「──俺の女に、その汚い手で触るな」
地響きのような低い声が、薄暗い地下スタジオに響き渡った。
蹴り破られた鉄の扉の前に立っていたのは、激しい雨に打たれてずぶ濡れになった瀬名蓮だった。
はちみつ色の前髪から滴る水滴が、その端正な顔を伝って床に落ちる。
だけど、今の蓮くんの目は、いつも私を甘やかしてくれる優しい彼氏の目じゃなかった。
怒りと、絶望と、濁った執着で完全に血走っている。
「れ、蓮くん……!? なんで、ここに……っ」
私は恐怖と驚きで声を震わせた。
スマホの電源は切っていたはずなのに。
先に帰ると嘘をついたはずなのに。
「あはは、やっぱり来たんだ。さすが学校一の過保護彼氏。ストーカー並みの執着心だね」
太陽は私の肩を掴んだまま、ちっとも怯む様子もなく、むしろ楽しそうにクスクスと笑った。
「離せって言ってんだよ、後藤」
蓮くんは一歩、また一歩と、獲物を狙う獣のような足取りで近づいてくる。その右拳は、白くなるほど固く握りしめられていた。
「蓮くん、ダメ! 近づかないで!」
私は叫んだ。
太陽のスマホには、蓮くんを社会的に抹殺できるだけの捏造写真と、あの陸上生命を奪った事故の証拠が入っている。
これ以上蓮くんが太陽を刺激したら、本当に取り返しのつかないことになってしまう。
「紬、なんで俺に嘘をついたの?」
蓮くんの視線が、一瞬だけ私に向いた。
その瞳の奥にある深い傷と、今にも泣き出しそうなほどの焦燥感に、胸が締め付けられる。
「『体調が悪いから先に帰る』って……俺がどれだけ心配したか分かる? だけど、お前のスマホのGPSは、家とは真逆のこんな薄汚い場所を指してた。……俺に嘘をついてまで、コイツに会いに来たかったの?」
「違う、違うの蓮くん! 私はただ、あなたを守りたくて──」
「護る? あはは! 傑作だね、瀬名」
太陽が私の言葉を遮り、わざとらしく大声で笑った。
そして、ポケットからスマートフォンを取り出し、その画面を蓮くんに見せつける。
「おい、瀬名。お前の可愛いお姫様はさ、お前に隠れて俺とこんなことしてたんだよ? ほら、この写真。俺のベッドで、すっごく幸せそうに笑ってるでしょ?」
画面に映し出されたのは、私と太陽の生々しい浮気写真。もちろん、太陽が作った偽物だ。
「……っ、嘘、それ嘘だから! 蓮くん信じないで! 私はそんなことしてない!」
私は必死に首を振った。
涙がボロボロと溢れて止まらない。
けれど、蓮くんはその写真を見ても、眉一つ動かさなかった。
ただ、太陽を睨みつける瞳の暗さが、さらに深まっただけだった。
「そんなゴミみたいな合成写真で、俺と紬の絆が壊れるとでも思ったか?」
蓮くんは冷酷に言い放った。
「俺が怒ってるのは、そんなことじゃない。紬が俺を頼らずに、一人でコイツに会いに来たこと。俺以外の男のために、涙を流して傷ついてることだけだ」
「……チッ、相変わらず狂ってんな、お前」
蓮くんの予想外の反応に、太陽の顔から初めて余裕の笑みが消えた。
太陽がスマホをポケットにしまおうとした、その一瞬の隙を見逃さず、蓮くんが恐ろしいスピードで踏み込んできた。
──ドカッ!!!
「がはっ……!?」
蓮くんの容赦のない拳が、太陽の顔面に直撃した。
鈍い音が響き、太陽の体が激しく床に転がる。
手から滑り落ちたスマートフォンが、パリンと音を立てて画面にヒビを入れながら、私の足元へと転がってきた。
「紬、こっちに来い」
太陽が起き上がるより早く、蓮くんは私の腕を強引に引っ張り、自分の背中の後ろへと隠した。
その手は、凍えるように冷たいのに、痛いくらいに強く私を握りしめている。
「瀬名……お前、ただじゃ済まさないからな……。あの事故の真相も、この写真も、全部ネットにぶちまけて──」
床に倒れたまま、口元から血を流して睨みつけてくる太陽。
けれど、蓮くんは彼を冷たく見下ろしたまま、信じられない言葉を口にした。
「勝手にやれば? 中学のときの事故が、お前らの仕業だったことくらい、最初から知ってるよ」
「……え?」
私の頭が真っ白になった。蓮くんは、知っていたの……?
