違う高校の紺色の制服に身を包んだ春。
周りの女子たちが新しい恋の話で盛り上がる中、私の机の引き出しの奥には、中学の卒業式の日、陸くんの涙を拭ってくれたあの瞬間の記憶が、色褪せないまま眠っていた。
「陸くんと同じクラスになれたよ!」と美波から送られてくる写真。
同じ制服を着て並ぶ2人の姿を見るたび、私の時計だけが中学生のあの体育館で止まったままなのを実感する。
陸くんが高校でもバスケ部を続けたと風の噂で聞いた。
ネットでその高校のバスケ部の試合日程を検索し、スケジュール帳の隅に小さく星マークをつけた。行く予定なんてないのに。
高校の体育館から聞こえるボールのバウンド音。
目を閉じると、あの日、私におんぶしてくれた陸くんの背中の温もりが蘇る。
「望月、しっかりしろ」の声が、今も耳の奥でリフレインしていた。
スマホの連絡先。
もう二度と発信ボタンを押すことはないと分かっているのに、「青山陸」の名前をどうしても消去できない。
それどころか、お気に入り登録から外すことすらできなかった。
街中で、陸くんと同じくらいの背丈で、少し茶髪の男の子を見かけるたびに、心臓が跳ね上がる。
振り返って人違いだと分かるたび、胸の奥がじわっと熱くなって、押し潰されそうになる。
「雫、まだ陸のこと……?」と心配そうに聞いてくるゆきちゃん。
私は「もうただのファンだよ」と苦笑いする。
ゆきちゃんだけは、私のこの嘘が、陸くんをまだ愛し続けている証拠だと知っていた。
中1のあの若狭旅行のときに、陸くんとぶつかりそうになったあの場所で買った、小さなお守り。
高校のカバンの内ポケットに、今でもそっと忍ばせてある。私の最初で最後の、陸くんとの繋がり。
高校の同級生の男子から「付き合ってほしい」と言われた。
良い人だった。でも、私の心の中の特等席には、すでに別の人が座っていて、誰が入る隙間もなかった。
「ごめんなさい」と断る私の頭には、やっぱりあの人がいた。
美波のSNSの投稿を見るのが怖くて、ミュートにした。
幸せそうな友達を憎みたくない。
でも、陸くんの笑顔を他の女の子の隣で見たくない。
そんな自分の醜さに、また陰で涙を流す。
10月、陸くんの誕生日。
夜の24時ぴったりに、送る宛のない「お誕生日おめでとう」という文字をメッセージアプリに打ち込んで、そのまま削除した。
これが私の、毎年の儀式。
冷たい雨が降る冬の通学路。
美波が陸くんに編んだマフラーの赤色を思い出す。
私は自分で買った黒いマフラーに顔を埋め、「もし私があの時……」という不毛なタラレバを、また頭の中で繰り返した。
一度だけ、自分の高校の部活の応援という名目で、陸くんの高校が出る合同の体育館へ行った。
遠くのコートで、エースとして大歓声を浴びる陸様。
私は観客席の端っこから、ただの「一ファン」として、息を潜めて彼を慕っていた。
夢を見た。中学の教室で、陸くんが「なぁ、望月」と笑いかけてくる夢。
目が覚めると、冷たい自室の天井。
私の名前をあの優しい声で呼んでくれる人は、もうここにはいない。
高校2年の秋、美波から久しぶりに深刻なLINEが来た。胸がドクンと跳ね上がる。
一瞬でも「チャンスかも」と思ってしまった自分が嫌で、必死に2人を応援するアドバイスを送った。陰の存在は、陰のままでいい。
美波から「陸くん、東京の大学に行くみたい」と聞いた。
私は、地元に残る予定だった進路希望調査票をクシャクシャに丸め、ゴミ箱に捨てた。
そして、東京の大学のパンフレットを書き集めた。
時が経ち、20歳。地元の成人式。
華やかな振袖を着て、私は遠くから陸くんの姿を探した。
スーツ姿の陸くんは、昔より少し大人びて、さらに格好良くなっていた。
美波と楽しそうに話す彼に、私は近づけなかった。
成人式の二次会。
勇気が出なくて欠席した私は、1人夜の公園のベンチで、陸くんが写っている同級生の集合写真を見つめていた。
