乾杯はふたりだけの秘密

 寝返りをうつと同時に背中に冷気を感じて、黒見(くろみ)結衣(ゆい)は目を覚ました。
「寒っ……えぇっっ!?」
 背中が剥き出しになっていることに違和感を覚え、布団を纏って飛び起きた。
「何で!?」
 寝起きにもかかわらず、心臓だけが全力疾走した後のようにバクバクと脈打っている。
「うーわ、怖っ」
 結衣は悲鳴のような独り言を次々と上げた。
 辛うじてショーツは履いていたものの、上は真っ裸だった。寒いのもそのはず、十月も半ばを過ぎたというのに、エアコンからは冷風が勢いよく吹き出していた。けれど、冷房を入れた記憶はない。
 そろりとベッドから降り、サイドテーブルに置かれたメモを目にした瞬間、頭の中が真っ白になった。
《鍵は新聞受けに入れておきます。新田》
 ――やってしまった。
 結衣は頭を抱えながら昨夜の記憶を辿った。

 昨日は仕事帰りに会社の飲み友達と会社近くの行きつけの居酒屋和味(なごみ)で他愛もない話に花を咲かせ、時間を忘れるほど楽しく飲んだ。店を出て解散する時、飲み会に初参加だった後輩の新田(あらた)賢吾(けんご)と自宅最寄り駅が一緒だと知って驚きつつ、ふたりで駅まで歩いて同じ電車に乗った。
 車内では最近駅前にできた人気スープカレー店の話になり、「今度一緒に行ってみよう」などと盛り上がった。ほろ酔いの結衣は気分が高揚して、駅前の居酒屋で飲み直そうと提案した。といっても、禁酒中の新田は酒を飲まない。それでも彼は、楽しい飲みの席は好きだと言って飲み会に参加し、結衣の誘いも断らなかった。
 終電を気にしなくていいことと、家のそばという安心感でつい深酒してしまい、会計を終えて立ち上がった時に初めて、歩いて帰れるか不安になるほど足元がおぼつかない状態の自分に気付いた。けれど、徒歩五分はタクシーに乗るほどの距離ではない。
 壁を伝うようにしてどうにか店を出たところで、不意にしゃがみこんだ新田に視線を落とすと、「どうぞ」と言っておんぶの体勢で見上げてきた。酔っているとはいえ、さすがにおんぶは恥ずかしいと理性が働いたが、誰かに頼るより他に無事に帰宅できる手段がないと判断した結衣は、しぶしぶ新田の背中に体を預けた。
 見た目に反して新田の背中はがっしりとしていて、その背中から伝わる力強さは不思議な安心感をもたらした。鼻腔を蕩かすほんのり甘い香水の香りと揺れが心地よくて――
 そこで記憶が途絶えている。いつもはどんなに酔っていても家に帰るまでの記憶はしっかりとあるのに、昨夜は鍵を開けた記憶もない。
 ふと我に返った結衣は時計に目をやり、慌ててバスルームに向かった。とりあえずシャワーを浴びて会社に向かわなければならない。