夕食の時間、理緒は母と向かい合って座っていた。
食卓には、いつも通りの料理が並んでいる。
テレビの音だけが小さく流れていて、家の中は静かだった。
「そういえば理緒、テストどうだったの?」
母が何気なく言う。
理緒は箸を少し止めてから答えた。
「……平均、75点くらい」
「そう」
母は眉を寄せ困った顔になる。
「小学生の頃は勉強得意だったのにね……中学校の勉強、難しいの?」
理緒は少し間を置いた。
「難しくはないけど……」
言葉を選ぶようにして続ける。
「勉強が、好きになれないだけ」
母は一瞬黙る。
それから、ため息のように優しく言った。
「好きじゃなくてもやるのが勉強よ。
あなたはやればできる子なんだから」
理緒は小さく頷く。
「……頑張る」
その言葉を聞いて、母はそれ以上は何も言わなかった。
ただ、静かに食事が続く。
その静けさの中で、理緒の視線は少しだけ遠くを見ていた。
——昔は。
そう思った瞬間、記憶が浮かぶ。
兄がリビングで父にテストを見せていた日。
「父さん、今回のテスト頑張ったんだ」
兄は誇らしげだった。
父は答案を見て、軽く頷く。
「99点か。凄いじゃないか」
そして、優しい顔で笑って続けた。
「お前は努力家だからな。いつかはパパの会社も頑張って守ってくれそうだな」
兄は一瞬だけ表情を緩めて、うなずいた。
その横で、理緒は自分のテストを握っていた。
「パパ、理緒も!」
勢いよくテストを差し出す。
「100点か!理緒は勉強が得意なんだな」
父はそう言って、優しく頭を撫でてくれた。
「理緒もパパの会社継いで頑張るよ!」
「頼りにしてるぞ」
その言葉に、理緒は嬉しくて笑った。
その時の兄の顔を、今でも覚えている。
笑っていたはずの兄の表情が沈んでいったのが分かった。
——あのとき。
何かが変わってしまったのかもしれない。
それ以降、兄は理緒との勝負に乗らなくなった。
「理緒、早く食べ終わらせて。片付けたいから」
母の声で、理緒は現実に引き戻される。
「あ……ごめんなさい」
慌てて箸を動かす。
母は少しだけ苦笑した。
食事が終わりかけた頃、母が思い出したように言う。
「そういえば、今年のあなたの誕生日、夏休みの初日でしょ」
理緒は小さく頷く。
「お兄ちゃんも帰ってくるみたいだから、家族みんなでお祝いしましょ」
一瞬、手が止まる。
「……え、お兄ちゃんも?」
「久しぶりに家族で食事できるわね。ママ、楽しみ」
母は嬉しそうに言う。
理緒は少しだけ視線を落としてから、小さく答えた。
「……そうだね」
箸を持つ指に、僅かに力が入る。
食卓の音は、また静かに戻っていく。
その静けさの中で、理緒は気づかないふりをしたまま、
胸の奥に一つの波紋が広がっていくのを感じていた。
---
昼休みの教室は、笑い声で満ちていた。
理緒は未来とクラスメイト数人と机を囲みながら、いつものように談笑する。
「あのドラマ、昨日の見た?」
クラスメイトの一人が話題を振る。
「見た見た!やばくなかった?あの展開!」
「うちは塾だったから録画した。今日見る予定〜」
そんな会話が飛び交う中、未来がふっとため息をつく。
「うちなんか、お兄ちゃんがゲームしててテレビ占領してたよぉ」
未来は頬を膨らませる。
「しかも、私が先に座ってたのにソファ取られるし!」
「分かる〜。兄姉っていつも理不尽だよね!」
クラスメイトが笑う。
「しかも、お風呂入ろうと思って準備してたら、普通に先入ったし」
「それはもう戦争じゃん」
教室に笑いが広がる。
未来はさらに続ける。
「兄ってだけで自分勝手許されすぎ!」
「でもさ」
ふいに、理緒が口を開いた。
「なんか、仲いい感じ伝わってくる」
一瞬、空気が止まる。
「えぇ!?今の話聞いてそう思う?」