「陸くん、大人になったね。おめでとう」
夜空に消えた私の恋心。
私は約束通り、東京の大学へ進学した。
陸くんも同じ東京のどこかにいる。
それだけで、冷たい満員電車も、慣れない都会の寂しさも、不思議と耐えることができた。
会えなくても、同じ空気を吸っているだけで。
大学のカフェで流れてきた、中学のときに陸くんが「これいい曲だよな」と言っていた洋楽。
一瞬であの放課後の委員会室に引き戻される。何年経っても、私の心の鍵は陸くんが握ったままだ。
東京で一人暮らしを始めた私に、ゆきちゃんから電話。
「雫、あんた相変わらず陸のこと引きずってんでしょ」
見透かされて苦笑いする。引きずっているんじゃない。私の人生の一部になってしまっているのだ。
ある日、インスタの「おすすめ」に、見覚えのあるアカウント名が出てきた。
『ri_ku_aoyama』
アイコンはバスケボール。鍵がかかっていたけれど、その文字を見ただけで、手が震えてスマホを落としそうになった。
美波のSNSが久々に更新された。
そこには、シンプルなペアリングをつけた美波の手。
相手の手は写っていなかったけれど、それが誰の指かなんて、私には痛いほど分かった。
おめでとう、と心の中で3回呟いた。
渋谷のスクランブル交差点、人混みの中で、一瞬、陸くんにそっくりな後ろ姿が見えた。
人混みを押し分けて追いかけそうになったけれど、途中で足を止めた。
もし本人だったら、私はどんな顔をすればいいの?
もし、中1のあの日に戻れるなら。
私は陸くんにぶつからないように歩くだろう。
そうすれば、あの優しい声を知ることもなく、今頃は美波の結婚式を心から笑顔で祝福できる親友になれていたのに。
大学生になっても、私は急な雨が降ると、あの高校生のときに陸くんと美波が1つの傘に入っていたシーンを思い出す。
私は今でも、1人の大きな傘を差し、半分を空けたまま歩いている。
大学を卒業してすぐ、美波から手紙が届いた。
綺麗な白い封筒を開けると、そこには『青山陸・竹内美波』の文字。
ついに、その日が来てしまった。私の長い長い、陰の慕い心のタイムリミット。
結婚式の招待状。
「出席」に丸をつける手が、どうしても震える。
ゆきちゃんから「無理していかなくていいよ」とLINEが来たけれど、「親友だもん、行くよ!」と返した。これが、私の最後の嘘。
式を明日に控えた夜。
私は実家の部屋で、中学の卒業アルバムを開いていた。
笑顔の陸くんの写真に触れ、ボロボロと涙を流した。
「明日で、本当に本当に、終わりにしなきゃね」
チャペルの扉が開き、タキシード姿の陸くんが現れた。
その隣には、純白のドレスを着た美波。
陸くんの表情は、佐奈さんに裏切られていたあの頃の面影はなく、一途に美波を愛する男の顔だった。
披露宴の歓談タイム。陸くんが私の席まで歩いてきてくれた。
「久しぶり、望月。来てくれてありがとな」
あの頃と変わらない、少し低くて、胸がとろけそうな優しい声。
「陸くん、結婚おめでとう。世界一格好いいよ」
私が笑顔で言うと、陸くんは少し照れくさそうに笑った。
「お前さ、昔『陸様』って呼んでたの、今思えばウケるよな
あぁ、彼は本当に、私の気持ちを過去のものとして忘れてくれたんだ。
「美波、本当に綺麗。陸くんを幸せにしてあげてね」
美波を強く抱きしめる。
美波は「雫、ずっと応援してくれてありがとう」と泣いた。
うん、私はずっと、2人の幸せの陰に隠れる、最高のファンだったよ。
式の最後に流れたエンドロール。2
人の思い出の写真の数々の中に、中学時代の4人組の写真があった。
陸くんの隣で、少し硬い笑顔で写る私。私の青春のすべてが、そこにパッケージされていた。
結婚式場を出ると、あの卒業式の日と同じ、突き抜けるような青空が広がっていた。
