スマホに着信がある。
窓から見下ろすと、藤森先輩は、いつものように理緒の家の前にいる。
「よっ」
玄関を開けると、先輩が短く手を上げる。
それだけで、今日も来てくれたんだと、胸の奥が少しだけくすぐったくなる。
「お疲れ様です」
理緒も小さく返す。
二人は並んで歩き出し、近くの公園へ向かう。
ベンチに座って、他愛もない話をする。
塾のこと。
学校のこと。
ほんの少しの近況。
長くはいられない。
だからこそ、その短い時間に、ぎゅっと一日分の何かを詰め込むみたいに話す。
気づけば、さっきまであったはずの距離も、自然と縮まっている。
「じゃ、そろそろ帰る」
先輩が立ち上がる。
「はい」
理緒も立ち上がる。
ほんのひととき。
それだけなのに、胸の奥が少しだけ満たされる。
同時に、どこか足りないまま。
公園から家まで、また並んで歩く。
ほんの一分もかからない距離。
それでも、その時間が終わるのが分かっているからか、少しだけゆっくり歩いている気がした。
家の前に着くと、先輩は「じゃ」とだけ言って自転車に跨る。
理緒は何も言えないまま、小さく頷く。
自転車が走り出す。
見えなくなる寸前、先輩が振り返って軽く手を振る。
理緒もそれに、小さく手を振り返す。
いつも通りのやり取り。
それが終わると、急に静かになる。
理緒はそのまま玄関へ向かい、ドアを開ける。
「理緒」
母の声に、足が止まる。
振り向くと、キッチンの方からこちらを見ていた。
「最近、夕食のあと外に出てるよね」
一瞬だけ、言葉を選ぶ。
「……うん」
小さく頷く。
「友達が、塾の帰りに寄ってくれてて……ちょっと話してるだけ」
嘘ではない。
でも、全部でもない。
母は少しだけ眉を寄せる。
「夜に出歩くのはよくないわ。女の子なんだから」
静かな声。
でも、はっきりとした線引きだった。
理緒は少しだけ視線を落とす。
「……気をつけます」
それ以上は言えなかった。
---
部屋に戻る。
ドアを閉めて、ベッドに腰を下ろす。
小さく息を吐く。
——やっぱり、そうだよね。
分かっていたこと。
でも、言葉にされると、少しだけ重くなる。
机の上のスマホに手を伸ばす。
画面を開いて、しばらく指が止まる。
それから、ゆっくり打ち込む。
«最近、夜に出てること、お母さんに言われちゃった»
送信。
少し迷って、続ける。
«今までみたいに出られなくなるかもしれません»
送信。
まだ、どこか足りない気がして、さらに打ち込む。
«でも、禁止されたわけじゃないので、時々なら大丈夫だと思います»
送信。
指を止めたまま、画面を見る。
既読はすぐについた。
少しして、返信が届く。
«分かった»
続けて、もう一通。
«会えるときでいいから»
理緒はその文字を、しばらく見つめる。
短い言葉。
何も責めない。
無理もさせない。
でも。
ほんの少しだけ、そこに残った言葉が引っかかる。
——会えるときでいいから。
優しい言い方。
でも、それはつまり。
——会いたい、ってことだよね。
スマホをベッドに置いて、天井を見る。
——また、だ。
ふと、そう思う。
自分の意思じゃない。
本当は、もっと会いたい。
少しくらいなら、って反発することもできたかもしれない。
でも。
母に言われて、
夜だから、
女の子だから。
そう言われたら、
「やっぱりそうなんだ」と思ってしまう。
「……」
小さく息を吐く。
胸の奥に、引っかかるものが残る。
正しいことを言われたはずなのに、
どこかだけ、少しだけ違う気がする。
でも、その違いをうまく言葉にできない。
——それでも、会えなくなるわけじゃない。
そう思う。
時々なら大丈夫。
