神代課長は、気づかない──私が、その手に捕らわれていることに

終業時刻が近づく頃、神代課長は、今日の業務を黙々と片づけていた。

書類をめくる音も、パソコンを操作する動きも、普段通りの正確なリズム。

私は指示されたタスクをこなすと、課長のデスクに向かった。

「課長、チェックをお願いします」

神代課長が顔を上げ、私を見る。

「……ありがとう」

パソコンで送信したものとは別に、確認用に打ち出した紙のデータを渡そうとすると、

「……あ」

中の一枚が、ふわりと床に落ちた。

私が拾おうと身をかがめた時、同じように神代課長も手を伸ばしていた。

互いの手がひたりと重なる。

「……すまない」

その一瞬、かすれた声が漏らされ、手が離された。

「いえ……」

声がうまく出せない。

神代課長が乱れたページを整え、デスクに置いた。

「今日は、もう上がっていい。残りは明日で構わない」

「でも、まだ直しがあるのでは──」

「無理はしなくていい」

その一言に、胸がじんわりと熱くなるのを感じる。

神代課長が、再び自分の手をじっと見つめる。

まるで、さっきわずかに触れた感触を確かめるかのように。

「……気をつけて帰れ」

けれど、ただそれだけを言うと、私から視線を逸らした。