私の片思いは、今日、青山陸の「妻」になった親友のものへと、完全に受け渡された。
式の後、ゆきちゃんと2人で居酒屋へ。
「雫、よく頑張ったね」
ゆきちゃんにそう言われた瞬間、張り詰めていた糸が切れ、声を上げて泣いた。
20代になっても、私はまだ、あの人の影を追っていた。
私は30代になり、都内の企業で忙しく働いていた。
仕事に追われる毎日の中で、陸くんのことを思い出す回数は、少しずつ減っていった。
でも、ゼロになることは決してない。
美波から「男の子が生まれたよ!」と写真が届いた。名前は『陸斗(りくと)』。
陸くんの文字が入ったその小さな赤ちゃんの手を見て、愛おしさと、切なさが同時に込み上げた。
実家の片付けをした際、あの「若狭旅行のお守り」が出てきた。
色褪せたお守りを手のひらに乗せると、あの13歳のときの胸の高鳴りが、昨日のことのように鮮明に蘇る。
もし、私がもっと可愛くて、もっと素直で、もっと早く「好き」って認めていたら。
そんな「もしも」を、30歳を過ぎた今でも、時々、お酒を飲んだ夜のベッドの中で小さく呟いてしまう。
中学の同窓会の案内が届いた。
幹事の名前には『青山陸』。
心臓が、あのバレーボールが当たったときのように、ドクンと大きく波打った。行くべきか、行かざるべきか。
同窓会の当日。
少し大人向けの綺麗めなワンピースを着て、鏡の前に立つ。
13歳のあのチャラい男の子に恋をした女の子は、もう立派な大人になった。
でも、心の中の「雫」は、まだあの体育館にいる。
同窓会の会場の扉を開けると、懐かしい顔ぶれが並んでいた。
そして、奥の席で、少し白髪の混じった、でもあの頃と全く同じ笑顔で笑う陸くんの姿が目に飛び込んできた。
陸くんが私に気づいて、片手を挙げた。
「よぉ、雫。久しぶり! 元気してたか?」
もう「望月」ではなく、自然と「雫」と呼ぶ彼。
その距離感が、逆に私たちの日月の長さを物語っていた。
陸くんの隣の席に座り、お互いの今の仕事や生活について話した。
陸くんは地元の工務店で頑張っているらしい。
「お前、東京でバリバリ働いてんだろ? すごいな」
その褒め言葉だけで、私の人生が報われた気がした。
「美波もさ、今日来ようとしたんだけど、子供が熱出しちゃってさ。雫によろしく言ってたぞ」
陸くんの口から自然に出る「家族」の話。
私は「そっか、お大事にね」と、今度は本当の笑顔で言えた。
お酒が進んだ頃、陸くんがふと呟いた。
「そういえばさ、中学のとき、お前の頭にボール当たって保健室運んだの、覚えてる?」
私が驚いて頷くと、陸くんは少し目を細めた。
「あの時さ、お前が俺のこと『陸くん』って呼んで泣いたの、実はめちゃくちゃ嬉しかったんだよね。俺、ずっとお前に嫌われてると思ってたからさ。……まぁ、もう時効だけどな(笑)」。
陸くんは笑いながら、他の男友達のところへ行ってしまった。
彼の背中を見つめながら、私は胸の奥が、温かくて、少しだけチクっと痛むのを感じた。
あの日、私の気持ちは、確かに陸くんに届いていた。それだけで、私の30年間の片思いは、十分に価値のあるものだった。
同窓会の帰り道。
夜風に吹かれながら、私は1人、夜空を見上げて歩いた。
私は結局、誰とも結婚せず、ずっとあの人を陰で慕い続けた人生だった。
バッドエンドかもしれない。寂しい人生に見えるかもしれない。
でも、私は心から満足していた。
誰にも言えない、親友にも明かせない、世界で一番不器用で、世界で一番一途な私の『愛』。
陸くん。私はね、死ぬまでずっと、あんたのことが大好きだよ―。
誰の目にも触れない、陰の中だけで咲き続けた私の恋。それは、世界で一番美しい、私だけの宝物。
あの頃、自分の気持ちを認められずに遠回りした私。
だけど、今の私は、胸を張って大声で言える。
「この幸せ、世界一の『愛』だって認めます!」
