キャリア教育当日。
二時間目の授業を終えた俺は、校長室へ向かっていた。
はやる気持ちと戸惑いの間で、足取りがもつれそうになるのを誰にも悟られないよう、平静を装う。
それでも、胸の奥は落ち着かず、どこか高揚していた。
校長室のドアをノックして中へ入る。
そこには、応接用のソファに落ち着いた大人の雰囲気をまとった女性が腰掛けていた。
ひと目で分かった。
理緒だ。
心臓が止まりそうになるのを堪えながら、平静を装う。
「三年A組担任の藤森です。この度は、お忙しい中お時間をいただき、ありがとうございます」
そう言い終えて彼女の顔を見ると、どうやら向こうも気付いたらしかった。
「……あの……この度はお招きいただき、ありがとうございます」
「生徒たちはもう体育館に集まっています。準備はプロジェクターとマイクだけで大丈夫でしたよね」
「……あ、はい……」
自分の方が、映画のおかげで多少は心構えができていた分、まだマシかもしれない。
理緒の方が動揺しているように見えた。
「それじゃあ、体育館へ案内しますね」
「あ、はい……」
そう言って、二人で校長室を出る。
長い廊下が、いつもよりも長く感じる。
しばらく歩いたところで、隣から声が掛かった。
「……あの……藤森先輩……ですよね?」
「……うん」
「……ごめんなさい。驚いてしまって……」
「うん。俺も……」
「……教師になったんですね」
「うん」
「……この校舎、変わってないですね」
「うん」
その時、あの昇降口の前を横切った。
「……」
二人とも、何も口にできない。
沈黙だけが続く。
理緒の表情も、少し緊張しているように見えた。
そのまま体育館へ到着する。
理緒が壇上へ上がり、キャリア教育の講演が始まった。
講師として舞台に立つ理緒は、中学生の頃、副委員長の推薦を断った時の印象とはまるで違っていた。
堂々としている。
でも、きっとこれが本当の理緒なんだと思った。
講演が進み、生徒からの質問に答えるコーナーになる。
「神崎さんは、この学校の卒業生とお聞きしました。物語の舞台は、この学校ですか?」
「そうですね。この学校をイメージして書きました」
「物語は本当の話ですか?」
「……物語を書く上で、私自身の内面をさらすという意味では、実話に近い部分もありますが……」
理緒がこちらをちらりと見る。
目が合った気がした。
「……どこがその部分かは、ご想像にお任せします」
――居た堪れない……。
マイクを持つ手に力が入る。
思わず下を向き、目を閉じた。
このまま聞いていたい気持ちもなくはない。
けれど、どんな質問が飛び出すかと思うと、早く切り上げたい気持ちにもなってしまう。
「では少し話題を変えて、今日は『キャリア教育』ということで、神崎先生のお仕事について質問がある人?」
司会進行として、つい口を挟んでしまう。
理緒がどんな顔をしているのか、見ることはできなかった。
「神崎先生は、なぜ作家になったんですか?」
「……私は、正確には作家ではないんです。先ほどお伝えしたとおり、私は大学の仲間たちと起業した会社で、広報や事務を担当しています。この小説を書いたのは、偶然の積み重ねの結果です」
会場が少しざわつく。
「学生起業したと聞くと、学生の頃から特別なことをしていたのではないかと想像するかもしれません。でも、私の中学時代は、この学校に通う普通の中学生でした。
ですが、この中学校での経験、高校での経験、大学での経験。そのすべてが積み重なって、今があります。
皆さんの中にも、『今はまだ何も持っていない』とか、『諦めてしまった』とか、そう思うことがあるかもしれません。
でも、そう思っていたものが、実は自分を形作っていたと気付く瞬間が、いずれ訪れると思います。
だから、どの瞬間も大切にしてください。
そして、過去も大切にしてください」
会場が静まり返る。
俺も思わず聞き入ってしまった。
ハッとして我に返り、司会進行へ戻る。
「はい。ということで、自分は特別ではないと思っている人でも、未来で成功するための鍵は、すでに持っているかもしれない――そんなお話でした。
それでは、本日講師として来校してくださった神崎理緒先生を、拍手でお見送りしましょう」
会場が拍手に包まれる。
理緒は生徒たちの間を手を振りながら歩いていく。
体育館の出口で理緒が振り返った。
また目が合った気がしたが、すぐに遠山先生が理緒を案内していった。
――何もないはずだ。
理緒はわざわざ何かを言うような人じゃない。
それでも、理緒と遠山先生が二人で歩いている姿を想像すると、妙に落ち着かなくなる。
「それでは――」
マイクへ向かって話す。
「各学年ごとに教室へ戻ります」
普段と変わらない教師を装う。
だが心の中では、体育館の生徒たちを一刻も早く送り出したい気持ちでいっぱいだった。
