柚月も輝生も仕事以外の用事が特になかったので休日はほとんど家にいたけれど、六月になって最初の輝生の休日、彼は朝からどこかへ出掛けていった。
『そんなに遅くはならないけど、別に晩ごはん待ってくれなくて良いから』
『用意は?』
『あ──簡単で良い』
そんなことを言って、車で出掛けていった。どこへ行くのかは聞いていないけれど、仕事とは違うラフな格好をしていたし、履いた靴も革靴ではなくスニーカーだった。だからデートではないだろうと思ったけれど、東京育ちの彼が日帰り圏内で行きそうな所に心当たりもない。
柚月は休みではない平日なので、輝生が出掛けるのとほぼ同時に仕事に行った。そしていつも通りに定時で会社を出ると、いったん荷物を置きに家に帰った。
「あれ……?」
家の敷地が見えてきてから、駐車スペースに輝生の車が停まっているのが見えた。帰りが遅くなると思っていたけれど、予定より早く戻ってきたらしい。
玄関を開けると、キッチンから何かを調理している音が聞こえた。靴を脱いでリビングに入ると、美味しそうな天ぷらの匂いがしていた。
「田﨑さん、早かったんですね」
「ああ……あてが外れてな」
「──あて?」
柚月は聞いたけれど、輝生は何も答えなかった。
「そうだ、冷蔵庫にゼリーあるぞ」
「ゼリー?」
「予定が変わったから、近くの道の駅に寄ってきた」
そこで新鮮な野菜を見て晩ごはんに天ぷらをしようと思い付き、柚月にお土産のゼリーを選んでくれたらしい。冷蔵庫を開けて見ると、桃と蜜柑のゼリーが二つずつ冷えていた。貼ってあるラベルを見ると、柚月も聞いたことがある山間部の地名が書かれていた。
「ここに、用事あったんですか?」
「いや……、そこではなかった」
輝生が言いたくなさそうにしているので、柚月もそれ以上は聞かなかったし、どうでも良かった。ゼリーはあとでありがたくいただくことにして、着替えと荷物を置きにとりあえず部屋に戻る。すっかり気候も良くなってどちらかというと暑いけれど、柚月は輝生ほど簡素な服装になろうとは思わない。薄手の長袖とハーフパンツに着替え、気持ち早めに階段を下りた。
「なぁ、柚月」
「はい?」
食事のあと、柚月はソファでテレビを見ながら桃のゼリーを食べていた。スーパーで売っているものとは違い、果肉はもちろん、ゼリーの味も濃厚だった。消えていくのが勿体なくて、スプーンですくうのは少しずつだ。輝生はダイニングの椅子に座り、真剣な顔でスマホを見ていた。
「このへんで遊べる海って、やっぱ南のほうか?」
「海? ……海水浴なら、そうです。電車でも宣伝してますよ」
毎年、海水浴シーズンが近づくと、沿岸を走る電車や駅には各海水浴場を宣伝するポスターが貼られていたし、浮き輪やパラソルを持って南へ向かう若者をたくさん見かけた。ちなみに柚月は海水浴に興味はないので、中学生の頃から海では泳いでいない。
「遊びに行くんですか?」
「いや? そんな趣味はない」
それなら何を聞いたのだろう、と思ったけれど輝生は再びスマホを見ていたし、柚月もゼリーを食べたかった。少しずつスプーンですくってゆっくり口に運んでいるけれど、それほど大きい容器ではないのですぐに無くなってしまった。
「田﨑さん」
「……どうした?」
輝生はスマホを見たまま聞いた。
「あの、ゼリー美味しかったです」
「……それは良かった」
やはり輝生はスマホを見たままで、柚月のほうを見ようとはしない。何かを調べているのか、誰かと連絡を取っているのか、柚月にはわからない。食事中ではないので〝行儀が悪い〟と怒るわけではないけれど、こんなことは今までなかったので少し不思議な感覚だった。
柚月はキッチンでスプーンを洗ってから、その場で立ったまま輝生を見ていた。彼は表情を全く変えずにスマホをじっと見て、たまに画面を動かしていた。
彼の顔は何度も見ているけれど、じっと観察することはなかった。特に気にすることはなかったけれど、改めて見るととてもきれいな顔をしていた。睫が長くて、瞳は大きい。鼻はすっと通っているし輪郭もすっきりしていて、髪もちょうど良い長さで無造作に流している。