未来が思い切り顔をしかめる。
理緒は一瞬考えてから言う。
「うん。一緒にいる時間が長いんだなって」
「それは……確かにそうだけどさぁ」
未来は納得いかなそうに唇を尖らせる。
クラスメイトの一人が、ふと思い出したように言った。
「そういえば理緒ってお兄ちゃん、全寮制に進学したんだっけ?」
「うん」
「じゃあ、あんまり会えないの?」
理緒は視線を落とす。
「うん……元々、そんなに一緒に遊んだりはしてなかったけどね」
未来がすかさず割り込む。
「わかる。兄ってさ、妹に手加減してくれないし、うちも、だんだん遊ばなくなったよ」
「やっぱりそうなの?最近、妹が遊んでくれないんだよね」
「妹ちゃんに今までどんな扱いしてたの?」
クラスメイトが笑う。
「私は妹の立場だけど、勝てないて分かってたら、そりゃ遊ばなくもなるよ。うちの姉も妹潰しにくるから、今は相手しないよ」
そう言って、手でやれやれとポーズする。
そんな同級生達の会話に、理緒は少しだけ首をかしげる。
「兄や姉って、手加減とかしてくれないもん?」
その言葉に、クラスメイト達が目を丸くする。
「え、理緒のお兄ちゃん手加減してくれんの!?」
「え?あ……3歳上だからかな。いつも、手加減してくれてたなって……」
未来がすぐに食いつく。
「理緒のお兄さん優しい!」
理緒は不器用に笑う。
「うん……そうだったと思う」
「理緒いいなー。うちの兄もそっちが良かった。」
未来の声に、理緒は小さく笑って返す。
「そうかな」
チャイムが鳴る。
昼休みが終わり、教室が一斉に動き出す。
理緒は教科書を準備しながら、ふと思う。
——普通の兄って、手加減しないのかな。
でもすぐに、その考えを打ち消す。
たぶん、家庭によるだけ。
そういうことにしておけばいい。
それだけで済む話のはずだった。
なのに。
なぜかあの日の兄の沈んでいく笑顔が脳裏を過ぎった。
食卓には、いつも通りの料理が並んでいる。
テレビの音だけが小さく流れていて、家の中は静かだった。
「そういえば理緒、テストどうだったの?」
母が何気なく言う。
理緒は箸を少し止めてから答えた。
「……平均、75点くらい」
「そう」
母は眉を寄せ困った顔になる。
「小学生の頃は勉強得意だったのにね……中学校の勉強、難しいの?」
理緒は少し間を置いた。
「難しくはないけど……」
言葉を選ぶようにして続ける。
「勉強が、好きになれないだけ」
母は一瞬黙る。
それから、ため息のように優しく言った。
「好きじゃなくてもやるのが勉強よ。
あなたはやればできる子なんだから」
理緒は小さく頷く。
「……頑張る」
その言葉を聞いて、母はそれ以上は何も言わなかった。
ただ、静かに食事が続く。
その静けさの中で、理緒の視線は少しだけ遠くを見ていた。
——昔は。
そう思った瞬間、記憶が浮かぶ。
兄がリビングで父にテストを見せていた日。
「父さん、今回のテスト頑張ったんだ」
兄は誇らしげだった。
父は答案を見て、軽く頷く。
「99点か。凄いじゃないか」
そして、優しい顔で笑って続けた。
「お前は努力家だからな。いつかはパパの会社も頑張って守ってくれそうだな」
兄は一瞬だけ表情を緩めて、うなずいた。
その横で、理緒は自分のテストを握っていた。
「パパ、理緒も!」
勢いよくテストを差し出す。
「100点か!理緒は勉強が得意なんだな」
父はそう言って、優しく頭を撫でてくれた。
「理緒もパパの会社継いで頑張るよ!」
「頼りにしてるぞ」
その言葉に、理緒は嬉しくて笑った。
その時の兄の顔を、今でも覚えている。
笑っていたはずの兄の表情が沈んでいったのが分かった。
——あのとき。
何かが変わってしまったのかもしれない。
それ以降、兄は理緒との勝負に乗らなくなった。
