まだ恋とは呼べない距離で〜スパダリ系後輩の素直すぎる愛が重い〜

映画の日、当日。

昼食を食べてから服を選ぶ。

よく考えたら、端から見たらデートに見えるんじゃないだろうか。

なのに、相手は3歳下の好青年系イケメン。

――だから何だって言うの。

クローゼットを開けて、思わずため息をつく。

仕事用の服ならいくらでもある。

けれど休日用となると話は別だ。

淡い花柄のワンピースを取り出してみる。

鏡の前で合わせる。

――歳下を意識しすぎてる。

慌てて戻す。

今度はパンツスタイル。

――いや、それじゃ仕事のときと変わらないじゃないか。

戻す。

再びため息。

私はいったい何と戦っているんだろう。

相手は神崎くんだ。

しかも映画の理由は妹さん。

後輩との付き合いなだけ。

気合いを入れる必要なんてない。

ないのだけど。

ふと、先日の会話を思い出す。

「今週末から始まるみたいなんですが、いつなら空いてますか?」

そう言ったときの神崎くんは、妙に嬉しそうだった。

大型犬みたいに。

思わず笑ってしまう。

――うん。

あんまり気負うのはやめよう。

結局、カジュアルめなワンピースを選ぶ。

鏡を見て確認する。

普段、ワンピースなんてあまり着ない。

少しだけ落ち着かない。

神崎くんは、どう思うだろう。

――いや。

別にどうも思わないか。

相手は神崎くんだし。

そもそも映画の理由は妹さんだ。

――って、何を真剣に悩んでるんだろう。

そうこうしているうちに、予定の時間を過ぎていた。

慌てて家を出る。

待ち合わせは、会社の最寄りの渋谷駅。

到着は、待ち合わせ時間よりわずかに遅れてしまった。

ハチ公前に忠犬が待っていた。

「ごめん。おまたせ」

神崎くんは、一瞬止まる。

「どうしたの?」

「……いえ……普段と雰囲気が違いますね」

「そりゃ、今日も仕事の格好じゃ、神崎くんも嫌でしょ?」

「いえ、どちらも似合っています」

「ありがとう。待たせてごめんね」

「大丈夫です。映画までは時間に余裕を持たせてあります」

神崎くんの表情が、少し緊張して見える。

「なので、先に少しよろしいですか?」

「え?……うん……?」

歩き出す彼の背中を追いかける。

到着したのは、いつもの洋食屋だった。

「すみません。映画には少し早いので、コーヒーを飲んでいきましょう」

「分かった」

仕事中のランチ以外で初めて来る。
普段来ている場所なのに、なぜか落ち着かない。

いつもどおり席について、神崎くんが2人分のコーヒーを注文してくれる。

そして、注文が終わって落ち着いたとき、神崎くんの表情が変わる。

「比留間リーダー」

――あれ? なんかこれ……

「お伝えしたいことがあります。聞いていただけますか?」

――先日の退職の話のときと……

「はい……」

急に不安になる。

「僕は、比留間リーダーのことが好きです。リーダーとしてではなく、女性として。5年間ずっと好きでした」

「……はい?」

彼の言葉が頭に入ってこない。
正確には、意味として処理できない。

神崎くんは真っ直ぐな目でこちらを見ている。

いつもみたいに。

でも今日は、その真っ直ぐさが逃げ道を塞いでいる。

「好きです」

もう一度言われた。

今度は、ようやく言葉の意味を拾う。

「えっと……私を?」

「はい」

でも、神崎くんは3歳下で、
後輩で、
部下で、
シスコンで、
何より、私のことは恋愛対象として見ていないはずだった。

「待って」

手を顔の前に上げる。

「待って、待って……」

距離を取りたくて、それから表情を隠したくて。

今の自分の状態を冷静に把握できない。

「すみません」

そう言いながら、神崎くんは私の手をそっと掴んだ。
表情を隠す術がなくなる。

「今日だけは最後まで聞いてください」

「……神崎くん……」

私の手を掴む手が大きい。
言葉が出てこない。

「リーダーが、僕を男として見ていないことは知っています。でも、僕は会社を辞めます。もう、先輩にとって後輩でも部下でもなくなります」

彼の耳も赤くなっていた。
必死なのが分かる。

「これから僕を、男として見てください。その上で判断してください」

「……はい……」

思わず返事をしてしまう。

神崎くんは柔らかく満足げに笑う。

「それじゃ、今日のデートに戻りましょう。そろそろ映画館に向かってもいい頃です」

「……うん」

伝票を取ろうとした瞬間、タッチの差で神崎くんに取られてしまう。

「僕が払います。デートですから」

神崎くんが、私の前で男になろうとしている。
それが、少しくすぐったい。

「……ご馳走になります」

「いえ」

