溺愛狂瀾〜元恋人たちの襲来で、私たちの恋は狂いだす〜

「痛い……? ごめんね、紬。でも、こうしておかないと、またお前が俺の目の前から消えちゃいそうで怖いんだ」
薄暗い部屋の中、蓮くんは私の手のひらに、丁寧に白い包帯を巻き付けていた。
さっき、私が彼のナイフを止めたときに切ってしまった生々しい傷跡。
蓮くんはその傷口に、まるで神聖な儀式でも行うかのように優しく、何度も何度も愛おしそうに唇を寄せた。
床に落ちたナイフの血は、綺麗に拭き取られている。
太陽と麗奈が逃げ出したあとの部屋は、信じられないくらい静かで、雨の音だけが世界のすべてを遮断してくれているようだった。
「蓮くん、私……もうどこにも行かないよ。お父さんのことも、学校のことも、もうどうでもいい。私は、蓮くんだけのものだから……」
蓮くんの胸に顔を埋めると、包帯越しに彼のトク、トク、という激しい鼓動が伝わってくる。
あんなに怯えていた太陽の脅迫も、お父さんの犯した大罪への罪悪感も、蓮くんの壊れそうなほどの愛に包まれていると、不思議と感覚が麻痺していく。
そう、私はお姫様。
この人が私のために作ってくれた、誰も入れない、甘くて息苦しい檻の中の、たった一人の特別なお姫様。
「うん。お前は俺だけのもの。誰にも触らせないし、見せもしない」
蓮くんはクスクスと嬉しそうに目を細めると、私のスマートフォンを目の前でゴミ箱へと放り込んだ。
カツン、と軽い音がして、私の外の世界との繋がりが完全に断たれた。
「明日からは、ずっと俺の傍にいて。学校なんて、もう行かなくていいから。俺がお前を養うし、お前を一生守ってあげる」
蓮くんの腕が、私の腰をこれ以上ないほど強く抱きしめる。
それがどれほど異常で、世間から見たら「狂気」と呼ばれたとしても、今の私にはこの腕の中だけが、唯一呼吸のできる場所だった。


2人だけの甘い監禁生活が始まって、三日が過ぎた。
昼も夜も分からないような薄暗い部屋で、私は蓮くんに尽くされ、愛され、世界で一番幸せな時間を過ごしていた。
蓮くんも学校を休み、私の髪を梳かしたり、美味しいご飯を作ってくれたり、まるで新婚旅行にでも来ているかのように幸せそうに笑っていた。
けれど。
私たちがどれだけ外の世界を拒絶しようとしても、現実の足音は、容赦なく私たちの楽園の扉を叩く。
──ピンポーン。ピンポーン。
静寂を切り裂くように、激しくインターホンが鳴り響いた。
その音に、私の体がビクリと強張る。
蓮くんの顔から一瞬で笑みが消え、その瞳が獣のように鋭く濁った。
「……静かにしてて、紬」
蓮くんは私の唇に人差し指を当てると、足音を立てずに玄関へと向かった。
私はベッドの上で息を殺し、玄関の方へと耳を澄ませる。
「蓮!! 蓮、そこにいるんでしょう!? 開けなさい!!」
ドアの向こうから聞こえてきたのは、金切り声のような女性の声──蓮くんのお母さんだった。
さらに、それに続くように、もう一つの聞き馴染んだ、けれど今は一番聞きたくない声が響く。
「瀬名くん……! 紬は、うちの紬はそこにいるの!? 警察を呼ぶ前に、お願いだからドアを開けてくれ……っ!」
お父さん──。
涙を堪えたような、疲れ切ったお父さんの声だった。
「チッ……」
蓮くんが低く舌打ちをする。
太陽と麗奈が、私たちがここにいることを親たちにバラしたんだ。
それだけじゃない、太陽のクラウドにある「あのデータ」を、もしかしたら本当にお父さんに見せたのかもしれない。
「蓮くん……お父さんたちが……」
不安に駆られて部屋を出ようとした私を、玄関から戻ってきた蓮くんが、もの凄い力でベッドへと押し倒した。
「行かせない」
蓮くんは私の両手首をベッドに縫い付け、上から覆いかぶさる。その顔は、焦燥感と狂気で激しく歪んでいた。
「お前をあんな奴らに返してたまるか。お前の父親は、俺の足を壊した犯罪者だ。お前を連れ戻して、自分の罪を隠蔽しようとしてるだけに決まってる……! 紬、俺を信じるって言ったよね? 俺だけがいればいいって言ったよね!?」
「あ、う、うん……! 信じてる、信じてるよ、蓮くん!」
激しく迫る蓮くんの気迫に、私はただ頷くことしかできない。
インターホンの音は鳴り止まない。
ドアを激しく叩く音が、私たちの楽園を粉々に壊そうと迫ってくる。
「……もう、ここにはいられないね」
蓮くんはふっと、不気味なほどに穏やかな笑みを浮かべた。その手には、いつの間にか車の鍵が握られている。
「誰も俺たちを見つけられない場所へ行こう、紬。2人だけで、誰もいない遠いところへ──」
外の豪雨に負けないほどの激しい嵐が、私たちの運命をさらに狂わせながら、夜の街へと連れ出そうとしていた──。