社会人の恋愛小説を書くようになって、
働いていた会社を思い出すことが多くなった。
私は昔、一軒家を事務所にした会社で働いたことがある。
いつも一番乗りの出社だったので、
鍵を開けたらセコム解除をするのが日課だった。
その会社は、三階建ての西洋風の広々とした一軒家で、玄関のすぐ隣に洗面所。
少し先に、台所へ続くドアがある。
その台所の壁に、セコムのセキュリティ操作盤を設置していた。
困ったことに、社長の私物が散乱していて、
台所に一番近いドアが封鎖されている。
なのでいつも、家の中央にある階段をぐるりと迂回するように、
廊下を一周して台所へ向かわなければならなかった。
朝。玄関前でいったん深呼吸をする。
鍵を通して玄関を開けた瞬間、私の戦いが始まる。
時間制限のカウントダウン。
「早く解除せよ!」と言わんばかりの電子音と共に、私は駆け出す。
玄関で靴を脱ぎ捨てる。
応接室や事務室を全速力で駆け抜け、やっとの思いで台所へたどり着く。
そこでようやく、スティックキーを差し込むのだ。
そこまでいくのに、毎回フローリングで滑って転んだ。
「ズサーーーッ!」っと真横にスライディング。
誰もいない事務所に響く、
出社一番目の女、無様な転倒音。
防犯以前に、社員の身が危険にさらされていた。
急げ。でも滑る。急げ。でも転ぶ。
何度、つるつるのフローリングに足を取られたかわからない。
そして私は、ついに気付いた。
――二足歩行だから転ぶのでは!?
その日から私は、靴を脱ぎ捨てた瞬間、四足歩行へ移行した。
ハイハイである。
手の平から伝わるフローリングの冷たさが、眠っていた野生を呼び覚ます。
獲物を狙う獣のように視線を低く保ち、最短ルートを見定める。
気分は馬か。いや、チーターか。
膝と足裏を器用に使いこなすのがポイントだ。
両手両足で爆速移動すると、驚くほど滑らない。
急かす電子音は、もはや私を追い詰める警告音ではない。
野生を鼓舞するBGMとなった。
人類の進化に逆らうことで、私はようやく身の安全を手に入れた。
のちに、社長のお孫さんが遊びに来たとき。
「おじいちゃん、これ邪魔だよ」
その一言で、台所に一番近いドアを塞いでた荷物がなくなった。
やっと、二足歩行でセコム解除ができるようになった。
そう、私は人間へと戻ったのである。
もし、同じようにセコム解除で毎朝命を懸けている人がいたら、ぜひともお勧めする。
高度なセキュリティシステムに立ち向かうには、
文明の利器よりも、野生の四つ足の方がよほど頼りになるのだ。
ハイハイ。
終
働いていた会社を思い出すことが多くなった。
私は昔、一軒家を事務所にした会社で働いたことがある。
いつも一番乗りの出社だったので、
鍵を開けたらセコム解除をするのが日課だった。
その会社は、三階建ての西洋風の広々とした一軒家で、玄関のすぐ隣に洗面所。
少し先に、台所へ続くドアがある。
その台所の壁に、セコムのセキュリティ操作盤を設置していた。
困ったことに、社長の私物が散乱していて、
台所に一番近いドアが封鎖されている。
なのでいつも、家の中央にある階段をぐるりと迂回するように、
廊下を一周して台所へ向かわなければならなかった。
朝。玄関前でいったん深呼吸をする。
鍵を通して玄関を開けた瞬間、私の戦いが始まる。
時間制限のカウントダウン。
「早く解除せよ!」と言わんばかりの電子音と共に、私は駆け出す。
玄関で靴を脱ぎ捨てる。
応接室や事務室を全速力で駆け抜け、やっとの思いで台所へたどり着く。
そこでようやく、スティックキーを差し込むのだ。
そこまでいくのに、毎回フローリングで滑って転んだ。
「ズサーーーッ!」っと真横にスライディング。
誰もいない事務所に響く、
出社一番目の女、無様な転倒音。
防犯以前に、社員の身が危険にさらされていた。
急げ。でも滑る。急げ。でも転ぶ。
何度、つるつるのフローリングに足を取られたかわからない。
そして私は、ついに気付いた。
――二足歩行だから転ぶのでは!?
その日から私は、靴を脱ぎ捨てた瞬間、四足歩行へ移行した。
ハイハイである。
手の平から伝わるフローリングの冷たさが、眠っていた野生を呼び覚ます。
獲物を狙う獣のように視線を低く保ち、最短ルートを見定める。
気分は馬か。いや、チーターか。
膝と足裏を器用に使いこなすのがポイントだ。
両手両足で爆速移動すると、驚くほど滑らない。
急かす電子音は、もはや私を追い詰める警告音ではない。
野生を鼓舞するBGMとなった。
人類の進化に逆らうことで、私はようやく身の安全を手に入れた。
のちに、社長のお孫さんが遊びに来たとき。
「おじいちゃん、これ邪魔だよ」
その一言で、台所に一番近いドアを塞いでた荷物がなくなった。
やっと、二足歩行でセコム解除ができるようになった。
そう、私は人間へと戻ったのである。
もし、同じようにセコム解除で毎朝命を懸けている人がいたら、ぜひともお勧めする。
高度なセキュリティシステムに立ち向かうには、
文明の利器よりも、野生の四つ足の方がよほど頼りになるのだ。
ハイハイ。
終



