洋子さんは、
ゆっくり立ち上がった。
包帯に隠れた顔。
けれど。
その瞳だけで、
どれほど苦しんできたかがわかる。
「あそこは……」
唇が震える。
「本当は、私の場所だったの」
静かな部屋。
時計の音だけが、
やけに響く。
「婚約者だった人は」
小さな声。
「最初は、私だけを見てくれていました」
視線を落とす。
「でも、事故のあと――」
指先が震えた。
「顔に傷ができた途端」
一拍。
「人は変わるのね」
胸が痛くなる。
洋子さんは、
自分の包帯をそっと押さえた。
「鏡を見るたび思うの」
苦しそうな笑み。
「もう終わったって」
「女として」
「終わったんだって」
私は息を呑んだ。
「こんな顔では」
涙が落ちる。
「人前に出る資格も」
「男性とお付き合いする資格も」
「結婚する資格もない」
洋子さんの声が震える。
「だって――」
泣きそうな顔で、
こちらを見る。
「女は、綺麗じゃなければ罪でしょう?」
……違う。
そんなわけない。
でも。
きっと誰かに言われたんでしょう。
きっと、
たくさん傷ついたんでしょう。
私はゆっくり近づいた。
「洋子さん」
そっと言う。
「傷は、あなたの罪ではありません」
洋子さんが、
目を見開く。
「あなたは悪くない」
「でも……!」
「あなたは傷ついた」
私は静かに言った。
「だからこそ、
誰よりも幸せになっていいんです。
しかし、だからと言って人を傷つけてはいけない。
そうでしょう?
不幸せの鎖であなた自身がしばられてしまう。
さあ、教えてください。
あなたは花嫁のブーケに何をしたんですか?
話し終えたら、これを一緒にいただきましょう」
ポケットから取り出したのは馬車道の人気店の包み紙。
甘い香りが漂う。クッキーだ。
洋子さんの目から涙が落ちる。
包帯に涙がしみこんでいく。
「中華街の黒魔術の店で、
ふれるとやけどをするという粉を買いました。
花屋が届けたブーケをほどいて、根元に粉を振りかけて……
ああ、わたしったら、何と言うことをしてしまったのでしょう。
今頃、被害にあった方々は……きっとこんなふうに……」
洋子さんは包帯をほどいた。
傷の見える顔があらわになった。
そして、洋子さんは、
なにも言えなくなった。
その時だった。
静かに。
扉が開いた。
「失礼します」
入ってきたのは、
飯田だった。
真面目そうな顔。
少し緊張している。
「飯田……」
洋子さんが目を伏せる。
「見ないで」
震える声。
「こんな顔」
飯田は、
一歩前へ出た。
「どうして」
苦しそうに言う。
「どうして、
あなたは隠れてしまうんです」
「だって!」
洋子さんが声を荒げた。
「醜いでしょう!」
涙がこぼれる。
「こんな顔!」
「みんな怖がる!」
「みんな離れていく!」
「だから……!」
その瞬間。
飯田が、
そっと頬に触れた。
「違う」
低い声。
「僕は」
「あなたを愛しています」
部屋が静まり返る。
洋子さんの目が、
大きく揺れた。
「うそ」
「うそじゃありません」
飯田は、
真っ直ぐ見つめる。
「あなたが笑うと嬉しい」
「泣くと苦しい」
「顔なんて関係ない」
声が少し震える。
「あなたがあなただから」
一歩近づく。
「好きなんです」
洋子さんの肩が震える。
「でも……」
「全部知っています」
飯田が言う。
「今日のことも」
「花嫁への復讐も」
「怒りも」
「悲しみも」
飯田は目をつぶった。
「それでも」
真っ直ぐ。
「あなたと生きたい」
静かな声。
「どうか」
深く頭を下げる。
「洋子さん、旦那様に身分の違いを許していただけたならですが……この飯田と結婚してください」
ぽたり。
涙が落ちた。
包帯の端から、
静かに流れていく。
洋子さんは、
拭おうとしない。
ただ。
息を止めたまま、
じっと飯田を見ていた。
私は、
胸がいっぱいになる。
