ヘイスター辺境伯令嬢シャノンは、領民たちから「姫様」と呼ばれていた。
辺境の地に生きる人々にとって、遠く王都に住む王族など空想上の生物と全く同じ。彼らにとっての「姫様」とは王族ではなく、領主の一人娘であるシャノンを指す言葉だった。
そしてそのシャノンには、たいそう物騒な異名が付いていて――……
「――辺境の、毒りんご姫?」
不機嫌そうに眉をひそめる男に、使者はビクッと肩を跳ねさせた。
大国のほぼ中央に位置する王都、荘厳なる王城の一室である。
執務机で頬杖をつくのは、この大国を統べる国王。即位してまだたった半年だが、そうとは思えないほどの威圧感を備えていた。
「……はい。ランベルト陛下」
震える声を絞り出し、使者がうやうやしく頭を垂れる。
「シャノン様はご誕生のおり、天より希少な『異能』を授かりました。ただの果物であるりんごに毒を付与できる能力です」
「……ほほう? りんご限定でしかも毒とは、随分と変わり種の異能もあったものだ」
男――ランベルトは皮肉げに唇をゆがめた。
異能を持つ人間は希少だった。
ある者は癒やしの力を、ある者は植物の成長を増進させる力を、そしてまたある者は動物と意思疎通できる力を。
天から与えられる、と言われるだけあってそのどれもが現実離れしていて、かつ人々の生活の営みに役立つものだった。にも関わらず、シャノンの異能は『毒』であるらしい。
むっつりと黙り込むランベルトを見て、使者は大汗をかきながら懸命に愛想笑いを貼りつける。
「申し訳ございません、陛下。ですがヘイスター辺境領から陛下の側室候補となれるのは、『毒りんご姫』をおいて他におらぬのです。我が娘ながらとても陛下には相応しくないと、我が主ヘイスター伯は今回のお話を辞退させていただきたく」
「構わん」
使者の長口上をさえぎって、ランベルトはそっけなく告げた。
使者は一瞬あっけに取られると、みるみるうちに顔に喜色を浮かべた。「では、そのように」と一礼し、いそいそと退出しようとする。
ランベルトがにやりと笑った。
「構わんから、連れてこい」
「…………は?」
笑顔のまま硬直する使者を、ランベルトは目を細めて眺める。
自身の発言が使者に染み入るのを待ってから、再び有無を言わせぬ口調で告げた。
「辺境の毒りんご姫、シャノンを我が側室に迎え入れよう」
◇
「シャ、シャ、シャ、シャノォォォォンッ!!」
「……あら。何事ですか、お父様?」
自室の扉をノックもなしに開け放った父、ヘイスター伯をシャノンは無表情に振り向いた。その手の中には、真っ赤に熟れたみずみずしいりんごが一つ。
「シャシャシャシャノン、おおお落ち着いて聞きなさい」
「お父様がまずは落ち着いて。りんごでもいかが?」
「ええい実の父親に毒りんごを勧めるでないッ!」
一喝して、ヘイスター伯はがっくりと膝を折る。
シャノンは興味を失ったように父親から目を背けると、再び手の中のりんごに視線を落とした。色白の頬が薔薇色に輝き、うっとりした恍惚の表情を浮かべる。
「ああ。なんて深い赤なのかしら……」
「なぜだ……? なぜこんな珍妙な娘を、ランベルト陛下はお望みになるのだ。単なる気まぐれか、それとも中継ぎ王としてヤケクソになっておられるのか。ハッ、もしや辺境への嫌がらせという可能性も……!?」
「あなたはどのクッションがよろしくて? うふふ、そうなのね。この金色のがよろしいの。お、ま、せ、さん?」
「毒りんごとばっかり会話してないでお父様の話も聞いて!?」
ヘイスター伯がわあっと泣き伏した。
シャノンは小さく首をひねると、りんごを金色のクッションの上に置いた。何度も角度を変えておさまりのいい位置を探し、やがて満足したみたいに大きく頷く。
ようやくりんごから意識を離し、うずくまって泣く父親にそっと寄り添った。
「大丈夫ですわ、お父様。改めて聞くまでもなく、今のご発言から大方の事情は知れました」
「え、本当?」
ヘイスター伯が泣き濡れた顔を上げる。
シャノンは無表情のまま、ハンカチで丁寧に父親の涙と鼻水をぬぐってやった。
「はい。ランベルト陛下、というのは亡くなられた先王陛下の弟君ですよね。本来ならば先王陛下のご子息、エディ王子が王位を継がれるはずでした。が、エディ王子はまだたったの九歳。そこで、中継ぎの王としてランベルト陛下が即位されたわけです」
エディが十八歳になって成人するまでの、期間限定の王というわけだ。
ゆえに正室は迎えず、側室候補を探しているという噂はシャノンも聞いていた。中継ぎの王とはいえ相応しい身分の令嬢をと思えば、候補はそういくらもいないはず。
「わたくしも候補の一人だろうと予想はしておりました。よろしいでしょう。貴族の娘として生を受けたからには、政略結婚は避けられませんもの」
「お前は本当に、有能は有能なんだよなぁ……」
肩を落とす父親を慰めて、シャノンはすっくと立ち上がる。
無表情ながら瞳に闘志の炎を燃やし、部屋の中にずらりと並んだ愛しのりんごたちを見回した。無論、この子たちも全員王都に連れて行くつもりだ。
ニィィ……と片方の口角だけを上げ、シャノンは笑う。
「全てわたくしにお任せあれ。行って参りますわ、お父様」
「なんでそんな悪人面で笑うの?」
