四月になった。桜が咲いた。校庭の端に一本だけある桜の木が、三月の終わりから咲き始めて、四月の最初の週に満開になった。朝、教室の窓から見ると、ピンクの塊が青空を背景に広がっていた。
新学期が始まった。凛ちゃんとわたしは同じクラス、四組だった。席が隣になって、凛ちゃんが「やった」と言った。玲奈さんもクラスは違ったけれど廊下で会うと手を振ってくれた。透子も違うクラスで、会うと小さく挨拶してくれた。
ましろちゃんだけが二年生で、新しい後輩たちが入ってくる中で、少し大人びた顔をするようになっていた。
ほしあま部は、もうなかった。
三月のライブが終わったあと、書類上の廃部の手続きは岸本先生がやってくれた。先生は何も言わなかった。ただ「お疲れ様でした」とだけ言って、書類を持っていった。
でも、岸本先生は音楽室に来てほしいと時々連絡をくれた。曲を弾いてみてほしいとか、声を聴かせてほしいとか。部活じゃない形で、でも繋がっていた。
四月の第二週、わたしは久しぶりに屋上に行った。
一人だった。部活がなくなってから屋上に来たのは、三月にみんなで来た一回だけだった。そのあとは、なんとなく行くタイミングがなかった。
扉を開けた。屋上は変わっていなかった。フェンスが同じようにあって、街が同じように広がっていて、空が同じように高かった。
春の風が吹いていた。桜の花びらが一枚、フェンスの向こうから飛んできて、コンクリートの上に落ちた。わたしはフェンスの前に立った。街を見下ろした。
一年近く前、最初にここに来た日のことを思い出した。噂を聞いて、半信半疑で来てみたら、透子が一人で歌っていた。流れ星が落ちた。あの日から全部が始まった。
歌いたくなった。誰もいないけれど、歌おうと思った。
息を吸った。一曲目のサビを歌った。マイクも音源も何もない。屋上に、わたしの声だけが広がった。
歌い終わって、空を見た。
流れ星は落ちなかった。それでいい、とわたしは思った。
星がなくても、歌えた。声は出た。一年前と変わらず、空に向かって声が出た。
扉の音がした。振り返ったら、透子がいた。
「来てた」
「来てた。透子こそ」
「……なんとなく」
透子はわたしの隣に来て、フェンスの前に並んだ。街を見た。
「久しぶりだね、ここ」
「うん」
「三月以来か」
「そう」
しばらく黙った。
春の風が吹いた。透子の黒い髪が揺れた。
「歌ってた?」
「少しだけ。聞こえてた?」
「扉の外まで届いてた」
「それは恥ずかしい」
「恥ずかしくない」
透子がわたしを見た。
「いい声だった」
「透子に言われると、なんか信じられる気がする」
「本当のことしか言わない」
「知ってる」
透子がまた街を向いた。
「ひかり、今年受験だよね」
「うん。透子も」
「進路、決まってる?」
「まだ全然。透子は?」
「……音楽系に行きたいと思ってる」
わたしは少し驚いた。
「音大?」
「そこまでかどうか分からない。でも、歌を続けたい。ちゃんと勉強したい」
「いいじゃん」
「難しいかもしれない」
「難しくても、やりたいことがある方がいい」
透子は少し間を置いた。
「……ひかりに言われると、なんか信じられる気がする」
「さっきわたしが言ったことそのまま返ってきた」
「本当のことだから」
わたしは少し笑った。透子も口元が少し動いた。
「ねえ、透子」
「なに」
「幼なじみだったって、分かってから、何か変わった?」
透子はしばらく考えた。
「変わったというか、分かったことがある」
「何が?」
「ひかりといるときに、歌いたくなる理由が」
「どういうこと?」
「最初に屋上で歌っているのを見られたとき、怖くなかったと言ってたよね」
「うん、歌が好きな人は怖くないって」
「それだけじゃなかったと思う」
透子がわたしを見た。