隣を見る。
小田切さんも、
珍しく黙っていた。
そして。
ぽつり。
「……ずいぶん異例な事件だな」
私は小さく笑う。
「ええ」
一ーー深く息を吸った。
「でも」
飯田さんと洋子さんを見る。
「いちばん美しい結末です」
◇◆◇
後日。
私たちは再び屋敷へ招かれた。
洋子さんは――。
包帯を外していた。
傷を隠さない。
少しだけ照れながら、
でも確かに笑っている。
「すみれさん」
優しい声。
「友人にも謝れました」
「ちゃんと」
「前を向いて生きてみます」
飯田さんも言った。
「一生幸せにすると約束をしました。
そして、旦那様に結婚のお許しをいただきました。
被害者の方々は幸い治療がうまくいき、
やけど状態の跡が気にならないくらい回復されました。
旦那さまから多額の慰謝料を持って、わたしはお嬢様とは謝罪に行きました。
いつの日か、許していただけるよう、これからも謝罪を続けていきます」
私は微笑む。
新しいウエディングドレスの図案を広げた。
ふわりとした七分袖。
傷を優しく包み込むデザインのベール。
飯田さんと洋子さんは、
同じ一枚を指差した。
顔を見合わせて、
少し照れながら笑う。
……よかった。
本当に。
「洋子さん」
私は言った。
「自然な化粧もお任せください」
「傷は隠すんじゃなくて、
あなたの一部として美しく見せましょう」
洋子さんが泣き笑いする。
「ありがとう」
「すみれさん」
帰り道。
横浜の空は、
夕焼けに染まっていた。
「今回の主役は」
小田切さんが言う。
「君だったね、すみれさん」
「そんなことありません」
「いや」
少し笑う。
「ボクは今日、
美味しい焼き菓子を買いに行かなくちゃいけない。約束したからね。ちょっと女たらしに見える?」
……自覚あるんだ。
思わず笑ってしまう。
「でも」
彼が少しだけ真面目になる。
「すみれさん、君がいなかったら、
誰も洋子さんを救えなかった」
低い声。
「ありがとう」
…………。
だめ。
急に真面目になるの。
心臓に悪い。
私は空を見上げた。
起こした事件は、
決して許されるものではない。
けれど。
それでも。
救われた未来が、
確かにあった。
――朝霧すみれは今日も横浜で、
嘘を縫いほどく。
ゆっくり立ち上がった。
包帯に隠れた顔。
けれど。
その瞳だけで、
どれほど苦しんできたかがわかる。
「あそこは……」
唇が震える。
「本当は、私の場所だったの」
静かな部屋。
時計の音だけが、
やけに響く。
「婚約者だった人は」
小さな声。
「最初は、私だけを見てくれていました」
視線を落とす。
「でも、事故のあと――」
指先が震えた。
「顔に傷ができた途端」
一拍。
「人は変わるのね」
胸が痛くなる。
洋子さんは、
自分の包帯をそっと押さえた。
「鏡を見るたび思うの」
苦しそうな笑み。
「もう終わったって」
「女として」
「終わったんだって」
私は息を呑んだ。
「こんな顔では」
涙が落ちる。
「人前に出る資格も」
「男性とお付き合いする資格も」
「結婚する資格もない」
洋子さんの声が震える。
「だって――」
泣きそうな顔で、
こちらを見る。
「女は、綺麗じゃなければ罪でしょう?」
……違う。
そんなわけない。
でも。
きっと誰かに言われたんでしょう。
きっと、
たくさん傷ついたんでしょう。
私はゆっくり近づいた。
「洋子さん」
そっと言う。
「傷は、あなたの罪ではありません」
洋子さんが、
目を見開く。
「あなたは悪くない」
「でも……!」
「あなたは傷ついた」
私は静かに言った。
「だからこそ、
誰よりも幸せになっていいんです。
しかし、だからと言って人を傷つけてはいけない。
そうでしょう?
不幸せの鎖であなた自身がしばられてしまう。
さあ、教えてください。
あなたは花嫁のブーケに何をしたんですか?
