「ただいま……」
しまった。
時計を見る。
17時7分50秒。
約束の時間、過ぎちゃった。
──ママ、絶対怒ってる。
おそるおそる玄関のドアを開ける。
すると。
リビングの入り口に、ママが立っていた。
にこりともしていない。
静かな顔。
そのほうが、ずっと怖い。
「7分50秒の遅刻ね」
冷たい声が落ちる。
「ミミ、時間をムダにしたわね。どこで何をしていたの?」
心臓が、ひゅっと縮んだ。
「ご、ごめんなさい……。友達の家で、おしゃべりしてた」
ほんとは。
ライトノベルを読んでた。
夢中になって、時間を忘れた。
でも、そんなこと言えない。
絶対に怒られる。
ママは、ふうっとため息をついた。
「まあ、おしゃべりなら仕方ないわね」
やわらかい声。
……助かった?
そう思った瞬間。
「友達がいないと、学校も楽しくないでしょうから」
──あ。
これは、許されたんじゃない。
減点が少なかっただけだ。
「時間をムダにした日は、夕食づくりを半分手伝う」
それが、ママのルール。
私はランドセルを定位置に置く。
プリントは右。
連絡帳は左。
少しでもズレたら、やり直し。
手洗い、うがい。
部屋着に着替える。
エプロンをつけて、キッチンへ。
ジャガイモ。
ニンジン。
ピーラーで皮をむいていると──
後ろから、ふっと声がした。
「あら、ミミ」
びくっ。
「ピーラーは5歳までの道具よ」
ママが笑う。
「包丁は、使えば使うほど上達するもの」
……出た。
ママの『教育』。
私は急いでピーラーを置き、包丁を持つ。
(……めんどくさい)
(皮なんて、むければよくない?)
でも、言わない。
言ったら長いから。
夕食の準備が終わると、次はジョギング。
ママはお気に入りのスポーツウェア姿。
私はキャップを深くかぶる。
ほんとは行きたくない。
でも、「疲れた」は禁止。
「サボる子になるから」がママの口ぐせ。
外に出ると、近所のおばさんが笑った。
「あらぁ、仲良し親子。いってらっしゃい」
ママは、ころっと声を変える。
「松田さん、この間はどうも〜」
にこにこ。
ふんわり笑顔。
優しいママの声。
──うそつき。
家の中と、ぜんぜん違う。
ほんと、別人。
調整池の横を走る。
はあ、はあ。
息が苦しい。
ここ。
半年前、女の子が落ちて死んだ場所。
今は注意の看板がある。
でも、すごく滑る。
落ちたら──たぶん、助からない。
ママは、いつもここで立ち止まる。
そして。
私の肩をつかんで。
「えいっ」
池に落とす真似をする。
心臓が止まりそうになる。
「や、やめて……!」
ママは笑う。
「ふふ。怖がりねぇ」
……泣きたい。
ママは。
私が怖がる顔を見るのが好きなんだ。
「ママ、今日は帰りが遅くなって、ごめんなさい」
走りながら言う。
するとママは前を向いたまま、
「わかればいいのよ」
静かに言った。
「明日からは、時間をムダにしないでね」
夕焼けの道。
無言のジョギング。
重たい空気。
はあ……。
本当に、気が重い。
雨、降ればいいのに。
それか。
──ママが、いなくなればいいのに。
【日記】7月3日 晴れ
今日、ママに怒られた。
17時の約束は、ちゃんと守らないといけないね。
◇◆◇
でも。
もしママがいなくなったら、私は自由になれるのかな。
しまった。
時計を見る。
17時7分50秒。
約束の時間、過ぎちゃった。
──ママ、絶対怒ってる。
おそるおそる玄関のドアを開ける。
すると。
リビングの入り口に、ママが立っていた。
にこりともしていない。
静かな顔。
そのほうが、ずっと怖い。
「7分50秒の遅刻ね」
冷たい声が落ちる。
「ミミ、時間をムダにしたわね。どこで何をしていたの?」
心臓が、ひゅっと縮んだ。
「ご、ごめんなさい……。友達の家で、おしゃべりしてた」
ほんとは。
ライトノベルを読んでた。
夢中になって、時間を忘れた。
でも、そんなこと言えない。
絶対に怒られる。
ママは、ふうっとため息をついた。
「まあ、おしゃべりなら仕方ないわね」
やわらかい声。
……助かった?
そう思った瞬間。
「友達がいないと、学校も楽しくないでしょうから」
──あ。
これは、許されたんじゃない。
減点が少なかっただけだ。
「時間をムダにした日は、夕食づくりを半分手伝う」
それが、ママのルール。
私はランドセルを定位置に置く。
プリントは右。
連絡帳は左。
少しでもズレたら、やり直し。
手洗い、うがい。
部屋着に着替える。
エプロンをつけて、キッチンへ。
ジャガイモ。
ニンジン。
ピーラーで皮をむいていると──
後ろから、ふっと声がした。
「あら、ミミ」
びくっ。
「ピーラーは5歳までの道具よ」
ママが笑う。
「包丁は、使えば使うほど上達するもの」
……出た。
ママの『教育』。
私は急いでピーラーを置き、包丁を持つ。
(……めんどくさい)
(皮なんて、むければよくない?)
でも、言わない。
言ったら長いから。
夕食の準備が終わると、次はジョギング。
ママはお気に入りのスポーツウェア姿。
私はキャップを深くかぶる。
ほんとは行きたくない。
でも、「疲れた」は禁止。
「サボる子になるから」がママの口ぐせ。
外に出ると、近所のおばさんが笑った。
「あらぁ、仲良し親子。いってらっしゃい」
ママは、ころっと声を変える。
「松田さん、この間はどうも〜」
にこにこ。
ふんわり笑顔。
優しいママの声。
──うそつき。
家の中と、ぜんぜん違う。
ほんと、別人。
調整池の横を走る。
はあ、はあ。
息が苦しい。
ここ。
半年前、女の子が落ちて死んだ場所。
今は注意の看板がある。
でも、すごく滑る。
落ちたら──たぶん、助からない。
ママは、いつもここで立ち止まる。
そして。
私の肩をつかんで。
「えいっ」
池に落とす真似をする。
心臓が止まりそうになる。
「や、やめて……!」
ママは笑う。
「ふふ。怖がりねぇ」
……泣きたい。
ママは。
私が怖がる顔を見るのが好きなんだ。
「ママ、今日は帰りが遅くなって、ごめんなさい」
走りながら言う。
するとママは前を向いたまま、
「わかればいいのよ」
静かに言った。
「明日からは、時間をムダにしないでね」
夕焼けの道。
無言のジョギング。
重たい空気。
はあ……。
本当に、気が重い。
雨、降ればいいのに。
それか。
──ママが、いなくなればいいのに。
【日記】7月3日 晴れ
今日、ママに怒られた。
17時の約束は、ちゃんと守らないといけないね。
◇◆◇
でも。
もしママがいなくなったら、私は自由になれるのかな。