「たぶん、知っていたんだと思う。どこかで。ひかりのことを、安心できる人だと、覚えていた」
「記憶がなかったのに?」
「記憶はなかった。でも、感じていた。だからすぐに歌えたし、すぐにいていいって言えた」
わたしは少し胸があたたかくなった。
「わたしも、たぶん同じだった。透子の歌を聴いたとき、初めて会った人なのに、どこかで知っている気がしたから」
「そうだったの?」
「そう。だからすぐに話しかけた」
透子はそれを聞いて、少し下を向いた。
「……よかった」
「何が?」
「話しかけてくれて」
風が吹いた。桜の花びらがまた一枚、フェンスの向こうから飛んできた。今度はわたしの手の甲に落ちて、そのままゆっくり滑って、コンクリートに落ちた。
その日の夕方、みんなでメッセージが飛び交った。
凛ちゃんが最初に送ってきた。
『田中さくらちゃんに連絡したら返事来た』
全員が反応した。
『なんて言ってた?』とわたしが返した。
『急に連絡してごめんってあたしが言ったら、全然気にしないで待ってたよって言われた』
『待ってたって?』
『なんか、凛ちゃんなら絶対また連絡くれると思ってたって。記憶ってすごいな、向こうはちゃんと覚えてたんだ』
しばらくしてまた凛ちゃんから来た。
『今度会う約束した。夏休みに』
ましろちゃんから『よかったです』と来た。玲奈さんから『それは嬉しいですね』と来た。透子から『よかった』と来た。
わたしは『よかった。楽しみだね』と返した。
しばらくして、玲奈さんからメッセージが来た。
『昨日、母に電話しました』
『どうだった?』
『ピアノを始めたきっかけの話をしたら、母も覚えていて、一緒に泣きました』
『泣いたんだ、玲奈さんが』
『珍しいですよね。でも泣きました』
『よかった』
『ひかりさん、ありがとう。誘ってくれて』
わたしはその一言を少し見つめた。玲奈さんが「誘ってくれてありがとう」と言った。凛ちゃんも同じようなことを言っていた。でもわたしは、自分が誘った立場だとはあまり思っていなかった。ただ、歌いたかった。みんなと一緒にいたかった。それだけのことだった。
『こちらこそ、来てくれてありがとうございます』と返した。
ましろちゃんから最後にメッセージが来た。
『ましろ、進路のこと少し考えました。教育学部、調べてみます』
『いいじゃん』
『先輩に言われたこと、ずっと覚えてます。声があるなら、ずっと歌ったらいいって』
『覚えててくれたんだ』
『ましろの大事な言葉です』
わたしは少し目が熱くなった。我慢した。でも少し熱かった。
五月になった。屋上に、またみんなで集まる日が増えた。
部活じゃない。ただ放課後に屋上に来て、歌うこともあるし、ただ話すこともある。凛ちゃんが「非公式ほしあま部続いてるじゃん」と言って、全員が笑った。
ある日の放課後、みんなで屋上に来て、久しぶりに三曲通して歌った。
マイクも音源も何もなかった。でも声は出た。一曲目から三曲目まで、途中で止まることなく歌い切った。
歌い終わって、みんなで空を見た。
流れ星は落ちなかった。でも誰も残念そうじゃなかった。
「落ちなくなったね、やっぱり」
凛ちゃんが言った。
「うん」
「でも歌えた」
「歌えた」
「なんか、それでじゅうぶんな気がする」
透子が言った。
「……星がなくても、歌える」
「うん」
「それが分かったから、いいんだと思う」
ましろちゃんが頷いた。
「ましろも、そう思います。最初は星が落ちるから特別だと思ってたけど、今は、わたしたちが歌うから特別だと思ってます」
「それいい言葉だよ」
凛ちゃんが言った。
「ましろ、先生になったらそれ子どもたちに言えばいいじゃん。あなたが歌うから特別なんだよって」
ましろちゃんが少し照れた。
「でもまだまだ先の話です」
