「ごらんよ、あの女。灰色の未亡人だよ」
市場へ向かう朝の雑踏の中から、誰かが私をそう呼んだ。
【灰色の未亡人】それは、この私アニエスが何年もの間言われ続けている言葉だ。
漢字漢字漢字
何故なら私は、十七歳にして二人の若い夫と死に別れている疑惑の未亡人なのだ。
十三歳で結婚した一人目の夫は真冬の川で謎の死を遂げ、二人目の夫が亡くなったのは、十五歳の時。悲嘆にくれた二年が過ぎ、最近はようやく心が落ち着いてきたところだった。
だがこうして、口さがない人たちが私のことを二人の夫を次々と死に至らしめた女と、面白おかしく言い立てているのだ。
馬車の轍に削られた石畳が曲がりくねって市場へと続く道には、早朝から多くの買い物客がカゴを持ったり、乳母車を押しながら歩いている。
私は悲しさと口惜しさと怒りと諦めを同時に感じたけれど、振り返って怒ることも出来ず、だけどそのまま同じ方向へ歩き続けることも嫌で、人の流れに逆らうように、大通りから分かれた細い道に足を向けた。
それは二人の夫の眠る墓地へと続く、通いなれた道だった。
私は夫に話をしたいことがある時、ただ天気が良くて花が綺麗な時。
そして今朝のように悲しい時、何かあるたびに二人の墓に向かう。
死者は私の黒いうわさなど知らず、いつでも静かに受け入れて黙って話を聞いてくれるから。
墓地は広い公園のようになっていて、二人の夫は比較的近い場所に葬られている。
入口近くにある花屋はまだ開いいなかったので、私は手ぶらで共同墓地に入った。
最初の夫バルテルミの墓の近くに来た時だった。
微かに空気が震えるようなか細い声が耳に届いた。
(誰か泣いてるわ)
ふと声の方を見ると、立派な墓石彫刻の足元に額づく男性がいた。肩幅の広いモーニングコートの後ろ姿しか見えないが、声の主はこの男性だろう。
私はこの墓の主を知っていた。お金持ちの若い女性の墓だ。
その人にも、もちろん肉親や友達、あるいは恋人や夫がいただろう。
あの後ろ姿の男性は、ここに眠っている女性に人生から去られてしまったのだ。
(そうだわ、私だけが愛する人を失ったわけじゃない)
私は悲しみに暮れる同士を見つけた気持ちになった。
そして彼の邪魔をしてはいけないと思い、夫の墓を心に思い浮かべると、心の中で祈りをささげた。
せっかく一時間近くも歩いてきた墓地だったけれど、無理して墓の前に行く必要はない(あの男性の心が癒えますように)と思いながら墓地を離れ、再び市場へと引き返した。
市場に着いたのは予定よりかなり遅い時間だった。
(寄り道なんてしなければよかったわ!)
買い物のメモを眺めていた私は、市場の入り口に見知った人物を見つけて、とっさにそう思ってしまった。
私を待ち構えていたかのように正面から私を睨みつける、背の高い黒髪の女性。
彼女は私を見つけると、鋭く言った。
「あら、奇遇ですわね。お義姉様」
市場の入り口に立っていたのは、最初の夫バルテルミの双子の妹であるテレーズだった。
彼女は兄であるバルテルミにそっくりの艶やかな黒髪を、既婚者の形に高く結い上げ、身嗜みをきちんと整えている。
彼女が私を呼ぶ【お義姉様】という言葉には、激しい憎しみのとげが突き出ていて、私はそう呼ばれるたびにただただ辛く悲しい気持ちになるのだった。
彼女にとって私は【灰色の】未亡人どころではない。
「おはよう、テレーズ。今日は散歩なの?」テレーズは、小さなポシェットを持っただけの軽装だ。
私は、何とか心を落ち着けてテレーズに声をかけた。
「あたしがどこを歩こうと何も咎められることはありませんわ!
