「商店街のほうですよね?」
にわか雨。
僕が図書館を出て玄関で本降りの雨を呆然と眺めていると、女の子が声をかけてきた。
身につけているのは確か、隣りの高校の制服だ。
「よかったらいっしょに入っていきませんか?」
「あ、ありがとうございます」
バタバタと強めの雨が水色の傘を叩く。
まるで僕の心臓の音みたいだ。
「えーっと……どうして商店街の方ってわかったのかな?」
「それはね、図書館の帰りに時々先を歩いているのを見かけるので……あ、自習コーナーでもよく見かけるし」
「なるほど」
そういえば彼女、自習室にいたような、いなかったような……いや決して印象が薄いとか、そういうことを言いたいんじゃなくて。
商店街のアーケードに入ると彼女は傘を畳み、しばらく並んで歩いた。
「あの……傘に入れてくれてありがとう」
「どういたしまして」
商店街の出口にはバスターミナルがあり、彼女と僕は乗り場の離れた別々のバスに乗って帰った。
どういうわけかその日以来、彼女を図書館で見かけることはなかった。
せめて名前を聞ければ、『相合傘』の僕のとなりに彼女の名前を書きこむことができたのに。
〇
「駅までですか?」
講義が終わると同時に降り始めた夕立。何人かの学生と一緒に十五号館の出口で雨が止むのを待っていたら、一人の女子学生が話しかけてきた。
「え……きみは!?」
「あら、あなたは?」
あの時の子だ。
これが羨望の眼差しというのだろう。男子学生の視線を尻目に、彼女の傘に入れてもらって大学を後にした。
黄色い傘が、彼女の顔を明るく照らす。
時々轟く雷鳴は、僕の驚きと動揺を表現しているみたいだ。
彼女はまるで、僕のそんな様子を楽しんでいるように、少し笑みを浮かべた。
「あれから、図書館で見かけなかったけど」
「……ああ、私のおうちね、少し離れた町に引っ越しちゃったから」
「そうだったんだ」
最近雨が多いね、いつも折り畳み持ってないの? とか、ちょっとだけ天気の話をした。
大学生になっても、気の利いた話題をふれるような男女間の対人スキルを持ち合わせていなかったからだ。
「あの……傘に入れてくれてありがとう」
「どういたしまして」
駅に着くと、ボクはJRの改札口に、彼女は私鉄の改札口へと別れた。
意気地なし。
相合傘の僕のとなりの名前は、ずっと空白のままだ。
〇
「地下鉄の入口まで行かれます?」
僕は出先から直帰しようとしていた。
得意先が入っているビルの玄関まで降りると、いつのまにかシトシトと雨が降っていた。
バッグから折り畳み傘を取り出そうとした瞬間、背後で女性の声がし、振り返った。
「ひょっとして、きみは!?」
「まあ、偶然!」
あの子だ。
ショートヘアで雰囲気は変わっていたけど間違いない。
僕は慌ててバッグに傘を戻す。
彼女は赤い傘をぱっと開き、僕を入れてくれた。
「やっぱり、折り畳み傘、持って歩いてないんですね」
「……い、いや、今日はたまたま」
偶然だけど、彼女は僕の得意先の、ある部署で働いているそうだ。
ちょっとだけ、そこでやっている仕事や雰囲気なんかを話してくれた。
赤い傘が彼女の頬を染める。
雨音はサー、サーっと。
僕の頭の中でだけで聞こえる、心地よい耳鳴りみたいだ。
「あの……傘に入れてくれてありがとう」
「どういたしまして」
地下鉄の入口に着くと、並んで階段を降りた。
改札を抜け、ホームに降りる。
「あなたは新宿方面?」
「うん……君は?」
「私は池袋方面」
アナウンスに続いて、池袋方面の電車がホームに入ってきた。
「あ、三度も傘に入れてくれてありがとう……それから」
「それから?」
「……君の名前を聞いてもいいかな」
彼女は少し困ったような顔をしてから答えた。
「篠原……篠原すみれ」
僕も名を名乗る。そして仮想の相合傘に二人の名前を書きこんだ。
少し間を置いて彼女は口を開いた。
「えーっと、旧姓は……もちろん別の名前なんだけどね」
「え?」
そういうこと……
僕はやむを得ず、相合傘の名前を消した。そこはまた空席になった。
「……でもね、もうすぐ苗字が戻るの。旧姓は霧島すみれ」
そう言って彼女は電車に乗り込んだ。
つり革につかまって立っている旧姓霧島さんを呆然と見つめていると、彼女は手を軽く振って微笑んだ。
丸の内線は僕の存在なんか気にせず、事務的に走り去り、僕一人、ホームに取り残される。
相合傘、僕のとなりの文字の空白、どうすればいい?
