一瞥する。



(この女を守りながら観察をして、藤堂ってやつが変な野郎じゃないかを判断するのか。)



改めて仕事内容を考える。

どう考えても真人は場違いだ。ましてや、貴族様の礼儀作法なんて全く知らない。



「ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。」

と榊は、懐から次の封筒を渡す。



真人が受け取り中を確認すると、思わず口笛を吹きかける額が入っていた。



「景気がいいな。」



「久世家のご令嬢の安全には変えられません。」



真人は金の入った封筒をコートに突っ込んだ。



「了解、依頼を受けるよ。」



そういって改めて澪を見た。



「ただし、お嬢サマ扱いなんて期待すんなよ。」



意地悪く言ったつもりだ。

実際にお嬢様扱いなんてわからない。



だが、澪は目を数回瞬かせた後、少しだけ口元を緩めた。



「えぇ、かまいませんわ。」



榊さん、と澪は少し体を後ろに向ける。



「真人さんへのお洋服をお渡ししてください。」



榊は会釈をしてガーメントケースを真人に渡す。



「こちらを。」



丁重に扱われたそれを開けば、中には高級ブランドのスーツが一式納められていた。



黒を基調にした細身の仕立て。



「…は?」



真人は露骨にいやそうな顔をする。



「本日の開場は会員制のレストランです。ドレスコードがございますので。」



真人はスーツと自分の今の服を見比べる。

今は黒コートにラフな服装。

裏社会の便利屋としては普通だが、高級レストランには合わない。



「サイズは事前情報から合わせております。」



どうして知ってんだよ…、と思うが相手は貴族だ。

情報の仕入れなど簡単にできるのかもしれない。



「申し訳ないですわ、久世家として隣に立っていただく方の見栄えも必要でして。」



その言い方が妙に丁寧で、真人は毒気を抜かれる。



「あー、わかったよ。着りゃあいいんだろ」



ガーメントケースを受け取りながらため息ひとつ。



「この近くに控室をご用意しております。」



と、榊は一礼した。

真人は案内された個室でスーツに袖を通した。

鏡に映る自分を見て思わず顔をしかめる。



「似合わねぇ。」



そう呟きながらネクタイを適当に締めた。



数分後、ネクタイをゆるく触りながら戻ってきた時に、澪は「お似合いです」と声をかける。



「そりゃどーも。」



荒っぽい雰囲気は残りつつも、不思議と仕立ての良さがなじんでいる。

ちょっと気まずそうに真人は視線をそらしていた。




榊が運転する車が出発し、あと20分ほどで会場につく時に澪がおもむろに聞いてきた。



「真人さん、何か事前に知っておきたいことはありますか?」



窓の外を眺めていた視線を真人はゆっくりと澪に向けた。



「…そうだな、」



少し考えてから、低く言う。



「なんでアンタみたいな、子供が来てんだ?」



「…年齢のことを言ってるのでしょうか?」



「まぁな、そっちの世界はよくわかんねえけど、そーゆーのって大人がするんじゃねえの?」



澪の第一印象は、幼く気弱そう。

まじまじと見ても二十歳にはまだなっていないだろう。



「一応、高校は卒業しています。今は18ですけど。」



「18?」



思わず聞き返した。

真人は23歳、5つも下の少女の幼さにびっくりする。



「久世家の次期当主でもございますので、こういった会食などはお嬢様が適任なのでございます。」



次期当主、この女の子が?怪訝そうに澪を見た。

18歳で次期当主まで決まっていることも真人の常識からは考えられない。

表情をほとんど変えることなくじっと真人を見てくる。



「ご心配には及びません。手慣れておりますので。」



あと…、と澪は話を進める。



「今回のパーティーには護衛を連れていくことができませんので、真人さんには友人という位置づけできていただいてもよろしいでしょうか。」



「え、てっきり護衛かと思っていたけど、違うのか。」



お願いします、と改めて澪は頭を下げた。



もう間もなく、高級車はパーティーの開場であるホテルに到着する。