曰く付きの調香師は花屋と笑う

 ――不安のニオイがする。



 クロウは静かに息を吸い込んだ。

 ここ「フランジュア」は花屋らしく様々なニオイで溢れている。

 甘く華やかなバラ、甘酸っぱく爽やかなフリージア、スパイシーなクローブに似たカーネーション、やわらかなバニラの香りのヘリオトロープブライドブルーなど。ある花は強く堂々と、ある花はたおやかに控えめに、様々なニオイを纏ってこの空間を満たしている。



「お嬢さんみたいな可憐な方にはこのガーベラなんかどうかな。ほら、側にあるだけで明るくなる。すごいな、まるであなたのために生まれてきた花のようだ。センスの女神も嫉妬しそうだよ」

「やだ、マシロ様ったら。でもそうね、それじゃあそちらを包んでもらおうかしら」

「マシロ様、あたしにもオススメの花はありますか?」

「君は色彩感覚が素晴らしいね! トレンドを取り入れるのが上手かつ大胆。あまり派手な花だとケンカしてしまうかな……? カスミソウでバランスを取って……そうだな、カーネーションは何色が好き?」

「わ、どれもキレイ。でも、うーん、……この中だと黄色です」

「いいね、元気で明るくなる色だ。それじゃあこの花を中心にもう少し好きな花を足していこう」

「はい!」

「おっと、そこの殿方はもしかしてこれからデートかな?」

「な、何でわかったんですか!?」

「顔に緊張が出ているよ。そんなに緊張してるってことは、プロポーズも考えていたり?」

「そ、そうなんです……せっかくなのでバラでも買ってみようかなと……」

「ヒュウ! 素晴らしい! もちろん優雅で懐の広いバラは君を裏切らないだろう……だけどもう少し彼女のことも聞かせてもらえるかい? 彼女らしい花も添えてみたいと思わない?」

「……! お願いします……!」

「いいね、その顔。さっきよりぐっと男らしくて僕まで心を掴まれそうだ」

「ひぇ……」



 フランジュアは花屋の割に賑やかだ。それもこの店主であるマシロがことあるごとに客を口説いているからに違いない。しかもマシロという男は、十八という若さで、タチの悪いことに背も高く顔も整っている。背中まで伸び緩く結われたブロンドの髪はサラサラだし、青みがかった瞳は掴みどころのない深い海を思わせる。



 スン、とクロウはカウンターの奥で鼻を鳴らした。

 ――嘘のニオイは、しない。



 マシロという男には嘘がほとんどないのだ。大袈裟なきらいはあれど。驚くことに、彼は浮かれた言葉の数々を心から口にしている。ここに来る多くの客も、花が目当てなのかマシロが目当てなのかわかったものではない。

 しかしおかげさまでこの店は今のところ閉店の兆しもなかった。カレノルド帝国にある数多くの花屋の中でフランジュアが生き残っていられるのは、そんな彼の魅力の賜物なのかもしれない。

 とはいえチャラチャラしているだけの男でもない。マシロの対応はあれでいてスピーディーだ。開店当初に押し寄せていた客は、次々と満足そうに帰っていく。

 それにしてもやはり……。



「におうな」

「え?」



 ぼそりと呟くと、マシロがくるりと振り返った。しまった。地獄耳め。

 勝手ながらも嘆息し、クロウはちょうどマシロの対応を受けている女性へ目を向けた。

 花屋には色々な人が来る。デートの相手を喜ばせようとワクワクしている人、プロポーズをするのだと緊張している人、故人を偲ぶ人、見舞い相手の病態を憂えている人。

 彼女から立ち上る『ニオイ』は、そのどれでもない。不安や焦りでありながら、心がここにないような――ポツネンとしたニオイだった。



「あの……」



 彼女も自分が言われたのだと気付いたのだろう。困惑したように眉を下げ、自身の腕や服に鼻を近づける。

 ああ、とマシロが笑った。スルリと彼女の手を取る。白くほっそりとした手が驚きに硬直したようだった。



「もしかしてお嬢さん、何か悩み事?」

「えっ」

「ここフランジュアでそんな不安そうな表情は似合わないよ。どう? 良かったら隣のカフェで話を聞かせてくれない?」



 ――また始まった。

 マシロのそれは、悪癖だ。少なくともクロウはそう思う。お節介などと呼ぶのは好意的解釈すぎる。彼がこうやって他人の領域にズケズケと入っていくのはほとんどが好奇心だろう。

 それでも、色男の誘いというのはいつだって強いらしい。それともよほど相手も切羽詰まっていたのか。

 後者だろうな、とクロウは思った。彼女の発するニオイは、決してマシロに惑わされていない。

 彼女はおずおずとマシロを見上げた。遠慮がちにクロウのことも。



「実は、困っていて……。花屋さんで言うことでもないでしょうが、聞くだけ聞いてもらってもよろしいですか……?」