柚月が就職した会社は、家から歩いてすぐのところにあった。地元ではわりと有名な企業で、同期たちとも内定者懇親会で既に打ち解けていた。開発希望のメンバーは勤務地が違うため早々に離れてしまったけれど、同じ事務職希望のメンバーとはしばらく一緒に研修を受けた。ちなみに柚月は大学で心理学専攻だったのを買われ、マーケティング部に配属された。
「北原さん良いなぁ、家近くで。早起きせんで良いやん?」
「もし終電逃したら泊めてもらお! 飲み会の日とか」
終業後のロッカールームで、同期と先輩の数名で話をしていた。柚月が徒歩圏内に住んでいると言うと、泊めてもらえる、と言ったのは先輩社員だ。
「あ──近いけど、私、一人じゃないんで……」
「彼氏と同棲してるん?」
恋人がいることは、初日に興味本位で聞かれたので教えた。
「いえ……彼氏は遠くに住んでて……、ルームシェアしてます」
「へぇー。良いなぁ。楽しそう」
「そうですか?」
「うん。だって、慣れるまで大変かもやけど、いろいろ情報交換できるやん? 家事とか分担できるし」
「それは、確かに……」
柚月は制服をハンガーにかけてから、ロッカーに鍵をかけた。ブラウスだけは毎日洗うので、持って帰って洗濯をする。
「ルームシェアの相手って、年は一緒くらい?」
「いえ、年上です。確か、五歳上……」
「良いやん、経験豊富やし、いろんなこと教えてもらえるやん」
「はは……。料理は上手いかなぁ……」
「オシャレとかさぁ。教えてもらって、良い格好したら、仕事もできるように見えるで」
柚月は大学ではマーケティングはさらっとかじった程度だったけれど、試しに作ってみた商品紹介のポスターの完成度が高かったようで、将来の成長を期待されていた。人と話すのも苦ではないので、営業に出ても大丈夫だろう、と誰かが笑っていた。
「ちなみにやけど」
柚月がロッカールームを出ようとしていると、先輩が柚月に近づいてきた。
「なんですか……?」
「その人──男とちゃうやろな? 女やろな?」
先輩の圧がものすごくて、柚月は思わず固まってしまった。けれど嘘をつくのも後で困りそうな気がして、なかなか口を開けなかった。
「お、おと……、男です……」
「ええっ? 待て待て、彼氏のいてる娘が、独身の娘が、よその男と一緒に住んでるって、どういうこと?」
柚月の発言に、先輩は同期を引っ張って少し引いてしまった。柚月が慌ててルームシェアの経緯と普段の様子を話すと、ようやく柚月に同情してくれた。
柚月は輝生に助けられていることもあるけれど、決して、望んで男性とルームシェアしているわけではない。
「それ、彼氏にバレんようにせなあかんで」
「そうなんです……。引っ越してから〝ルームシェアしてる〟とは話したけど、相手と場所はまだ言えてなくて」
三月末にMOONで会ったとき、柚月が輝生のほうを少し見ていただけで怒られてしまった。直幹が柚月のことを真剣に好きでいてくれていると分かって嬉しかったけれど、同時にルームシェアがバレたときのことを考えると怖くなってしまった。直幹には〝全部が落ち着いたら教える〟とは言ったけれど、それがいつになるかは全く分からなかった。
ようやく先輩から解放されて社外に出て、柚月はスマホを開いた。アプリからの通知は後で見ることにして、最初に開いたのは輝生からのLINEだ。今週は柚月が食事当番だったけれど、輝生が休みだったので〝気が向いたら適当に作る〟と朝に話していた。
輝生からの連絡は、終わったら電話しろ、の一言だけだった。
柚月はため息をついてから、輝生に電話をかけた。
『もしもし? 終わったか?』
「終わったけど、どうかしたんですか?」
『いや……、晩飯、外で食べようかと思って。明日は休みだろ?』
「そうですけど、田﨑さんは仕事」
『俺は遅番だから問題ない。どうだ?』
「……わかりました。どこに行けば良いですか?」
『MOONに来い。俺はもう向かってる』
