名前のない恋人〜先生の名前を呼べなくて〜

「かおるさん、今日もかわいいね」

休診日のデートには必ず花束を持ち、車のドアを開けてエスコートした。彼はとても華美でファッショナブルだった。高価なブランドの衣服をいつも身にまとう。着物代や茶道の付き合いなどで私服までお金が回らない自分が恥ずかしい。

「かおるさん、このネックレスが似合うと思うんだけど、つけてみない?」
「え!? こんな高価なものもらってもいいんですか?」

ダイヤモンドの一粒ネックレスが私の鎖骨にはまると、先生はニコニコと微笑む。先生はお金持ちだ。それは代々続く歯科医院の跡取り息子で資産家だからだ。

「かおるさん、来週末のぼくの学会についてきてくれませんか? 北海道旅行もかねたくて」
「ちょっとそれは、私も教室があるので。無理です」

毎日鳴る電話。夜は先生の「おやすみなさい」が日課になる。休憩時間はメッセージを小まめにくれ、他に浮気したりしていないことも匂わせてきた。

(せ、先生ってすごい情熱的だわ……。仕事だって忙しいのに、そのバイタリティはどこから? もうついていけない)

ほぼ毎日会いに来る。夜、ディナーだけ。カフェだけ。少しの隙間時間を見つけては、先生は私を誘ってきた。

「かおるさん、今夜は大丈夫そうかな?」

「せ、先生……一昨日もホテルに行きませんでしたか」

「足りなくて、かおるさんが」

先生はメガネをかけ直しながら、いたずらっぽい笑顔を浮かべる。
思い出すのも恥ずかしいベッドでの情事。
私は先生の手枕のまま、ため息をついた。

(……こんなのずっと続かないわよ。どうせ1ヶ月遊んでおわりなのよ)

しかし、予想は裏切られた。
1ヶ月後。
先生はネクタイをしめた黒いスーツ姿で、高級ホテル最上階のスイートルームを案内した。

「君のために」

ホテルのスタッフがバラの花束を持ってくる。それを受け取り、先生は都内の夜景を背後に跪いた。

「ぼくと結婚を視野に、お付き合いしてくれませんか――?」

その真摯な瞳。
私は湧き上がる感情を持て余して、顔を真っ赤にした。心臓が高鳴り、口角が上がる。

私も気づけば先生に惹かれてしまっていたのだ。