乾杯はふたりだけの秘密

 十二月も半ばに差し掛かり、痺れを切らした結衣は、いつものお詫びと称して新田を食事に誘った。自宅最寄り駅から程近い洒落た外観の少し高級な焼き肉店を選んだのは、「男は肉で釣れる」と耳にしたことがあったからだ。
「すげえ嬉しいです! 肉なんてマジ久しぶりです。しかも先輩が個人的に誘ってくれるとか――」
 ロースターテーブルの向かいに座る新田の無邪気な笑顔に心が和み、このまま策略を仕掛けてよいものかと躊躇してしまう。
「いつものお詫びだから、遠慮せず食べてね」
「はい、いただきます!」
 新田が行儀よく手を合わせ、大きく口を開けて一口で肉を頬張ると、一瞬見開いた目が柔らかく緩んだ。
「旨っ」
 溢れ出すような至福の表情を目にして、結衣の心の中に残っていたざわつきがほどけていった。そして、自分はこの笑顔が見たかったのだと気付いた。
「で、どうかしたんですか?」
 如何にもわかっていたかのような新田の口振りに、結衣は思わず箸を止めた。
「先輩が俺を個人的に誘ってくるとか初めてなんで。……何かありますよね?」
 新田の鋭い指摘に、一瞬言葉を失った。やはり新田は、肉で釣れるような単純な男ではなかった。
「ううん、別に」
 ここで正直に「はい、そうです」と白状するわけにはいかない。
「へえ。じゃあ、純粋に俺と飯が食いたかっただけってことですか?」
「だ、だから、いつものお詫びだって言ったじゃん」
 まるで何かを探るような新田の眼差しに、思わずどぎまぎしてしまう。新田は勘が鋭い。
 結衣はグラスを手にして、残りのビールを一気に流し込み、おかわりを注文した。
 素面の新田を落とすのは、かなり手強いかもしれない。

 いい意味でも悪い意味でも、アルコールは人の心身に大きな作用を及ぼすと、結衣はつくづく思う。心をほどくこともあれば、理性を失わせ人を豹変させることもある。
 序盤、あれほど及び腰になっていたのが嘘のように緊張がほぐれて、食事と会話を楽しんでいる自分に驚いていた。のんべえ会の時と同じように、新田も楽しんでいるように見える。おそらく、もう何も勘繰ってはいないだろう。
 そうして、呑気にデザートのシャーベットまで食べて、二時間程で食事を終えて店を出た。
「先輩、大丈夫ですか? 今日はそんなに飲んでなかったと思うんですけど……」
 新田の言う通り、それほど飲んではいない。けれど、酔っている人間に限って必ずこう言うことは知っている。
「全然酔ってないよ~。大丈夫大丈夫」
「いや、漫画みたいな千鳥足ですよ。危ないですから、ほら、早く掴まってください」
 少しやりすぎたかもしれない、と反省した。新田が慌てた様子でいつものように歩道脇に屈んで促してくる。
 結衣は「大丈夫」を繰り返しながらも、最終的には新田の背中に体を預けた。
「ごめんね~。これじゃあ全然お詫びになってないよね~。かたじけないでござる~」
 あえてだらしなく新田の背中に覆い被さって横顔を盗み見しながら、こんな感じでいいのだろうか、と考える。酔っ払いは見慣れていても、自分の酔態はもちろん知らない。何が正解なのかは全くわからないけれど、とりあえず自分が知っている酔っ払いをミックスして演じてみる。
 周囲の視線が痛いと感じるのは、さほど酔っていないせいだろう。いつかまた顔を合わせるかもしれない通行人に顔バレしないようにと、結衣は新田の肩に顔を埋めた。
 それにしても、新田の背中は何故こんなにも安心できるのだろう。
 昔から、甘えるのは苦手だった。誰かに頼るより自分が支える側でいたいと、いつも気を張っていた。守られるより守ってあげたいと思ってしまう。そんな保護者気質が染みついている。それなのに、こうして新田の背中にいると肩の力が抜けてしまうのが不思議だった。