彼女はノートに企画をまとめているけれど、自分は何故かペンが動かない。
――どうしよっかな。
そんな風に悩んでいた時、
図書室の窓を誰かが大きく開けてしまった。
春先の風が一気に流れ込み、机の上に広げていた紙を揺らす。
「……っ」
資料の束が、ばらばらと宙に舞った。
「やば」
思わず声が漏れる。
追いかけようと立ち上がったそのとき。
「おっと」
軽い声とともに、紙が一枚ずつ、空中で受け止められていく。
振り向くと、永田がそこにいた。
「これ、読書週間のやつだよな」
そう言いながら、落ちた資料を手際よく拾い集める。
「ありがとうございます」
神崎は自然にそう言って、受け取った。
「助かりました」
軽く笑う。
その表情に、特別な意味はない。
ただ、風の中で少しだけ緩んだだけの笑顔。
それだけだった。
——なのに。
晃の視線は、わずかに止まる。
さっきまで、資料の内容を一緒に詰めていたときとは違う顔に感じる。
柔らかくて、自然で。
少しだけ、知らない顔。
「……」
胸の奥が、わずかにざわつく。
理由は分からない。
ただ、さっき神崎が言っていた言葉が頭をよぎる。
——永田先輩って、すごいですよね。かっこいいし、背高いし、バスケ部の部長ですよね?
その断片が、やけに引っかかる。
神崎は何事もなかったように資料を整え、席に戻る。
晃も何も言わず、その隣に座る。
「続き、やろうか」
「はい」
いつも通りのやり取り。
でも、少しだけ空気が違って感じた。
さっきの一瞬が、どこか頭から離れない。
紙に向かう神崎の長いまつ毛は、頬に影を落としていた。
集中しているだけの顔。
それなのに、なぜか落ち着かない。
——何なんだ、これ。
胸の奥に、名前のつかない感情が沈んでいく。
それを見ないふりをするように、ペンを動かした。
しばらくして、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
「今日はここまでにしますか?」
「……ああ」
少し遅れて返事をする。
晃は資料をまとめながら続ける。
「また、今度続きな。」
「はい」
神崎は短く答える。
それだけで、昼休みは終わった。
---
放課後。
晃が家に帰ると、リビングで妹が待っていた。
「おかえりー」
にやにやとした顔でこちらを見る。
「何だよ、その顔」
「別にー?……ねえ、お兄ちゃん」
ソファに座りながら、わざとらしく声を伸ばす。
「いつの間に理緒と仲良くなったの?」
「だから、仲良くなってないって。普通だよ。普通。」
「普通ねぇ」
未来は面白そうに笑う。
「今日、一緒に図書室行ったじゃん」
「委員会だし」
「ふーん」
間を置いて、未来は少しだけ身を乗り出す。
「ねえ」
「何だよ」
「でも、何でわざわざ昼休みに?」
にやっと笑って、言う。
「理緒って可愛いよね?」
一瞬、空気が止まる。
「……は?」
声が少しだけ詰まる。
「だってさー、わざわざ一緒にやってるし、意識してるんじゃないの?」
「してねぇよ」
即答する。
でも、なぜかその言葉が少しだけ遅く感じた。
未来は楽しそうに笑っている。
「へぇ」
「違うって」
そう言いながら、晃は立ち上がる。
でも、胸の奥に残った違和感は消えなかった。
——意識してる?