以前に〝集りに来る女の子は多かった〟と話していたけれど、きっと柚月の想像以上だったはずだ。残念ながら交際を断られた女性が何人いたのかと──
(いや、なに考えてんの私)
いつの間にか輝生を見つめてしまっていた。
(こんな人、どうでも良いし)
リビングにいてもテレビを見るしかないけれど、輝生が黙ったままなのでそれも居心地が悪い。
することがないので部屋に行こうとしていると、輝生が顔を上げた。
「何か用か?」
「……え?」
「さっき、俺を見てるような気がしたんだけど」
「いえ……何もないです」
「そうか? 言いたいことは遠慮しないで言えよ? ストレスたまるぞ」
輝生は再び、視線をスマホに戻した。
「はい。……何もないです」
「わかった。じゃあ、俺が頼んで良いか?」
「……何ですか?」
「部屋に行くなら、ついでに風呂入れといてくれ」
想定外の言葉に、柚月は一瞬、固まってしまった。
「ん? 行くんだろ?」
「はい……」
「ああ、先に入って良いぞ、もちろん」
「はい……」
柚月は言われた通り、お風呂のスイッチを入れてから部屋に戻った。十五分ほどで沸いてくれるので、その間に準備をする。
輝生と暮らすようになって三ヶ月、特に大きな出来事はなかったけれど。
出会った三月は、意外と料理上手だったことに驚き。
柚月が直幹にフラれた四月は、ルームシェアしていることが問題になり始めたけれど、輝生が本当に気が利く人だと知り。
五月には、合コンで失敗続きの柚月に少しだけ優しく接してくれた。
最初は〝嫌な男だ〟と思っていたけれど、今では彼の優しさが妙に心地よかった。相変わらず部屋には勝手に入ってこないし、お風呂も先に入らせてくれている。プライベートの話はあまりしないけれど、凹んでいるところにひどい塩を塗りにきたりもしない。イケメンは三日で飽きるというけれど、そんなこともない。
(まさかこれ私、田﨑さんのこと……? いやいや、違う違う)
柚月は輝生には恋愛感情をもたない──はずだった。
『そんなに遅くはならないけど、別に晩ごはん待ってくれなくて良いから』
『用意は?』
『あ──簡単で良い』
そんなことを言って、車で出掛けていった。どこへ行くのかは聞いていないけれど、仕事とは違うラフな格好をしていたし、履いた靴も革靴ではなくスニーカーだった。だからデートではないだろうと思ったけれど、東京育ちの彼が日帰り圏内で行きそうな所に心当たりもない。
柚月は休みではない平日なので、輝生が出掛けるのとほぼ同時に仕事に行った。そしていつも通りに定時で会社を出ると、いったん荷物を置きに家に帰った。
「あれ……?」
家の敷地が見えてきてから、駐車スペースに輝生の車が停まっているのが見えた。帰りが遅くなると思っていたけれど、予定より早く戻ってきたらしい。
玄関を開けると、キッチンから何かを調理している音が聞こえた。靴を脱いでリビングに入ると、美味しそうな天ぷらの匂いがしていた。
「田﨑さん、早かったんですね」
「ああ……あてが外れてな」
「──あて?」
柚月は聞いたけれど、輝生は何も答えなかった。
「そうだ、冷蔵庫にゼリーあるぞ」
「ゼリー?」
「予定が変わったから、近くの道の駅に寄ってきた」
そこで新鮮な野菜を見て晩ごはんに天ぷらをしようと思い付き、柚月にお土産のゼリーを選んでくれたらしい。冷蔵庫を開けて見ると、桃と蜜柑のゼリーが二つずつ冷えていた。貼ってあるラベルを見ると、柚月も聞いたことがある山間部の地名が書かれていた。
「ここに、用事あったんですか?」
「いや……、そこではなかった」
輝生が言いたくなさそうにしているので、柚月もそれ以上は聞かなかったし、どうでも良かった。ゼリーはあとでありがたくいただくことにして、着替えと荷物を置きにとりあえず部屋に戻る。すっかり気候も良くなってどちらかというと暑いけれど、柚月は輝生ほど簡素な服装になろうとは思わない。薄手の長袖とハーフパンツに着替え、気持ち早めに階段を下りた。