「あの時、お前らを警察に突き出さなかったのは、陸上ができなくなった絶望よりも、紬に心配をかけたくなかったからだ。……だけど、二度目はない。俺の未来なんてどうなってもいい。でも、紬をこれ以上脅すなら、お前を文字通り『消す』からな」
蓮くんの言葉には、一片の嘘も、迷いもなかった。
それは、愛する人のためなら自分の人生すらドブに捨てられる人間の、本物の狂気だった。
太陽はその迫力に気圧されたように、言葉を失って息を呑んだ。
「帰るぞ、紬」
蓮くんは太陽のスマホを容赦なく踏み砕くと、私の手を引いて、スタジオを後にした。
激しい雨が降る夜の街。
蓮くんは私を強く抱きしめながら、車を拾って私を彼の部屋へと連れ帰った。
部屋に着くなり、蓮くんは私をベッドに押し込み、上から覆いかぶさるようにして、何度も何度も私の唇を貪るように奪った。
「ん……むぅ……蓮、くん……っ」
「ごめん、痛かったよね、怖かったよね。……でも、もう絶対に逃さないから。嘘をつく紬も可愛いけど、俺に何もかも委ねてくれないと、俺、本当に頭がおかしくなりそうなんだ」
私の首筋に顔を埋め、ハアハアと荒い呼吸を繰り返す蓮くん。
太陽の脅威からは逃れられたのかもしれない。
けれど、私の嘘が引き金となって暴走してしまった蓮くんの溺愛は、もう誰にも止められないほど、危うく、深く、歪んでしまっていた──。
地響きのような低い声が、薄暗い地下スタジオに響き渡った。
蹴り破られた鉄の扉の前に立っていたのは、激しい雨に打たれてずぶ濡れになった瀬名蓮だった。
はちみつ色の前髪から滴る水滴が、その端正な顔を伝って床に落ちる。
だけど、今の蓮くんの目は、いつも私を甘やかしてくれる優しい彼氏の目じゃなかった。
怒りと、絶望と、濁った執着で完全に血走っている。
「れ、蓮くん……!? なんで、ここに……っ」
私は恐怖と驚きで声を震わせた。
スマホの電源は切っていたはずなのに。
先に帰ると嘘をついたはずなのに。
「あはは、やっぱり来たんだ。さすが学校一の過保護彼氏。ストーカー並みの執着心だね」
太陽は私の肩を掴んだまま、ちっとも怯む様子もなく、むしろ楽しそうにクスクスと笑った。
「離せって言ってんだよ、後藤」
蓮くんは一歩、また一歩と、獲物を狙う獣のような足取りで近づいてくる。その右拳は、白くなるほど固く握りしめられていた。
「蓮くん、ダメ! 近づかないで!」
私は叫んだ。
太陽のスマホには、蓮くんを社会的に抹殺できるだけの捏造写真と、あの陸上生命を奪った事故の証拠が入っている。
これ以上蓮くんが太陽を刺激したら、本当に取り返しのつかないことになってしまう。
「紬、なんで俺に嘘をついたの?」
蓮くんの視線が、一瞬だけ私に向いた。
その瞳の奥にある深い傷と、今にも泣き出しそうなほどの焦燥感に、胸が締め付けられる。
「『体調が悪いから先に帰る』って……俺がどれだけ心配したか分かる? だけど、お前のスマホのGPSは、家とは真逆のこんな薄汚い場所を指してた。……俺に嘘をついてまで、コイツに会いに来たかったの?」
「違う、違うの蓮くん! 私はただ、あなたを守りたくて──」
「護る? あはは! 傑作だね、瀬名」
太陽が私の言葉を遮り、わざとらしく大声で笑った。
そして、ポケットからスマートフォンを取り出し、その画面を蓮くんに見せつける。