そんなわけがない。
そう思うのに。
さっき図書室で見た神崎の笑顔が、なぜか頭から離れない。
理由は分からない。
ただ、少しだけ呼吸が浅くなる。
椅子に背を預けて、天井を見上げる。
「……何だよ、それ」
小さく呟いた声は、誰にも届かなかった。
それでも、感情だけは確かにそこに残っていた。
---
次の日の昼休みも、上のフロアの2年生の教室へ向かう。
人の流れが重なって、視界が細かく揺れる。
その中を歩きながら、晃は神崎の教室の前で足を止めた。
——いない。
神崎の席に目を向けるが、そこは空だった。
図書室か。
そう思って、歩き出そうとしたそのとき。
教室の前を横切る影があった。
「……っ」
思わず視線が引っかかる。
神崎だった。
その隣にいるのは——永田。
二人は自然な距離で並んで歩いていた。
楽しそうに会話をしているようにも見えた。
そして、そのまま廊下の奥へと消えていく。
昼休みの、人気の少ない方向へ。
——どこ行くんだよ。
胸の奥が、妙にざわついた。
足が勝手に動く。
気付いたときには、二人の後ろを追っていた。
角を曲がった先で、距離が少しだけ縮まる。
神崎の声は聞こえない。
永田が何かを言い、神崎が微笑む。
——なんで二人で。
理由が分からないまま、焦りだけが積み重なる。
その瞬間。
晃は一歩踏み出した。
「おい」
声が少しだけ強く出る。
二人が振り返る。
神崎の目が、少しだけ驚いたように揺れた。
「どこ行くの?」
気付けば、そう言っていた。
「読書週間の企画やる約束してたじゃん」
言いながら、神崎の腕を掴む。
少し強くなった自覚があった。
——しまった。
そう思った瞬間。
空気が止まる。
神崎の隣にいた永田が、目を瞬かせる。
そしてその後ろから——
「藤森先輩?」
落ち着いた声がした。
視線を向けると、もう一人いた。
波瑠だった。
手には段ボール。
そして永田も、同じように古い本の束を抱えている。
——図書室の廃棄本。
その光景を見て、ようやく理解が追いつく。
三人とも、ただ図書委員の仕事だった。
晃の手の力が、わずかに緩む。
神崎が静かに口を開いた。
「藤森先輩……すみません」
少しだけ申し訳なさそうに目を伏せる。
「これ、ゴミ捨て場まで運んだら、図書室へ行こうと思ってました」
その言葉が、まっすぐ胸に落ちた。
——何やってんだ、俺。
周りの視線が気になる。
けれど、それよりも先に残ったのは別の感覚だった。
神崎の腕の感触。
掴んだままの、自分の手。
その手を見て、晃はようやく気付く。
——さっきの、あれ。
神崎が誰かと並んでいるだけで、嫌だった。
理由なんて分からないまま、体が先に動いていた。
静かに、手を離す。
「……悪い」
短く言う。
神崎は小さく首を振った。
「大丈夫です」
いつも通りの声。
その“いつも通り”が、逆に落ち着かない。
晃は視線を逸らした。
——なんなんだ、これ。
さっきの自分が、まだ消えない。
胸の奥に、説明のつかない熱が残っている。
それを振り払うように、言葉を絞り出す。
「……手伝う」
神崎が少しだけ目を上げる。
「一緒に運ぶ」
そう付け足すと、永田が軽く笑った。
「助かる」
波瑠も「ありがとうございます」と頭を下げる。
神崎は一瞬だけ間を置いてから、
「……お願いします」
そう言った。
廊下の光の中で、四人は並んで歩き出す。
さっきの騒ぎが嘘のように、静かな空気が戻っていた。
視界の端の神崎の横顔に意識が集まる。
——これ、たぶん。
もう戻れないやつだ。
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなった。
――どうしよっかな。
そんな風に悩んでいた時、
図書室の窓を誰かが大きく開けてしまった。
春先の風が一気に流れ込み、机の上に広げていた紙を揺らす。
「……っ」
資料の束が、ばらばらと宙に舞った。
「やば」
思わず声が漏れる。
追いかけようと立ち上がったそのとき。
「おっと」
軽い声とともに、紙が一枚ずつ、空中で受け止められていく。
振り向くと、永田がそこにいた。
「これ、読書週間のやつだよな」
そう言いながら、落ちた資料を手際よく拾い集める。
「ありがとうございます」
神崎は自然にそう言って、受け取った。
「助かりました」
軽く笑う。
その表情に、特別な意味はない。
ただ、風の中で少しだけ緩んだだけの笑顔。
それだけだった。
——なのに。
晃の視線は、わずかに止まる。
さっきまで、資料の内容を一緒に詰めていたときとは違う顔に感じる。
柔らかくて、自然で。
少しだけ、知らない顔。
「……」
胸の奥が、わずかにざわつく。
理由は分からない。
ただ、さっき神崎が言っていた言葉が頭をよぎる。
——永田先輩って、すごいですよね。かっこいいし、背高いし、バスケ部の部長ですよね?
その断片が、やけに引っかかる。
神崎は何事もなかったように資料を整え、席に戻る。
晃も何も言わず、その隣に座る。
「続き、やろうか」
「はい」
いつも通りのやり取り。
でも、少しだけ空気が違って感じた。
さっきの一瞬が、どこか頭から離れない。
紙に向かう神崎の長いまつ毛は、頬に影を落としていた。
集中しているだけの顔。
それなのに、なぜか落ち着かない。
——何なんだ、これ。
胸の奥に、名前のつかない感情が沈んでいく。
それを見ないふりをするように、ペンを動かした。
しばらくして、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
「今日はここまでにしますか?」
「……ああ」
少し遅れて返事をする。
晃は資料をまとめながら続ける。
「また、今度続きな。」
「はい」
神崎は短く答える。
それだけで、昼休みは終わった。
---
放課後。
晃が家に帰ると、リビングで妹が待っていた。
「おかえりー」
にやにやとした顔でこちらを見る。
「何だよ、その顔」
「別にー?……ねえ、お兄ちゃん」
ソファに座りながら、わざとらしく声を伸ばす。
「いつの間に理緒と仲良くなったの?」
「だから、仲良くなってないって。普通だよ。普通。」
「普通ねぇ」
未来は面白そうに笑う。
「今日、一緒に図書室行ったじゃん」
「委員会だし」
「ふーん」
間を置いて、未来は少しだけ身を乗り出す。
「ねえ」
「何だよ」
「でも、何でわざわざ昼休みに?」
にやっと笑って、言う。
「理緒って可愛いよね?」
一瞬、空気が止まる。
「……は?」
声が少しだけ詰まる。
「だってさー、わざわざ一緒にやってるし、意識してるんじゃないの?」
「してねぇよ」
即答する。
でも、なぜかその言葉が少しだけ遅く感じた。
未来は楽しそうに笑っている。
「へぇ」
「違うって」
そう言いながら、晃は立ち上がる。
でも、胸の奥に残った違和感は消えなかった。
——意識してる?
