Bitter Peach

「しんどくないの?」
 正座した柚月を見て、輝生は短く聞いた。柚月は正座には慣れていないし、床に座ること自体あまり好きではない。それでも輝生に見られているのが辛いのと長時間の正座は足が痺れるのを予想して、黙って楽な体勢に変えた。
「改めて俺──田﨑輝生」
 輝生は荷物から名刺ケースを取り出して、一枚を柚月に渡した。
「……アパレルの、店長?」
 名刺にはアパレルショップのロゴと、輝生の名前の上に小さく〝○△店 店長〟と書かれていた。柚月でも知っている有名なブランドだ。アパレルで働いているのなら、ファッションのセンスが良いのも納得がいく。
「来週からそこに異動になった」
「へぇ……」
「それで住むとこ探してるとき、ばあちゃんがここを勧めてくれた」
 輝生は柚月に渡した名刺を見ながら言った。柚月はしばらく名刺を見てから、やがてそれをテーブルの上に置いた。
「へぇ……。田﨑さんはご両親を事故で亡くしたって聞いたんですけど、それからずっとおばあちゃんと暮らしてたんですか?」
「そう。幼稚園、いや──小学校低学年のときかな。両親と親しかったばあちゃんが引き取ってくれて、ずっと一緒に暮らしてた」
 大学までお金を出してくれて感謝しているので、就職してからは恩返しのつもりで、できることは何でもしてきた、と輝生は話した。輝生は気がきく、と祖母が言っていたのは、嘘ではないらしい。
「おばあちゃんって、どんな人なんですか?」
「……知らないの? 自分のばあちゃんなのに」
「小さいときはよく会ってたけど、こっちに引っ越してからは電話だけで……。だから、ここを貸してくれるのは嬉しかったけど、あんまり詳しいことは聞けてなくて」
 祖母との関係は悪くはないけれど、それほど親しく話せる仲ではないので深い話はしたことがない。少しだけ振り込むように言われた家賃は相場よりずいぶん安かったけれど黙って多めに振り込むことも躊躇ってしまっているし、引っ越し前に〝ヒカルちゃん〟のことも何も詳しくは聞けなかった。
「ふぅん。俺もばあちゃんに〝家賃は要らない〟って言われたけど、多めに振り込むことにしてる」
 柚月は輝生の給料を知らないけれど、きっと世間の同年代平均より多い。柚月は今は収入がないので、金銭的には貯金以外は周りに助けてもらうしかない。
「あのっ、田﨑さんって、……何センチですか? 身長。あと年齢は?」
「身長は百、八十……四か五」
 これまでに出会ったことがない数字で、柚月は思わず輝生を見上げた。柚月は百五十五cmしかないので、ほとんど三十cm差だ。
「歳は二十七」
 ということは、柚月は二十二歳なので輝生は五歳上だ。ルームシェアの相手は同年代同体格の女性だと思い込んでいたので、あまりに違いすぎてため息が出てしまう。
「あんたは? 大学四年ってことは、二十二?」
「はい」
「ずっとこっち(関西)で暮らしてたの?」
「いえ──、私も生まれたのは東京です。幼いときに父親の転勤でこっちに」
「ふぅん」
 輝生は表情を変えずに相槌を打った。次は何を話そうかと柚月が考えていると、輝生がじっと柚月のほうを見ていた。
「なんですか?」
「あんた──彼氏は?」
「……いますけど、なにか?」
「ふぅん。別に」
 柚月の答えにも輝生は特に表情を変えなかった。いない、と答えていたら違う顔をしたのだろうか、と考えてみたけれど、今のところ輝生が何を考えているのか想像もつかなかった。外見が良いのは認めるけれど、今のところ全く恋愛対象ではない。
「ルームシェアのこと、彼氏に言ってるの?」
「まだ言ってません。っていうか、言えないですよ……」
 柚月が再びため息をつくと、それもそうだな、と輝生は笑った。
「そういう田﨑さんは、いるんですか? 彼女は」
「今はいないな。……無益な付き合いはしないことにしてる」
「どういう意味ですか?」
「そのままだけど。結局別れるなら、付き合わない」
「それって……、結婚したい人じゃないと付き合わないってことですか?」
「そう」
 柚月は直幹という恋人がいるけれど、それ以前にも何人か恋人はいたけれど、将来のことを考えて選んだ相手は一人もいない。相手と結婚したいか、なんて、そういう年齢にならないと分からない。
「田﨑さんは今まで、誰とも付き合わなかったんですか?」
「……いや?」
 柚月が聞くと、輝生は少しだけ表情を変えた。
「俺──高校の頃からモテてたから、(たか)りに来る女の子は多かったな。何人か、付き合ったし」
 今のところ柚月には輝生の良いところが分からないけれど、もしも輝生のクラスメイトだったら、外見に惹かれて気になったかもしれない。
「告白されて、ですか?」
「両方。学生の頃は別れの理由なんて気にしなかったけど、大人になってから──浮気されたり、俺に親がいないって知って嫌がられたり、俺の知らないところで悪いことしてたり、そんなんが増えた。時間が勿体ないから、俺を認めてくれる(女性)以外と付き合うのはやめた」
 輝生は話しながら笑っていたけれど、ほんの少し寂しそうにも見えた。最後に恋人がいたのはいつなのだろうと想像してみたけれど分かるはずがないし、アパレルで働いているのなら周りに女性が多いので特に寂しくはないのかもしれない。
「だから俺は、今のところあんたには一切興味がない」
「……私もです」
「もし彼氏を連れてくるんだったら、自由にどうぞ」
「どうぞって……」
 寝てるところを起こされるのは嫌なのでそれ以外の時間なら、と輝生は笑うけれど、柚月は自分の家に恋人を呼んだことはないし、他人と暮らすこの家に呼べるはずもない。
「学生はお金がない。あ、彼氏って年上? だったら困らないか」
「いや、お金とか、そういう問題じゃなくて……、あのっ、ルームシェア、確定なんですか?」
「そうだけど? さっきも言ったけどあんたに興味はないし、いろいろ気になることあれば言ってくれたら守るし」
 輝生は鞄から車のキーを取り出して立ち上がり、リビングを出ようとして柚月を振り返った。
「北原──柚月だっけ? ……柚月って呼ぶから。名字だと、ばあちゃんと一緒だからややこしい」
 柚月の気持ちをほとんど無視してルームシェアを確定し、輝生は車の荷物を取りに外へ行ってしまった。車に積めるほどの数なのでたいした量はないだろう──と思ったけれど、じっとしているのも嫌で柚月は輝生を手伝いに出た。ルームシェアにはまだ納得できていないけれど、どうせなら仲良くしようと思った。