話し終えたら、これを一緒にいただきましょう」
ポケットから取り出したのは馬車道の人気店の包み紙。
甘い香りが漂う。クッキーだ。
洋子さんの目から涙が落ちる。
包帯に涙がしみこんでいく。
「中華街の黒魔術の店で、
ふれるとやけどをするという粉を買いました。
花屋が届けたブーケをほどいて、根元に粉を振りかけて……
ああ、わたしったら、何と言うことをしてしまったのでしょう。
今頃、被害にあった方々は……きっとこんなふうに……」
洋子さんは包帯をほどいた。
傷の見える顔があらわになった。
そして、洋子さんは、
なにも言えなくなった。
その時だった。
静かに。
扉が開いた。
「失礼します」
入ってきたのは、
飯田だった。
真面目そうな顔。
少し緊張している。
「飯田……」
洋子さんが目を伏せる。
「見ないで」
震える声。
「こんな顔」
飯田は、
一歩前へ出た。
「どうして」
苦しそうに言う。
「どうして、
あなたは隠れてしまうんです」
「だって!」
洋子さんが声を荒げた。
「醜いでしょう!」
涙がこぼれる。
「こんな顔!」
「みんな怖がる!」
「みんな離れていく!」
「だから……!」
その瞬間。
飯田が、
そっと頬に触れた。
「違う」
低い声。
「僕は」
「あなたを愛しています」
部屋が静まり返る。
洋子さんの目が、
大きく揺れた。
「うそ」
「うそじゃありません」
飯田は、
真っ直ぐ見つめる。
「あなたが笑うと嬉しい」
「泣くと苦しい」
「顔なんて関係ない」
声が少し震える。
「あなたがあなただから」
一歩近づく。
「好きなんです」
洋子さんの肩が震える。
「でも……」
「全部知っています」
飯田が言う。
「今日のことも」
「花嫁への復讐も」
「怒りも」
「悲しみも」
飯田は目をつぶった。
「それでも」
真っ直ぐ。
「あなたと生きたい」
静かな声。
「どうか」
深く頭を下げる。
「洋子さん、旦那様に身分の違いを許していただけたならですが……この飯田と結婚してください」
ぽたり。
涙が落ちた。
包帯の端から、
静かに流れていく。
洋子さんは、
拭おうとしない。
ただ。
息を止めたまま、
じっと飯田を見ていた。
私は、
胸がいっぱいになる。
隣を見る。
小田切さんも、
珍しく黙っていた。
そして。
ぽつり。
「……ずいぶん異例な事件だな」
私は小さく笑う。
「ええ」
一ーー深く息を吸った。
「でも」
飯田さんと洋子さんを見る。
「いちばん美しい結末です」
◇◆◇
後日。
私たちは再び屋敷へ招かれた。
洋子さんは――。
包帯を外していた。
傷を隠さない。
少しだけ照れながら、
でも確かに笑っている。
「すみれさん」
優しい声。
「友人にも謝れました」
「ちゃんと」
「前を向いて生きてみます」
飯田さんも言った。
「一生幸せにすると約束をしました。
そして、旦那様に結婚のお許しをいただきました。
被害者の方々は幸い治療がうまくいき、
やけど状態の跡が気にならないくらい回復されました。
旦那さまから多額の慰謝料を持って、わたしはお嬢様とは謝罪に行きました。
いつの日か、許していただけるよう、これからも謝罪を続けていきます」
私は微笑む。
新しいウエディングドレスの図案を広げた。
ふわりとした七分袖。
傷を優しく包み込むデザインのベール。
飯田さんと洋子さんは、
同じ一枚を指差した。
顔を見合わせて、
少し照れながら笑う。
……よかった。
本当に。
「洋子さん」
私は言った。
「自然な化粧もお任せください」
「傷は隠すんじゃなくて、
あなたの一部として美しく見せましょう」
洋子さんが泣き笑いする。
「ありがとう」
「すみれさん」
帰り道。
横浜の空は、
夕焼けに染まっていた。
「今回の主役は」
小田切さんが言う。
「君だったね、すみれさん」
「そんなことありません」
「いや」
少し笑う。
「ボクは今日、
美味しい焼き菓子を買いに行かなくちゃいけない。約束したからね。ちょっと女たらしに見える?」
……自覚あるんだ。
思わず笑ってしまう。
「でも」
彼が少しだけ真面目になる。
「すみれさん、君がいなかったら、
誰も洋子さんを救えなかった」
低い声。
「ありがとう」
…………。
だめ。
急に真面目になるの。
心臓に悪い。
私は空を見上げた。
起こした事件は、
決して許されるものではない。
けれど。
それでも。
救われた未来が、
確かにあった。
――朝霧すみれは今日も横浜で、
嘘を縫いほどく。



