まだ恋とは呼べない距離で

ある日の夕方。

理緒は、まみちゃんと駅前のファミレスで夕食を食べていた。

「そういえば、この前言ってたお兄さんとのご飯、どうだった?」

「うん。普通に話せたよ」

「良かったぁ」

まみちゃんは安心したように笑う。

理緒も小さく笑みを浮かべながら、ドリンクバーの紅茶へ口をつけた。

「なんかね、最近、少しずつ色んなことが変わってきた気がする」

「いい変化?」

「……多分」

まみちゃんは嬉しそうに頷く。

「大学も慣れてきた?」

「うーん……どうだろ。この間の英会話、初めての人とペア組んで疲れたし」

「あれ? 英会話は誠さんと一緒って言ってなかった?」

「誠さん? その日は休みだったの」

「そっか。だから知らない人と?」

「うぅん。同じ学部で顔は知ってたけど……」

理緒はフォークでパスタを巻きながら、小さくため息を吐いた。

「すごく気を遣っちゃって」

「どんな人?」

「明るい人。悪い人じゃないんだけど、距離感近くて……」

「チャラい感じ?」

「うーん……どうなんだろ」

理緒は困ったように眉を下げる。

「ご飯誘われたり、連絡先聞かれそうになったり……」

「えっ」

「でも、普通に親切だったし、感じ悪くしちゃダメかなとか、変に期待させるのもダメかなとか、色々考えてたら、すごい疲れちゃって……」

「あー……」

まみちゃんはどこか納得したように頷いた。

「りっちゃん、そういうのめちゃくちゃ考えちゃうタイプだよね」

「……うん」

理緒は少し肩を落とす。

「いつもの英会話は、こんな疲れ方しないのになぁって」

まみちゃんがぱちりと瞬きをした。

「へぇ? 誠さんがいるから?」

「うーん……そうなのかな。誠さんって距離感おかしいし、振り回されるし、勝手なんだけど……だから、私も変に気を遣わなくていいんだよね」

「ふぅん……」

「沈黙しても平気だし、雑な返事でもいっかって思える……」

そこまで話してから、理緒は少し考えるように首を傾げた。

「……なんでだろ」

まみちゃんは、じっと理緒を見ていた。

「りっちゃんって昔から、結構気ぃ遣いだったよね」

「……そう、かな?」

「うん」

まみちゃんはストローをくるくる回しながら続ける。

「でも、誠さんの話してる時のりっちゃんは……なんか自然?」

「自然?」

「うん。素っぽい」

理緒は少しだけ戸惑ったように視線を逸らす。

「……まみちゃんと話してるからじゃない?」

「違う違う」

まみちゃんは楽しそうに笑った。

「りっちゃん、最近めちゃくちゃ誠さんの話するし」

「えぇ!? そんなしてないよ!」

「してるよー」

理緒は反論しようとして、でも少し言葉に詰まる。

確かに最近、誠さんの話をする機会は多い気がする。

大学でも、アプリでも、兄のことでも関わっていたから。

……それだけ、だと思う。

「まぁ、でも、誠さんって不思議な人だよね」

「うん。お兄ちゃんも『高校で突出して変だった』って言ってた」

「りっちゃんは、それでも一緒にいて気が楽なんでしょ?」

「……うん。多分」

理緒は素直に頷いた。

「前に泊まった時も、全然気を遣わなかったし」

「へぇ――」

そこまで聞いた瞬間。

まみちゃんの動きが止まる。

「……え?」

理緒も止まる。

「……あ」

数秒の沈黙。

「泊まった!?」

まみちゃんの声が大きくなる。
周囲の客の視線がコチラへ向いた気がする。

「ち、違っ……いや、違わないけど……!」

「どういうこと!?」

「その、人身事故で電車動かなくなって……!」

「えっ、えっ、それで、誠さんの家!?」

「う、うん……」

まみちゃんは完全に固まっていた。

「りっちゃん……それ、大事件では……?」

「でも、本当に何もなかったよ!? 他の人もいたし……」

「いや、そういう問題じゃなくて!」

理緒は慌てて続ける。

「別に危ない感じとか全然なくて、普通にベッド貸してくれて、コーヒー淹れてくれて……」

「それで泊まったの!?」

「だって……だって夜道危ないから帰るなって……」

「りっちゃん、それ他の男の人に言われても泊まる?」

「え?」

「男の人の家に泊まる?」

理緒は想像しかけて、すぐに首を横へ振った。

「……無理かも」

「だよね!?」

まみちゃんは頭を抱える。

「りっちゃん、それ、誠さんだけってことだよ?」

理緒は小さく瞬きをした。

「……そうなのかな」

「そうだよ!」

まみちゃんはじっと理緒を見る。

「ねぇ、りっちゃんって、誠さんのことどう思ってるの?」

「どうって……?」

「好きなの?」

理緒は息を止めた。

好き。

その言葉が、胸の奥へ静かに落ちる。

でも。

すぐには答えられなかった。

「……分かんない」

まみちゃんは少しだけ目を細める。

「そっか」

理緒は俯きながら、小さく呟いた。

「私、昔……失敗したことあるから」

「……失敗?」

理緒は、テーブルの上でぎゅっと指を握った。

「中学生の頃、好きだった人がいて……」

理緒は、藤森先輩との恋を初めて言葉にして紡いだ。

まみちゃんは黙って聞いていてくれた。

「……でね、あの頃は『これは恋だ』って認めることもできなくて、『さようなら』も言えないまま、先輩は卒業しちゃった」

「それっきり?」

「うん。それっきり」

「そっか……それは、残るね」

「うん。正直、まだ『立ち直れた』とは胸を張って言えないかも」

「そっか……じゃあさ、それ小説にしちゃえば?」

「……え?」

「今、すごい聞き入っちゃったよ。すごくいい初恋だと思うよ」

「でも……」

「だから、りっちゃんの心の整理のためにも、一度形にして、昇華して前に進もうよ」

「形に……」

「うん。せっかくちょうどいいアプリあるしさ?」

「……えぇ!? アプリで書くの!?」

「うん。いいじゃん。連載にしちゃえば、小説読むためにアプリ開いてくれるようになるかもよ?」

「えぇ!? そんな需要あるかなぁ??」

「大丈夫だよ。少なくとも、私は読むよ。ね?」

「……うん……」