「用って、なに?」
乃亜と呼ばれたその人に声を掛けると、彼は周囲を気にするような素振りを見せてから、口を開いた。
「一瞬だけ、向こうで話せない?」
「すぐ終わるの?」
「うん、すぐ終わる」
予鈴が鳴るまであと5分だと、トイレで紗良が言っていた。あれからまた少し時間が経っているだろうから、予鈴が鳴るまで、実際はあと2分といったところだろうか。授業開始の本鈴はさらにそれから5分後に鳴る。すぐ終わる話なのであれば、問題はないだろう。
あたしは頷いて、彼についていった。
行った先は、A組の教室のすぐ隣にある階段を、半階分だけ上ったところにある踊り場だった。
教室からは近いけれど、もうすぐ授業が始まる頃合いということもあり、人通りはない。内緒話にはぴったりな場所だった。
こんなところに来て、一体何を話すつもりなのかしら。そもそもあたしはこの人と話したこともない。なりゆきで来てしまったけれど、その理由に見当もつかない。
そんなあたしの不信感を察したのか、乃亜と呼ばれた彼は、あたしに向き直ると率直に口を開いた。
「急にごめん。あのさ、夢見さんって、おれの兄貴と会った?」
「……んー。あなたの、お兄さん? ごめんね、そもそも、あなたのこともわからなくて」
「おれはD組の町田乃亜で、兄貴が、町田佳乃っていうんだけど」
佳乃、という響きで、ひとつ、思い出すことがあった。
なるほど。この男——町田乃亜に対して、どこかで見たことがあるような気がしたのは、彼そのものではなくて、彼の兄に会っていたからだったのかって。
そう思った頃にはすべての点と点が線で結ばれた。
「あの人、あなたのお兄さんだったんだね」



