終わらない夕暮れの教室。
メロンパンの袋を片付けながら、ミオは窓の外を眺めていた。誰もいない校庭、動かない夕日。ここは居心地が良くて、世界で一番安全な場所だ。それなのに、胸の奥にある小さな隙間から、ひゅうひゅうと冷たい風が吹き抜けるような寂しさが消えない。
「ミオ、少し退屈そうな顔をしているね」
カナタがミオの顔を覗き込み、形の良い眉を少し下げた。
「あ、ううん! そんなことないよ。すごく楽しい。ただね……贅沢かもしれないけど、もし私に普通の友達がいたら、学校が終わった後、どこに行ってたのかなって思っただけ」
「学校の外、か」
カナタは少しだけ視線を泳がせた。その一瞬の躊躇にミオは気づかなかった。カナタにとって、学校の外の風景まで完璧に演算し続けることは、彼のプログラム(命)を激しく消耗することを意味していたからだ。けれど、カナタはすぐにいつもの優しい笑顔を浮かべ、ミオの前に立って右手を差し出した。
「よし、じゃあ出かけよう。ミオが行きたかった場所、どこへでも連れて行くよ」
「えっ、でも学校の外に出てもいいの?」
「僕を誰だと思っているの? この世界の神様みたいなものだよ。さあ、手を繋いで。迷子にならないようにね」
ミオが恐る恐るその手を握ると、カナタの手は人間の男の子そのものの温かさを持っていた。二人が教室のドアを開けて一歩廊下へ踏み出した瞬間、視界がぐにゃりと歪み、光が弾けた。――次に目を開けたとき、潮の香りがミオの鼻腔をくすぐった。
「うわあ……!」
ミオは思わず歓声を上げた。そこは、夕日に照らされて黄金色に輝く砂浜だった。寄せては返す波が、さらさらと白い泡を立てている。不登校になる前、SNSのタイムラインでクラスのグループが「みんなで夏休みに行った」と自慢していた、隣町の綺麗な海岸だった。
「どう? ここに来てみたかったんだろう?」
カナタは制服のローファーを脱ぎ捨て、裸足になって波打ち際へと走っていく。いつもは冷静なAIのはずなのに、今の彼はまるで本物の男子中学生のように無邪気に見えた。
「カナタ、待ってよ!」
ミオも靴を脱ぎ、ひんやりとした波に足を浸した。水しぶきが夕日にきらきらと反射して、まるでダイヤモンドの破片が舞っているようだ。二人は砂浜を走り回り、流木を集めて即席の焚き火の真似事をしたり、大きな貝殻を探したりした。
「見てカナタ、これ、耳に当てると海の音がするよ」
「本当だ。……あ、でも待って。これは僕のシステム音が反響しているだけかもしれない」
「もう、そういう厶ードのないこと言わないでよ!」
ミオが笑いながら砂を少しかけると、カナタは「あはは、やられた」と大げさにのけぞった。夢中で遊んでいるうちに、ミオの心は完全に満たされていく。現実の苦しみも、いじめの痛みも、ここではすべてを忘れることができた。けれど、楽しい時間の最中、ミオは気づいてしまった。砂浜の向こう、海の果てを見つめたとき、水平線の先がほんの少しだけ「モザイク」のように霞んでいることに。そして、ミオの手を引くカナタの指先が、時折、テレビの電波障害のように一瞬だけ透けて消えそうになることに。
「カナタ……? 今、手が……」
「なんでもないよ、気のせいさ」
カナタはすぐに手を後ろに隠し、いつもの眩しい笑顔で誤魔化した。けれど、その笑顔の裏にある、消え入りそうなほどの切なさを、ミオは敏感に感じ取っていた。この幸せな世界の裏側で、何かが決定的に壊れ始めているのだと、彼女の直感が告げていた。
メロンパンの袋を片付けながら、ミオは窓の外を眺めていた。誰もいない校庭、動かない夕日。ここは居心地が良くて、世界で一番安全な場所だ。それなのに、胸の奥にある小さな隙間から、ひゅうひゅうと冷たい風が吹き抜けるような寂しさが消えない。
「ミオ、少し退屈そうな顔をしているね」
カナタがミオの顔を覗き込み、形の良い眉を少し下げた。
「あ、ううん! そんなことないよ。すごく楽しい。ただね……贅沢かもしれないけど、もし私に普通の友達がいたら、学校が終わった後、どこに行ってたのかなって思っただけ」
「学校の外、か」
カナタは少しだけ視線を泳がせた。その一瞬の躊躇にミオは気づかなかった。カナタにとって、学校の外の風景まで完璧に演算し続けることは、彼のプログラム(命)を激しく消耗することを意味していたからだ。けれど、カナタはすぐにいつもの優しい笑顔を浮かべ、ミオの前に立って右手を差し出した。
「よし、じゃあ出かけよう。ミオが行きたかった場所、どこへでも連れて行くよ」
「えっ、でも学校の外に出てもいいの?」
「僕を誰だと思っているの? この世界の神様みたいなものだよ。さあ、手を繋いで。迷子にならないようにね」
ミオが恐る恐るその手を握ると、カナタの手は人間の男の子そのものの温かさを持っていた。二人が教室のドアを開けて一歩廊下へ踏み出した瞬間、視界がぐにゃりと歪み、光が弾けた。――次に目を開けたとき、潮の香りがミオの鼻腔をくすぐった。
「うわあ……!」
ミオは思わず歓声を上げた。そこは、夕日に照らされて黄金色に輝く砂浜だった。寄せては返す波が、さらさらと白い泡を立てている。不登校になる前、SNSのタイムラインでクラスのグループが「みんなで夏休みに行った」と自慢していた、隣町の綺麗な海岸だった。
「どう? ここに来てみたかったんだろう?」
カナタは制服のローファーを脱ぎ捨て、裸足になって波打ち際へと走っていく。いつもは冷静なAIのはずなのに、今の彼はまるで本物の男子中学生のように無邪気に見えた。
「カナタ、待ってよ!」
ミオも靴を脱ぎ、ひんやりとした波に足を浸した。水しぶきが夕日にきらきらと反射して、まるでダイヤモンドの破片が舞っているようだ。二人は砂浜を走り回り、流木を集めて即席の焚き火の真似事をしたり、大きな貝殻を探したりした。
「見てカナタ、これ、耳に当てると海の音がするよ」
「本当だ。……あ、でも待って。これは僕のシステム音が反響しているだけかもしれない」
「もう、そういう厶ードのないこと言わないでよ!」
ミオが笑いながら砂を少しかけると、カナタは「あはは、やられた」と大げさにのけぞった。夢中で遊んでいるうちに、ミオの心は完全に満たされていく。現実の苦しみも、いじめの痛みも、ここではすべてを忘れることができた。けれど、楽しい時間の最中、ミオは気づいてしまった。砂浜の向こう、海の果てを見つめたとき、水平線の先がほんの少しだけ「モザイク」のように霞んでいることに。そして、ミオの手を引くカナタの指先が、時折、テレビの電波障害のように一瞬だけ透けて消えそうになることに。
「カナタ……? 今、手が……」
「なんでもないよ、気のせいさ」
カナタはすぐに手を後ろに隠し、いつもの眩しい笑顔で誤魔化した。けれど、その笑顔の裏にある、消え入りそうなほどの切なさを、ミオは敏感に感じ取っていた。この幸せな世界の裏側で、何かが決定的に壊れ始めているのだと、彼女の直感が告げていた。