「なぁ、柚月」
「はい?」
食事のあと、柚月はソファでテレビを見ながら桃のゼリーを食べていた。スーパーで売っているものとは違い、果肉はもちろん、ゼリーの味も濃厚だった。消えていくのが勿体なくて、スプーンですくうのは少しずつだ。輝生はダイニングの椅子に座り、真剣な顔でスマホを見ていた。
「このへんで遊べる海って、やっぱ南のほうか?」
「海? ……海水浴なら、そうです。電車でも宣伝してますよ」
毎年、海水浴シーズンが近づくと、沿岸を走る電車や駅には各海水浴場を宣伝するポスターが貼られていたし、浮き輪やパラソルを持って南へ向かう若者をたくさん見かけた。ちなみに柚月は海水浴に興味はないので、中学生の頃から海では泳いでいない。
「遊びに行くんですか?」
「いや? そんな趣味はない」
それなら何を聞いたのだろう、と思ったけれど輝生は再びスマホを見ていたし、柚月もゼリーを食べたかった。少しずつスプーンですくってゆっくり口に運んでいるけれど、それほど大きい容器ではないのですぐに無くなってしまった。
「田﨑さん」
「……どうした?」
輝生はスマホを見たまま聞いた。
「あの、ゼリー美味しかったです」
「……それは良かった」
やはり輝生はスマホを見たままで、柚月のほうを見ようとはしない。何かを調べているのか、誰かと連絡を取っているのか、柚月にはわからない。食事中ではないので〝行儀が悪い〟と怒るわけではないけれど、こんなことは今までなかったので少し不思議な感覚だった。
柚月はキッチンでスプーンを洗ってから、その場で立ったまま輝生を見ていた。彼は表情を全く変えずにスマホをじっと見て、たまに画面を動かしていた。
彼の顔は何度も見ているけれど、じっと観察することはなかった。特に気にすることはなかったけれど、改めて見るととてもきれいな顔をしていた。睫が長くて、瞳は大きい。鼻はすっと通っているし輪郭もすっきりしていて、髪もちょうど良い長さで無造作に流している。
以前に〝集りに来る女の子は多かった〟と話していたけれど、きっと柚月の想像以上だったはずだ。残念ながら交際を断られた女性が何人いたのかと──
(いや、なに考えてんの私)
いつの間にか輝生を見つめてしまっていた。
(こんな人、どうでも良いし)
リビングにいてもテレビを見るしかないけれど、輝生が黙ったままなのでそれも居心地が悪い。
することがないので部屋に行こうとしていると、輝生が顔を上げた。
「何か用か?」
「……え?」
「さっき、俺を見てるような気がしたんだけど」
「いえ……何もないです」
「そうか? 言いたいことは遠慮しないで言えよ? ストレスたまるぞ」
輝生は再び、視線をスマホに戻した。
「はい。……何もないです」
「わかった。じゃあ、俺が頼んで良いか?」
「……何ですか?」
「部屋に行くなら、ついでに風呂入れといてくれ」
想定外の言葉に、柚月は一瞬、固まってしまった。
「ん? 行くんだろ?」
「はい……」
「ああ、先に入って良いぞ、もちろん」
「はい……」
柚月は言われた通り、お風呂のスイッチを入れてから部屋に戻った。十五分ほどで沸いてくれるので、その間に準備をする。
輝生と暮らすようになって三ヶ月、特に大きな出来事はなかったけれど。
出会った三月は、意外と料理上手だったことに驚き。
柚月が直幹にフラれた四月は、ルームシェアしていることが問題になり始めたけれど、輝生が本当に気が利く人だと知り。
五月には、合コンで失敗続きの柚月に少しだけ優しく接してくれた。
最初は〝嫌な男だ〟と思っていたけれど、今では彼の優しさが妙に心地よかった。相変わらず部屋には勝手に入ってこないし、お風呂も先に入らせてくれている。プライベートの話はあまりしないけれど、凹んでいるところにひどい塩を塗りにきたりもしない。イケメンは三日で飽きるというけれど、そんなこともない。
(まさかこれ私、田﨑さんのこと……? いやいや、違う違う)
柚月は輝生には恋愛感情をもたない──はずだった。