(完結)
周りの女子たちが新しい恋の話で盛り上がる中、私の机の引き出しの奥には、中学の卒業式の日、陸くんの涙を拭ってくれたあの瞬間の記憶が、色褪せないまま眠っていた。
「陸くんと同じクラスになれたよ!」と美波から送られてくる写真。
同じ制服を着て並ぶ2人の姿を見るたび、私の時計だけが中学生のあの体育館で止まったままなのを実感する。
陸くんが高校でもバスケ部を続けたと風の噂で聞いた。
ネットでその高校のバスケ部の試合日程を検索し、スケジュール帳の隅に小さく星マークをつけた。行く予定なんてないのに。
高校の体育館から聞こえるボールのバウンド音。
目を閉じると、あの日、私におんぶしてくれた陸くんの背中の温もりが蘇る。
「望月、しっかりしろ」の声が、今も耳の奥でリフレインしていた。
スマホの連絡先。
もう二度と発信ボタンを押すことはないと分かっているのに、「青山陸」の名前をどうしても消去できない。
それどころか、お気に入り登録から外すことすらできなかった。
街中で、陸くんと同じくらいの背丈で、少し茶髪の男の子を見かけるたびに、心臓が跳ね上がる。
振り返って人違いだと分かるたび、胸の奥がじわっと熱くなって、押し潰されそうになる。
「雫、まだ陸のこと……?」と心配そうに聞いてくるゆきちゃん。
私は「もうただのファンだよ」と苦笑いする。
ゆきちゃんだけは、私のこの嘘が、陸くんをまだ愛し続けている証拠だと知っていた。
中1のあの若狭旅行のときに、陸くんとぶつかりそうになったあの場所で買った、小さなお守り。
高校のカバンの内ポケットに、今でもそっと忍ばせてある。私の最初で最後の、陸くんとの繋がり。
高校の同級生の男子から「付き合ってほしい」と言われた。
良い人だった。でも、私の心の中の特等席には、すでに別の人が座っていて、誰が入る隙間もなかった。
「ごめんなさい」と断る私の頭には、やっぱりあの人がいた。
美波のSNSの投稿を見るのが怖くて、ミュートにした。
幸せそうな友達を憎みたくない。
でも、陸くんの笑顔を他の女の子の隣で見たくない。
そんな自分の醜さに、また陰で涙を流す。
10月、陸くんの誕生日。
夜の24時ぴったりに、送る宛のない「お誕生日おめでとう」という文字をメッセージアプリに打ち込んで、そのまま削除した。
これが私の、毎年の儀式。
冷たい雨が降る冬の通学路。
美波が陸くんに編んだマフラーの赤色を思い出す。
私は自分で買った黒いマフラーに顔を埋め、「もし私があの時……」という不毛なタラレバを、また頭の中で繰り返した。
一度だけ、自分の高校の部活の応援という名目で、陸くんの高校が出る合同の体育館へ行った。
遠くのコートで、エースとして大歓声を浴びる陸様。
私は観客席の端っこから、ただの「一ファン」として、息を潜めて彼を慕っていた。
夢を見た。中学の教室で、陸くんが「なぁ、望月」と笑いかけてくる夢。
目が覚めると、冷たい自室の天井。
私の名前をあの優しい声で呼んでくれる人は、もうここにはいない。
高校2年の秋、美波から久しぶりに深刻なLINEが来た。胸がドクンと跳ね上がる。
一瞬でも「チャンスかも」と思ってしまった自分が嫌で、必死に2人を応援するアドバイスを送った。陰の存在は、陰のままでいい。
美波から「陸くん、東京の大学に行くみたい」と聞いた。
私は、地元に残る予定だった進路希望調査票をクシャクシャに丸め、ゴミ箱に捨てた。
そして、東京の大学のパンフレットを書き集めた。
時が経ち、20歳。地元の成人式。
華やかな振袖を着て、私は遠くから陸くんの姿を探した。
スーツ姿の陸くんは、昔より少し大人びて、さらに格好良くなっていた。
美波と楽しそうに話す彼に、私は近づけなかった。
成人式の二次会。
勇気が出なくて欠席した私は、1人夜の公園のベンチで、陸くんが写っている同級生の集合写真を見つめていた。
