星降る屋上アイドル部―屋上で歌うと流れ星が落ちるらしいので、女子高生アイドル部を作ることにした

 十二月になった。屋上の風は本格的に冬の冷たさになって、練習できる時間が短くなった。日が落ちるのが早いから、五時を過ぎると暗くなる。暗くなると星が落ちても見えにくくなる、とましろちゃんが言って、全員が笑った。
 二曲目がほぼ完成していた。玲奈さんのメロディに、わたしの歌詞が乗った。凛ちゃんの振り付けが固まった。透子が歌い込んで、ましろちゃんがそれを追いかけた。岸本先生に聴かせたら「一曲目より深みがある」と言われた。
 順調だった。順調だったから、逆に気になっていたことに向き合う余裕が出てきた。
 幼なじみのことだった。

 きっかけは、小さなことだった。ある朝、母親から電話がかかってきた。実家に荷物を送るついでに、古いアルバムも一緒に送ったという話だった。
「小さいころの写真、懐かしくて見てたんだけどね。ひかり、あの子のこと覚えてる?」
「あの子?」
「ほら、近所に住んでた子。よく一緒に遊んでたじゃない。透き通るみたいな声で歌う子」
 わたしは少し考えた。
「……誰のこと?」
「えっ、覚えてないの? 仲良かったのに。写真も一緒に写ってるよ」
「顔が出てこない」
「そう? ちょっと待って」
 母親がアルバムをめくる音がした。
「あった。送るから見てみて」
 電話を切って、しばらくしてから写真が届いた。
 スマホの画面に表示された写真を見た。公園のブランコに二人で乗っている。五歳か六歳くらいだろうか。一人はわたしだった。もう一人は、黒い髪の女の子だった。
 顔が、見えなかった。写真は鮮明だった。でも、もう一人の顔だけが、なぜか認識できなかった。誰なのか分からないのではなく、見ようとすると視点がずれる感じがした。霞がかかっているわけでもない。ただ、その顔が、わたしの記憶とどこにも繋がらなかった。
 写真の中で、その子とわたしは笑っていた。
 楽しそうに、並んで。でも、誰なのか分からなかった。

 その日の放課後、練習が終わって透子と二人になった。
 いつも通りフェンスの前に並んで、街を見ていた。わたしはスマホを取り出した。
「透子、ちょっと見てほしいものがある」
 写真を透子に見せた。
 透子が画面を見た。一秒。二秒。透子の表情が、かすかに固まった。
「この写真、今朝お母さんから送られてきた。小さいころ一緒に遊んでた子だって言われたんだけど、誰なのか全然分からなくて」
「……うん」
「透子には分かる? この子」
 透子は答えなかった。画面を見たまま、少し黙っていた。
「透子?」
「……少し、待って」
 透子の指が、フェンスの金網をきゅっと掴んだ。強い風が吹いているわけでもないのに、呼吸だけが少し乱れているように見えた。わたしは声をかけられなかった。
 やがて透子は、外を向いたまま小さく言った。
「……知らないはずなのに、知ってる気がする」
 少し間を置いて、もう一度。
「思い出せないのに、なくした感じだけがある」
 その声を聞いたとき、透子は困っているんじゃなくて、傷ついているのかもしれないと、初めて思った。
 透子がわたしにスマホを返した。それからフェンスに両手をかけて、外を見た。何かを考えているみたいだった。いや、何かを確かめているみたいだった。
「透子、知ってる? この子のこと」
 透子はすぐには答えなかった。
 やがてゆっくりと言った。
「……分からない」
「分からない?」
「顔は見えた。でも、誰なのか出てこない」
「わたしと同じだ」
「うん」
 透子の声が、いつもより少し低かった。
「でも、なんか、見たことある気がする」
「どういうこと?」
「初めて見た顔じゃない気がする。でも誰か分からない。そういう感じ」
 わたしは少し考えた。
「透子って、この学校に来る前はどこに住んでたの?」
 透子が少し間を置いた。
「……今と同じ市内。でも引っ越してる。小学校の途中で」
「どのあたり?」
 透子が地区の名前を言った。わたしの胸が、少しだけ跳ねた。
「それって、駅の北側?」
「うん」
「わたしも、小学校のころ少しだけそっちにいた」
 透子がわたしを見た。
「……いつ?」
「小学校一年の終わりまで。それから引っ越した」
 透子はわたしを見たまま、黙っていた。
 二人の間に、何かが漂い始めた。言葉にできないけれど、確かにある何かが。
「透子、子どものころ、公園でブランコに乗ってた記憶ってある?」
 透子の手が、フェンスの上でかすかに動いた。
「……ある」
「誰かと一緒に?」
「……たぶん」
「たぶん?」
「思い出せない。一人だったのか、誰かといたのか、もう分からない」
 わたしは写真をもう一度見た。ブランコに並んで乗っている二人の子ども。わたしと、黒い髪の女の子。楽しそうに笑っている。黒い髪。透子の髪も、黒かった。

