私が初めての後輩育成を任された年。
入ってきたのは、完全無欠の男の子だった。
神崎達也くん。
容姿端麗、品行方正、頭脳明晰。いくつ褒め言葉を並べても足りない。
話によると、海外の大学出身で、家族仲もいいらしい。
天は二物も三物も与えるものだと思った。
私だって、それなりに高学歴で、いい会社に就職した。見た目だって悪くはないと思う。
それでも、彼に適うのは年上で先輩という立場くらい。
――それでも。
教育係をやらなきゃいけないという話だったから、気合を入れて、先輩として気を引き締めた。
そして、本配属になり、いよいよ私の下で働き始めることになった。
最初のうちは、本当にただ普通の先輩と優秀な後輩の距離感だと思っていた。
神崎くんに資料を渡す。
「これ、今日中に目を通しておいてくれる?」
「承知しました」
「分からないところがあったら、遠慮なく聞いてね」
「ありがとうございます」
短いやり取りで終わる。無駄がない。問題もない。
優秀な後輩だ、と私は素直に思った。
けれど、それから交流を重ねるたびに、ほんの少しずつ違和感が残った。
会話は成立しているのに、どこか“そこから先”に進まない。
――気のせいかな。
そのときはまだ、そう片付けた。
二回目の違和感も同じだった。
業務の合間、軽く声をかける。
「もうだいぶ慣れた?」
「はい」
「困ってることがあったら、遠慮なく言ってね。先輩だから」
神崎くんは一度だけ頷いた。
「ありがとうございます」
それだけ。
会話自体はそこで終わった。
声を掛ければ返事は返ってくる。
質問すれば、真面目に答えてくれる。
けれど、関係性が積み重なっていく感覚がなかった。
でも、彼の人間関係の築き方なのかと、そのまま流した。
三回目の違和感で、私はある可能性に気づいた。
ある日の昼休み、ある男性社員に声を掛けられた。
多分、彼は私に気がある。
「困ったときは遠慮せずに声かけてよ。同じフロアの先輩なんだから」
それを私は、笑って受け流す。
「案外図太いので、心配しなくて大丈夫ですよ」
空気を壊さない程度に、でも境界だけは越えさせないように。
よくあることだった。
モテる方だったから。
何事もなく、会話は自然に流れていく。
ただ、そのあと。
神崎くんが同期の男性社員と話している姿を見た。
楽しそうに笑っていた。
冗談を返し、相手も笑う。
私に向けるものと同じ爽やかな笑顔。
けれど、どこか違った。
自然だった。
気を遣っている様子もない。
(あんなふうにも話すんだ)
少し意外だった。
それから数日。
神崎くんは誰とでも感じよく接していた。
男性社員相手なら冗談も言うし、飲み会の誘いにも普通に応じる。
けれど女性社員が少し踏み込んだ瞬間だけ、なぜか会話の流れが変わる。
話題を変える。
別の人を巻き込む。
気をつけてみなければ、誰にも気づかれないくらい自然に。
彼は人付き合いが苦手なのかと思っていたけど、実は違う。
異性から近づかれたときだけ、どこか一歩引く。
――あれ?
自分の動きが、頭の中で重なった。
男性社員に近づかれたとき、私は一歩引いて線引きをした。
異性からの〝好意〟を感じた瞬間に、線を引く。
私はいつもそうしている。
もちろん、彼が同じ理由だとは限らない。
偶然かもしれない。
考えすぎかもしれない。
けれど――
妙に見覚えのある動きだった。
だからこそ、気になった。
そして四回目。
それは決定的だった。
私があえて仕向けたから。
「神崎くん、今度、一緒に食事に行かない? 教育係として、親交も深めたいし」
そう声をかけてみた。
「……お気遣いありがとうございます。皆さん優しいので……」
「行かなくて平気?」
「いえ……お手を煩わせるわけには」
「私は教育係として、もっと親交を深めたいのだけど?」
「十分、よくしていただいていると思っています」
「でも、私のこと、避けてない? この間、私の同期とは帰りにラーメン食べて帰ったらしいじゃない?」
「それは……ラーメンだったので……」
「私とじゃラーメン食べに行けないの?」
「えっと……」
「私が女だから?」
「それは……」
「ムードのある店にでも連れて行かれると思った?」
「……」
私はわざと大きくため息をついてみせる。
「ねぇ、神崎くんってモテてきたでしょ? あ、これはセクハラとかじゃなくて、事実の確認がしたいの。これでも私もモテる方よ。だから分かる。責めてるわけじゃないのよ。私もよくやるもの」
一歩踏み込む。
「神崎くんって、女性に踏み込まれないように防衛線張ってるよね? 私にも、防衛線張ってない?」
神崎くんは瞬きをして驚いた顔をしたあと、耳を真っ赤にして顔をそらした。
「そんなつもりは……」
しかし、そこで言い淀む。
少し考え込んだあと、真っ赤な顔のまま呟くように言う。
「……すみません……」
そして、真っ直ぐな目をこちらへ向ける。
「そうかもしれません……」
その顔は反則だと思った。
そりゃモテるよね。
私が教育係じゃなきゃ、私もそっち側だったかもしれない。
でも、私は彼の教育係だから。
「別に、あなたを落とそうとして親切にしているわけじゃないわ。私は教育係よ。……だから、少しくらい心を開いてほしいの……」
神崎くんは目を見開いて、固まる。
そんな無防備な表情の彼を初めて見た。
「本当は、困っているとき、あるでしょ? 時々、マニュアルを持って帰って家で読んでない?」
また、彼の耳が赤くなる。
「……すみません。もう少し、先輩を頼らせていただきます」