そんなわけがない。
そう思うのに。
さっき図書室で見た神崎の笑顔が、なぜか頭から離れない。
理由は分からない。
ただ、少しだけ呼吸が浅くなる。
椅子に背を預けて、天井を見上げる。
「……何だよ、それ」
小さく呟いた声は、誰にも届かなかった。
それでも、感情だけは確かにそこに残っていた。
---
次の日の昼休みも、上のフロアの2年生の教室へ向かう。
人の流れが重なって、視界が細かく揺れる。
その中を歩きながら、晃は神崎の教室の前で足を止めた。
——いない。
神崎の席に目を向けるが、そこは空だった。
図書室か。
そう思って、歩き出そうとしたそのとき。
教室の前を横切る影があった。
「……っ」
思わず視線が引っかかる。
神崎だった。
その隣にいるのは——永田。
二人は自然な距離で並んで歩いていた。
楽しそうに会話をしているようにも見えた。
そして、そのまま廊下の奥へと消えていく。
昼休みの、人気の少ない方向へ。
——どこ行くんだよ。
胸の奥が、妙にざわついた。
足が勝手に動く。
気付いたときには、二人の後ろを追っていた。
角を曲がった先で、距離が少しだけ縮まる。
神崎の声は聞こえない。
永田が何かを言い、神崎が微笑む。
——なんで二人で。
理由が分からないまま、焦りだけが積み重なる。
その瞬間。
晃は一歩踏み出した。
「おい」
声が少しだけ強く出る。
二人が振り返る。
神崎の目が、少しだけ驚いたように揺れた。
「どこ行くの?」
気付けば、そう言っていた。
「読書週間の企画やる約束してたじゃん」
言いながら、神崎の腕を掴む。
少し強くなった自覚があった。
——しまった。
そう思った瞬間。
空気が止まる。
神崎の隣にいた永田が、目を瞬かせる。
そしてその後ろから——
「藤森先輩?」
落ち着いた声がした。
視線を向けると、もう一人いた。
波瑠だった。
手には段ボール。
そして永田も、同じように古い本の束を抱えている。
——図書室の廃棄本。
その光景を見て、ようやく理解が追いつく。
三人とも、ただ図書委員の仕事だった。
晃の手の力が、わずかに緩む。
神崎が静かに口を開いた。
「藤森先輩……すみません」
少しだけ申し訳なさそうに目を伏せる。
「これ、ゴミ捨て場まで運んだら、図書室へ行こうと思ってました」
その言葉が、まっすぐ胸に落ちた。
——何やってんだ、俺。
周りの視線が気になる。
けれど、それよりも先に残ったのは別の感覚だった。
神崎の腕の感触。
掴んだままの、自分の手。
その手を見て、晃はようやく気付く。
——さっきの、あれ。
神崎が誰かと並んでいるだけで、嫌だった。
理由なんて分からないまま、体が先に動いていた。
静かに、手を離す。
「……悪い」
短く言う。
神崎は小さく首を振った。
「大丈夫です」
いつも通りの声。
その“いつも通り”が、逆に落ち着かない。
晃は視線を逸らした。
——なんなんだ、これ。
さっきの自分が、まだ消えない。
胸の奥に、説明のつかない熱が残っている。
それを振り払うように、言葉を絞り出す。
「……手伝う」
神崎が少しだけ目を上げる。
「一緒に運ぶ」
そう付け足すと、永田が軽く笑った。
「助かる」
波瑠も「ありがとうございます」と頭を下げる。
神崎は一瞬だけ間を置いてから、
「……お願いします」
そう言った。
廊下の光の中で、四人は並んで歩き出す。
さっきの騒ぎが嘘のように、静かな空気が戻っていた。
視界の端の神崎の横顔に意識が集まる。
——これ、たぶん。
もう戻れないやつだ。
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなった。