「陸くん、大人になったね。おめでとう」
夜空に消えた私の恋心。
私は約束通り、東京の大学へ進学した。
陸くんも同じ東京のどこかにいる。
それだけで、冷たい満員電車も、慣れない都会の寂しさも、不思議と耐えることができた。
会えなくても、同じ空気を吸っているだけで。
大学のカフェで流れてきた、中学のときに陸くんが「これいい曲だよな」と言っていた洋楽。
一瞬であの放課後の委員会室に引き戻される。何年経っても、私の心の鍵は陸くんが握ったままだ。
東京で一人暮らしを始めた私に、ゆきちゃんから電話。
「雫、あんた相変わらず陸のこと引きずってんでしょ」
見透かされて苦笑いする。引きずっているんじゃない。私の人生の一部になってしまっているのだ。
ある日、インスタの「おすすめ」に、見覚えのあるアカウント名が出てきた。
『ri_ku_aoyama』
アイコンはバスケボール。鍵がかかっていたけれど、その文字を見ただけで、手が震えてスマホを落としそうになった。
美波のSNSが久々に更新された。
そこには、シンプルなペアリングをつけた美波の手。
相手の手は写っていなかったけれど、それが誰の指かなんて、私には痛いほど分かった。
おめでとう、と心の中で3回呟いた。
渋谷のスクランブル交差点、人混みの中で、一瞬、陸くんにそっくりな後ろ姿が見えた。
人混みを押し分けて追いかけそうになったけれど、途中で足を止めた。
もし本人だったら、私はどんな顔をすればいいの?
もし、中1のあの日に戻れるなら。
私は陸くんにぶつからないように歩くだろう。
そうすれば、あの優しい声を知ることもなく、今頃は美波の結婚式を心から笑顔で祝福できる親友になれていたのに。
大学生になっても、私は急な雨が降ると、あの高校生のときに陸くんと美波が1つの傘に入っていたシーンを思い出す。
私は今でも、1人の大きな傘を差し、半分を空けたまま歩いている。
大学を卒業してすぐ、美波から手紙が届いた。
綺麗な白い封筒を開けると、そこには『青山陸・竹内美波』の文字。
ついに、その日が来てしまった。私の長い長い、陰の慕い心のタイムリミット。
結婚式の招待状。
「出席」に丸をつける手が、どうしても震える。
ゆきちゃんから「無理していかなくていいよ」とLINEが来たけれど、「親友だもん、行くよ!」と返した。これが、私の最後の嘘。
式を明日に控えた夜。
私は実家の部屋で、中学の卒業アルバムを開いていた。
笑顔の陸くんの写真に触れ、ボロボロと涙を流した。
「明日で、本当に本当に、終わりにしなきゃね」
チャペルの扉が開き、タキシード姿の陸くんが現れた。
その隣には、純白のドレスを着た美波。
陸くんの表情は、佐奈さんに裏切られていたあの頃の面影はなく、一途に美波を愛する男の顔だった。
披露宴の歓談タイム。陸くんが私の席まで歩いてきてくれた。
「久しぶり、望月。来てくれてありがとな」
あの頃と変わらない、少し低くて、胸がとろけそうな優しい声。
「陸くん、結婚おめでとう。世界一格好いいよ」
私が笑顔で言うと、陸くんは少し照れくさそうに笑った。
「お前さ、昔『陸様』って呼んでたの、今思えばウケるよな
あぁ、彼は本当に、私の気持ちを過去のものとして忘れてくれたんだ。
「美波、本当に綺麗。陸くんを幸せにしてあげてね」
美波を強く抱きしめる。
美波は「雫、ずっと応援してくれてありがとう」と泣いた。
うん、私はずっと、2人の幸せの陰に隠れる、最高のファンだったよ。
式の最後に流れたエンドロール。2
人の思い出の写真の数々の中に、中学時代の4人組の写真があった。
陸くんの隣で、少し硬い笑顔で写る私。私の青春のすべてが、そこにパッケージされていた。
結婚式場を出ると、あの卒業式の日と同じ、突き抜けるような青空が広がっていた。
