「りのーんー?聞こえてるー?」
陽奈の声が、ふわっと現実に戻してくる。
気づけば私は、さっきまでの記憶の中に沈みかけていた。
「……あ、ごめん。聞こえてる」
少し遅れて返事をすると、陽奈が机の向こうで首をかしげる。
「なんかぼーっとしてたよ?」
「ちょっと考えごと」
そう言って笑ってみせると、陽奈は「また難しいこと?」って軽く笑った。
その軽さが、救いみたいに胸に落ちる。
——さっきまでの記憶が、少しだけ遠くなる。
「ねえりのん」
陽奈がお弁当を片付けながら、何気なく続ける。
「今日さ、帰りちょっと寄り道しない?」
「寄り道?」
「うん、なんか新しいカフェできたんだって!」
目がきらっとしている。
いつもの“楽しい”を見つける顔。
「いいね」
「でしょー!りのんと行きたくて!」
陽奈は嬉しそうに笑う。
その笑顔を見ていると、さっきまでの自分が少しだけ小さくなる。
でも同時に、思う。
——この時間を、ちゃんと覚えていたい。
春の光が中庭の葉を揺らして、ふたりの影をゆっくり重ねていった。