「夢があると、毎日が変わるよ。あたしもダンスをもっと本気でやろうと思って、この春からスタジオに通い始めた」
「ほんとに?」
「文化祭とライブで、ちゃんとやってみたら、もっとやりたくなった。欲張りだよね」
「欲張りじゃない、いいことだよ」
わたしがそう言ったら、玲奈さんが少し遠くを見ながら伝えた。
「わたくしも、来年のコンクールに向けて、新しい曲を書こうと思っています。自分の曲で出たい」
「自作曲で出れるの?」
「出られるカテゴリがあります。難しいですが、やってみたい」
「絶対やったほうがいい。玲奈さんの曲、好きだから」
「ありがとうございます」
玲奈さんが少し笑った。
「凛さんにも聴いてもらおうと思っています」
「凛ちゃんに特別に?」
「……そのつもりです」
凛ちゃんが聞こえていたのか、別の方を向いたまま耳だけが赤くなった。
夕日が落ちてきた。橙の光がみんなを照らした。
わたしはフェンスに手をかけて、街を見下ろした。
去年転校してきたとき、この街を知らなかった。どこに何があるか、どんな人がいるか、全部知らなかった。でも今は、ここがわたしの場所だった。
「ねえ、みんな」
「なに?」
「流れ星がなくなっても、わたしたちは歌えるよ」
「今更言う?」
「改めて言いたかった」
凛ちゃんが笑った。
「そうだね。歌えるよ」
「アイドル部が終わっても、歌えるよ」
「終わったけど、歌えてる」
「これからもずっと歌えるよ」
凛ちゃんが「うん」と言った。玲奈さんが「ええ」と言った。ましろちゃんが「はい」と言った。
透子がわたしを見た。
「……うん」
それだけだった。でもじゅうぶんだった。
わたしは空を見上げた。青から橙に変わっていく空。流れ星は落ちない。でも空は変わらずそこにある。また口ずさみたくなった。
今度は一人じゃなかった。わたしが歌い始めると、透子が続いた。凛ちゃんが続いた。玲奈さんが続いた。ましろちゃんが続いた。
マイクも音源も何もない。衣装も着ていない。ただみんなで、フェンスの前に並んで、夕日に向かって歌った。
声が広がった。屋上に、街に、夕空に。
流れ星は落ちなかった。でも声は、遠くまで届いた気がした。
その夜、わたしは部屋で少し書いた。
日記でも、歌詞でもない。ただ、思ったことを書いた。
あの屋上には、もう星は落ちない。
けれど、あの放課後は、きっと一生消えない。
書いて、少し読み返した。悪くないと思った。いや、これでいいと思った。
消えた思い出もあった。戻ってきた思い出もあった。忘れていたのに、歌ったら繋がった記憶があった。全部が正しくて、全部が本物だった。
流れ星が落ちる屋上で、わたしたちは出会った。
流れ星が落ちなくなった屋上で、わたしたちはまだ歌っている。
それが全部だった。それでじゅうぶんすぎるくらいだった。
窓の外を見た。夜空だった。流れ星は落ちなかった。
でもわたしは、少しだけ笑って、ノートを閉じた。
明日もまた、屋上に行こうと思った。
歌いたかった。みんなと、また。
星降る屋上アイドル部は、一年も経たないうちに終わった。
でも透子はその春、音大へ行くと目標をはっきり決めた。
凛ちゃんは夏休みに田中さくらと再会して、帰ってきてから「やっぱりいい子だった」と泣きながら報告してくれた。
玲奈さんは秋のコンクールに自作曲で出場して、審査員特別賞をもらった。授賞式のあと、凛ちゃんが一番大きな花束を持って来ていた。
わたしは、特別な夢を見つけたわけじゃなかった。
でもみんなのそばにいて、歌い続けた。
それがわたしの、放課後だった。
わたしたちが、高校を卒業してさらに翌年の春。ましろちゃんは、国立大の教育学部に合格した。合格発表の日にわたしに電話をくれて、「ましろ、夢に向かいます」と泣きながら言った。