入ってきたのは、完全無欠の男の子だった。
神崎達也くん。
容姿端麗、品行方正、頭脳明晰。いくつ褒め言葉を並べても足りない。
話によると、海外の大学出身で、家族仲もいいらしい。
天は二物も三物も与えるものだと思った。
私だって、それなりに高学歴で、いい会社に就職した。見た目だって悪くはないと思う。
それでも、彼に適うのは年上で先輩という立場くらい。
――それでも。
教育係をやらなきゃいけないという話だったから、気合を入れて、先輩として気を引き締めた。
そして、本配属になり、いよいよ私の下で働き始めることになった。
最初のうちは、本当にただ普通の先輩と優秀な後輩の距離感だと思っていた。
神崎くんに資料を渡す。
「これ、今日中に目を通しておいてくれる?」
「承知しました」
「分からないところがあったら、遠慮なく聞いてね」
「ありがとうございます」
短いやり取りで終わる。無駄がない。問題もない。
優秀な後輩だ、と私は素直に思った。
けれど、それから交流を重ねるたびに、ほんの少しずつ違和感が残った。
会話は成立しているのに、どこか“そこから先”に進まない。
――気のせいかな。
そのときはまだ、そう片付けた。
二回目の違和感も同じだった。
業務の合間、軽く声をかける。
「もうだいぶ慣れた?」
「はい」
「困ってることがあったら、遠慮なく言ってね。先輩だから」
神崎くんは一度だけ頷いた。
「ありがとうございます」
それだけ。
会話自体はそこで終わった。
声を掛ければ返事は返ってくる。
質問すれば、真面目に答えてくれる。
けれど、関係性が積み重なっていく感覚がなかった。
でも、彼の人間関係の築き方なのかと、そのまま流した。
三回目の違和感で、私はある可能性に気づいた。
ある日の昼休み、ある男性社員に声を掛けられた。
多分、彼は私に気がある。
「困ったときは遠慮せずに声かけてよ。同じフロアの先輩なんだから」
それを私は、笑って受け流す。
「案外図太いので、心配しなくて大丈夫ですよ」
空気を壊さない程度に、でも境界だけは越えさせないように。
よくあることだった。
モテる方だったから。
何事もなく、会話は自然に流れていく。
ただ、そのあと。
神崎くんが同期の男性社員と話している姿を見た。
楽しそうに笑っていた。
冗談を返し、相手も笑う。
私に向けるものと同じ爽やかな笑顔。
けれど、どこか違った。
自然だった。
気を遣っている様子もない。
(あんなふうにも話すんだ)
少し意外だった。
それから数日。
神崎くんは誰とでも感じよく接していた。
男性社員相手なら冗談も言うし、飲み会の誘いにも普通に応じる。
けれど女性社員が少し踏み込んだ瞬間だけ、なぜか会話の流れが変わる。
話題を変える。
別の人を巻き込む。
気をつけてみなければ、誰にも気づかれないくらい自然に。
彼は人付き合いが苦手なのかと思っていたけど、実は違う。
異性から近づかれたときだけ、どこか一歩引く。
――あれ?
自分の動きが、頭の中で重なった。
男性社員に近づかれたとき、私は一歩引いて線引きをした。
異性からの〝好意〟を感じた瞬間に、線を引く。
私はいつもそうしている。
もちろん、彼が同じ理由だとは限らない。
偶然かもしれない。
考えすぎかもしれない。
けれど――
妙に見覚えのある動きだった。
だからこそ、気になった。
そして四回目。
それは決定的だった。
私があえて仕向けたから。
「神崎くん、今度、一緒に食事に行かない? 教育係として、親交も深めたいし」
そう声をかけてみた。
「……お気遣いありがとうございます。皆さん優しいので……」
「行かなくて平気?」
「いえ……お手を煩わせるわけには」
「私は教育係として、もっと親交を深めたいのだけど?」
「十分、よくしていただいていると思っています」
「でも、私のこと、避けてない? この間、私の同期とは帰りにラーメン食べて帰ったらしいじゃない?」
「それは……ラーメンだったので……」
「私とじゃラーメン食べに行けないの?」
「えっと……」
「私が女だから?」
「それは……」
「ムードのある店にでも連れて行かれると思った?」
「……」
私はわざと大きくため息をついてみせる。
「ねぇ、神崎くんってモテてきたでしょ? あ、これはセクハラとかじゃなくて、事実の確認がしたいの。これでも私もモテる方よ。だから分かる。責めてるわけじゃないのよ。私もよくやるもの」
一歩踏み込む。
「神崎くんって、女性に踏み込まれないように防衛線張ってるよね? 私にも、防衛線張ってない?」
神崎くんは瞬きをして驚いた顔をしたあと、耳を真っ赤にして顔をそらした。
「そんなつもりは……」
しかし、そこで言い淀む。
少し考え込んだあと、真っ赤な顔のまま呟くように言う。
「……すみません……」
そして、真っ直ぐな目をこちらへ向ける。
「そうかもしれません……」
その顔は反則だと思った。
そりゃモテるよね。
私が教育係じゃなきゃ、私もそっち側だったかもしれない。
でも、私は彼の教育係だから。
「別に、あなたを落とそうとして親切にしているわけじゃないわ。私は教育係よ。……だから、少しくらい心を開いてほしいの……」
神崎くんは目を見開いて、固まる。
そんな無防備な表情の彼を初めて見た。
「本当は、困っているとき、あるでしょ? 時々、マニュアルを持って帰って家で読んでない?」
また、彼の耳が赤くなる。
「……すみません。もう少し、先輩を頼らせていただきます」

