『お姉ちゃんだから』と我慢し続けてきた令嬢、ついにブチ切れる




 その様子を、木々の隙間から息を殺して見守る影があった。
 第二王子ジスラン。

 執拗に迫る公爵令嬢アリアーヌから逃れ、退屈を紛らわすために庭へ出た先で、彼はソフィーと同じく悲鳴を聞きつけ――そして、この蹂躙という名の救出劇を目撃してしまったのだ。

「……なんだ、今の、は」

 ジスランは生まれて初めて、自分の鼓動が耳の奥でうるさく鳴り響くのを感じていた。


 先ほどまでの彼は、ソフィーのことを都合のいい存在としか見ていなかった。

 自分を甘やかし、退屈な人生を保証してくれる、おあつらえ向きの財力を持った大人しい令嬢。
 バルコニーで漏らした「何もさせずに笑わせておいてくれる相手」という言葉は、彼が己の人生に絶望し、何も期待していなかった証拠でもあった。

 だが、今目の前で起きた光景は、彼の腐りかけていた価値観を根底から打ち砕いた。


 月光だけが頼りの森の中で、まるで精霊が舞うように繰り出された圧倒的な風魔法。暴漢たちを歯牙にもかけず、瞬く間に排除してしまった、あの苛烈なまでの凛とした強さ。
 そして、助けた少女に「秘密ね」と囁いた、あの悪戯っぽくも慈愛に満ちた微笑み。


「あれ、は……」

 脳裏に、最愛の姉の姿がよぎる。
 幼い頃から圧倒的な覇気で国を背負う、孤高の次期女王、シャーロット。

 ジスランにとって彼女は、誰よりも敬愛し、誰よりもこうありたいと願う強さの象徴だった。

 魔力を持たぬ身であっても、せめて大好きな姉上の力になりたかった。
 だから、血の滲むような思いで剣を振り、国を支えるための知識を必死に詰め込んできた。

 光の中に立つ支配者には、必ずそれを支える影が必要だ。
 彼女がその手を汚さなくて済むように、裏側の嫌な仕事は全部自分が引き受ける。そんな「忠実なしもべ」に自分こそがなるのだと、それだけを信じていた。

 だが、帝国の後継者争いを目の当たりにし、己の存在そのものが内乱の火種になりかねないと悟ったあの日。

 彼は努力を捨て、思考を止め、楽な人生という名の(よど)みに、甘んじて身を落としたのだ。


「……姉上にも劣らない。いや、あれは――」

 彼女を財布だと? なんて失礼なことを。
 彼女を嫁ぎ先候補だって? なんて傲慢な。

 彼女は、守られるだけの花じゃない。
 彼女は、甘やかされて育った傲慢な令嬢でもない。

 暴力的なまでの実力をもって、たった独りで運命をなぎ払い、立ち塞がる有象無象を力で屈服させる……俺が恋い焦がれてやまない、本物の支配者だ。



「……ソフィー・ウォルジー」
 ジスランは、熱くなった顔を覆い、深く吐息を漏らした。

 先ほどまでの冷笑的な仮面はどこへやら。今の彼の瞳に宿っているのは、初恋を知った少年のようないじらしさと、至高の存在へ捧げる殉教者めいた敬愛だ。


 あんな風に強く、鮮烈に生きる彼女の隣に立ちたい。彼女が世間に隠し、夜の静寂にだけ見せた「真実の姿」を、自分だけが理解していたい。
 最強であるがゆえに孤独であろうあの背中を、今度は自分が、死力を尽くして支え抜きたい。


「……参ったな。あんなものを見せられたら、もう他の誰にも価値を感じないじゃないか」

 独りごちた声は、夜風にさらわれて消えた。
 だが、胸の奥で確かに燻る熱は、春の冷気程度で静まるはずもない。

 先ほどバルコニーで語った理想は、今の彼には砂粒ほどの意味もなくなっていた。



 重度のシスコンゆえに、無意識のうちに姉・シャーロットに匹敵する強さと気高さを持つ女性を求め続けていた第二王子。

 彼は今、ソフィーという暴力的なまでの輝きに貫かれ、逃れようのない恋に落ちたことを自覚していた。