ちゃんと説明すれば大丈夫。
そうやって、形を整えればいいだけ。
そうすれば、今まで通りでいられるはず。
なのに。
ほんの少しだけ、
今まで通りじゃなくなっていく気がした。
理緒は目を閉じる。
自分がどうしたいのか、
まだ、はっきりとは分からなかった。
---
再び、先輩と過ごす時間がなくなってから数日。
中間テスト期間が訪れる。
放課後。
理緒は図書室のいつもの席に座る。
隣の席に鞄を置いて、ノートを出すと、テスト範囲の確認を始める。
理緒が席についてすぐ、
「ここ、いい?」
鞄を置いた席を指して声がかかる。
「あ……はい」
理緒は、最初からそのつもりだったように鞄を退け、席を譲る。
藤森先輩がそこに座る。
「久しぶり」
「お久しぶりです。すみません。また……私の都合で……」
言いかけたところで、先輩が軽く首を振る。
「うん。……寂しかった。せっかく塾が楽しくなってきたところだったから」
「……すみません」
反射みたいに謝ってしまう。
先輩はすぐに小さく笑った。
「冗談。神崎は悪くない」
いたずらっ子な笑いを見せる先輩に、理緒は少し戸惑う。
「……勉強、順調ですか?」
話題を変えるように理緒が言う。
「……ん。まぁ……ぼちぼち」
少し曖昧な返事。
その一瞬の間に、ほんのわずかな引っかかりを覚える。
「先輩の志望校は、決まってるんですか?」
「うん。けやき教育大学附属高校」
「先生になるんですか?」
「まだ夢だけどね。親が教員だから……」
「すごいです。応援します。……じゃあ、ちゃんと勉強しないとですね」
軽く笑って言うと、
「……うん」
先輩は短く頷いた。
その声は、少しだけ沈んでいた気がした。
理緒は気づかないふりをして、自分のノートを開く。
二人は、少し名残惜しそうにそれぞれのページへ視線を落とした。
窓から見下ろすと、藤森先輩は、いつものように理緒の家の前にいる。
「よっ」
玄関を開けると、先輩が短く手を上げる。
それだけで、今日も来てくれたんだと、胸の奥が少しだけくすぐったくなる。
「お疲れ様です」
理緒も小さく返す。
二人は並んで歩き出し、近くの公園へ向かう。
ベンチに座って、他愛もない話をする。
塾のこと。
学校のこと。
ほんの少しの近況。
長くはいられない。
だからこそ、その短い時間に、ぎゅっと一日分の何かを詰め込むみたいに話す。
気づけば、さっきまであったはずの距離も、自然と縮まっている。
「じゃ、そろそろ帰る」
先輩が立ち上がる。
「はい」
理緒も立ち上がる。
ほんのひととき。
それだけなのに、胸の奥が少しだけ満たされる。
同時に、どこか足りないまま。
公園から家まで、また並んで歩く。
ほんの一分もかからない距離。
それでも、その時間が終わるのが分かっているからか、少しだけゆっくり歩いている気がした。
家の前に着くと、先輩は「じゃ」とだけ言って自転車に跨る。
理緒は何も言えないまま、小さく頷く。
自転車が走り出す。
見えなくなる寸前、先輩が振り返って軽く手を振る。
理緒もそれに、小さく手を振り返す。
いつも通りのやり取り。
それが終わると、急に静かになる。
理緒はそのまま玄関へ向かい、ドアを開ける。
「理緒」
母の声に、足が止まる。
振り向くと、キッチンの方からこちらを見ていた。
「最近、夕食のあと外に出てるよね」
一瞬だけ、言葉を選ぶ。
「……うん」
小さく頷く。
「友達が、塾の帰りに寄ってくれてて……ちょっと話してるだけ」
嘘ではない。
でも、全部でもない。
母は少しだけ眉を寄せる。
「夜に出歩くのはよくないわ。女の子なんだから」
静かな声。
でも、はっきりとした線引きだった。