あの屋上には、今も星は落ちない。
けれど、あの放課後は、きっと一生消えない。
(完)
新学期が始まった。凛ちゃんとわたしは同じクラス、四組だった。席が隣になって、凛ちゃんが「やった」と言った。玲奈さんもクラスは違ったけれど廊下で会うと手を振ってくれた。透子も違うクラスで、会うと小さく挨拶してくれた。
ましろちゃんだけが二年生で、新しい後輩たちが入ってくる中で、少し大人びた顔をするようになっていた。
ほしあま部は、もうなかった。
三月のライブが終わったあと、書類上の廃部の手続きは岸本先生がやってくれた。先生は何も言わなかった。ただ「お疲れ様でした」とだけ言って、書類を持っていった。
でも、岸本先生は音楽室に来てほしいと時々連絡をくれた。曲を弾いてみてほしいとか、声を聴かせてほしいとか。部活じゃない形で、でも繋がっていた。
四月の第二週、わたしは久しぶりに屋上に行った。
一人だった。部活がなくなってから屋上に来たのは、三月にみんなで来た一回だけだった。そのあとは、なんとなく行くタイミングがなかった。
扉を開けた。屋上は変わっていなかった。フェンスが同じようにあって、街が同じように広がっていて、空が同じように高かった。
春の風が吹いていた。桜の花びらが一枚、フェンスの向こうから飛んできて、コンクリートの上に落ちた。わたしはフェンスの前に立った。街を見下ろした。
一年近く前、最初にここに来た日のことを思い出した。噂を聞いて、半信半疑で来てみたら、透子が一人で歌っていた。流れ星が落ちた。あの日から全部が始まった。
歌いたくなった。誰もいないけれど、歌おうと思った。
息を吸った。一曲目のサビを歌った。マイクも音源も何もない。屋上に、わたしの声だけが広がった。
歌い終わって、空を見た。
流れ星は落ちなかった。それでいい、とわたしは思った。
星がなくても、歌えた。声は出た。一年前と変わらず、空に向かって声が出た。
扉の音がした。振り返ったら、透子がいた。
「来てた」
「来てた。透子こそ」
「……なんとなく」
透子はわたしの隣に来て、フェンスの前に並んだ。街を見た。
「久しぶりだね、ここ」
「うん」
「三月以来か」
「そう」
しばらく黙った。
春の風が吹いた。透子の黒い髪が揺れた。
「歌ってた?」
「少しだけ。聞こえてた?」
「扉の外まで届いてた」
「それは恥ずかしい」
「恥ずかしくない」
透子がわたしを見た。
「いい声だった」
「透子に言われると、なんか信じられる気がする」
「本当のことしか言わない」
「知ってる」
透子がまた街を向いた。
「ひかり、今年受験だよね」
「うん。透子も」
「進路、決まってる?」
「まだ全然。透子は?」
「……音楽系に行きたいと思ってる」
わたしは少し驚いた。
「音大?」
「そこまでかどうか分からない。でも、歌を続けたい。ちゃんと勉強したい」
「いいじゃん」
「難しいかもしれない」
「難しくても、やりたいことがある方がいい」
透子は少し間を置いた。
「……ひかりに言われると、なんか信じられる気がする」
「さっきわたしが言ったことそのまま返ってきた」
「本当のことだから」
わたしは少し笑った。透子も口元が少し動いた。
「ねえ、透子」
「なに」
「幼なじみだったって、分かってから、何か変わった?」
透子はしばらく考えた。
「変わったというか、分かったことがある」
「何が?」
「ひかりといるときに、歌いたくなる理由が」
「どういうこと?」
「最初に屋上で歌っているのを見られたとき、怖くなかったと言ってたよね」
「うん、歌が好きな人は怖くないって」
「それだけじゃなかったと思う」
透子がわたしを見た。
「たぶん、知っていたんだと思う。どこかで。ひかりのことを、安心できる人だと、覚えていた」
