紫陽花の短編集物語#1

第1話 同居した人は異性だった

大学一年の春。 憧れのキャンパスライフの始まりに胸を躍らせていた美咲は、思いもよらない言葉に絶句していた。
事務スタッフ:「あの、ルームシェアの件なんですけど……ちょっと手違いがありまして、空いてるのが“ひと部屋のみ”でして……」
美咲:「え、え!? 同室って、つまり――」
スタッフ:「はい。“異性ですが、よろしければ”ということで……」
半ば呆然としながら案内された部屋のドアを開けると、そこにはラフなスウェット姿の男子がソファに座っていた。
湊:「ああ、君が……今日からのルームメイト?」
美咲:「……あ、はい。羽瀬川美咲です。……あの、これって……」
湊:「混乱してるよね。俺もそうだった。神崎湊、っていいます。えっと……よろしく?」
ぎこちない挨拶、遠慮がちに置かれた布団ふたつ。 「異性とひと部屋」という事実に、初日はほとんど目も合わなかったふたり。
でも――
翌朝、寝癖を直しながら美咲がパンをかじっていると、湊がコーヒーを差し出してきた。
湊:「……これ、苦くないやつ。さっき淹れてみた。」
美咲:「……ありがとう。って、いつの間にそんな気づかいできる人になってたの?」
湊:「同室になったから、進化中。」
小さな気づかいの積み重ね、ふとしたタイミングで見せる素顔。 ふたりの距離は、ほんの少しずつ縮まっていった。
【あなたと出会ったのは奇跡だった 続く】



第2話 はじめてのケンカ

「ねえ、これ、勝手に捨てたの?」 ある夜、美咲はゴミ箱の中のメモ帳を見つけて、湊に詰め寄った。
湊:「ああ、それ?ぐちゃぐちゃになってたし、もう使わないかと——」
美咲:「それ、授業のノートだったの!大事な課題、写してたのに……」
些細なこと。だけど、ふたりにとっては“大きな溝”になった。
湊:「じゃあ、なんでそんな大事なものをソファの下に放っといたんだよ。」
美咲:「……もういい、ちょっと外出てくる。」
冷たい風のなか、ひとりで歩く帰り道。 いつのまにか、寂しさより“あんなふうに言いたくなかった”という悔しさが胸を締めつけた。
夜遅く部屋に戻ると、机の上に新しいノートと、手書きの小さなメモが置いてあった。
「ごめん。お詫びにノート新しいの買ってきた。カバーかわいいのにした。……怒らせたけど、君の大事なもの大事にしたい気持ちはある。俺なりに。」
思わず頬がゆるんだ。
【あなたと出会ったのは奇跡だった 続く】




第3話 あなたのために、できること

その週末、湊が見事に風邪をひいた。
布団にくるまり、声も出なくなった彼に代わって、美咲は朝からおかゆを作り、ポカリを買い込み、湊のスマホをチェックして授業の代返まで済ませていた。
湊:「……なんか、ごめん。完全に世話焼かせてる……」
美咲:「そうやって素直に“ありがとう”って言えばいいんだよ。」
湊:「……ありがと。」
湊はのど飴をなめながら、ぼんやりと美咲の手を見ていた。
湊:「なんか……君って、ドライかと思ってたけど、あったかいんだな。」
美咲:「どんな第一印象だったの、私……」
それを境に、ふたりの空気がぐっと近づいた。 “家族じゃないけど、家族みたい”な空気が流れ始めていた。

【あなたと出会ったのは奇跡だった 続く】




第4話 港の元カノ、現れる⁉

ある日曜日の午後、インターホンが鳴った。
「……久しぶり、湊。」 玄関の前に立っていたのは、長い黒髪にタートルネックの女性。
湊:「……美紅(みく)。なんでここに……」
湊の元カノ、美紅。 偶然を装いながらも、彼女の視線は美咲を探っていた。
美紅:「ねぇ、“彼女”なの?……同居人?」
湊は言葉に詰まった。
そのやりとりを台所から聞いていた美咲は、心の奥がふと冷たくなるのを感じた。 だって、湊は否定も肯定も、しなかったから。
夜、沈黙のままふたりは並んで歯を磨いた。 歯ブラシをすすぐ音だけが響くなか、美咲がぽつりとつぶやいた。
美咲:「……“同居人”って、便利な言葉だよね。」
湊:「……違う。俺、それだけのつもりで一緒にいるわけじゃない。」
美咲:「でも、答えなかったよ。彼女じゃない、って……言わなかった。」
湊はしばらく黙って、そして不意に言った。
湊:「俺、今すごく迷ってる。“好き”って言ったら、この空気が全部壊れる気がしてさ。でも、言わなきゃ、もっと壊れるかもって思ってる。」
美咲はふいに顔を上げて、彼を見つめた。
美咲:「……こっちのセリフだよ、バカ。」

【あなたと出会ったのは奇跡だった 続く】



第5話 あなたと恋人になった日

ある夜、ふたりは部屋の窓辺に並んで、雨の降る街を見下ろしていた。 講義もバイトもない静かな金曜日。コンビニで買ったプリンと、湊が淹れたミルクティー。窓に映る灯りが、少し切なく見えた。
湊:「……なあ、美咲」
美咲:「うん?」
湊:「“好き”って言葉、タイミング逃すと、もう言えなくなるんだなって思ってた。でも――」
彼は少し間を置いて、美咲の横顔を見つめた。
湊:「今でも言いたい。ちゃんと、君がとなりにいる今のうちに。」
美咲は驚いたように湊を見つめ、それから目を伏せる。
美咲:「……私も、たぶんずっと。気づいてた。でも、“同室”って言葉の後ろに隠れてるほうが楽で……壊すのが怖かった。」
ふたりはゆっくり、そっと手を伸ばしあった。 雨の音がやさしくて、気持ちまで包まれるようだった。
美咲:「……言ってよ、もっと早く。」
湊:「じゃあ、今から何度でも言う。美咲、好きだよ。」
【あなたと出会ったのは奇跡だった 続く】


最終話 ふたりの未来

春休みが近づき、大学のルームシェア制度の更新通知が届いた。
美咲:「……来年は、新しい棟ができるらしいよ。ちゃんと“男女別”の部屋。」
湊:「……ってことは、オレら“同室”じゃいられない、ってことか。」
部屋に流れる空気が、少し重くなる。
美咲:「もともと、偶然だったんだよね。この部屋にふたりで住めたの。」
湊はしばらく黙って、美咲のカップを手に取った。そして言う。
湊:「偶然は終わるけど、選ぶことはできるだろ?」
美咲:「え……?」
湊:「同室は終わっても、“ふたりの暮らし”は終わらせたくない。今度は偶然じゃなくて、ちゃんと一緒にいることを、選びたい。」
美咲は、目の奥がじんわり熱くなるのを感じた。
美咲:「……もう、言い方がずるい。涙出るじゃん、こんなの。」
ふたりは笑って、テーブル越しに手を重ねた。
その春、ふたりは街の小さなワンルームを借りた。 今度は“同居人”じゃない、“恋人としての暮らし”が始まる部屋。
カーテン越しの光も、重なる洗濯物も、すべてが愛おしく思える日々だった。
【あなたと出会ったのは奇跡だった 完結】