各駅停車のラブソング~只今絶賛、片思い中。~

「はじめまして! 私、新川栞っていいます」
毎朝、いつもの駅のホームで、栞は満面の笑みで僕にそう挨拶する。
事故の後遺症で、眠るとその日の記憶を失う「前向性健忘」の彼女。
僕たちが2年前に付き合い始めたことも、楽しかったデートの思い出も、彼女は朝が来るたびにすべて忘れてしまう。
だから、僕の毎日はいつも「はじめまして」から始まる。
「はじめまして、栞。僕は拓海。実はさ、君の落としたパスケースを拾った縁で……僕たち、付き合ってるんだよね」
僕はそう言って、嘘の恋人設定が書かれた日記を手渡す。
彼女を不安にさせないための、優しい嘘。
「偽りの恋人」として、僕は毎日違う場所へ彼女を連れ出した。
海、映画館、お気に入りのカフェ、そして各駅停車の電車の特等席。
「わあ、拓海くん、これすっごく楽しい!」
栞は毎日、初めて見る景色のように新鮮に喜び、僕に最高の笑顔を向けてくれる。
たとえ明日には忘れられてしまうとしても、この一瞬、彼女が笑ってくれればそれでいい。そう割り切っていたはずだった。
けれど、夕暮れの帰り道。電車の窓から差し込む光の中で、栞が僕の手をぎゅっと握りしめた。
「ねえ、拓海くん。私、今日が初めての日のはずなのに……どうしてかな。拓海くんの隣にいると、胸がすっごく温かくて、涙が出そうになるの」
栞の瞳から、一滴の涙がこぼれ落ちる。
記憶は消えても、心が、感情のひだのどこかが、僕を覚えているのかもしれない。
明日になれば、また僕は「はじめまして」の男に戻る。
毎日が始発駅。そして、終点駅。
それでも僕は、世界で一番切なくて愛おしい、この「1日限りの片思い」を何度だって君に捧げよう。