「記憶がなかったのに?」
「記憶はなかった。でも、感じていた。だからすぐに歌えたし、すぐにいていいって言えた」
わたしは少し胸があたたかくなった。
「わたしも、たぶん同じだった。透子の歌を聴いたとき、初めて会った人なのに、どこかで知っている気がしたから」
「そうだったの?」
「そう。だからすぐに話しかけた」
透子はそれを聞いて、少し下を向いた。
「……よかった」
「何が?」
「話しかけてくれて」
風が吹いた。桜の花びらがまた一枚、フェンスの向こうから飛んできた。今度はわたしの手の甲に落ちて、そのままゆっくり滑って、コンクリートに落ちた。
その日の夕方、みんなでメッセージが飛び交った。
凛ちゃんが最初に送ってきた。
『田中さくらちゃんに連絡したら返事来た』
全員が反応した。
『なんて言ってた?』とわたしが返した。
『急に連絡してごめんってあたしが言ったら、全然気にしないで待ってたよって言われた』
『待ってたって?』
『なんか、凛ちゃんなら絶対また連絡くれると思ってたって。記憶ってすごいな、向こうはちゃんと覚えてたんだ』
しばらくしてまた凛ちゃんから来た。
『今度会う約束した。夏休みに』
ましろちゃんから『よかったです』と来た。玲奈さんから『それは嬉しいですね』と来た。透子から『よかった』と来た。
わたしは『よかった。楽しみだね』と返した。
しばらくして、玲奈さんからメッセージが来た。
『昨日、母に電話しました』
『どうだった?』
『ピアノを始めたきっかけの話をしたら、母も覚えていて、一緒に泣きました』
『泣いたんだ、玲奈さんが』
『珍しいですよね。でも泣きました』
『よかった』
『ひかりさん、ありがとう。誘ってくれて』
わたしはその一言を少し見つめた。玲奈さんが「誘ってくれてありがとう」と言った。凛ちゃんも同じようなことを言っていた。でもわたしは、自分が誘った立場だとはあまり思っていなかった。ただ、歌いたかった。みんなと一緒にいたかった。それだけのことだった。
『こちらこそ、来てくれてありがとうございます』と返した。
ましろちゃんから最後にメッセージが来た。
『ましろ、進路のこと少し考えました。教育学部、調べてみます』
『いいじゃん』
『先輩に言われたこと、ずっと覚えてます。声があるなら、ずっと歌ったらいいって』
『覚えててくれたんだ』
『ましろの大事な言葉です』
わたしは少し目が熱くなった。我慢した。でも少し熱かった。
五月になった。屋上に、またみんなで集まる日が増えた。
部活じゃない。ただ放課後に屋上に来て、歌うこともあるし、ただ話すこともある。凛ちゃんが「非公式ほしあま部続いてるじゃん」と言って、全員が笑った。
ある日の放課後、みんなで屋上に来て、久しぶりに三曲通して歌った。
マイクも音源も何もなかった。でも声は出た。一曲目から三曲目まで、途中で止まることなく歌い切った。
歌い終わって、みんなで空を見た。
流れ星は落ちなかった。でも誰も残念そうじゃなかった。
「落ちなくなったね、やっぱり」
凛ちゃんが言った。
「うん」
「でも歌えた」
「歌えた」
「なんか、それでじゅうぶんな気がする」
透子が言った。
「……星がなくても、歌える」
「うん」
「それが分かったから、いいんだと思う」
ましろちゃんが頷いた。
「ましろも、そう思います。最初は星が落ちるから特別だと思ってたけど、今は、わたしたちが歌うから特別だと思ってます」
「それいい言葉だよ」
凛ちゃんが言った。
「ましろ、先生になったらそれ子どもたちに言えばいいじゃん。あなたが歌うから特別なんだよって」
ましろちゃんが少し照れた。
「でもまだまだ先の話です」
「夢があると、毎日が変わるよ。あたしもダンスをもっと本気でやろうと思って、この春からスタジオに通い始めた」