「おい、瀬名。お前の可愛いお姫様はさ、お前に隠れて俺とこんなことしてたんだよ? ほら、この写真。俺のベッドで、すっごく幸せそうに笑ってるでしょ?」
画面に映し出されたのは、私と太陽の生々しい浮気写真。もちろん、太陽が作った偽物だ。
「……っ、嘘、それ嘘だから! 蓮くん信じないで! 私はそんなことしてない!」
私は必死に首を振った。
涙がボロボロと溢れて止まらない。
けれど、蓮くんはその写真を見ても、眉一つ動かさなかった。
ただ、太陽を睨みつける瞳の暗さが、さらに深まっただけだった。
「そんなゴミみたいな合成写真で、俺と紬の絆が壊れるとでも思ったか?」
蓮くんは冷酷に言い放った。
「俺が怒ってるのは、そんなことじゃない。紬が俺を頼らずに、一人でコイツに会いに来たこと。俺以外の男のために、涙を流して傷ついてることだけだ」
「……チッ、相変わらず狂ってんな、お前」
蓮くんの予想外の反応に、太陽の顔から初めて余裕の笑みが消えた。
太陽がスマホをポケットにしまおうとした、その一瞬の隙を見逃さず、蓮くんが恐ろしいスピードで踏み込んできた。
──ドカッ!!!
「がはっ……!?」
蓮くんの容赦のない拳が、太陽の顔面に直撃した。
鈍い音が響き、太陽の体が激しく床に転がる。
手から滑り落ちたスマートフォンが、パリンと音を立てて画面にヒビを入れながら、私の足元へと転がってきた。
「紬、こっちに来い」
太陽が起き上がるより早く、蓮くんは私の腕を強引に引っ張り、自分の背中の後ろへと隠した。
その手は、凍えるように冷たいのに、痛いくらいに強く私を握りしめている。
「瀬名……お前、ただじゃ済まさないからな……。あの事故の真相も、この写真も、全部ネットにぶちまけて──」
床に倒れたまま、口元から血を流して睨みつけてくる太陽。
けれど、蓮くんは彼を冷たく見下ろしたまま、信じられない言葉を口にした。
「勝手にやれば? 中学のときの事故が、お前らの仕業だったことくらい、最初から知ってるよ」
「……え?」
私の頭が真っ白になった。蓮くんは、知っていたの……?
「あの時、お前らを警察に突き出さなかったのは、陸上ができなくなった絶望よりも、紬に心配をかけたくなかったからだ。……だけど、二度目はない。俺の未来なんてどうなってもいい。でも、紬をこれ以上脅すなら、お前を文字通り『消す』からな」
蓮くんの言葉には、一片の嘘も、迷いもなかった。
それは、愛する人のためなら自分の人生すらドブに捨てられる人間の、本物の狂気だった。
太陽はその迫力に気圧されたように、言葉を失って息を呑んだ。
「帰るぞ、紬」
蓮くんは太陽のスマホを容赦なく踏み砕くと、私の手を引いて、スタジオを後にした。
激しい雨が降る夜の街。
蓮くんは私を強く抱きしめながら、車を拾って私を彼の部屋へと連れ帰った。
部屋に着くなり、蓮くんは私をベッドに押し込み、上から覆いかぶさるようにして、何度も何度も私の唇を貪るように奪った。
「ん……むぅ……蓮、くん……っ」
「ごめん、痛かったよね、怖かったよね。……でも、もう絶対に逃さないから。嘘をつく紬も可愛いけど、俺に何もかも委ねてくれないと、俺、本当に頭がおかしくなりそうなんだ」
私の首筋に顔を埋め、ハアハアと荒い呼吸を繰り返す蓮くん。
太陽の脅威からは逃れられたのかもしれない。
けれど、私の嘘が引き金となって暴走してしまった蓮くんの溺愛は、もう誰にも止められないほど、危うく、深く、歪んでしまっていた──。



