紫陽花の短編集物語#1

第1話 冬の光、揺れる心


冬の午後。うす曇りの空の下、小さな手袋をつけたふたりの女の子が、庭で雪の玉を転がしていた。
春花:「ママ〜! こっち見て〜、ゆきだるま!かお、つけるの!」
渚:「かわいいね……目はボタンでいい?」
その様子を見ながら、渚は優しく笑っていた。でも、その笑顔の奥にあるのは、晴れない不安だった。
最近の悠馬は、どこか遠くを見るような目をする。スマホをうしろ手に隠して、遅く帰ってきては「仕事だよ」とだけ呟く。
そしてある夜、渚は“その名前”を知ってしまった。
莉音。悠馬のスマホの通知に浮かんでいたのは、知らない女の名前と、「今日も会えてうれしかった」という短いメッセージ。
声を出すことができなかった。だけど、胸の奥が、ゆっくりと冷えていくのを感じていた。
その夜、寝室の隣では、ふたりの娘たちが無邪気に笑っていた。
夕花:「パパ、あした雪合戦できるかな〜?」
悠馬:「……ああ。雪、たくさん降るといいな。」
その声すら、どこか遠く響いた。

【あなたを愛したのは間違いだった 続く】

















第2話 冬の夜、こたえのない言葉

その夜、渚は眠れなかった。 隣には変わらず眠る悠馬の背中。小さな寝息をたてる双子の娘たち。 だけど心だけが、ひとりでどこか遠くをさまよっていた。
翌朝、朝食の支度をしていると、悠馬がぽつりと口を開いた。
悠馬:「最近、なんか……元気ない?」
そのひとことで、こらえていた感情が、心の奥からふわっと浮き上がる。
渚:「……ねぇ、悠馬。もし、もしも、わたしがなにかを知っていたら……それでも、家族として笑っていられると思う?」
包丁を持つ手がわずかに震えていた。 でもその声には、不思議なくらい静かな強さがあった。
悠馬は言葉を失い、何かを言いかけて、結局、黙った。
その日の午後、渚は娘たちと一緒に公園へ出かけた。 春花も夕花も無邪気に雪を踏みしめ、「見て、ママ〜!」と笑っていた。
渚:「……ごめんね、ふたりとも。ママは今、ちょっとだけ……つよくなろうとしてるの。」
そしてその夜、渚は一通の手紙を書いた。宛名は、莉音だった。

【あなたを愛したのは間違いだった 続く】




















第3話 冬の午後、女の対話

寒い冬の午後、渚は静かに喫茶店の席に座っていた。待ち合わせの相手が来るまでは、薄く笑みを浮かべながら、冷めかけた紅茶を見つめていた。 外は雪が降っていた。現れたのは、莉音。ロングコートの裾を揺らして、すっと渚の前に立った。
莉音:「……はじめまして。突然のお手紙、驚きました。」
渚:「来てくれて、ありがとう。話せてよかった。……私は、あなたの名前を知った時から、何度もこの日を想像してた。」
莉音は微かに目を伏せた。
莉音:「……わたし、知らなかったんです。最初は。彼に家庭があるって、ほんとうに、気づかなかった。」
渚:「でも、途中からは気づいたでしょう?」
しばらくの沈黙が流れた。
莉音:「……はい。それでも、惹かれてしまった。彼が、あなたの話をするとき――優しくて、苦しそうで……。どうしても、“支えたい”って、思ってしまった。」
渚はその言葉に、ほんの一瞬だけ胸を衝かれた。でも、それでも譲れないものが心にあった。
渚:「私にとって彼は――娘たちの父親であり、“帰ってくる人”でした。たとえその笑顔が、疲れていても。」
莉音は、テーブルの上でそっと両手を重ねた。
莉音:「私は、彼にとって何だったんでしょうね。……幸せを壊す女だったのか、それとも……。」
渚は少し目を細めて、ゆっくりと首を横に振った。
渚:「あなたが答えを求めているなら、それは彼にしか出せない。でも、私はこの先、自分の心に嘘をつかないために、今日あなたに会いました。」
ふたりの視線が交わったとき、そこに怒りや憎しみではなく、“ひとりの女性としての誠実な対話”が確かに存在していた。

【あなたを愛したのは間違いだった 続く】












第4話 冬の夜、心の中で揺れる想い


その夜、悠馬は書斎でひとり、結婚式のアルバムをめくっていた。 笑う渚。生まれたばかりの双子を抱く自分。あの写真のなかに映る自分は、今よりずっとまっすぐで、未来だけを見ていた。
スマホに通知が届く。 莉音「もう会わないって決めたのに、どうしても最後に声が聞きたいと思ってしまった」
指が震える。心も、同じように揺れていた。
悠馬:「……俺は、何を守りたかったんだ。」
思い出すのは、春花と夕花が書いてくれた「パパだいすき」の手紙。渚が作ってくれたあの味噌汁の味。朝、娘たちと取り合いになる新聞の時間――全部、“何気ない日常”が愛おしかった。
彼はスマホを手に取り、ゆっくりとメッセージを打った。
「莉音へ これが最後の連絡になります。本当にごめん。僕は帰る場所を見失いかけていたけれど、ようやく気づけた。あなたの優しさに甘えてしまっていたことも、全部含めて、ありがとう。さようなら。」
そして彼はリビングに戻り、キッチンに立つ渚の背中に声をかけた。
悠馬:「……話したいことがある。」
渚は包丁を置き、ゆっくりと彼を振り返った。
渚「何?」
悠馬「今までごめん。不倫して。許さなくてもいい。でも、渚が好きっていう気持ちには変わりない。本当にごめん」
渚「話してくれてありがとう。今までのことは許せないと思う。でも、これから、幸せにしてね」
渚は笑っていた。

【あなたを愛したのは間違いだった 続く】














最終話 あなたを愛したのは正解だった。

その日の夜、娘たちはこたつに入って、塗り絵をしていた。
春花:「ねえ、ママとパパ、今日いっぱいお話してたね。」
夕花:「でもね、ママ泣いてなかった。ちょっと笑ってた。よかったね。」
子どもたちは何も言わなくても、感じ取っていた。空気の変化。目線の温度。 けれどそれ以上に、“家族が戻ろうとしていること”を、心で知っていた。
翌日、公園にて。 家族4人で雪を転がしながら、ふたりの娘は、はしゃぎながらこう言った。
春花:「ねえ、今度は“しあわせだるま”つくろうよ!願いが叶うって、先生が言ってた!」
悠馬は渚の手をそっと取って、目を見つめる。
悠馬:「俺、やり直したい。本当の意味で“家族”って呼べる未来を、つくっていきたい。」
渚はその言葉に、深くうなずいた。
渚:「じゃあまずは……雪だるまから。ちゃんと、願い込めて。」
娘たちの笑い声が空に響く。 その真ん中には、少しずつ、壊れかけた家族のかたちを取り戻していく、やさしい時間があった。

【あなたを愛したのは間違いだった 完結】