『お姉ちゃんだから』と我慢し続けてきた令嬢、ついにブチ切れる




 だが、そんな家族たちの淡い抵抗が打ち砕かれ、陥落するのも時間の問題だった。

 王族の本気を、舐めてはいけない。
 元々、彼は敬愛する姉のために己を磨き続けてきた男だ。

 一年前の帝国の後継者争いを機に目的を失い、自暴自棄になっていただけで、その本質は努力の天才。幼少期からの英才教育によって培われた基礎力は、一級品だったのである。



 ジスランの勢いは止まらない。

 フルールが父に施した地獄の矯正トレーニングを、彼は「これはいい運動だ」と難なくこなし、さらには継母のレンタルドレス事業にもテコ入れを開始。
 王宮で眠っていた時代遅れだが仕立ては最高級の令息服を独自のルートで大量に融通し、男性部門の展開を強力にバックアップした。


 極めつけは、指示すれば仕事はこなすものの、隙あらば責任から逃げ出そうとする父の存在だった。

 ジスランは私が父の扱いに持て余しているのをいち早く察し、手土産の最高級ワインで父の喉を潤し、「これを自領でも開発できれば、好きなだけ飲めますよ?」と、悪魔のように囁いたのである。

 父はあっさりとそのニンジンに飛びつき、気づけば彼らは二人三脚で葡萄酒の新規開発に着手していた。


 かつての白く美しい指先は、またたく間に無骨な「実務家の手」へと変わり、毎日インクや泥で真っ黒に染まっている。




 ――そして、気づいたときには。
 ジスランは完全にウォルジー家の日常に溶け込み、当然のような顔をして屋敷に住み着いていた。




 休む間もなく勤勉に働き、家族の懐にまで巧みに入り込み、私に対してはひたすら柔らかな笑みを向けるジスラン。

 当初の困惑こそ消えないものの、真剣な彼を無理やり追い出すほどの嫌悪感は、今の私にはなかった。

 それどころか、私が苦手とする中長期的な戦略や各所への根回しを、彼が「待っていました」と言わんばかりに、隙のない立ち回りで先回りして片付けてくれるのだ。

 そんな便利……いえ、献身的なサポートを日々受けるうちに、私も徐々に、本当に少しずつではあるが、――彼を信頼するようになっていったのである。




 そんな平穏な日々のなかで、目下、唯一の悩みといっていいこと。

 ……それは、この国の第二王子ともあろう男が、いつの間にか家族たちに混ざって、私のことを「お姉さま」と呼び始めたことだけだった。






 一方、その頃。

 再度国を追われ、行き場をなくして帝国から彷徨い着いた元王子レオポルドは、ある公爵家の離れにその身を潜めていた。

「……ソフィーは、僕が遅れてきたから怒っているんだろう。いや、もしかしたら帝国で婚約者がいたことに嫉妬しているかもしれない。それとも、久しぶりの再会なのに、薔薇のひとつも用意できなかった僕に呆れていたのかも……」

 ぶつぶつと妄想を呟きながら、酒を煽るレオポルド。

 生まれながらにして「魔力以外」のすべてを与えられてきた彼は、ソフィーが未だに自分を愛していると、少しも疑っていなかった。


 その隣では、かねてよりジスランの婚約者の座を狙っていた公爵令嬢アリアーヌが、苛立ちに任せて扇子を机に叩きつけていた。

「ジスラン殿下が、あんなぽっと出の小娘に執着なさるなんて……。しかも、あの忌々しいレンタルドレス店の娘ですって? 目障りだわ」

 彼女は酒に溺れる「元王子」を、汚らしいゴミを見るような目で一瞥した。その口元が醜く歪む。

「帝国から流れてきたこの『粗大ゴミ』に襲わせて、二度と表舞台へ出られないようにしてやればいいのよ。汚れ仕事の使い捨てには、これくらいが丁度いいでしょう?」

 薄暗い密室で、追放された男の独りよがりな執着と、高慢な令嬢の身勝手な嫉妬が混じり合う。
 ソフィーの知らぬところで、どす黒い悪意が確かな形を成そうとしていた。