私の片思いは、今日、青山陸の「妻」になった親友のものへと、完全に受け渡された。
式の後、ゆきちゃんと2人で居酒屋へ。
「雫、よく頑張ったね」
ゆきちゃんにそう言われた瞬間、張り詰めていた糸が切れ、声を上げて泣いた。
20代になっても、私はまだ、あの人の影を追っていた。
私は30代になり、都内の企業で忙しく働いていた。
仕事に追われる毎日の中で、陸くんのことを思い出す回数は、少しずつ減っていった。
でも、ゼロになることは決してない。
美波から「男の子が生まれたよ!」と写真が届いた。名前は『陸斗(りくと)』。
陸くんの文字が入ったその小さな赤ちゃんの手を見て、愛おしさと、切なさが同時に込み上げた。
実家の片付けをした際、あの「若狭旅行のお守り」が出てきた。
色褪せたお守りを手のひらに乗せると、あの13歳のときの胸の高鳴りが、昨日のことのように鮮明に蘇る。
もし、私がもっと可愛くて、もっと素直で、もっと早く「好き」って認めていたら。
そんな「もしも」を、30歳を過ぎた今でも、時々、お酒を飲んだ夜のベッドの中で小さく呟いてしまう。
中学の同窓会の案内が届いた。
幹事の名前には『青山陸』。
心臓が、あのバレーボールが当たったときのように、ドクンと大きく波打った。行くべきか、行かざるべきか。
同窓会の当日。
少し大人向けの綺麗めなワンピースを着て、鏡の前に立つ。
13歳のあのチャラい男の子に恋をした女の子は、もう立派な大人になった。
でも、心の中の「雫」は、まだあの体育館にいる。
同窓会の会場の扉を開けると、懐かしい顔ぶれが並んでいた。
そして、奥の席で、少し白髪の混じった、でもあの頃と全く同じ笑顔で笑う陸くんの姿が目に飛び込んできた。
陸くんが私に気づいて、片手を挙げた。
「よぉ、雫。久しぶり! 元気してたか?」
もう「望月」ではなく、自然と「雫」と呼ぶ彼。
その距離感が、逆に私たちの日月の長さを物語っていた。
陸くんの隣の席に座り、お互いの今の仕事や生活について話した。
陸くんは地元の工務店で頑張っているらしい。
「お前、東京でバリバリ働いてんだろ? すごいな」
その褒め言葉だけで、私の人生が報われた気がした。
「美波もさ、今日来ようとしたんだけど、子供が熱出しちゃってさ。雫によろしく言ってたぞ」
陸くんの口から自然に出る「家族」の話。
私は「そっか、お大事にね」と、今度は本当の笑顔で言えた。
お酒が進んだ頃、陸くんがふと呟いた。
「そういえばさ、中学のとき、お前の頭にボール当たって保健室運んだの、覚えてる?」
私が驚いて頷くと、陸くんは少し目を細めた。
「あの時さ、お前が俺のこと『陸くん』って呼んで泣いたの、実はめちゃくちゃ嬉しかったんだよね。俺、ずっとお前に嫌われてると思ってたからさ。……まぁ、もう時効だけどな(笑)」。
陸くんは笑いながら、他の男友達のところへ行ってしまった。
彼の背中を見つめながら、私は胸の奥が、温かくて、少しだけチクっと痛むのを感じた。
あの日、私の気持ちは、確かに陸くんに届いていた。それだけで、私の30年間の片思いは、十分に価値のあるものだった。
同窓会の帰り道。
夜風に吹かれながら、私は1人、夜空を見上げて歩いた。
私は結局、誰とも結婚せず、ずっとあの人を陰で慕い続けた人生だった。
バッドエンドかもしれない。寂しい人生に見えるかもしれない。
でも、私は心から満足していた。
誰にも言えない、親友にも明かせない、世界で一番不器用で、世界で一番一途な私の『愛』。
陸くん。私はね、死ぬまでずっと、あんたのことが大好きだよ―。
誰の目にも触れない、陰の中だけで咲き続けた私の恋。それは、世界で一番美しい、私だけの宝物。
あの頃、自分の気持ちを認められずに遠回りした私。
だけど、今の私は、胸を張って大声で言える。
「この幸せ、世界一の『愛』だって認めます!」
(完結)