「理緒、早く食べ終わらせて。片付けたいから」
母の声で、理緒は現実に引き戻される。
「あ……ごめんなさい」
慌てて箸を動かす。
母は少しだけ苦笑した。
食事が終わりかけた頃、母が思い出したように言う。
「そういえば、今年のあなたの誕生日、夏休みの初日でしょ」
理緒は小さく頷く。
「お兄ちゃんも帰ってくるみたいだから、家族みんなでお祝いしましょ」
一瞬、手が止まる。
「……え、お兄ちゃんも?」
「久しぶりに家族で食事できるわね。ママ、楽しみ」
母は嬉しそうに言う。
理緒は少しだけ視線を落としてから、小さく答えた。
「……そうだね」
箸を持つ指に、僅かに力が入る。
食卓の音は、また静かに戻っていく。
その静けさの中で、理緒は気づかないふりをしたまま、
胸の奥に一つの波紋が広がっていくのを感じていた。
---
昼休みの教室は、笑い声で満ちていた。
理緒は未来とクラスメイト数人と机を囲みながら、いつものように談笑する。
「あのドラマ、昨日の見た?」
クラスメイトの一人が話題を振る。
「見た見た!やばくなかった?あの展開!」
「うちは塾だったから録画した。今日見る予定〜」
そんな会話が飛び交う中、未来がふっとため息をつく。
「うちなんか、お兄ちゃんがゲームしててテレビ占領してたよぉ」
未来は頬を膨らませる。
「しかも、私が先に座ってたのにソファ取られるし!」
「分かる〜。兄姉っていつも理不尽だよね!」
クラスメイトが笑う。
「しかも、お風呂入ろうと思って準備してたら、普通に先入ったし」
「それはもう戦争じゃん」
教室に笑いが広がる。
未来はさらに続ける。
「兄ってだけで自分勝手許されすぎ!」
「でもさ」
ふいに、理緒が口を開いた。
「なんか、仲いい感じ伝わってくる」
一瞬、空気が止まる。
「えぇ!?今の話聞いてそう思う?」
未来が思い切り顔をしかめる。
理緒は一瞬考えてから言う。
「うん。一緒にいる時間が長いんだなって」
「それは……確かにそうだけどさぁ」
未来は納得いかなそうに唇を尖らせる。
クラスメイトの一人が、ふと思い出したように言った。
「そういえば理緒ってお兄ちゃん、全寮制に進学したんだっけ?」
「うん」
「じゃあ、あんまり会えないの?」
理緒は視線を落とす。
「うん……元々、そんなに一緒に遊んだりはしてなかったけどね」
未来がすかさず割り込む。
「わかる。兄ってさ、妹に手加減してくれないし、うちも、だんだん遊ばなくなったよ」
「やっぱりそうなの?最近、妹が遊んでくれないんだよね」
「妹ちゃんに今までどんな扱いしてたの?」
クラスメイトが笑う。
「私は妹の立場だけど、勝てないて分かってたら、そりゃ遊ばなくもなるよ。うちの姉も妹潰しにくるから、今は相手しないよ」
そう言って、手でやれやれとポーズする。
そんな同級生達の会話に、理緒は少しだけ首をかしげる。
「兄や姉って、手加減とかしてくれないもん?」
その言葉に、クラスメイト達が目を丸くする。
「え、理緒のお兄ちゃん手加減してくれんの!?」
「え?あ……3歳上だからかな。いつも、手加減してくれてたなって……」
未来がすぐに食いつく。
「理緒のお兄さん優しい!」
理緒は不器用に笑う。
「うん……そうだったと思う」
「理緒いいなー。うちの兄もそっちが良かった。」
未来の声に、理緒は小さく笑って返す。
「そうかな」
チャイムが鳴る。
昼休みが終わり、教室が一斉に動き出す。
理緒は教科書を準備しながら、ふと思う。
——普通の兄って、手加減しないのかな。
でもすぐに、その考えを打ち消す。
たぶん、家庭によるだけ。
そういうことにしておけばいい。
それだけで済む話のはずだった。
なのに。
なぜかあの日の兄の沈んでいく笑顔が脳裏を過ぎった。



