乾杯はふたりだけの秘密

「あ、黒見先輩、お疲れ様です」
 一週間ぶりに和味の暖簾をくぐると、満面に笑みを浮かべる新田の姿があり、結衣は息を呑んだ。
「あ、新田くん。お疲れ様」
「また参加させてもらってます。先輩、ここどうぞ」
 うんうん、と頷きながら、結衣は促された新田の隣に腰を下ろした。
「こないだ新田が『のんべえ会』のメンバーになりたいって言ってたから、さっそく声かけたんだよ」
 向かいに座るまさやんが枝豆を摘まみながら上機嫌で言った。
「あ、そうだったよねー」
 と、如何にも喜ばしげに笑いながら、結衣は既に帰りのことを考えていた。
 このままいくと、同じ電車でまた新田とふたりきりになってしまう。
「先輩はビールですよね?」
 新田が顔を覗き込んだ。
「ああ、うん……ビールで」
 返事すると同時に新田は振り返って手を上げ、店員に注文した。後輩の立場で気を遣っているのか、その後も皆の飲み物を気にしたり空いた皿をさげたりと、新田の甲斐甲斐しさが結衣の心をくすぐった。
 素面で酔っ払いの相手は疲れるだろう、と思いながらも、心の中では「どの口が言う」と突っ込んだ。
「新田君、食べてる?」
 そんな新田を気の毒に思い、結衣は声を掛けた。
「はい、食べてますよ。料理は旨いし、すげえ楽しいです」
 笑顔が眩しすぎて、目眩を起こしてしまいそうだ。
「ちゃんと送りますから、安心して飲んでください」
 新田の言葉に、結衣は思わず目を見開いた。
 ――突然何を言い出すの!?
 同僚二人は上司ネタで盛り上がり爆笑の最中で、こちらの会話は聞こえていないようだ。
 何も「ベッドまで運びます」と言われたわけではない。よくよく考えて、新田が口にしたのはただの気遣いの言葉だと気付いた。彼が僅かに口角を上げたのを、結衣は見逃さなかった。
 今のは、絶対にわざとだ。

 当然、帰りはふたりきりになった。
 酔ってはいたが、意識ははっきりしていた。素面の新田ほど足取り軽くとまではいかないが、おんぶは必要ない。
「歩けますか?」
 今考えていたことを見透かされてしまったように思えて、気恥ずかしさが込み上げる。
「大丈夫」
 結衣はきっぱりと言い放った。
 それでも、駅の階段を上る時はふらつかないかと慎重になった。そんな結衣のぎこちない動作を見て察したのだろう。並んで階段を上っていた新田がさりげなく後ろに回ってくれたのがわかった。指一本触れない大人の気遣いに、思わず惚れてしまいそうになる。
 かと思えば、電車に乗り込むと友達のようなノリで軽く背中に触れてくる。思わず身を引いて振り向くと、そっと押されるように空いた席へと促された。
 結衣が腰を下ろすと、新田はその前に立ち、つり革を掴んだ。
「楽しかったですね」
 言われて見上げると、柔らかな笑顔が降り注いだ。
 新田はイケメンだ。それに背が高く、手足も長くてスーツがよく似合う。会社の後輩でなければ関わりを持つことなどなく、手の届かない存在なのかもしれないと、新田に向ける乗客の恍惚とした視線で知らされた。
 あの夜の出来事は、どちらかといえば新田のほうが被害者だったのかもしれないとさえ思えてきた。
 申し訳ないことをしてしまった。
 そう思いながら、結衣は目を伏せた。