乾杯はふたりだけの秘密

 始業のチャイムが鳴ってパソコンに向かったが、全く集中できずにいた。普段ならどうということもない新田が視界に入るたびに胸がざわつく。時折視線を感じるような気がして顔を上げると、一瞬だけ目を合わせた新田が、何事もなかったように目を逸らした。
 自意識過剰? いや、あんなことがあったのだから、気にせずにはいられない。しかも、誠実な新田に嘘までつかせてしまった。このまま、なかったことになんて出来るわけがない。
 記憶を飛ばしてしまっている以上、事の真相を知っているのは新田だけということになる。無理やり酒を飲まされた未成年でもあるまいし、もうすぐ三十路を迎える女が飲み過ぎて晒した恥態は、全て自分の責任だ。相手が新田だったことだけが救いなのかもしれないと思えた。
 人を、ましてや先輩を弄って面白がるようなタイプではないとわかっているし、口が軽そうにも見えない。真面目できっちりとした性格の新田は、入社して半年だというのに、文句の付けようがないくらい完璧に仕事をこなす優秀すぎる後輩だった。そんな新田に、結衣も同僚たちも信頼を寄せていた。
 一見無口そうに見えるのは、人見知りのせいだという。そんな性格で営業の仕事が務まるのかと、入社当初は気になったが、実は人当たりが良くユーモアもあることを知った。あとは、笑顔が最高に素敵だということ――

「新田君」
 休憩所でふたりきりになったタイミングで声を掛けた。
「昨日は、その……ごめんね」
 結衣は新田の出方を窺うつもりで言った。
「え? ああ、気にしないでください」
 新田は一瞬驚いたように眉を上げてから笑みを浮かべたが、結衣が聞きたかったのは、もう少し踏み込んだ部分だった。
「かなり酔ってて、駅前の店を出た後の記憶が曖昧なんだよね」
 と、さらに探りを入れてみる。
「俺は全然嫌じゃなかったんで」
 その言葉で、今朝の自分のあられもない姿が脳裏に蘇った。
 そりゃそうだろう。ピチピチではないにしても、女として、身なりや体型維持のために結構気を使っている。恋人だって三ヶ月前までいた。勝負下着ではなかったが、普段からちゃんと上下セットを着けている。やらかしてしまったことはこの上なく恥ずかしいことだけれど、見られて恥ずかしい体はしていない。
 それでも、相手が会社の人間となると話は変わってくる。
「なかったことにしてもらえるかな」
「何をですか?」
「いや、だから、それはさぁ……」
 こんな状況にもかかわらず、新田は動揺ひとつ見せない。
「楽しかったです。また誘ってください」
 いやいやいやいや。なんでそうなる? ただの社交辞令? それとも体が目当て? いや、新田に限ってそれはないと思いたいし、そもそも、もう二度と彼を誘うことなんてないだろう。
 そう思っていたのに――