そう言って笑う彼は、もう後輩の男の子ではない気がした。

店を出ると、神崎くんがドアを開けてくれる。

映画館までの道も、いつの間にか車道側を歩いていた。

映画館に到着して、エスカレーターを上がるときも、ドアを開けるときも、自然にエスコートされている。

よく考えると今日までの5年間も、ずっとそうだった気がしてきた。

映画が始まると、私はすぐに物語へ引き込まれた。

ネット発の恋愛小説が原作と聞いていたから、もっと軽い話かと思っていた。

けれど違った。

主人公の女の子と、その兄。

物語の中心にあるのは恋愛だけではない。

家族だった。

兄は妹を大切に思っている。

けれど、その思いがうまく伝わらない。

むしろ距離を取る。

避ける。

妹はそんな兄を見て、自分は嫌われているのだと思い込む。

胸が苦しくなった。

隣を見ると、神崎くんは真剣な顔でスクリーンを見つめていた。

映画は進んでいく。

兄は妹を嫌っていたわけじゃない。

大切にしていた。

大切だからこそ、失敗した。

守ろうとして、傷つけないようにして――

けれど結果として、一番傷つけてしまった。

その事実に気づいて後悔する。

その場面で、ふと思い出した。

以前、神崎くんが言っていた言葉。

「昔は妹とあまり仲が良くなかったんです」

あれは、こういう意味だったのだろうか。

スクリーンの中で兄妹が仲直りする。

そのとき、隣の席からの妙に大きな嗚咽に気付く。

ちらりと見ると、カップルの男性が信じられないくらい泣いていた。

思わず瞬きをする。

――そんな? ……いや、感動屋の男性もいるか。

不思議に思いながらも、映画はクライマックスへ向かう。

そして終わり、エンドロールが流れる。

私はしばらく席を立てなかった。

隣の神崎くんを見る。

彼は静かに、けれど、どこかほっとしたような顔をしている。

長い物語の結末を見届けた人の顔だった。

映画館を出たあと、近くのレストランへ入った。

注文を終え、料理を待つ間に、私は映画中に気になっていたことを口にする。

「ねぇ」

「はい」

「映画の中のお兄さんって……」

神崎くんの肩がわずかに動く。

「神崎くん?」

一瞬止まり、それから柔らかく笑う。

「……そうですね」

あまりに素直に認めるので驚く。

「否定しないんだ」

「ある程度は脚色されていますが……」

耳が少し赤い。

珍しい。

「本当にあんな感じだったの?」

彼は困ったような顔をした。

「映画ほどドラマチックじゃないですよ」

「え?」

「もっとベタです」

私は思わず目を見開く。

「嫌われていると思わせて泣かせました」

「それは、ひどいわね」

「はい」

神崎くんは素直に認めた。

「もう泣かせたくはないですね」

その言葉に嘘は感じなかった。

だからこそ、少し驚く。

五年間見てきた彼は、いつも優しかったから。

そんな失敗をする人には見えなかった。

「でも、今はすごく仲いいのよね?」

「はい」

即答だった。

迷いがない。

「大切な人を勘違いさせたくないんです」

私はふと、今日の告白を思い出す。

あれも、そういうことなのだろうか。

誤魔化さず、曖昧にせず、ちゃんと言葉にしていた。

誤解の余地がないくらい真っ直ぐに。

「神崎くんって……好きな人にも、そんな感じなの?」

彼は一瞬だけ考え、それから真面目な顔で答えた。

「どうでしょうか」

本当に分からない様子。
そして、少し照れながら言う。

「比留間リーダーが初めてなので」

「……え?」

「でも、気持ちはちゃんと伝えていきたいです」

「あ、うん。大事ね」

「言葉だけじゃなく、行動も大切にしたいです」

「うん」

「僕にできることは全部やりたいと思っています」

「うん……」

「可能な限り、大切にします」

そこまで聞いて、私は思った。

――重い。

かなり重い。

けれど彼は真顔だった。

冗談ではない。

本気だ。

だから余計に怖い。

「恋人なら当たり前のことだとは思いますけどね」

そう言われて、少し表情が固まる。

多分、当たり前じゃない。

ドラマや小説の中ならある。
でも現実では、そこまで全部を大事にする人は少ない。

けれど彼にとっては、それが当たり前なのだ。
彼なら本当にやり遂げてしまう。

そして私は、ようやく理解した。

彼は妹だけが特別だったわけじゃない。

一度、大切だと思った相手を、どこまでも大切にしてしまう人なんだ。

妹だから特別だったんじゃない。

妹もまた、その対象だっただけ。

だからきっと。

私が恋人になったとしても――同じなんだろう。

とても、とても。

困るくらいに。