ヘイスター伯が力なく突っ込みを入れた。
辺境の地に生きる人々にとって、遠く王都に住む王族など空想上の生物と全く同じ。彼らにとっての「姫様」とは王族ではなく、領主の一人娘であるシャノンを指す言葉だった。
そしてそのシャノンには、たいそう物騒な異名が付いていて――……
「――辺境の、毒りんご姫?」
不機嫌そうに眉をひそめる男に、使者はビクッと肩を跳ねさせた。
大国のほぼ中央に位置する王都、荘厳なる王城の一室である。
執務机で頬杖をつくのは、この大国を統べる国王。即位してまだたった半年だが、そうとは思えないほどの威圧感を備えていた。
「……はい。ランベルト陛下」
震える声を絞り出し、使者がうやうやしく頭を垂れる。
「シャノン様はご誕生のおり、天より希少な『異能』を授かりました。ただの果物であるりんごに毒を付与できる能力です」
「……ほほう? りんご限定でしかも毒とは、随分と変わり種の異能もあったものだ」
男――ランベルトは皮肉げに唇をゆがめた。
異能を持つ人間は希少だった。
ある者は癒やしの力を、ある者は植物の成長を増進させる力を、そしてまたある者は動物と意思疎通できる力を。
天から与えられる、と言われるだけあってそのどれもが現実離れしていて、かつ人々の生活の営みに役立つものだった。にも関わらず、シャノンの異能は『毒』であるらしい。
むっつりと黙り込むランベルトを見て、使者は大汗をかきながら懸命に愛想笑いを貼りつける。
「申し訳ございません、陛下。ですがヘイスター辺境領から陛下の側室候補となれるのは、『毒りんご姫』をおいて他におらぬのです。我が娘ながらとても陛下には相応しくないと、我が主ヘイスター伯は今回のお話を辞退させていただきたく」
「構わん」
使者の長口上をさえぎって、ランベルトはそっけなく告げた。
使者は一瞬あっけに取られると、みるみるうちに顔に喜色を浮かべた。「では、そのように」と一礼し、いそいそと退出しようとする。
ランベルトがにやりと笑った。
「構わんから、連れてこい」
「…………は?」
笑顔のまま硬直する使者を、ランベルトは目を細めて眺める。
自身の発言が使者に染み入るのを待ってから、再び有無を言わせぬ口調で告げた。
「辺境の毒りんご姫、シャノンを我が側室に迎え入れよう」
◇
「シャ、シャ、シャ、シャノォォォォンッ!!」
「……あら。何事ですか、お父様?」
自室の扉をノックもなしに開け放った父、ヘイスター伯をシャノンは無表情に振り向いた。その手の中には、真っ赤に熟れたみずみずしいりんごが一つ。
「シャシャシャシャノン、おおお落ち着いて聞きなさい」
「お父様がまずは落ち着いて。りんごでもいかが?」
「ええい実の父親に毒りんごを勧めるでないッ!」
一喝して、ヘイスター伯はがっくりと膝を折る。
シャノンは興味を失ったように父親から目を背けると、再び手の中のりんごに視線を落とした。色白の頬が薔薇色に輝き、うっとりした恍惚の表情を浮かべる。
「ああ。なんて深い赤なのかしら……」
「なぜだ……? なぜこんな珍妙な娘を、ランベルト陛下はお望みになるのだ。単なる気まぐれか、それとも中継ぎ王としてヤケクソになっておられるのか。ハッ、もしや辺境への嫌がらせという可能性も……!?」
「あなたはどのクッションがよろしくて? うふふ、そうなのね。この金色のがよろしいの。お、ま、せ、さん?」
「毒りんごとばっかり会話してないでお父様の話も聞いて!?」
ヘイスター伯がわあっと泣き伏した。
シャノンは小さく首をひねると、りんごを金色のクッションの上に置いた。何度も角度を変えておさまりのいい位置を探し、やがて満足したみたいに大きく頷く。
ようやくりんごから意識を離し、うずくまって泣く父親にそっと寄り添った。
「大丈夫ですわ、お父様。改めて聞くまでもなく、今のご発言から大方の事情は知れました」
「え、本当?」
ヘイスター伯が泣き濡れた顔を上げる。
シャノンは無表情のまま、ハンカチで丁寧に父親の涙と鼻水をぬぐってやった。
「はい。ランベルト陛下、というのは亡くなられた先王陛下の弟君ですよね。本来ならば先王陛下のご子息、エディ王子が王位を継がれるはずでした。が、エディ王子はまだたったの九歳。そこで、中継ぎの王としてランベルト陛下が即位されたわけです」
エディが十八歳になって成人するまでの、期間限定の王というわけだ。
ゆえに正室は迎えず、側室候補を探しているという噂はシャノンも聞いていた。中継ぎの王とはいえ相応しい身分の令嬢をと思えば、候補はそういくらもいないはず。
「わたくしも候補の一人だろうと予想はしておりました。よろしいでしょう。貴族の娘として生を受けたからには、政略結婚は避けられませんもの」
「お前は本当に、有能は有能なんだよなぁ……」
肩を落とす父親を慰めて、シャノンはすっくと立ち上がる。
無表情ながら瞳に闘志の炎を燃やし、部屋の中にずらりと並んだ愛しのりんごたちを見回した。無論、この子たちも全員王都に連れて行くつもりだ。
ニィィ……と片方の口角だけを上げ、シャノンは笑う。
「全てわたくしにお任せあれ。行って参りますわ、お父様」
「なんでそんな悪人面で笑うの?」
ヘイスター伯が力なく突っ込みを入れた。