 その夜、眠れなかった。布団の中で天井を見ていた。
 頭の中で、いくつかのことが繋がろうとしていた。でも繋がりきらなかった。
 透子と同じ地区に、同じ時期にいた。写真の子の顔が、なぜか認識できない。
 透子がその写真を見て、見たことある気がすると言った。
 わたしには幼なじみの記憶がない。透子には、幼いころ一緒に遊んだ記憶が薄い。
 もし。もし、透子がその幼なじみだったとしたら。
 二人とも、記憶が消えているから、気づけない。
 でもそれは、本当のことなのか。思い込みじゃないのか。
 確かめる方法が分からなかった。記憶がないから確かめられない。でも何かが引っかかる。
 わたしは目を閉じた。何かを思い出そうとした。
 公園。ブランコ。黒い髪の子。歌声。
 歌声。その子の声が、記憶の端に引っかかった。
 透き通るみたいな声で歌う子、とお母さんは言っていた。
 透子の声が、頭の中に重なった。でも、それは都合がいい思い込みかもしれない。
 透子の声が好きだから、結びつけたいだけかもしれない。
 わたしは考えるのをやめた。今は確かめられない。でも、いつか分かるかもしれない。
 あるいは、永遠に分からないままかもしれない。

 翌日の練習で、透子はいつも通りだった。
 昨夜のことは何も言わなかった。わたしも言わなかった。
 でも練習中、一度だけ目が合った。透子がわたしを見て、わたしが透子を見た。
 何も言わなかった。でも、何かを共有した気がした。
 二人とも、昨夜同じようなことを考えていたんじゃないか。そういう気がした。
 サビを歌ったとき、流れ星が落ちた。
 五本落ちて、一本だけ、他より長く尾を引いた。
 凛ちゃんが「あの一本、長くない?」と言った。
「うん」とわたしは答えた。
「なんかいつもと違う」
「違うね」
「何かあった?」
ましろちゃんがわたしに尋ねた。
「少し、気になることがあって」
「話せますか?」
玲奈さんの問いに、わたしは少し考えた。
「まだはっきりしてないから、もう少し待ってほしい。でも、いつか話す」
「分かりました」
 透子はわたしの隣で空を見ていた。
 何も言わなかった。でも、少しだけわたしの方に近かった。
 気のせいかもしれない。でも、気のせいじゃない気もした。

 その日の帰り道、透子と二人で歩いた。
 曲がり角のひとつ手前で、透子が立ち止まった。
「ひかり」
「うん?」
「もし、昨日の話が本当だとしたら」
 透子は前を向いたまま言った。
「本当だとしたら、何が変わる?」
 わたしは少し考えた。
「変わらない、と思う。今のわたしたちの関係は、関係ないから」
「……そう」
「でも、知りたいとは思う」
「なんで」
「透子のことを、もっと知りたいから」
 透子はしばらく黙っていた。
 それから、ぽつりと言った。
「……わたしも」
 それだけだった。透子は歩き出した。わたしも続いた。
 街灯の下を、二人で歩いた。答えはまだなかった。でも何かが、少しずつ近づいてきている気がした。夜空に、流れ星は落ちなかった。
 でも、胸の中に、小さな光がある気がした。