二時間目の授業を終えた俺は、校長室へ向かっていた。
はやる気持ちと戸惑いの間で、足取りがもつれそうになるのを誰にも悟られないよう、平静を装う。
それでも、胸の奥は落ち着かず、どこか高揚していた。
校長室のドアをノックして中へ入る。
そこには、応接用のソファに落ち着いた大人の雰囲気をまとった女性が腰掛けていた。
ひと目で分かった。
理緒だ。
心臓が止まりそうになるのを堪えながら、平静を装う。
「三年A組担任の藤森です。この度は、お忙しい中お時間をいただき、ありがとうございます」
そう言い終えて彼女の顔を見ると、どうやら向こうも気付いたらしかった。
「……あの……この度はお招きいただき、ありがとうございます」
「生徒たちはもう体育館に集まっています。準備はプロジェクターとマイクだけで大丈夫でしたよね」
「……あ、はい……」
自分の方が、映画のおかげで多少は心構えができていた分、まだマシかもしれない。
理緒の方が動揺しているように見えた。
「それじゃあ、体育館へ案内しますね」
「あ、はい……」
そう言って、二人で校長室を出る。
長い廊下が、いつもよりも長く感じる。
しばらく歩いたところで、隣から声が掛かった。
「……あの……藤森先輩……ですよね?」
「……うん」
「……ごめんなさい。驚いてしまって……」
「うん。俺も……」
「……教師になったんですね」
「うん」
「……この校舎、変わってないですね」
「うん」
その時、あの昇降口の前を横切った。
「……」
二人とも、何も口にできない。
沈黙だけが続く。
理緒の表情も、少し緊張しているように見えた。
そのまま体育館へ到着する。
理緒が壇上へ上がり、キャリア教育の講演が始まった。
講師として舞台に立つ理緒は、中学生の頃、副委員長の推薦を断った時の印象とはまるで違っていた。
堂々としている。
でも、きっとこれが本当の理緒なんだと思った。
講演が進み、生徒からの質問に答えるコーナーになる。
「神崎さんは、この学校の卒業生とお聞きしました。物語の舞台は、この学校ですか?」
「そうですね。この学校をイメージして書きました」
「物語は本当の話ですか?」
「……物語を書く上で、私自身の内面をさらすという意味では、実話に近い部分もありますが……」
理緒がこちらをちらりと見る。
目が合った気がした。
「……どこがその部分かは、ご想像にお任せします」
――居た堪れない……。
マイクを持つ手に力が入る。
思わず下を向き、目を閉じた。
このまま聞いていたい気持ちもなくはない。
けれど、どんな質問が飛び出すかと思うと、早く切り上げたい気持ちにもなってしまう。
「では少し話題を変えて、今日は『キャリア教育』ということで、神崎先生のお仕事について質問がある人?」
司会進行として、つい口を挟んでしまう。
理緒がどんな顔をしているのか、見ることはできなかった。
「神崎先生は、なぜ作家になったんですか?」
「……私は、正確には作家ではないんです。先ほどお伝えしたとおり、私は大学の仲間たちと起業した会社で、広報や事務を担当しています。この小説を書いたのは、偶然の積み重ねの結果です」
会場が少しざわつく。
「学生起業したと聞くと、学生の頃から特別なことをしていたのではないかと想像するかもしれません。でも、私の中学時代は、この学校に通う普通の中学生でした。
ですが、この中学校での経験、高校での経験、大学での経験。そのすべてが積み重なって、今があります。
皆さんの中にも、『今はまだ何も持っていない』とか、『諦めてしまった』とか、そう思うことがあるかもしれません。
でも、そう思っていたものが、実は自分を形作っていたと気付く瞬間が、いずれ訪れると思います。
だから、どの瞬間も大切にしてください。
そして、過去も大切にしてください」
会場が静まり返る。
俺も思わず聞き入ってしまった。
ハッとして我に返り、司会進行へ戻る。
「はい。ということで、自分は特別ではないと思っている人でも、未来で成功するための鍵は、すでに持っているかもしれない――そんなお話でした。
それでは、本日講師として来校してくださった神崎理緒先生を、拍手でお見送りしましょう」
会場が拍手に包まれる。
理緒は生徒たちの間を手を振りながら歩いていく。
体育館の出口で理緒が振り返った。
また目が合った気がしたが、すぐに遠山先生が理緒を案内していった。
――何もないはずだ。
理緒はわざわざ何かを言うような人じゃない。
それでも、理緒と遠山先生が二人で歩いている姿を想像すると、妙に落ち着かなくなる。
「それでは――」
マイクへ向かって話す。
「各学年ごとに教室へ戻ります」
普段と変わらない教師を装う。
だが心の中では、体育館の生徒たちを一刻も早く送り出したい気持ちでいっぱいだった。