理緒は少しだけ視線を落とす。
「……気をつけます」
それ以上は言えなかった。
---
部屋に戻る。
ドアを閉めて、ベッドに腰を下ろす。
小さく息を吐く。
——やっぱり、そうだよね。
分かっていたこと。
でも、言葉にされると、少しだけ重くなる。
机の上のスマホに手を伸ばす。
画面を開いて、しばらく指が止まる。
それから、ゆっくり打ち込む。
«最近、夜に出てること、お母さんに言われちゃった»
送信。
少し迷って、続ける。
«今までみたいに出られなくなるかもしれません»
送信。
まだ、どこか足りない気がして、さらに打ち込む。
«でも、禁止されたわけじゃないので、時々なら大丈夫だと思います»
送信。
指を止めたまま、画面を見る。
既読はすぐについた。
少しして、返信が届く。
«分かった»
続けて、もう一通。
«会えるときでいいから»
理緒はその文字を、しばらく見つめる。
短い言葉。
何も責めない。
無理もさせない。
でも。
ほんの少しだけ、そこに残った言葉が引っかかる。
——会えるときでいいから。
優しい言い方。
でも、それはつまり。
——会いたい、ってことだよね。
スマホをベッドに置いて、天井を見る。
——また、だ。
ふと、そう思う。
自分の意思じゃない。
本当は、もっと会いたい。
少しくらいなら、って反発することもできたかもしれない。
でも。
母に言われて、
夜だから、
女の子だから。
そう言われたら、
「やっぱりそうなんだ」と思ってしまう。
「……」
小さく息を吐く。
胸の奥に、引っかかるものが残る。
正しいことを言われたはずなのに、
どこかだけ、少しだけ違う気がする。
でも、その違いをうまく言葉にできない。
——それでも、会えなくなるわけじゃない。
そう思う。
時々なら大丈夫。
ちゃんと説明すれば大丈夫。
そうやって、形を整えればいいだけ。
そうすれば、今まで通りでいられるはず。
なのに。
ほんの少しだけ、
今まで通りじゃなくなっていく気がした。
理緒は目を閉じる。
自分がどうしたいのか、
まだ、はっきりとは分からなかった。
---
再び、先輩と過ごす時間がなくなってから数日。
中間テスト期間が訪れる。
放課後。
理緒は図書室のいつもの席に座る。
隣の席に鞄を置いて、ノートを出すと、テスト範囲の確認を始める。
理緒が席についてすぐ、
「ここ、いい?」
鞄を置いた席を指して声がかかる。
「あ……はい」
理緒は、最初からそのつもりだったように鞄を退け、席を譲る。
藤森先輩がそこに座る。
「久しぶり」
「お久しぶりです。すみません。また……私の都合で……」
言いかけたところで、先輩が軽く首を振る。
「うん。……寂しかった。せっかく塾が楽しくなってきたところだったから」
「……すみません」
反射みたいに謝ってしまう。
先輩はすぐに小さく笑った。
「冗談。神崎は悪くない」
いたずらっ子な笑いを見せる先輩に、理緒は少し戸惑う。
「……勉強、順調ですか?」
話題を変えるように理緒が言う。
「……ん。まぁ……ぼちぼち」
少し曖昧な返事。
その一瞬の間に、ほんのわずかな引っかかりを覚える。
「先輩の志望校は、決まってるんですか?」
「うん。けやき教育大学附属高校」
「先生になるんですか?」
「まだ夢だけどね。親が教員だから……」
「すごいです。応援します。……じゃあ、ちゃんと勉強しないとですね」
軽く笑って言うと、
「……うん」
先輩は短く頷いた。
その声は、少しだけ沈んでいた気がした。
理緒は気づかないふりをして、自分のノートを開く。
二人は、少し名残惜しそうにそれぞれのページへ視線を落とした。



