さくらの約束

あれから数年。大学を卒業し、教師としての第一歩を踏み出した瀬川海は、配属先の辞令を手に、懐かしい校門の前に立っていた。
 母校、桜ヶ丘高校。
 見上げる空には、あの日二人で眺めたのと同じ、美しい満開の桜が咲き誇っていた。
 職員室へ向かう廊下、海は一人の女性とすれ違う。
 凛とした背筋、清楚にまとめられた髪。眼鏡の奥で海の鼓動が跳ねた。
「……白星、さん?」
 思わず漏れた声に、彼女が足を止める。振り向いたその顔は、あの頃よりも少し大人びていたが、海が一度たりとも忘れたことのない、あの「白星妃」だった。
 放課後、夕陽が教室をオレンジ色に染める頃、二人は思い出の教室で二人きりになった。
 彼女はもう、ノートを必要としなかった。穏やかな微笑みを浮かべ、海の隣に立つ。
「海くん。本当に、会いに来てくれたんだね」
 鈴の音のような彼女の声が、春の空気に溶ける。海は一歩、彼女に歩み寄った。
「ずっと、伝えたいことがあったんだ。あの時、君は桜が散る頃が一番綺麗だと言ったね。でも、この満開の桜には……花言葉があるんだ」
 海は少し震える声で、けれど真っ直ぐに彼女の瞳を見つめた。
「『私を忘れないで』。……それが、桜の花言葉だ」
 妃がハッとしたように目を見開く。海は続ける。
「あの日、君が『咲く頃にまた逢いたい』と言ってくれたから、僕は今日まで君を忘れるなんて一瞬もなかった。……白星さん。僕は今でも、あの頃の気持ちのままです。あなたのことが、好きなんです」
 風が吹き抜け、満開の花びらが二人の間に舞い落ちる。
 妃の大きな瞳から、一粒の涙がこぼれ落ちた。彼女はあの日、声が出なかった時と同じように、でも今度ははっきりと、確かな温度を持って言葉を紡いだ。
「私も……。私もずっと、海くんに見つけてほしくて、ここで待ってたの」