ほんのりと靄のかかった視界の中で、佳乃くんが店員にカードを渡しているのが確認できる。あたしは結局のところまだまだ子どもだから、クレジットカードを使って支払いを済ませる佳乃くんがすっごく大人に見えて、なんかそれだけで格好いいって思えてしまう。
いいな。あたしもはやく、大人になりたい。そうしたら、堂々と佳乃くんの隣に並べるかもしれない。
「ごちそーさまでした」
「んー。じゃー行こ」
店員にぺこりと頭を下げて、ふたりで夜の街に下りていく。
11月の夜の空気はきんと冷えているはずなのに、全く寒いとは思わなかった。むしろ、火照った肌に風があたると、涼しくてきもちいい。
先を歩く佳乃くんについて行こうとしたけれど、足元がふらついて、うまく歩けない。一方で佳乃くんは、涼しげな顔をして、いつもと同じ歩幅を保っていた。佳乃くんはお酒に強い。あれくらいのワイン数杯じゃ、別に酔うこともないのだろう。そういうところも、大人みたいでずるい。
「ねー佳乃くん。歩くのはやいよ?」
「これでも宵に合わせてめちゃくちゃ遅くしてんのに?」
「でも、はやいって。追いつけない」
勢いで、佳乃くんの腕にしがみついてみる。アルコールの魔法にかかれば、これくらいのスキンシップなど、容易いものだ。
上目遣いで佳乃くんを見上げて、「置いてかないで」と甘ったるい声でねだると、彼はあたしを鼻でわらった。
「じゃー、宵。こっちおいで」
彼はあたしを引き連れて、人通りの少ない路地裏にやってくる。
こんなところにホテルなんかあるわけないのに、変なの。
そんなふうに思っていた矢先に、彼はあたしをビルの外壁に追い込んだ。頭ひとつぶん背の高い彼が目の前に立つだけで、どこにも逃げられないような圧迫感がある。
「なに? ちゅーするの?」
「そういうことを自分から先に言っちゃうとこ、直したほうがいいね」
「じゃあ、しない?」
「するけど」
ばちっと視線が交差した瞬間に、香水と、アルコールのにおいが混じった彼のやわらかい唇が、獣のようにあたしの唇を奪った。普段は自分から距離を縮めてこないくせに、こういうときは迷うことなく貪るようにキスをしてくる彼の、本能にのみ忠実なところが好きだった。
どちらともなく舌を出し、彼はあたしの、あたしは彼の体温を求める。
目を瞑り、彼のくちびるの温度を記憶する。この瞬間を忘れたくなかった。ずっとここにいたい。ずっとここに留まりたい。ずっとこのままでいたい。
糸が切れるように唇が離れていく。
「宵さ。あんまりそうやって酔って、べろべろになんの、やめて」
「なんで」
「襲われても知らないよ」
「佳乃くんが守ってくれるんでしょ?」
「おれが襲うかもじゃん」
「なにそれ、エッチだね」
今度は佳乃くんの首筋に手を伸ばす。もう一度キスをする体勢になり、目を閉じかけた。
——だが、見つけてしまった。
それは不幸な偶然だった。最初は、驚きと、困惑。それが理解に変わると、徐々に強い負の情動が湧き上がってくる。甘い思考も切ない感傷も、ぜんぶどうでもよくなってしまった。
巧妙にタートルネックに隠されていたおかげで今まで気づかなかったが、キスの瞬間、佳乃くんの首筋に鬱血痕が染みついているのを、あたしは確かに、この目で見た。