もう少し間をおいて考えよう。
きっとまた、雨は降るから。
おわり
にわか雨。
僕が図書館を出て玄関で本降りの雨を呆然と眺めていると、女の子が声をかけてきた。
身につけているのは確か、隣りの高校の制服だ。
「よかったらいっしょに入っていきませんか?」
「あ、ありがとうございます」
バタバタと強めの雨が水色の傘を叩く。
まるで僕の心臓の音みたいだ。
「えーっと……どうして商店街の方ってわかったのかな?」
「それはね、図書館の帰りに時々先を歩いているのを見かけるので……あ、自習コーナーでもよく見かけるし」
「なるほど」
そういえば彼女、自習室にいたような、いなかったような……いや決して印象が薄いとか、そういうことを言いたいんじゃなくて。
商店街のアーケードに入ると彼女は傘を畳み、しばらく並んで歩いた。
「あの……傘に入れてくれてありがとう」
「どういたしまして」
商店街の出口にはバスターミナルがあり、彼女と僕は乗り場の離れた別々のバスに乗って帰った。
どういうわけかその日以来、彼女を図書館で見かけることはなかった。
せめて名前を聞ければ、『相合傘』の僕のとなりに彼女の名前を書きこむことができたのに。
〇
「駅までですか?」
講義が終わると同時に降り始めた夕立。何人かの学生と一緒に十五号館の出口で雨が止むのを待っていたら、一人の女子学生が話しかけてきた。
「え……きみは!?」
「あら、あなたは?」
あの時の子だ。
これが羨望の眼差しというのだろう。男子学生の視線を尻目に、彼女の傘に入れてもらって大学を後にした。
黄色い傘が、彼女の顔を明るく照らす。
時々轟く雷鳴は、僕の驚きと動揺を表現しているみたいだ。
彼女はまるで、僕のそんな様子を楽しんでいるように、少し笑みを浮かべた。
「あれから、図書館で見かけなかったけど」
「……ああ、私のおうちね、少し離れた町に引っ越しちゃったから」
「そうだったんだ」
最近雨が多いね、いつも折り畳み持ってないの? とか、ちょっとだけ天気の話をした。
大学生になっても、気の利いた話題をふれるような男女間の対人スキルを持ち合わせていなかったからだ。
「あの……傘に入れてくれてありがとう」
「どういたしまして」
駅に着くと、ボクはJRの改札口に、彼女は私鉄の改札口へと別れた。
意気地なし。
相合傘の僕のとなりの名前は、ずっと空白のままだ。
〇
「地下鉄の入口まで行かれます?」
僕は出先から直帰しようとしていた。
得意先が入っているビルの玄関まで降りると、いつのまにかシトシトと雨が降っていた。
バッグから折り畳み傘を取り出そうとした瞬間、背後で女性の声がし、振り返った。
「ひょっとして、きみは!?」
「まあ、偶然!」
あの子だ。
ショートヘアで雰囲気は変わっていたけど間違いない。
僕は慌ててバッグに傘を戻す。
彼女は赤い傘をぱっと開き、僕を入れてくれた。
「やっぱり、折り畳み傘、持って歩いてないんですね」
「……い、いや、今日はたまたま」
偶然だけど、彼女は僕の得意先の、ある部署で働いているそうだ。
ちょっとだけ、そこでやっている仕事や雰囲気なんかを話してくれた。
赤い傘が彼女の頬を染める。
雨音はサー、サーっと。
僕の頭の中でだけで聞こえる、心地よい耳鳴りみたいだ。
「あの……傘に入れてくれてありがとう」
「どういたしまして」
地下鉄の入口に着くと、並んで階段を降りた。
改札を抜け、ホームに降りる。
「あなたは新宿方面?」
「うん……君は?」
「私は池袋方面」
アナウンスに続いて、池袋方面の電車がホームに入ってきた。
「あ、三度も傘に入れてくれてありがとう……それから」
「それから?」
「……君の名前を聞いてもいいかな」
彼女は少し困ったような顔をしてから答えた。
「篠原……篠原すみれ」
僕も名を名乗る。そして仮想の相合傘に二人の名前を書きこんだ。
少し間を置いて彼女は口を開いた。
「えーっと、旧姓は……もちろん別の名前なんだけどね」
「え?」
そういうこと……
僕はやむを得ず、相合傘の名前を消した。そこはまた空席になった。
「……でもね、もうすぐ苗字が戻るの。旧姓は霧島すみれ」
そう言って彼女は電車に乗り込んだ。
つり革につかまって立っている旧姓霧島さんを呆然と見つめていると、彼女は手を軽く振って微笑んだ。
丸の内線は僕の存在なんか気にせず、事務的に走り去り、僕一人、ホームに取り残される。
相合傘、僕のとなりの文字の空白、どうすればいい?
もう少し間をおいて考えよう。
きっとまた、雨は降るから。
おわり