柚月がMOONの扉を開けると、カウンターの一番奥の席に輝生は座っていた。柚月は一瞬迷ってから、輝生の隣の席に着いた。彼の手元にはまだ何も出されておらず、空の灰皿だけがぽつんと置かれていた。輝生はシャツのポケットから煙草を取り出して、フィルムをめくりかけてその手を止めた。
「吸っても良いか?」
柚月は輝生が煙草を吸うのを見たことはなかったけれど、仕事から帰ってきたときに服からにおいがしていた。煙草は好きではないけれど、においは特に気にならなかった。
「どうぞ」
「あ──今はいいや、後にする」
食事する隣でにおうのは嫌だろう、と輝生はぽつりと言った。煙草のケースとライターを端に避けてから、マスターが持ってきたメニューを見ていた。
「ここ、食事もできるんですね」
柚月が輝生に言うと、俺もさっき知った、と返事が返ってきた。
「晩飯どうしようか考えながら歩いてたらマスターに会って、聞いてたら軽くならやってるって言うから」
輝生は注文を決めたようで、メニューを柚月に見せた。そのあと柚月に〝家で飲んでるようなやつで良いか?〟と聞いてから、マスターを呼んでハイネケンとファジーネーブルを注文した。
「仕事はどうだ?」
「……なんとか。まだまだ覚えることだらけで」
店内にまだ客が少なかったので、二人の声はマスターにも聞こえていたらしい。注文した飲み物を持ってきてから、不思議そうな顔をしていた。
「あんたら──、どういう関係? 年は近いけど付き合うてるようには見えんし、こないだお姉ちゃん……違う兄ちゃんと来てたよなぁ?」
マスターは落ち着いた感じで、おそらく六十歳前後だ。余計なことをあれこれ口出すようには見えなかったので、輝生は話すことにしたらしい。
「ただの同居人です。ルームシェアしてて」
輝生の言葉にマスターは驚いて、目と口を大きく開けてしまった。
「そんなら、こないだの若い兄ちゃんは、あんたの彼氏か?」
「そうです……」
「だからマスター、お願いなんですけど、もし今後こいつがその男と来ることあっても、俺のことは黙っててもらえますか?」
「おお……もちろん。絶対言わん」
マスターは両手の人差し指でバツ印を作り、自分の口に当てた。
「そしたら俺──エビピラフ。柚月は?」
「あ──レモンパスタ」
「北原さん良いなぁ、家近くで。早起きせんで良いやん?」
「もし終電逃したら泊めてもらお! 飲み会の日とか」
終業後のロッカールームで、同期と先輩の数名で話をしていた。柚月が徒歩圏内に住んでいると言うと、泊めてもらえる、と言ったのは先輩社員だ。
「あ──近いけど、私、一人じゃないんで……」
「彼氏と同棲してるん?」
恋人がいることは、初日に興味本位で聞かれたので教えた。
「いえ……彼氏は遠くに住んでて……、ルームシェアしてます」
「へぇー。良いなぁ。楽しそう」
「そうですか?」
「うん。だって、慣れるまで大変かもやけど、いろいろ情報交換できるやん? 家事とか分担できるし」
「それは、確かに……」
柚月は制服をハンガーにかけてから、ロッカーに鍵をかけた。ブラウスだけは毎日洗うので、持って帰って洗濯をする。
「ルームシェアの相手って、年は一緒くらい?」
「いえ、年上です。確か、五歳上……」
「良いやん、経験豊富やし、いろんなこと教えてもらえるやん」
「はは……。料理は上手いかなぁ……」
「オシャレとかさぁ。教えてもらって、良い格好したら、仕事もできるように見えるで」
柚月は大学ではマーケティングはさらっとかじった程度だったけれど、試しに作ってみた商品紹介のポスターの完成度が高かったようで、将来の成長を期待されていた。人と話すのも苦ではないので、営業に出ても大丈夫だろう、と誰かが笑っていた。
「ちなみにやけど」
柚月がロッカールームを出ようとしていると、先輩が柚月に近づいてきた。
「なんですか……?」
「その人──男とちゃうやろな? 女やろな?」
先輩の圧がものすごくて、柚月は思わず固まってしまった。けれど嘘をつくのも後で困りそうな気がして、なかなか口を開けなかった。
「お、おと……、男です……」
