曰く付きの調香師は花屋と笑う

 張り付いたような笑顔、形ばかりの拍手、鼻につくべたついたニオイ。そのどれもに覚えがあった。自然と胃や心臓が鈍く締め付けられた心地になる。

 クロウはじろりとシグリを睨み上げた。



「……オレは会いたくなかったよ。オレが来るってわかってた風だな」

「そりゃあもちろん」



 あっさりと頷いた彼は大仰に肩をすくめてみせた。



「とはいえ、リービットは元から採集のためでした。つまり君たちに行き当たったことは偶然です。驚きましたよ。リービット攫いに足がつかないよう持ち主の動向をしばらく見張っていたら、まさかクロウがいるなんて。そこからマシロくんを攫ったのは他でもない、クロウを取り戻すためです」



 一つ一つ、わざとらしい説明口調。反吐が出る。彼はこう言いたいのだ。マシロがこんな目に遭っているのはクロウのせいだと。そうマシロに聞かせたいのだ。

 相変わらず性格が悪いなとクロウは思ったが、そのことに驚きはないので黙っておいた。



「君なら雨に流されたニオイすら嗅ぎ取ってくれると信じていましたよ」

「あっそ」



 言うなり、クロウは懐からガラス瓶を取り出した。その蓋を開けようとし――ぴたり、動きを止める。

 換気によるモーター音がいやに響いて聞こえた。

 にこり、シグリが口角を上げる。



「賢明ですね。ここで無闇に香りを振り撒かない方がいい。空調は私の思うがままですから」

「ちっ……」



 そう。肌で感じる風の流れ。今、クロウは思い切りシグリの風下だった。ここで香りを嗅がせようとしてもシグリには届かない。それどころかクロウ自身が食らいかねない。



「ついでに言うと……私に超香などという芸当はできませんが。そんなものなくとも君を苦しめることは可能です」

「……! ぐっ」

「クロウ!?」

「君のその鼻は、強みでありながら弱みでもありますね。強烈な香りを嗅がせるだけで苦しみとなる」

「そう、かよ……!」



 クロウは腕で鼻や口を覆った。

 シグリの方から数多の香りが漂ってくる。一つ一つは決して悪臭なわけではない。そこは彼のプライドだろうか。しかし複雑に入り混じり、さらに強く放たれた香りはどれもが情報の暴力だ。フローラル系、柑橘系、スパイス系やハーブ系などジャンルもあまりに混ざり過ぎていて気持ち悪い。人工香料特有の化学物質も多すぎる。頭が痛い。

 ただ香りを嗅いだだけ、それだけなのに。そこに塗り込められた悪意に脂汗が滲んだ。



「クロウ! 大丈夫か、クロウ!」



 マシロが立ち上がった。なりふりなど構っていられないとばかりに――阻む縄を力任せに引きちぎる!

 彼はちぎれた縄を雑にぶん投げた。急いで駆け寄ってくる。

 支えられた手はひんやりとしていた。クロウは顔を上げ、マシロの腹へ拳を叩き込んでやる。しかし痛みも勢いもないだろう。それが何だか情けない。ヘロリと浮かべた笑みも、きっと自分らしからぬ弱々しさだ。



「やっぱり自力で抜けられるんじゃねえか、馬鹿力」

「ごめん。相手がどう出るかわからなかったから……」

「……これは驚きました」



 目を丸くしたシグリ。だろうな、とクロウは思った。

 マシロはクロウより体格がいいとはいえ、あくまで「クロウより」というだけ。背が高くとも一見そこまで筋肉質には見えないだろう。しかし彼はそこらのマッチョより力を叩き出すことがある。ざまあみろだ。

 マシロが解放されたなら、もうここにいる理由もない。



「けほ……帰るぞ、マシロ」

「え? あ、ああ……」

「……これならどうです?」



 シグリが懐から取り出した香水瓶。薄紫色をしたそれは、形は四角く、装飾は一切ない。あまりにシンプルで特徴などない。

 しかし、なぜかクロウにはわかった。それが何なのか。わかってしまった。それは――。

 ゾクリ、肌が粟立つ感覚。



「ご存知ですか。ニオイというのは他の五感と違い、直接感情や記憶を司る脳に届くのですよ」



 とつとつと、シグリは語る。



「クロウの作り出した香りはそれらへの刺激もまた強い。こちらはかつて彼が作り出した試作品ですが……」

「おい……!」

「『死を招く』香りと言われています」



 そう言って、彼は静かに瓶の蓋を開けた。



 甘くて深いニオイだった。冷たくて硬いニオイだった。暗くて昏い、腹の底を這い寄るほどの官能的なニオイだった。重くさびしい、絶望のニオイだった。

 身体が、脳が締め付けられる。動けない。足元が崩れ去る感覚。一瞬の浮遊感。落ちる。堕ちる。長く――永く――。



「う、ぁ、あぁぁあッ!」