曰く付きの調香師は花屋と笑う

 夕焼けが目に眩しい。

 雨はすっかり上がっていた。大地や草木が放つ、どこか懐かしいじっとりとしたニオイ。それをクロウが感じている間にマシロは難なく着地してみせた。三階から飛び降りたというのに衝撃は驚くほど軽い。相変わらず人並外れた身体能力だ。

 蹴破られた窓からまた多くの蜂たちが入り込んでいる。地上にまで悲鳴や怒号は聞こえてきた。

 わあ……と少しばかり引きつった声でマシロが顔を覗き込んでくる。



「何だったの、クロウ」

「あの液体か? フェロモン入り香水だよ」

「フェロモン……って」

「二ペンタノール三メチル一ブタノール一メチルブチル三メチルブタノエート……」

「呪文?」

「蜂の警報フェロモンの成分だよ。花や果物にも含まれてるニオイの成分だ」

「あ、もしかしてリラちゃんに注意してたやつ?」

「そういうこった」



 ついでに自分たちに使った精油はハッカをメインとしている。蜂が嫌い寄り付かない香りだ。自分が作れば、その効果はどちらも普通に調合するよりも絶大である。



「クロウさん! マシロさんも……! 良かった、ご無事だったんですね」

「リラちゃん!」



 息を切らして駆け寄ってきたリラ。彼女は畳んだ傘と大きな虫カゴを手に持っている。

 マシロが首を傾げた。



「それ……?」

「リラ嬢にも協力してもらったんだよ。都合よく蜂が近くにいるかわからなかったしな。先にたくさん捕まえといて近くで待機してもらってたんだ。蜂が興奮し始めたら放してもらう手はずになってた」

「って、クロウ、バカ! そんな危ないことを……!」

「んだよ、捕まえたのはオレだよ」

「問題はそれだけじゃなくて!」

「大丈夫ですよ。私もクロウさんの蜂避けスプレーをいただいていましたから」

「そんなの絶対に大丈夫とは限らないやつじゃん!」

「でも無事でした!」

「もおおお……」

「あんな奴に捕まるマシロが悪い」

「それはごめんね!」



 マシロの情けない声が響く。本当に焦ったのかマシロの感情にいつもよりニオイが高まったのを感じたが、不思議と悪い心地ではなかった。クスクスとこぼれるリラの笑い声も。



「リラ嬢、通報は?」

「そちらもしておきました。すぐ来るそうです」

「それって……」

「蜂があんなに入り込んで暴れてんだ。自警団もさすがに動く。建物の調査をすりゃリラ嬢のリービットや他に密猟された動物たちも保護されると思うぜ」

「……!」



 マシロは目を丸くし――クロウを高く抱き上げた。



「本当に君って奴は!」

「うわ、こら、降ろせっ」

「やーだねっ」

「ガキか!」

「ふふ」



 散々文句を言ってもマシロは聞きやしない。しまいにはクロウを抱き上げたままくるくると回り始める。振り回されながら、クロウは諦めの境地で目を閉じた。やれやれ、だ。どうせ身体の気怠さが回復するまでもう少し時間がかかる。もう好きにしてくれ。



「……ああ、そうだ。リラ嬢」

「はい、何でしょう」

「渡した蜂避けスプレーだが。そいつはリービットにも良くないから、リービットが戻ったら気をつけてくれ」



 忘れない内に忠告しておくと、リラはパチパチと瞬いた。頷きながら、彼女はまた笑う。



「……クロウさんって、優しいですよね」

「わかる? リラちゃん」

「はい。お二人が仲が良いこともすごく納得しました」

「バカ言ってないで、自警団が着く前にズラかるぞ」



 顔をしかめると、マシロとリラが同時に吹き出した。それが何だか居たたまれなくて、クロウは今度こそ目を閉じたのだった。