「ええっ? 待て待て、彼氏のいてる娘が、独身の娘が、よその男と一緒に住んでるって、どういうこと?」
柚月の発言に、先輩は同期を引っ張って少し引いてしまった。柚月が慌ててルームシェアの経緯と普段の様子を話すと、ようやく柚月に同情してくれた。
柚月は輝生に助けられていることもあるけれど、決して、望んで男性とルームシェアしているわけではない。
「それ、彼氏にバレんようにせなあかんで」
「そうなんです……。引っ越してから〝ルームシェアしてる〟とは話したけど、相手と場所はまだ言えてなくて」
三月末にMOONで会ったとき、柚月が輝生のほうを少し見ていただけで怒られてしまった。直幹が柚月のことを真剣に好きでいてくれていると分かって嬉しかったけれど、同時にルームシェアがバレたときのことを考えると怖くなってしまった。直幹には〝全部が落ち着いたら教える〟とは言ったけれど、それがいつになるかは全く分からなかった。
ようやく先輩から解放されて社外に出て、柚月はスマホを開いた。アプリからの通知は後で見ることにして、最初に開いたのは輝生からのLINEだ。今週は柚月が食事当番だったけれど、輝生が休みだったので〝気が向いたら適当に作る〟と朝に話していた。
輝生からの連絡は、終わったら電話しろ、の一言だけだった。
柚月はため息をついてから、輝生に電話をかけた。
『もしもし? 終わったか?』
「終わったけど、どうかしたんですか?」
『いや……、晩飯、外で食べようかと思って。明日は休みだろ?』
「そうですけど、田﨑さんは仕事」
『俺は遅番だから問題ない。どうだ?』
「……わかりました。どこに行けば良いですか?」
『MOONに来い。俺はもう向かってる』
柚月がMOONの扉を開けると、カウンターの一番奥の席に輝生は座っていた。柚月は一瞬迷ってから、輝生の隣の席に着いた。彼の手元にはまだ何も出されておらず、空の灰皿だけがぽつんと置かれていた。輝生はシャツのポケットから煙草を取り出して、フィルムをめくりかけてその手を止めた。
「吸っても良いか?」
柚月は輝生が煙草を吸うのを見たことはなかったけれど、仕事から帰ってきたときに服からにおいがしていた。煙草は好きではないけれど、においは特に気にならなかった。
「どうぞ」
「あ──今はいいや、後にする」
食事する隣でにおうのは嫌だろう、と輝生はぽつりと言った。煙草のケースとライターを端に避けてから、マスターが持ってきたメニューを見ていた。
「ここ、食事もできるんですね」
柚月が輝生に言うと、俺もさっき知った、と返事が返ってきた。
「晩飯どうしようか考えながら歩いてたらマスターに会って、聞いてたら軽くならやってるって言うから」
輝生は注文を決めたようで、メニューを柚月に見せた。そのあと柚月に〝家で飲んでるようなやつで良いか?〟と聞いてから、マスターを呼んでハイネケンとファジーネーブルを注文した。
「仕事はどうだ?」
「……なんとか。まだまだ覚えることだらけで」
店内にまだ客が少なかったので、二人の声はマスターにも聞こえていたらしい。注文した飲み物を持ってきてから、不思議そうな顔をしていた。
「あんたら──、どういう関係? 年は近いけど付き合うてるようには見えんし、こないだお姉ちゃん……違う兄ちゃんと来てたよなぁ?」
マスターは落ち着いた感じで、おそらく六十歳前後だ。余計なことをあれこれ口出すようには見えなかったので、輝生は話すことにしたらしい。
「ただの同居人です。ルームシェアしてて」
輝生の言葉にマスターは驚いて、目と口を大きく開けてしまった。
「そんなら、こないだの若い兄ちゃんは、あんたの彼氏か?」
「そうです……」
「だからマスター、お願いなんですけど、もし今後こいつがその男と来ることあっても、俺のことは黙っててもらえますか?」
「おお……もちろん。絶対言わん」
マスターは両手の人差し指でバツ印を作り、自分の口に当てた。
「そしたら俺──エビピラフ。柚月は?」
「あ──レモンパスタ」