「ほんとに?」
「文化祭とライブで、ちゃんとやってみたら、もっとやりたくなった。欲張りだよね」
「欲張りじゃない、いいことだよ」
わたしがそう言ったら、玲奈さんが少し遠くを見ながら伝えた。
「わたくしも、来年のコンクールに向けて、新しい曲を書こうと思っています。自分の曲で出たい」
「自作曲で出れるの?」
「出られるカテゴリがあります。難しいですが、やってみたい」
「絶対やったほうがいい。玲奈さんの曲、好きだから」
「ありがとうございます」
玲奈さんが少し笑った。
「凛さんにも聴いてもらおうと思っています」
「凛ちゃんに特別に?」
「……そのつもりです」
凛ちゃんが聞こえていたのか、別の方を向いたまま耳だけが赤くなった。
夕日が落ちてきた。橙の光がみんなを照らした。
わたしはフェンスに手をかけて、街を見下ろした。
去年転校してきたとき、この街を知らなかった。どこに何があるか、どんな人がいるか、全部知らなかった。でも今は、ここがわたしの場所だった。
「ねえ、みんな」
「なに?」
「流れ星がなくなっても、わたしたちは歌えるよ」
「今更言う?」
「改めて言いたかった」
凛ちゃんが笑った。
「そうだね。歌えるよ」
「アイドル部が終わっても、歌えるよ」
「終わったけど、歌えてる」
「これからもずっと歌えるよ」
凛ちゃんが「うん」と言った。玲奈さんが「ええ」と言った。ましろちゃんが「はい」と言った。
透子がわたしを見た。
「……うん」
それだけだった。でもじゅうぶんだった。
わたしは空を見上げた。青から橙に変わっていく空。流れ星は落ちない。でも空は変わらずそこにある。また口ずさみたくなった。
今度は一人じゃなかった。わたしが歌い始めると、透子が続いた。凛ちゃんが続いた。玲奈さんが続いた。ましろちゃんが続いた。
マイクも音源も何もない。衣装も着ていない。ただみんなで、フェンスの前に並んで、夕日に向かって歌った。
声が広がった。屋上に、街に、夕空に。
流れ星は落ちなかった。でも声は、遠くまで届いた気がした。
その夜、わたしは部屋で少し書いた。
日記でも、歌詞でもない。ただ、思ったことを書いた。
あの屋上には、もう星は落ちない。
けれど、あの放課後は、きっと一生消えない。
書いて、少し読み返した。悪くないと思った。いや、これでいいと思った。
消えた思い出もあった。戻ってきた思い出もあった。忘れていたのに、歌ったら繋がった記憶があった。全部が正しくて、全部が本物だった。
流れ星が落ちる屋上で、わたしたちは出会った。
流れ星が落ちなくなった屋上で、わたしたちはまだ歌っている。
それが全部だった。それでじゅうぶんすぎるくらいだった。
窓の外を見た。夜空だった。流れ星は落ちなかった。
でもわたしは、少しだけ笑って、ノートを閉じた。
明日もまた、屋上に行こうと思った。
歌いたかった。みんなと、また。
星降る屋上アイドル部は、一年も経たないうちに終わった。
でも透子はその春、音大へ行くと目標をはっきり決めた。
凛ちゃんは夏休みに田中さくらと再会して、帰ってきてから「やっぱりいい子だった」と泣きながら報告してくれた。
玲奈さんは秋のコンクールに自作曲で出場して、審査員特別賞をもらった。授賞式のあと、凛ちゃんが一番大きな花束を持って来ていた。
わたしは、特別な夢を見つけたわけじゃなかった。
でもみんなのそばにいて、歌い続けた。
それがわたしの、放課後だった。
わたしたちが、高校を卒業してさらに翌年の春。ましろちゃんは、国立大の教育学部に合格した。合格発表の日にわたしに電話をくれて、「ましろ、夢に向かいます」と泣きながら言った。
あの屋上には、今も星は落ちない。
けれど、あの放課後は、きっと一生消えない。
(完)