ですが、お義姉様が自由に街を歩いていられることは、あたしには理解できませんね」
言いたいことだけ言って義妹テレーズは足早に私から離れて行った。
私より一歳年下のテレーズは、私を自分の兄を死に至らしめた存在だと思い込んでいて、いつもこんな様子なのだ。
以前は必死にテレーズの思い込みを正そうとしたけど、彼女は聞く耳を持たなかった。
でも、もしかしたらただ認めたくないだけなのかもしれないと最近は思う。
同じ日に産まれて育った特別な存在である双子の兄が、不審な死を遂げたのだから、長い間立ち直れないのはおかしいことじゃないだろう。
まさに、半身を失ったのだから。
愛の反対は無関心だと聞いたことがある。バルテルミの両親は、ただ静かに息子の死を悼んでいるだけで、私のことは半ばいなかった人間のように扱っている。
テレーズは半年ほど前に結婚したらしいが、私はただそれを人の噂として聞いただけだった。
バルテルミが生きていたら、戦火を逃れて亡命してきた外国人である私の家族に、この国で新しい親戚が出来たことを、心からお祝いできただろう。
テレーズだけじゃない、私と同世代の女性たちの多くは家庭を持っている。私は誰よりも早く結婚したのに、子供もなしに取り残されてしまったのだ。
両親は私がまた結婚することを望んでいる。彼らは娘が、灰色の未亡人などと呼ばれるのを、深く悲しんでいる。
でも、立て続けに夫を亡くした一人娘に、それを言うことは出来ずにいる。
市場へ向かう朝の雑踏の中から、誰かが私をそう呼んだ。
【灰色の未亡人】それは、この私アニエスが何年もの間言われ続けている言葉だ。
漢字漢字漢字
何故なら私は、十七歳にして二人の若い夫と死に別れている疑惑の未亡人なのだ。
十三歳で結婚した一人目の夫は真冬の川で謎の死を遂げ、二人目の夫が亡くなったのは、十五歳の時。悲嘆にくれた二年が過ぎ、最近はようやく心が落ち着いてきたところだった。
だがこうして、口さがない人たちが私のことを二人の夫を次々と死に至らしめた女と、面白おかしく言い立てているのだ。
馬車の轍に削られた石畳が曲がりくねって市場へと続く道には、早朝から多くの買い物客がカゴを持ったり、乳母車を押しながら歩いている。
私は悲しさと口惜しさと怒りと諦めを同時に感じたけれど、振り返って怒ることも出来ず、だけどそのまま同じ方向へ歩き続けることも嫌で、人の流れに逆らうように、大通りから分かれた細い道に足を向けた。
それは二人の夫の眠る墓地へと続く、通いなれた道だった。
私は夫に話をしたいことがある時、ただ天気が良くて花が綺麗な時。
そして今朝のように悲しい時、何かあるたびに二人の墓に向かう。
死者は私の黒いうわさなど知らず、いつでも静かに受け入れて黙って話を聞いてくれるから。
墓地は広い公園のようになっていて、二人の夫は比較的近い場所に葬られている。
入口近くにある花屋はまだ開いいなかったので、私は手ぶらで共同墓地に入った。
最初の夫バルテルミの墓の近くに来た時だった。
微かに空気が震えるようなか細い声が耳に届いた。
(誰か泣いてるわ)
ふと声の方を見ると、立派な墓石彫刻の足元に額づく男性がいた。肩幅の広いモーニングコートの後ろ姿しか見えないが、声の主はこの男性だろう。
私はこの墓の主を知っていた。お金持ちの若い女性の墓だ。
その人にも、もちろん肉親や友達、あるいは恋人や夫がいただろう。
あの後ろ姿の男性は、ここに眠っている女性に人生から去られてしまったのだ。
(そうだわ、私だけが愛する人を失ったわけじゃない)
私は悲しみに暮れる同士を見つけた気持ちになった。
そして彼の邪魔をしてはいけないと思い、夫の墓を心に思い浮かべると、心の中で祈りをささげた。
せっかく一時間近くも歩いてきた墓地だったけれど、無理して墓の前に行く必要はない(あの男性の心が癒えますように)と思いながら墓地を離れ、再び市場へと引き返した。
市場に着いたのは予定よりかなり遅い時間だった。
(寄り道なんてしなければよかったわ!)
買い物のメモを眺めていた私は、市場の入り口に見知った人物を見つけて、とっさにそう思ってしまった。
私を待ち構えていたかのように正面から私を睨みつける、背の高い黒髪の女性。
彼女は私を見つけると、鋭く言った。
「あら、奇遇ですわね。お義姉様」
市場の入り口に立っていたのは、最初の夫バルテルミの双子の妹であるテレーズだった。
彼女は兄であるバルテルミにそっくりの艶やかな黒髪を、既婚者の形に高く結い上げ、身嗜みをきちんと整えている。
彼女が私を呼ぶ【お義姉様】という言葉には、激しい憎しみのとげが突き出ていて、私はそう呼ばれるたびにただただ辛く悲しい気持ちになるのだった。
彼女にとって私は【灰色の】未亡人どころではない。
「おはよう、テレーズ。今日は散歩なの?」テレーズは、小さなポシェットを持っただけの軽装だ。
私は、何とか心を落ち着けてテレーズに声をかけた。
「あたしがどこを歩こうと何も咎められることはありませんわ!
ですが、お義姉様が自由に街を歩いていられることは、あたしには理解できませんね」
言いたいことだけ言って義妹テレーズは足早に私から離れて行った。
私より一歳年下のテレーズは、私を自分の兄を死に至らしめた存在だと思い込んでいて、いつもこんな様子なのだ。
以前は必死にテレーズの思い込みを正そうとしたけど、彼女は聞く耳を持たなかった。
でも、もしかしたらただ認めたくないだけなのかもしれないと最近は思う。
同じ日に産まれて育った特別な存在である双子の兄が、不審な死を遂げたのだから、長い間立ち直れないのはおかしいことじゃないだろう。
まさに、半身を失ったのだから。
愛の反対は無関心だと聞いたことがある。バルテルミの両親は、ただ静かに息子の死を悼んでいるだけで、私のことは半ばいなかった人間のように扱っている。
テレーズは半年ほど前に結婚したらしいが、私はただそれを人の噂として聞いただけだった。
バルテルミが生きていたら、戦火を逃れて亡命してきた外国人である私の家族に、この国で新しい親戚が出来たことを、心からお祝いできただろう。
テレーズだけじゃない、私と同世代の女性たちの多くは家庭を持っている。私は誰よりも早く結婚したのに、子供もなしに取り残されてしまったのだ。
両親は私がまた結婚することを望んでいる。彼らは娘が、灰色の未亡人などと呼ばれるのを、深く悲しんでいる。
でも、立て続けに夫を亡くした一人娘に、それを言うことは出来ずにいる。



